現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2012年 5月 特別配達

特別配達

編集長殿
2012年2月、私はアムステルダムのインフォメーションセンターで働いていました。ある時、私が開けたドアの所に立っていると、郵便会社の制服を着た背の高い黒人の男性が、明らかに特定の建物の番地を探しながら、通り過ぎていきました。私はどの番地を探しているのか尋ねました。彼はちょうど見つけたところだと言い、それは隣のビルで、彼は私ににやりと笑い、ピースサインをしながら去って行きました。
しばらくして彼は戻ってきて、ウィンドウに展示されている本を眺め始めました。私は冗談めかして、彼は『あの本』に興味があると思うと言いながら、『不朽の智恵の教え』(ちょうど私たちが次回の夜の公開書籍討論会に使うのを決めたところでした)を指差しました。「僕がそれを欲しいとどうしてわかった?」と彼は笑いながら答え、『人類の目覚め』も買いたいと言いました。
彼は私たちが何者で、何をしているのか、仏教徒のような感じなのかと様々な質問を尋ねてきました。私たちの情報の中には古代のヴェーダ(ヒンズー教の聖典)の思想が含まれているのか? 私たちは瞑想をしているのか?
私は伝導瞑想について説明しました。「そう」と彼は言い、「僕も瞑想をするよ。6年間くらい瞑想をしている。説明が難しいよね、だけどあなたにとって確かに大事なものだよ。重要なのに、そうでないとしたら、バタバタと慌しいためだね」と話していました。この最後の言葉は、良心の呵責を感じている私の耳に残り、アドバイスのように響きました。
彼は帰る時に、「そのうちまた来るよ」と言いました。
彼が瞑想について話していた時、それは真剣なものでしたが、私は非常にしばしばあまりにも急ぎ過ぎていると感じており、度々規律を欠いて、そのため瞑想しないことを悪く思いながらも、さっさと切り上げたりしていたのです。彼は質問しましたが、答えは必要ないように思え、彼には自信に満ちた雰囲気があり、気取らずくつろいだ気楽な様子で、完全に彼自身で存在しているという印象を受けました。
彼は風変わりな郵便配達人だったのか、それとも彼は覚者でしたか。
匿名希望
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、その『郵便配達人』がイエス覚者であったことを確認した】

良いお手本

編集長殿
2011年6月11日に、脱原発のデモと集会が日本の140の町で開かれ、私は新宿のデモに参加しました。デモ行進が始まる前、マイトレーヤの『手』にすべての原発がなくなることを祈り、『手』はバッグにしまいました。私はプラカードも持たずに行進しました。体も疲れていて、大きな声を出すこともできませんでした。自分のアピールの度合いが不足なのを少し不満に思っていました。
行進の道程の半分を過ぎた頃、後ろの方で、「子供たちを守れ!」という、ひときわ力強い声が聞こえてきました。振り返ってみると、黒いTシャツで黒い帽子を被ったハンサムな若い男性でした。彼の瞳はとても鋭くて、顔からは不屈の意志がみなぎっていました。ストレートで毅然とした様子で、『子供たちの命を守れ!』と書かれたプラカードを掲げていました。私たちは車道沿いを歩いていましたが、彼は大きなよく通る声で、歩道にいる見物人やその他の人々に向かって、「無関心はやめろ! 行動を起こせ! 子供たちの命を守れ!」と繰り返し叫んでいました。私は心の中で彼の言葉に賛同し、心から感心し、とても勇気づけられていました。
家に帰ってからも、今でさえ、彼のことが生き生きと思い出され、断固として行動を起こすことが大切であることを、彼は示してくれたのです。彼のおかげで以前よりもずっと心が強くなったと感じています。彼は特別な方でしたか。
H.M.
日本、東京
【ベンジャミン・クレームの師は、そのデモの男性がイエス覚者であったことを確認した】


聞き届けられた祈り

編集長殿
36年前のとても寒い早朝に、夫が病気で寝ていたため、家族の仕事の手伝いに、私一人車で行くように頼まれました。私は妊娠5、6カ月で、あまり車を運転することがなかったのでとても緊張していました。大きな橋を渡り、左折しようとしていました。その時、すべてが起こったのです。路面が凍結していたためにハンドルを取られてしまいました。私は心の中で、「助けて! イエス様!」と叫んでいました。次の瞬間、気づいたら道路から2、3m下の、水門のコンクリートの所に落ちて横転した車の中でした。私は全くの無傷でした。どうやって車から出て、歩いて警察署へ行ったのか覚えていません。警察の現場検証では、かすり傷もなく無事だったことは不思議だと言われました。
お腹の子供もすでに一児の親となっています。結婚前はクリスチャンでしたので、イエス覚者が助けてくださったと思っていました。確認していただけますか。
Y.T.
日本、福岡
【ベンジャミン・クレームの師は、イエス覚者によって助けられたことを確認した】


誰もが大切

編集長殿
(1)2011年9月24日、東京の渋谷で原発廃止のためのデモがありました。私は一人で出かけ、集合場所に少し遅れて着きました。最初、他の参加者を見つけることができず、心細く感じました。その時、一人の男性が、原発がいかに危険であるかびっしりと書かれた、大きなプラカードを持って現れました。彼はデモに参加すると言い、「今日のこのイベントに参加できてうれしいです」と言いました。他のたくさんの参加者が集合する、メインの集合広場に行く途中、エジプトやチュニジアでも「民衆の力」が国を動かしたことを、彼は熱く語っていました。また翌日は横須賀でデモがあり、原発2基を積んだ空母が港に停泊していることも話していました。
行進が始まると、彼はできる限りの大きな声で、「福島の子供たちのことを考えろ! 福島の子供たちのことを考えてください!」と叫んでいました。彼の日本語のイントネーションが独特で、その必死な態度の中にも心の温かさがあり、私は微笑んでしまいました。彼はとてもエネルギッシュで、一緒に行進していて、とても勇気づけられました。途中はぐれた時、彼は私の所に戻ってきて、「一人で大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。私は「はい、大丈夫です」と答えました。彼はそのうち前の方に行ってしまいました。
彼は半ズボンのジャージ姿で、サンダルに小さなウェストポーチを着けていました。右手の中指に血のにじんだ絆創膏をしているのを、気にしている様子でした。私も同じ右手の中指に怪我をしていたので、鮮明に覚えています。
家に帰りながら、彼のことと、私たち一人ひとりの行動が大切だと語っていた彼の言葉を思い出すと、目に涙が込み上げてきました。彼が覚者だったのか確認していただけますか。
【ベンジャミン・クレームの師は、デモの男性がイエス覚者であったことを確認した】
M.I.
日本、埼玉