パレスチナにおける識字と平和
ゲーリー・ドルコ
エマ・スワン氏は平和と紛争の研究に関する文学士号を持ち、最近ではカナダ、バンクーバーのランガラ・カレッジにおいて人間の安全保障と平和構築に関する修士号を取得しようとしている。彼女は、パレスチナ、シエラレオネ、コロンビアなど経済と政治が困難な状態にある国々で長期間暮らしてきた。2011年、彼女はパレスチナに図書館を開設した。ゲーリー・ドルコが『シェア・インターナショナル誌』のためにインタビューした。
シェア・インターナショナル(以下SI):パレスチナに行き、ヨルダン川西岸地区(以下、ウエストバンク)の難民キャンプの一つに図書館を開設しようとあなたを駆り立てたのは何だったのでしょうか。
エマ・スワン:私は大学の最終学年を学部での研究の一部としてパレスチナ紛争について学んできましたが、私はそれが理解できず、何が起きているのかを知的に処理することができませんでした。それが最初に私を世界のこの地域で働くよう引き込んだことです。一つの考えとして図書館が頭の中に出てきたのです。最初私は、カラマ・センターで英語を教えるためにパレスチナに行くつもりでした。そのセンターは、ウエストバンクのディヘイシュ難民キャンプで女性や子供たちに英語の読み書きの技能を無料で提供しているのです。私は資金計画案を立てて、プログラムの調整者であるヤセル・アル・ハジ氏と連絡を取ることになりました。このセンターが提供していることの目に見える証拠として私の計画案に載せるために、識字プログラムを体験した女性たちの成功例について尋ねたとき、彼は長期的な目標や、女性たちがそのプログラムから実際に何を得ているかについて話すのを避けているようでした。そのことが警報を作動させました。というのは、開発に関して学校で学ぶどんなこともバンドエイドを貼って手当てをするようなものではなく、長期的な解決策だからです。彼と多くのことを話し合った後、彼が次のステップに関して苛立ちを感じていることが分かりました。というのは、多くの女性が読み書きができるようになってこのプログラムを完了しますが、1年以内に再び読み書きができなくなってしまうからです。クラスをずっと続けていくことは彼女たちには不可能ですが、卒業した後、普通は本や雑誌や文学作品を手にできないため、能力を実際に使う機会がないのです。彼女たちが本を手にすることが必要であるのは明らかであり、図書館を開設することがどうしても必要に思えました。
SI:あなたが開設した図書館は2カ国語――英語とアラビア語――です。どのような種類の本が適当かをどのようにして調べたのですか。
スワン:私たちが鞄に入れて持ち込んだ本は英語の本で、アラビア語の本はそこにいる期間に買いました。難民キャンプで暮らす子供たちに対して侮辱的であったり、少なくとも不適切であったりする西洋の文化的価値観に染まっていない、子供たちのための本を見つけるようにしました。私たちが最初に考えたのは、平和や和平プロセスについて述べられている本を中心にすることでした。しかし、私たちが肯定的なことだと考えても、ヤセル氏はカラマ・センターから政治色を締め出したいと強く感じていました。彼はこのセンターを、遊び、読み、書くための場所にし、彼らが難民キャンプで暮らすようになった原因である紛争に焦点を当てないことを望みました。
SI:占領地域に図書館を開設する上での課題は何ですか。
スワン:資金が最大の問題です。それと、ウエストバンクに供給品を持ち込むことへの非常に厳格な管理体制です。ボランティアが入国を拒否され、教材を没収されるケースが非常に多いのです。
SI:本を持ち込むことは違法ではないが、検問所でイスラエル国防軍によって没収されるのですね?
スワン:そうです。私たちはローラーつきの非常に大きなスーツケースにいっぱいの約420冊の本を持っていました。そのため、私たちが持っているものを見るためには彼らはジッパーを壊さなければならず、私たちは何とかうまく通り抜けました。私たちはラッキーでしたが、彼らはアンラッーキーでした。
SI:英語の本は持ってきて、アラビア語の本を買うために東エルサレムに行ったのですね。つまり、あなたは本を持って何回も検問所を通らなければならなかったのですね。
スワン:私たちはだいたい週に一度はそのようにしました。難民キャンプはベツレヘムのすぐ外側にあり、東エルサレムから車で約30分です。ウエストバンクを離れるときは、イスラエルに入国しますので、警備はいつも厳しいです。彼らはあらゆるものを調べ、なぜウエストバンクにいるのか、なぜイスラエルに行きたいのかを知りたがります。私たちはウエストバンクを離れるときはいつも何も持っていかないので、案外簡単です。そして、検問所には違う兵士たちがいますので、疑われることは全くありません。難民キャンプを離れるときやその後に本を持って戻るときは、イエス誕生の舞台を調べるためにベツレヘムに行くと兵士たちに言うようにしていました。
SI:子供たちや地元の大人たちの図書館に対する反応はどうですか。
スワン:本を家に持って帰れることを知ったときの子供たちの反応を見ることは素晴らしいです。子供たちが毎朝、夢中で列を作り、頬にキスをしてくれて、学んだ新しい言葉を興奮して語ってくれるのです。時々、私が難民キャンプを歩いているときに、親が私のところに来て、図書館のお礼を言い、息子や娘が本を毎日読んでいる様子を話してくれます。センターを溜まり場にする多くのティーンエージャーがいます。彼らのうちの一人はベツレヘム大学に行き、別の一人はセンターの識字プログラムを卒業しました。私が去ったときは、彼らは図書館の運営を助けるために週に4日来てくれていました。私たちが次にする必要のあることは、フルタイムで働ける図書館員を雇うことです。今はそうするお金はありませんが、それは私が戻るときの私の第一の目標です。つまり、少なくとも1年契約で誰かを雇うことができるようになることです。また、図書館に千冊の本を持ち込みたいと思っています。
SI:どうしたら千冊の本がスーツケースに入るのですか。
スワン:(笑)入りません。エジプトを何度か往復するつもりです。ガザとの国境近くに住んでいる友人がエジプトにいます。カイロに飛行機で行き、本を買って、友人のところに保管し、月に一度ウエストバンクとエジプトの間を行き来し、そのたびに本を持ち込むつもりです。
SI:センターを開設するようヤセルを駆り立てたのは何ですか。
スワン:自分の家族が虐待されるのを見るのがたまらなかったと言っていました。彼はキャンプで生まれたのではありませんが、姪や甥たちの多くはキャンプ以外での生活を経験したことがありません。パレスチナで成長し、野外で遊び、オリーブの木に登った経験について彼はよく思い起こします。人が多すぎるキャンプで子供たちがどのように成長しているかを彼は見ています。サッカーをしたり、ボールをあちこちで蹴るところはなく、遊ぶ場所はありません。センターを開設したときの彼の最初のビジョンは、子供たちが遊び、ただ子供でいられる場所を狭いなりにもつくることでした。そこから拡大し、活動を提案できるようになり、サッカーボールやバドミントンのセットを買うための資金を調達しました。次に、教師たちが自発的に働き、読書クラスを開講し始めました。
SI:読み書きを学ぶことで、子供たちはどのような機会が得られると思いますか。
スワン:彼らはまだ毎日非常に大きな障害に直面していますが、教育の格差を縮めることによって、より良い雇用の機会を得ることができます。また、読み書きできるようになることで違った考え方ができるようになり、視野つまり世界観が広がります。例えば、子供たちは、ネルソン・マンデラ氏に関する子供用の絵本を読んでいました。彼らは絵本を読むことが好きで、「この人は本当にいる人?」と尋ねました。というのは、彼らはマンデラ氏について聞いたことがなかったからです。もう一つの本は、若い活動家たちに関する『平和を信じる子供たち(Children in Peace)』という本でした。ガザで殺された少女、レイチェル・コーリーが登場する本で、彼らはこうした若者たちが世界でどうしているかを知ることができました。彼らは裕福でも有名でもありませんが、彼らは知識を得て、彼らが同意しないことに反対の声を上げていました。それがキャンプの子供たちに何らかの刺激を与えることになったことと思います。教育を受けることはまた、子供たちの内に批判的思考法を培いますが、彼らの状況が非常に厳しいこともあるので、助けになるのです。ヤセル氏は女性の自爆テロが増加していることに不安を感じ、多くの女性が教育を受けていないためだと考えたのでした。
SI:また、読み書きできるようになることで、より高度な学識を得る機会を子供たちは得られますか。
スワン:まさにそうです。機会はありますが、彼らは非常に限定されています。イスラエルの学校にはアラブ人の生徒を受け入れる場所がありますが、構造的な不平等とアラブ人の生徒たちが日々の生活で受ける暴力のため、提供された空間を満たし続けることができず、イスラエルでの中退率は約50%です。
SI:あなたは今、平和と安全保障について学んでおられますが、卒業後はどこで働こうとお考えですか。
スワン:私は人間の安全保障と平和構築の修士号を取ろうとしています。パレスチナでの計画を始める前、私はシエラレオネの学校で働き、少年兵の復帰を助けていました。少女兵、紛争後の彼らの状況、私がDDR――軍備縮小(disarmament)、動員解除(demobilisation)、復帰(reintegration)――と呼ぶプロセスについての学校用のレポートを書きました。私はこのプロセスにとても関心があります。現在のプログラムは個人の必要をいつも考慮に入れているわけではありません。それらは経験に大雑把に対処することに合わせられています。そのため、私が卒業したときには、紛争の影響を受けた若者に働きかけ、復帰に関するより総合的な取り組み、つまり文化と個人の必要を考慮に入れた取り組みについて考えることを望んでいます。
SI:他に付け加えたいことはありますか。
スワン:カナダの家にいたときからずっと、私はパレスチナの状況について人々に話したいと思っていました。アパルトヘイトに似たことが起こっているのを見て、起きていることについて言葉にするのを人々が怖がっているとき、私は思います。この状況がこれほど長く続いている一つの理由はこれだと。私たちは、受け入れ、認識し、解決するために努力し、起きていることに名前を付けることが必要です。
私たちがそうしたとき、うまくいけばそれが平和的な解決につながる国際社会での対話を開くと私は考えます。私がアパルトヘイトという言葉を使うと、人々は身震いをします。これがアパルトヘイトだったら、私たちはそれが起こるのを許すことができません。国連はそれを十分に明らかにしてきました。
情報を得て、それがパレスチナで起きているということを認識することが重要です。人々には、この状況をずっと続いてきた宗教紛争と見なす傾向があります。彼らは「私はイスラム教徒ではない。私はユダヤ人ではない。私は世界のこの地域の生まれではない。なので、それについて意見を持つことは許されない」と考えます。このような考え方が危険なのであり、紛争が続くことを可能にしているのだと思います。
さらなる情報をお求めの方は:www.karama.org