現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2012年 8月 選集――正義(Justice)

選集――正義(Justice)

「正義(Justice)」というテーマに関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。


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正義――定義

正義と不正義は多くの形を取る。マイトレーヤおよび覚者方、そしてベンジャミン・クレームやシェア・インターナショナル編集部のスタッフが正義の必要について語るとき言及しているのは、あらゆる人の等しい権利の公正で公平な承認とその実施についてである。それは、われわれ地球人類70億人すべての権利と必要が尊重され満たされることを平等に保証するものである。
国際共同体における信頼が成長して永遠の平和が可能になる条件を創造することができるように、正義がすべての国際関係の基礎を形成しなければならない。
一部の少数者があらゆる資源を自己のものと主張し溜め込み、その一方で多数者は飢え生きるために苦闘するという不正義がなくなるために、各国に正義が行きわたらなければならない。多くの国々および文化が劣悪だと考えられる現在の国際関係における正義の欠如は、憤りを生み出し、そして権力者に対する暴力行為の原因となっている。
正義と分かち合いは極めて密接に関連し合っている――一方は他方なしには存在できない。双方ともにすべての人の等しい権利を認め、そうする中で人類の本質的な相互依存性――単一性 ――を認めるのである。
シェア・インターナショナル誌の今月号では、正義 と、それに対してあまりにも蔓延している正反対――つまり不正義に焦点を当てることにした。
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正義は神聖なり         
(『覚者は語る』―正義は神聖なり―p.92-94)
正義は神聖なり。正義は人間の世界に神の調和をもたらす。この聖なる均衡(バランス)から取り残された何百万の人間がこれを切望する。鏡が人のイメージを写すように、正義は神の特性を映し出す。時の無法の度合いは、世界にある不正義の度合いで測られる。そして今日、不正義が大手を振って、あらゆる面で貧困な者たちにつきまとう。
法律的には、正義が社会の規則や犯罪や処罰の分野を支配する。しかし、根本的に正義とは神の法に関連することであり、それは調和と正しい関係に向かって働く。すべての不正義が、それがいかに些細であろうと、総体に対して不調和をもたらす。今日すべての地において、不正義が存在する領域があまりにも大きいので、完全な破壊を防ぐために非常手段が必要とされる。
不正義は人間の聖なる可能性の否定であり、人間を人間から分離させ、人類を神から分離させる。世界中の多くの人間が、長い間の不正義と搾取と圧制から解放されるために、ついに彼らの祖先によって担がれたくびきを取りはずすために、苦闘している。わたしたち、見守る霊ハイアラキーは、彼らの闘争を推奨する。なぜならわたしたちは、それをすべての人間の裡に宿る自由と正義を切望する「聖なる閃光」の表現として見るからである。わたしたちは慈悲をもって彼らの苦境を見守りつつ、わたしたちの手を貸す。
すべての人間が神の恩恵の分け前を得る平等の権利があることを否定する者がいる。そのように否定する者は分離した自己の声にのみ耳を傾け、彼らが持つもので神から来ないものは何もないことを忘れている。人間が裡なる神の声に耳を傾けるとき、分かち合いと正義が人間の病に対する唯一の答えであることを知る。
今日その聖なる神の声に耳を傾ける者はますます増えている。すべての側に、奪われた者のための代弁者(スポークスマン)が現れている。正義を求める叫びは増大し、間もなくその声は最高潮にふくれ上がり、過去を代表する者たちから発せられる慎重を呼びかける叫びはかき消されるだろう。
世界は一つであるのに、いかで二つの世界が存在し得ようか。
法はすべての人間に対して同じであるのに、いかで分割があり得ようか。やがて人間は、大勢の人々の苦しみは総体の病であることを理解し、そして正義のみがその治療法であることを理解するだろう。
援助は、今は欠くことができないものであるが、それは答えの半分しか提供しない。人間の心(ハート)の園に正義が完全に開花しなければならない。そしてそれがすべての人間を自由にする。
正義が、人間が自分自身を神として知ることのできる条件をつくり出す。愛において兄弟とつながり、自分の未来を勇敢に自分の手の中につかみ、それを神の青写真に沿って形づくることができる。多くの者が現在、そのような未来を欲している。そうした総体のビジョンを持つものは幸いであるが、しかし努力と労働なしには、正義と愛と喜びを顕現してそれを実現することはできない。
未来に向かって進むとき、これらのステップを一人で踏む者はいないことを記憶しておきなさい。すべての人間が兄弟同胞として、本源に直接つながる経路に沿って進まねばならない。まさにその本源から正義は輝き出て、人間を調和と愛のうちに結び付ける。
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「正義(Justice)」というテーマに関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

正義は、行われねばならず、必ずや、行われるであろう。世界は正義を切望する。正義と愛の欠如こそが、今日、人間を取り巻く問題の真の原因である。これらの聖なる様相が、もし明日にでも施行されるならば、新たな楽しさが、あなたがたの生活を彩るであろう。
愛と公平なる分かち合いというありがたい贈物は、神から出づるものである。それを正しく実践することによってのみ、神を識ることができる。人々にこれを教えなさい、我が友よ、それは、偉大で単純な真理を教えることになる。
(『いのちの水を運ぶ者』No.101、p.295)

今日、国家は限りなく分裂している。それぞれが世界の智恵の貯蔵庫であることを主張し、人間に自由と正義のどちらかの選択を提供する。人間がそのような選択を迫られるとは何とばかげたことであろうか。自由と正義は(どちらも)聖なるものであり、神性なるものは不可分である。正義なしに自由はあり得ず、自由を奪われた正義は存在しない。間もなく人間は、真理のこのひどいこじつけを永遠に終わらせ、国家間の不和を癒す機会を与えられるだろう。人間はすべて聖なる存在であり、神の贈り物と計画を分かち合う平等の権利を持つことを認識することのみが必要である。
(『覚者は語る』―神の代理者―p.187)

同胞愛が何であるかを知る者は非常に少ない。正義は多くの者によって夢見る夢であり、それのために非常に多くの人々が苦闘し、いまだ世界的規模で達成されたことはありません。ある人々はある程度の正義を達成しました――労働組合は彼らの職場における正義のために戦い、人々は政治的正義のために、経済的正義のために戦いました。ほとんどの人々が絶えず正義のために戦っているようです。なぜなら、それは人間の心(マインド) の中にある第一の概念だからです。それは正しい関係を意味します。それが正義の意味です。人々は、彼らの最善最良の瞬間に、人生の意味は正しい関係を示現することであることを本能的に知ります。しかし、正義のないときに、それがどうして可能でしょうか。
ある人々は不正義によって激しく掻き立てられ動機づけられます。ある人々は反応することができるまでに長い間不正義の下で苦しみます。しかし、誰もが、存在の中核から、正義を願望します。不正義を、それ自体のためだけで好む人がいるとは想像できません。成り行きにまかせているか、または利己的な行動によって、それを実際に引き起こすかもしれませんが、しかしそれが考え得る最も良い関係であると断言する人はいません。そんな愚かな人はいません。愛と同じように、正義も私たちの神聖なる存在の特質の表現として受け取られます。そしてそれは分割できないものです。正義は一つであり、愛は一つであり、自由は一つです。それを人々は願望します。たとえ逆のことをやるかもしれなくても、正義を願望します。人々はしばしば、自分たち自身が示現できないことに憧れます。それゆえに憧れます。自分たちの行動の中に、性格の中に、良く表現されていないところのものを人は願望します。それは罪悪感の根底であり、また大きな革命的な仕事の土台にもなり得ます。
(『人類の目覚め』p.41-42)

マイトレーヤは、人間は皮膚の色や信条が何であろうと、本質的にひとつであることを、そして地球の豊かな資源はすべての人類に属するものであり、その富を分かち合うことが未来への鍵であることを示すだろう。分かち合いのみが、そしてそれがもたらす正義(公正さ)が人間に希望を与えるだろう。分かち合いのもたらす正義のみが、戦争とテロという疫病を終止させるだろう。分かち合いと正義のみが、人間を彼らの真の遺産であるあの「同胞愛」に導くことができる。人がこれを悟るとき、彼らはそのチャレンジに立ち上がり、今われわれをひるませる多くの問題に一つずつ取り組むだろう。
マイトレーヤの光が、起こらなければならない変化への彼らの熱望を支え、均衡を保たせるだろう。そして、正しい順序で、世界は再生させられるだろう。
(覚者より『変革』シェア・インターナショナル、
2007年6月号)

神は多くの名前で知られている。わたしは神を愛と呼ぶ、また正義とも呼ぶ。愛と正義はどちらも我々の生活の礎である。わたしを探し求め、昔の兄を知りなさい。わたしのメッセージに耳を傾けなさい、我が友よ、そして共に喜びのうちにこの世を変えていこう。
(『いのちの水を運ぶ者』No.38、p.122-123)

人類にとって次の運命づけられたステップは正しい人間関係の創造です。それは平和に生きる能力を顕示することを意味します。もし私たちが平和に生きることができなければ、この先全く生きられないでしょう。なぜなら、今日大規模な戦争はすべての生命を破壊するからです。だから正しい人間関係に向けての最初のステップは、平和の状況をつくり出すことです。マイトレーヤは、これは単純なことだが、平和を生み出す方法は一つしかないと言われます。それは世界に正義をつくり出すことです。正義なしに平和はなく、平和なしに世界はありません。どうやって正義を手に入れるか。資源を分かち合うことです。世界のすべての人々にとって十分なだけの資源は存在します。分かち合うとき、私たちは神性への最初のステップを踏み出すのだとマイトレーヤは言われます。分かち合いは神聖なことであり、自由は神聖なことであり、正義は神聖なことであると彼は言われます。これらはすべて神の様相です。「己の神性を顕すために、人はこの三つを心に抱きしめねばならない」
(『いのちの水を運ぶ者』No.81信)
(『大いなる接近』p.42)
マイトレーヤは誰にも分かち合うことを強いることはありませんが、彼は、正義をつくる合理的な経済制度を生みだす唯一の方法として分かち合いの必要性を語るでしょう。現在の経済制度を挫折させているのは、その不正義です。それは終わろうとしています。なぜなら、それを生みだした時代が終わったからです。そして、それは少数の人々にとっては良く、多くの人々にとっては非常に害となる腐敗し、衰退し、結晶化した形態です。もちろん、それが良いと思われる少数の人々にとっても害になっています。それは世界を毒し、分割し、脅威となっています。そのため、それは消えなければならないのです。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.132)

人類は平和に共に生きるべきであるという希望を分かち合う者たちはすべて、わたしのために働く者たちである。平和と分かち合いと正義が、わたしの教えの中心である。この真理の光の輝くところに、わたしは目を向ける、その光の管を通してわたしの愛を送る。そのようにして、わたしは働く。そのようにして、わたしはあなたがたを通して世界を変えていく。
(『いのちの水を運ぶ者』No.92、p.266)

正義(公正)のみが人間が欲する平和をもたらすだろう、そして正義が支配するときにのみ、戦争は褪せた過去の記憶となるだろう。ほとんどすべての国において、マイトレーヤはあらゆる分野にヘルパー(助け人)たちのネットワークを作っておられる。そのようにして彼は新しい時代の骨組みをつなぎ合わせておられる。これらの選ばれた働き人(ワーカー)は彼らの任務を良く知っている。彼らは間もなく表面に出てきて、新しい思考を世界にもたらし、正義を人間の第一の目標にすることがいかに緊急なことかを示すだろう。このことのみが戦争の災いに、恐怖という疫病に、永久に終止符を打つことを示すだろう。そしてわれわれの経済制度の合理的な再構築のみが正義を可能にし、信頼という基盤に基づいて人類を共に歩み寄らせるだろう。そのようになるだろう。かくしてマイトレーヤの智恵と教訓は人間の思考に浸透し、影響するだろう。
(『覚者は語る』―前例のない時―p.621)

マイトレーヤが世界から飢餓を追い払うのではなく、私たち自身でそうするよう私たちを鼓舞するでしょう。マイトレーヤは、私たちがキリスト意識と呼ぶもの――愛のエネルギー――を体現しています。このエネルギーが私たちを通して顕現するとき、それは世界を変えるでしょう。マイトレーヤは世界に正義を――それゆえに平和を――創造するために、私たちの心(ハート)の変化を鼓舞するでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.66)

私たちは霊性についての概念を拡大しなければなりません。そして霊的基礎にたつ政治、経済機構をつくらなければなりません。つまりそれは分かち合いと公正です。これらが霊的な様相です。マイトレーヤは言われます、「分かち合いは聖なることである……あなたが分かち合うとき、あなたの兄弟の裡に神を認知する」。これは単なる良いアイディア(観念)ではなく、聖なるアイディアです。神性の特性です。公正ということは聖なることです。自由は聖なることです。マイトレーヤは分かち合いを通して公正と自由を築く方法を私たちに示すためにやって来られます。そうして、私たちは霊的に正しい政治、経済、宗教機構をつくるようになるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.124)

我が友よ、あなたがたは少しも神と違わないのである。その神性を顕して、本来のあなたがたである神となりなさい。それでは、一体どこに障害があるのか。これらは人間が造ったものである、我が友よ――法の否定、人を人から分離し、子供を愛しい子供とそうでない子供とに分離する。人がこれに気づくとき、世界は息を吹きかえし、新たに輝く。だから、分かち合いと正義と真理の法を教えることをあなたがたの務めとなしなさい。正義と愛の顕現なしには、すべてが無に等しいことを人に気づかせてあげなさい。人類はこの真理の発見の門口に立っている。あなたがたの中にわたしが存在することが、これを確実にする。我が兄弟姉妹よ、わたしの仕事を援けて、正義こそが、わたしたちの生活における至上のものであることを、あなたの知っているすべての人々に知らせなさい。これが欠如するだけで、人を人から分離させ、人類そのものを脅かす。これを悟りなさい、我が友よ、兄弟よ、そして光が勝利することを知りなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』No.126、p.371-372)

もし人類が平和を知ろうとするならば、人類を一つとして見なければならない。それ以外のものは何も、人類をあの幸いなる状態に導かない。正義が支配し、貧乏人がもはや慈悲を請うことがなくなるとき、平和は確立される。正義なくして和合を考えることは不可能であり、人間は永久にそれをつかみとることはできないだろう。であるから、正義の支配を確立し、この苦悩する世界に和合と平和をもたらしなさい。
(『覚者は語る』―和合の必要―p.102)

人類は馬鹿げた選択を与えられてきました。自由であるか正義を持つかのどちらかです。もしあなたがアメリカかヨーロッパに住んでいれば、大体において自由を選びます。特にアメリカ人は自由というアイディア(概念)を愛しますが、アメリカに正義はほとんどなく、ヨーロッパにもそれほどありません。もしもあなたがソ連圏に住んでいれば(一つのブロックとしてはすでに存在しませんが、意識はまだ存在します)、あなたは正義を選びますが、自由は全くありません。この選択は全く不合理です。自由も正義も共に神聖なものであり、神性を分割することはできません。正義なしの自由はあり得ず、自由なしの正義はあり得ません。人間にそのような選択を強いることはできません――「私に投票するなら、自由を与えよう。しかし正義のことは忘れなさい」とか、「私に投票するなら、正義を与えよう、だが自由については忘れることだ」。それはどちらも不可欠なものです。なぜなら両方とも人間の、したがって神の本性の一部だからです。それらは魂から来ます。魂がその人を通して顕現しているならば、その人はすべてのために自由と正義の両方を欲するでしょう。それらは本質的に同じものです。
分離することはできません。なぜなら、霊(スピリット)は分離できないからです。神性は完全なもの(whole)であり、それの表現は完全であることを必要とします。それは和合(unity)についてであり、和合は正義と自由の融合からのみ生じます。
(『大いなる接近』p.35-36)
マイトレーヤは一定の基本線を打ち出し、一定の優先されるべきものを確認するだろう。何にも増してもっとも緊急を要する仕事は、飢餓の除去である。何百万の人間が飢え死にしているかたわら、彼らの生命を保証することのできる食物は、山積みされたまま腐っている。世界中の貧しい者たちは、彼らの運命の重荷の下で毎日呻いている。人間は一体であり、神の大計画を成就するために共に生を受けていることを、キリストは新たに示そうとされるだろう。
その次に優先されるべきことは、平和の確立である。平和が確保されなければ、人間にとって希望はない。平和への道、すなわち唯一の道には道標があることを、彼は示すだろう。それには大きな字で正義と書かれている。人間は分かち合うことを学ばねばならない。それなしには、正義は、はるか彼方の夢である。
第三に優先されるのは、人間の自由の維持に関わることである。数え切れない数の人間が世界の牢獄で侮辱と拷問に苦しんでいる。彼らの唯一の罪は、独立した思考を持つことである。キリストは人間の自由の必要を強調されるだろう。それなしには、人間は神への道の途上において停止させられ、発達を阻止される。
(『覚者は語る』―優先の問題―p.169-170)

最初に考慮すべきは社会を支配する法則が公正であり、すべての者に適用すべきであるということである。そのような基本的な正義と公正なしには、人々に法律を守ることを期待できない。今日しばしば「金持ちのための法律と貧乏人のための法律」が存在する――これは社会紛争の処方箋である。さらに必要なことは、法律が、すべての者が知り得て理解できる言葉で表現されることである。全く時代遅れで専門家しか知らない法律を犯したという罪によって、人が投獄され、裁かれることがしばしばある。
最大の必要は、個人の利益と社会の利益とをより密接に同一視していくことである――それによってのみ、個人の自由と社会の安定を保持することができる。いかにすればこれを最大限に達成することができるか。
国際連合の機関が人権の規約を公式化した〔*巻末参照〕。もしそれが実施されれば、現在の社会緊張を解消し、公正な安定した社会の基礎をつくるのに大いに役に立つ。世界のすべての国に住む、搾取され、公民権を剥奪された何百万の人間にとって、これまでのところ世界人権宣言は夢にすぎない。目標はできる限りのスピードでこれらの基本的権利をすべての国家に確立することである。
(『覚者は語る』―人権―p.99-100)

今日の世界の最大の分割は産業国の北半球と第三世界の南半球の間にある経済的格差である。世界の3分の1の人口が世界の食糧の3分の2と、世界資源とエネルギーの少なくとも80%を乱用し浪費し、他方第三世界はその残りで賄わなければならない。この不均衡のなかに潜む緊張が我々を容赦なく破局に追いやる。……
至る所に住むすべての人間が、人間家族の完全に受け入れられたメンバーとして自由に食べて生きることができるまで、世界に正義はないだろう。正義がない限り真の平和はない。もし今日世界に真の平和がなければ、世界に未来はない。
今、我々は本質的に霊的危機に直面しているのだが、それは政治や経済の分野を通して表面化している。であるから、マイトレーヤは政治と経済の領域内で働く決意をされ、そして分かち合いの原理を強調され、それが人間の未来のすべての進歩への鍵であると言われた。 
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.120)

最初に優先すべきことは、戦争を永久に、完全に、全く放棄しなければならないということである。分かち合いのみが必要とされる信頼を生み出し、それが世界中に正義を創造するということが知られるだろう。正義(公正さ)が君臨するまでは、真の平和は決してないだろう。一歩一歩、人間はこの論理に気づくようになるだろう。人々は、選択肢がないことを理解するようになるだろう。もし人間が生存し、栄えようとするならば、不正義と戦争を放棄しなければならない。人間はこのチャレンジ(挑戦)に応えることができるのか。人間は地球上での長い逗留のあいだに多くの栄枯盛衰に直面し、克服してきた。今日、マイトレーヤと彼のグループ(覚者たち)に導かれて、人間は自分たち自身のために行動し、正義と分かち合いへの呼びかけに応えるように鼓舞されるだろう。
(覚者より『人々は呼び掛けに応えるだろう』
シェア・インターナショナル誌2009年12月号)

もし人間が平和を知ろうとするならば、平和の道を確立するための単純な義務を持つ。すべての人間が心(ハート)の中で知っているように、平和への道は唯一つしかない。正義の創造である。人間が彼ら自身のために、そして他の人々のために正義の必要性をついに認めるようになるとき、ありがたき平和の時がこの地球に訪れるだろう。
(『覚者は語る』―信頼の創造―p.608)

ハイアラキーはジュワル・クール覚者を通して、人間の心は、特に一般の人々の心は健全であると言いました。彼らは平和と正義と分かち合いを受け入れる準備ができています。平和を切望しています。既に世界の人間は平和のために行進したりデモを行っています。間もなく彼らは正義と分かち合いを叫びながら行進するでしょう。マイトレーヤ御自身がメッセージ第135信で言われました。「善意の人々が集団をなして、正義と平和への希望と夢を高く掲げて振り回すだろう。この叫びが各国家の中に真理の松明を灯すだろう、そしてその中心にわたしが居る」。まさしくこのことが今、米国やヨーロッパにおける平和行進で起こっていることです。これは人々が分かち合いを、そしてマイトレーヤを受け入れる準備があることを示していると思います。彼の言葉を受け入れる準備ができていることを示します。このようにして彼は、我々の要求と志向を喚起し集中させます。教育のある世界世論の集中的断固たる意志に抵抗できる政府は地上に存在しません。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.133-134)

わたしの出現のリズムは高まる。あなたの兄弟姉妹たちは、数日のうちにわたしを見、声を聞くだろう。人事に、国事に、人間関係の中に、愛と正義が必要であることを彼らに語る。そしてこの崇高なる愛と正義なしには、すべての人間が滅びることを示す。わたしの望みは――いや、我が兄弟よ、わたしの知るところでは、人類はわたしの召集に応えるであろう。そうなることを、わたしは知っている。人間の裡に聖なる存在の宿ることを、わたしは知っている。愛と正義が勝利すべきであるというのは、その裡なる存在の計画によるものである。そうであるから、結果は保証されている。
(『いのちの水を運ぶ者』No.77、p.220-221)