現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2012年 4月 タイムリーな訪問

タイムリーな訪問

編集長殿
2012年2月27日、コーヒーブレイクの時に、アムステルダムにある、シェア・インターナショナル・オランダ・インフォメーションセンターで働いている私たち3人は、覚者方が実に様々な方法で、私たち皆を助けてくださっていることについて、覚者方は、教師や治療家、セラピスト、看護師、案内人や鼓舞する人として、人々が必要とするそれぞれの瞬間に、ぴったりのふさわしい方法で、必要な助けを与えられると話し合っていました。私たちはまた信の必要性についても、それが活動することで分かるようになることについて話し合いました。
数分後、一人の男性がウィンドウの中の本を眺めながら立っているのが見え、その男性は入ってきたのですが、率直で幸せそうでくつろいだ様子でした。オランダ語が話せる人で、私たち皆と握手をし、自己紹介しました。
「この情報に惹かれてね」と彼は言いました。「あなたたちはここで何をしているの?」。ヨスが、マイトレーヤと覚者方の降臨について伝え始めました。けれども間もなく、彼は私たちの情報を知っているらしいことが分かり始めました。私たちはもはや、その訪問者がイエス覚者かもしれないことに、かなり確信を持っていました。
彼は自分をアーティストだと言い、つまりは俳優で歌手で詩人ということでした。
コルネが会話に耳を傾けながら、その生き生きとした、笑みを浮かべた若者(30歳くらい)に自然な風格があり、ヨスの言葉の最後を言い当てたことに気づきました。それはヨスが、イエス覚者が現在拠点とされているのは……ローマと言おうとした時、「ローマ」という言葉を先に口にしていたのです。
「もし2,000万ユーロ(約22億円)を手に入れたら、自分の必要のために少しだけもらって、残りは他の人々と分け合うよ。一体どうやって2,000万なんて一生のうちに使えるというのかな!? ますます多くの人々が、食べ物を買うためにお金を使わなければならなくなり、それで何も手元に残らない。経済危機を感じている多くの人々にとって、もし政府が何十億も戦争や武器に費やしたりせず、現在そのように浪費されているお金が分かち合われたなら、『より簡素に生きること』は、ずっと耐えやすいことだよ」。彼はさらに続けて、「解決法はあまりにも簡単なので、人々はそれが簡単だということが信じられないのさ!」と言いました。
私たちは賛同の声を上げて、そう、それは分かち合いと言いました。
私たちは皆、飢餓と貧困が世界に蔓延していることについて話をしました。彼は「私たちが住んでいる所だから、オランダを取り上げてみよう。素敵な幸せな国になれるだろうけど、この緊張とストレスはどうだろう。人々は意気消沈しているし」と彼は言って、続けて「ここの草までぐったりしているよ! それはなぜなのか? なぜなら人々が皆ひどいプレッシャーにさらされているから。貧しい人々にプレッシャーをかけ、人々にストレスを与えている人たちもまたストレスに苦しんでいる。なぜなら、誰もがお金を稼がなくてはならないから。いいかい、私たちがまだ知らない、名前さえないような、情緒的心理的な病気のタイプが幾つか存在しているんだよ。この辺りを歩いている人々を見てごらん、彼らはだいたい大丈夫のように見えるけれど、意気消沈していて、あまりのストレスの下にあるため病気なんだ。社会の上層部の人々には、あまりにもお金を稼ぐことに重点が置かれてすぎているため、一般的な人々は十分なお金を得られない」
彼はさらに、移民の子孫の若者に関する社会問題について話しました。彼らが問題を起こしているのは本当だけれど、それはなぜなのかと彼は言いました。問題の原因は一部には家庭内だけでなく社会の中にあり、不平等と、ここでもまた一家に対する緊張とプレッシャーがあると言っていました。彼は議論の的である右派のオランダ人政治家について話をし、彼に投票する人々は人種差別主義者ではなく、誰もが与党への信頼を失っているために、抗議の投票をしており、一方は他方と負けず劣らずひどいだけで、現在の問題に何の解決策も持ち合わせていないからと話しました。
「とてもシンプルなことだよ。そのような心配やストレスに悩むことなく、調和のうちに人々は生きてゆきたいものだ。けれどもこのような雰囲気は広まり、現状を維持することを望む人々によって保持されている。彼らは自分たちのことだけを考えているからね」
彼は中東の状況、特にイスラエルとイランの状態に関心を持っていました。彼はシリアのことに言及し、世界は戦争という負担を負うことはできないと言いました。それは恐ろしいほど破壊的なものとなるでしょう。
「私が思うに、この年2012年は、決定的な年になるだろう。重要な年だよ。何かが起こるだろう。何か肯定的なことがね。今起こらなければならないので、そうでなければ私たちは道に迷うことになる。これまで通りに続けていくことはできない。けれども希望がある。人々は自分たちの役目を果たさなければならない」。私たちは彼が、約80%の人々が肯定的に反応し、20%の人々が反対の反応をするだろうというようなことを言ったと思いました。「私たちには進むべき長い道のりがあり、抵抗もあるだろう。人々が決定するだろう。最初はゆっくりと。ほら、初めはあなたたち3人だったけど、今では私たち4人だよ!」
「私たちは他の人々のことを気にかけているので、この仕事を行っている。あなたたちがこの仕事を行い、勇気を持ってこのことを知らしめようとしているのを、とてもうれしく思うよ。いつの日か、人々があなたたちを『肯定派』と呼ぶだろう。でもあなたたちは自分たちを、もっと良い形で知ってもらうようにすべきだと思うよ」
私たちは彼にアドバイスをお願いしました。「そうだね、シンプルなチラシを作りなさい、込み入っていないものを。もっとイベントを企画しなさい、夜に開催するものを。そして最後のポイントは、イベントを開催する時、常に食べ物を用意することだよ。一緒に食べることは人々を一緒にして、結び付ける要素があるんだ」。それから彼は本当に心から笑って、料理上手なので来て手伝うと言ってくれたのです!
彼は握手をして、また戻ってくると言って帰っていきました。
彼は実際にイエス覚者でしたか。
ヨス・クイル、コルネ・カテル、
フェリシティ・エリオット
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

簡単な答え

編集長殿
2012年1月29日の日曜日の午後、私は新鮮な空気を吸うために散歩することにしました。私はそれまで一日中誰かと話をする望みすらなかったので、少し不安で寂しく感じていました。新鮮な空気と体を動かすことが、その状態を克服する助けになると分かっていたので、散歩に出かけたのです。
しばらくすると、一人の非常に背の高い若い男性が、頭にカラフルなウールのキャップを被り、私の方へやって来るのが見えました。彼がきらきらと輝く瞳をしているのが分かり、とても温かで元気の良い挨拶をしてくれたので、私はいきなりとても幸福な気持ちになりました。私はもうじき70歳の誕生日を迎え、もはや若く魅力的な女の子でもなかったので、若い男性からそのような素敵な挨拶と微笑みを向けられて、驚いていました。心地よい気分は長い間留まり、今でも感じられて、私の思いは時折その素晴らしい瞬間へと戻っていくのです。
もしかしてその人物は特別な方だったのか、それともただの感じの良い若者だったのだろうかと思うのです。
ウルスラ・ケネル
スイス、ミヌシオ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『元気の良い若者』がイエス覚者であったことを確認した】


写真付き手紙
特別便

編集長殿
2012年2月の初めに、『私というエゴ』の考えが軽減するような意義深く、強力な体験をしました。霊的な教えを熟慮することを通して、いかに私たちが自分自身を個人として考え、私というものを基調にした、「私が何々をする」、「私は何々である」等々の思いを持って日々を過ごすことで、この幻惑を養い続けるかということへの理解を得ました。これは強力な変化で、いまだに私の中にあり、それがエゴの幻惑を明らかにする過程に関係しているのです。何年にもわたり、神の恩寵を通して、瞑想中は自分自身を、真我としての認識を経験することができていました。けれどもエゴは常に、非常に活発に『生き生きと』していました。そして翌朝、アパートから出たところで、着色された糸と木でできたダイヤモンド型の星が、外のドアのノブに下げられているのを見つけたのです。私の最初の思いは、「これはマイトレーヤの星のようだ」ということでした。
これはマイトレーヤからのものでしたか。もしそうなら、私はこれを祝福や瞑想のため、私自身と他の人々の治療のために使うことはできますか。
マーク・アスパ
ドイツ、ベルリン
【ベンジャミン・クレームの師は、ダイヤモンド型の飾りがイエス覚者によって現されたことを確認した。祝福と瞑想のために使うことができる】