現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2012年 6月 自己表現

自己表現

数年にわたって、覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見で世界中の数多くの人々にも現れ、そうした体験がシェア・インターナショナル誌上で詳しく述べられているものもある。体験がベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。
これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。やはり非常に頻繁に、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に注意を引き付けたり、あるいは愉快な方法でコメントを述べたりする。多くの場合、覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。
彼らは『ファミリア(似姿)』つまり想念で作った形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、『ファミリア』は完全に新しく創造されたものである。これらの手紙は覚者方による、この方法でのコミュニケーションの例である。

自己表現

編集長殿
2012年3月25日の土曜日、私は東京の成城ホールでの、ベンジャミン・クレーム講演ビデオ上映会を手伝っていました。上映は午後7時に始まる予定でしたので、その直前に中央の入口のドアを閉めていた時、一人の年配の女性が私の方へ駆け込んできて会場に入りました。彼女は身長150cmほどで、長い丈の紫色のダウンジャケットを着て、黒いスニーカーを履いていました。とてもおもしろい帽子を被っているのも目に入りました。それはベレー帽のようで、半分が動物の毛皮で覆われていたのです。彼女は二つバッグを持っていて、一つは紫色の籐のかごでした。
彼女はあまりに風変わりな様子でしたので、どこに座ったのか探してみました。彼女を見つけるのがそれほど難しくなかったのは、その目立つ帽子のおかげでした。彼女は左端の前列に座っていました。彼女がそこにいるのを見つけると、すぐにビデオが始まりました。90分後ビデオが終わると、来場者が会場から出て行きました。ほとんどの方は足早に帰っていきましたが、あの女性がロビーで他のメンバーたちと話をしているのが見えました。
彼らが何を話しているのか聞こえませんでしたが、彼女はほとんど叫んでいるようでした。彼女の声は甲高く大きな声でした。状況がとても緊迫しているようだったので、私は何が起こっているのか確かめようとしました。彼女が何か質問をしたのですが、彼らの答えが納得できなかったらしいということでした。それで私と他のメンバーが、彼女の質問をもう一度尋ねてみました。彼女はほとんどこのメンバーに向かって話をして、まるで説教をしているかのようでした。私は椅子に座り、二人の会話を聴いていました。驚いたことに、この会話は一時間ほども続いたのです。彼女はあまりにもたくさんのことを話したので、私はほとんど覚えていませんが、よく覚えているのは、誰もがいつも彼女を真似ようとしていると言ったことです。彼女が紫色を着ると、近所中の人が皆紫色を着ると言っていました。彼女が何か花を植えると、皆が同じ花を植えるのです。けれども彼女を真似るのはまったく無駄なことで、皆は彼女に「ありがとう」と言うことさえもないのです。
彼女はまた日本の教育制度について話し、政府が人々を同一化しようと企み、若者の個性を殺そうとしていると言いました。彼女は私に「現在の日本の、このような教育制度の中で、ピカソを作ることなんてできるかしら!」と言いました。私は「あっ」と思い、彼女は風変わりな人物に見えるけれども、確かに比類ない人で、彼女の話は私の個人的ないくつかの問いに対する答えをくれました。私はこの際立った年配の女性がマイトレーヤかイエス覚者であったのではないかと思っています。どなただったのか教えていただけますか。
S.T.
日本
【ベンジャミン・クレームの師は、その『際立った年配の女性』がイエス覚者であったことを確認した】

次の3通は同じ人物からのものです。

旅行記その1

編集長殿
2012年3月の初め、私は家族と共にイギリスを旅行し、その2週間の旅行中の大変印象的な出来事についてお尋ねしたいと思います。
(1)私たちは、マンチェスターに留学している息子と再会しました。3月2日に皆でストーンヘンジを訪れました。その日はたくさんの観光客がいました。私たちは音声ガイドを借りて、解説を聞きながらそれぞれが自由に歩き回りました。ストーンヘンジを囲んで観光用の道があり、私がその道の半分ほど行った時、道端でストーンヘンジの中心の方を向いて、そのまま動かず佇んでいる年配の女性に気づきました。私は何か彼女に惹きつけられました。彼女は私をじっと見て微笑んでくれたので、私は驚きながらも同時に大きな喜びで満たされました。私も彼女に挨拶のように微笑を返しました。彼女はおそらく65歳くらいの上品なイギリス婦人という感じで、長い丈の黒いフード付きマントを着ていました。片手に長い杖を持っていて、その先端が、中心から割れて下向きに巻いた、山羊の二つの角のようになっていました。とても凝った作りのものでした。全体的に彼女は奇抜な格好の人でした。彼女の所を通り過ぎても、気になって何度も振り返らずにいられませんでした。彼女は、冷たい風の中でもまったく動くことなく佇んでいるようでしたので、彼女には何かの霊的な目的があるのかもしれないと思いました。その婦人は特別な方でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『婦人』がイエス覚者であったことを確認した】


旅行記その2

(2)3月8日に、私たちはロンドン市内を散策していました。ウェストミンスター寺院からビッグベンに行く途中に国会議事堂があり、特別に厳重な警備がされていました。一般の人がそこに入れそうな様子がなかったので、私たちはそのまま通り過ぎていました。ちょうどその時、若い男性がやって来て、入口を指差しながら、「あそこに行けば、この建物に入れるよ。大丈夫だよ」と教えてくれました。私たちは少しためらいましたが、彼の親切な言葉もあったので、行ってみることにしました。何の問題もなく、私たちは通してもらえました。私たちが見学者用ルートを歩いていくと、驚いたことにあの青年も列に並んでいたのです。彼が私たちにどこから来たのか尋ねてきました。夫が答えて、「日本から」と言うと、彼はにこにこしながらうなずいていました。彼は聡明で知的で上品な雰囲気に満ちていました。彼はほっそりとして背が高く、35歳くらいで眼鏡をかけていました。上質なウールのロングコートがとても似合っていました。きちんと整えられた栗色の髪と、真っ白な肌が完璧なほどきれいで清潔そのものでした。その後、彼を見失ってしまいましたが、英国上院の建物の内部を見学できただけでなく、議会を傍聴するという思いがけない体験ができました。すべては、あのすばらしく爽やかな青年のおかげでした。彼は特別な方でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い男性』がイエス覚者であったことを確認した】


旅行記その3

(3)国会議事堂を訪れた後、ウェストミンスター橋を歩いていた時、突然大きな怒鳴り声が聞こえてきました。驚いて振り返ると、黒いスカーフを被ったジプシーのような年配の女性が夫に向かって叫んでいたのです。びっくりしたのは、その物乞いのような態度にもかかわらず、彼女には威厳があったことです。彼女は、「わずかなお金を、わずかなお金を、子供たちのために、子供たちのために!」と怒ったようにまくしたてました。夫は彼女の剣幕に呆然となり、じっと立ち止まったままでした。ようやく夫が我に返って、彼女にお金を渡すと、彼女は去っていきました。翌朝、ハイドパークを散歩しながら、夫が「昨日の年老いた婦人には3ポンド渡したけれども、彼女は『ありがとう』とすら言わなかった。それで、英国では生き延びるために盗みなどの罪を犯したとしても、それさえも許さなければならないというようなことを息子から聞いたのを思い出した」と話してくれました。この出来事で夫がハートに深い衝撃を受けているように私には思えました。あの年老いた物乞いの婦人は特別な方でしたか。
N.H.
日本、岐阜
【ベンジャミン・クレームの師は、その『ジプシーの婦人』がイエス覚者であったことを確認した】