核の時代を超えて
?
ビヨンド・ニュークリアの原子炉監視プロジェクトの責任者であるポール・ガンター氏は、原子炉の危険とそれに関連する安全保障問題の広報担当官である。彼は1976年の反原発運動「クラムシェル・アライアンス(貝殻同盟)」の共同創設者である。この運動は、非暴力活動によりニューハンプシャー州のシーブルック原子力発電所建設に反対し、米国で反原発運動が始まる契機となった。ジェイソン・フランシスが本誌のためにポール・ガンター氏へのインタビューを行った。
?
?
?
?
?
?
?
?
たいていの人は1979年3月28日に発生したスリーマイル島の事故には気づいていましたが、ペンシルヴァニア州知事は3日たってようやく、妊婦と子供は事故炉の半径5マイル圏内から避難するように勧告しました。数年たってようやく、スリーマイル島2号炉で部分的なメルトダウン(炉心溶融)が起きていたことが承認されました。
1986年4月26日にはウクライナのキエフ郊外にあるチェルノブイリ原子力発電所で事故がありました。スウェーデンのフォルスマルクで原子力発電所の放射能計測値が上昇したことを原子力技師が発見するまで、その事故は発表されませんでした。放射能はフォルスマルク原発の施設から発生しているのではないと断定されました。このことが世界的に注目されると、およそ3日間制御不能となる事故が起きたということをソ連は認めました。キエフの街でメーデーの行進が行われている間でさえ、通りを行進していた子供たちは爆発があったことや途方もない量の放射能が大気中に放出されたことを知らされていませんでした。
現在はもちろん、福島での災害がありますが、原子力産業と日本政府はこの進行中の大災害の規模を隠蔽しようとしていることを示す十分な証拠があります。
商業原発だけでなくソ連やアメリカの原子力推進装置も含めて、多くの事故がありました。ここアメリカや世界中で実験炉に関して様々な問題が生じました。米海軍の実験炉で最初の犠牲者が出ました。3人の海兵隊員が原子力事故で死亡しました。もう一つの事故が日本の東海村〔ウラン加工工場〕で1999年に起こり、複数の作業員が死亡しました。
?
?
?
?
現在のシナリオは、半径0~10マイル圏内の避難住民を、除染と放射能監視のために設置された収容施設に退避させるというものです。しかし、こうした施設は事故現場から12~15マイルしか離れていません。そして、摂取防止区域として半径50マイルの区域が設定されています。そうした区域では、州当局や連邦当局が家畜の保護、農産物のモニタリング、水質管理などの予防措置を講じます。
1979年のスリーマイル島の事故では、ペンシルヴァニア州ハリスバーグの住民が命令を受けなくても自主的に避難しました。目に見えず、味もせず、感じることもできない脅威によって人間の行動が導かれ、人々は「ここを出よう」と言うのです。人口が多いところでは、原発の近くに住む人々を最初に避難させるといった、避難を統制しようといういかなる努力も、半径25マイルかそれ以遠の人々の自主的な避難によってすぐに圧倒されてしまう可能性がかなり高いでしょう。そうした人々は地理的な隘路で交通渋滞を引き起し、原子炉に近い住民の避難を事実上妨げることになります。スリーマイル島での自主避難区域には、医師や他の医療関係者の救急処置室が含まれており、それは原子力施設から25マイル離れたところでも起こりました。
同じことが緊急要員、特にスクールバス運転手のようなボランティア要員についても当てはまります。スクールバス運転手は学校で子供たちをバスに乗せるために事故区域に入り、子供たちを指定の収容施設に連れていくことになっています。しかし、彼らはたいてい、自分の家族や子供の方を重んじて任務を遅らせるか、任務を完全に放棄するに決まっています。ニューオーリンズにハリケーン・カトリーナが襲来したときに明らかになったように、ニューオーリンズ警察の25%が、この都市の緊急要員としての役割を果たすのではなく、自分の家族を連れて出て行ってしまいました。
原子力事故の性格により、緊急要員によるこの種の任務の遅れや放棄は悪化するでしょう。なぜなら、脅威が潜在的に非常に広範囲に存在するため、感じたり味わったり触ったり見たりすることができる警告そのものがなくても、この危険に対する自然な恐怖心が緊急準備を本質的に妨げ、邪魔し、頓挫させてしまうからです。私たちはこれが実際に福島で展開するのを目にしました。事故現場から20~30キロ圏内の場所に避難するよう命じられた人々は実質的に孤立してしまいました。食糧と水を積んだ緊急車両が30キロ圏内に入ろうとしなかったからです。事故の2日目に妊婦や授乳中の母親や子供たちを避難させる特別措置を講じるべきだったのですが、結果的に、こうした(放射線リスクの観点から)特別な集団の多くは圏内で孤立してしまいました。
福島原子力発電所の20~30キロ圏内から自主的に避難したけれども、放射能汚染への恐怖のため、圏外の医療機関で診療を拒否された人々のニュース記事もありました。こうした人々は治療を受ける前に除染した、あるいは汚染の被害を受けていないという証明書が必要だと言われています。これらは、原子力事故をめぐる緊急措置を妨げ、邪魔し、頓挫させることもある異常な状況です。
?
?
?
?
?
?
?
?
フランスの例を見るといいです。フランスはよく、原子力への道をたどるのに成功し、原子力産業はフランス政府による国有の原子力産業にまでなった実例として大げさに宣伝されます。ここメリーランド州では、コンステレーション・エナジー社がフランス政府のEDF(フランス電力公社)と提携してユニスター・ニュークリアと呼ばれる会社を設立し、チェサビーク湾の西岸に新しい原子力発電所を建設しようとしました。コンステレーション社が建設を開始するのに必要な当初の連邦貸付の支払い費用を計算してみると、リスクがあまりに大きかったため、同社はプロジェクトから撤退してしまいました。その結果、「原子力ルネッサンス」として大げさに宣伝されたものが、新しい原子炉開発からの完全な「原子力撤退」となろうとしているのです。
?
?
?
?
?
?
私たちは新しい原子炉の建設や再認可に直面している地域社会のために擁護組織として活動しています。ビヨンド・ニュークリアはまた、地域社会が「日常」の放射能排出や事故による放射性ガスと放射能汚染水の放出による危険に対処するのを手伝っています。私たちはフォーラムや討論会、さらには公聴会にも参加し、米国原子力規制委員会に異議を申し立てます。私たちは、ありとあらゆる請願や集会を含む非暴力直接行動におけるリーダーシップを提供し、さらに、市民による不服従を支持してきました。
?
?
?
?
私たちは引き続き、原発を閉鎖せよ、核兵器からの転換を図れ、世界中の原子力インフラを解体せよ、という明快な呼びかけを出していきます。その後、今ここにある放射性廃棄物をどう処理するかという途轍もない仕事に取りかかることができます。しかし、その処理の仕方は誰にも分かりません。私たちが受ける注目と支持は大きくなってきていますが、同時に、原子力産業はここ米国の連邦議会、ホワイトハウス、ペンタゴンにしっかりと根を降ろしています。原子力産業はあらゆるレベルの放射線被曝の脅威をわい小化しようとする誤った情報の宣伝を通して反対活動を妨害しようとするでしょう──例えば、25歳の男性と妊娠第一期の胎児や授乳中の母親の放射線被曝は同等のものだと示唆したりします。原子力産業は豊富な資金力によって、政界で幅をきかせることもある誤情報キャンペーンを実行し、このような巨大産業が大手を振ってまかり通るのを可能にします。
?
?
?
?
?
?