現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 11月 再登場

再登場

編集長殿
2007年9月2日の日曜日に、息子と私はテレビでジェーン・オースチンの作品『エマ』の放映を見ていました。全く思いがけないことに、番組の放送が一時中断して、アフリカ系アメリカ人男性の大きな顔と肩が、映画の代わりに映し出されていて、見たところ、ニューヨークでホームレスのフルート奏者で現われた時のマイトレーヤと同じ姿のようでした(彼は同じグリーンのジャージに黒のキャップを被っていました)。
その映像は10秒ほど画面に映っていて、それから消えました。私の息子ジェームスは、その出来事が短かったことにがっかりして、「頼むよ、マイトレーヤ、もっとすごいことができるだろう!」と言いました。
すると、彼が言った通りに、数日後の晩、『コロネーション・ストリート』という番組の一場面を見ていた時、アフリカ系アメリカ人の男性の姿が再び現われ、ほんの数秒でしたが、もっと真っ直ぐに私たちを見つめていました。
他にこの出来事を目撃したという人はいませんでしたが、個人的にはとても元気づけられました。これが本物かどうか確認していただけますか。

デビーナ・ダービー
ニュージーランド、クライストチャーチ
【ベンジャミン・クレームの師は、マイトレーヤが実際に、テレビでアフリカ系アメリカ人の男性の姿で登場する徴を現されたことを確認した】

冷静な救出

編集長殿
6年程前に私たちはシシリーの小さな村に住んでいて、同じ村の子供を持つ親たちと持ち回りで、約5km離れた一番近い街の学校に、子供たちを迎えに行くことにしていました。ある日、子供を迎えに行く私の順番でした。学校まで行って駐車場所を見つけるのに時間はほとんどありませんでした。あと1.5 kmほどの所にさしかかった時、想像もできないことが起こったのです。
まず、私は運転に自信がなく、並外れて実際向きではない人間で、その上、私がその時運転していた車はルノー・ファイブでしたが、相当なポンコツで、がっかりさせられたものでした。けれども本当に落ち込まされたのは、ちょうどそのドライブ中で最も技術の必要な場所を切り抜けようとして、三車線に取り囲まれ、車線をそのままずっと進むのではなく、油断してバンパーとトランクの間に少しでもスペースを開けている所へはどこへでも、間を縫うように曲がりくねって進んでいた時のことでした。ポイントは動き続けることですが、不安ながらもそうやって運転していた時、車のエンジンから煙がもうもうと渦巻いているのに気付きました。他の車が大声で叫びながら通り過ぎていき、運転している人たちが、親切から「エンジンを切れ!」と声を掛けて私を追い越していきました。幸運なことに、私は内側の車線にいたので、車を停めてエンジンを切りましたが、そうすると、私の後ろの車線全部を塞ぐことになりました。怖くて死にたいくらいでした。子供たちを迎えに行くこともできそうになく、携帯電話は家に置いてきてしまい、車はだめになってしまったと思っていて、どうしたら良いのか、どこへ助けを求めたらいいのか、子供たちや私の夫にどうやってこのことを伝えたらいいのか分かりませんでした。

泣き出しそうになっていたところで、とても不思議なことに気付きました。明るい黄色の車が一台、私の後ろに停まっていたのです。その車がどうやって停まれたのか不思議に思いました。私の周り中で車が渋滞し、私の後ろには駐車できる場所など全くなかったからでした。背が高く浅黒いシシリー人の風貌の男性が一人車から降りてきて、とてもゆったりとした気軽な様子で、私の方へやって来ました。私はパニックで爆発しそうでしたが、無意識のうちに、彼の静けさや彼がタバコを吸っていたこと、彼の最初の言葉が穏やかで落ち着いた口調だったことに気付きました。でも、そうしたすべてのことは、後になってはっきりと思い出されたことで、その時には時間がなくなっていくことと心配しか感じられませんでした。一つだけ、否応なしに気付かされたのは、彼は私のパニックなどどこ吹く風で、車が通り過ぎる中を大股な軽い足取りで歩き、まるでこれは日常茶飯事のようなもので、時間も問題ではないと話していたことです。彼は私たちの周りで起こっていることには、すっかり無関心な様子でした。車のラジエーターが問題でした。水がなくなっていたのです。すると、黄色い車の男性は、「心配いりませんよ、ちょうど水を買ったところです」と言いました。信じられない思いで、物静かな彼の後を車までついていくと、そこには、車の後部座席に1リットル入りのミネラルウォーターが4、5本未開封であったのです。どういうことでしょう。私は彼を見たにちがいないと思います。どうやって?なぜ?平然としたまま、彼はボトルを2、3本取り出し、少しずつ水をラジエーターに注ぎ入れました。

私は子供たちを迎えにいくことを彼に伝えましたが、何の疑念もない軽い足取りで彼は働いてくれて、一度か二度、「心配しないで。ちゃんと間に合いますよ」と言ってくれました。やがて彼からエンジンをかけるように言われました。調子は良好でした。私は車から降りると、突然どうやって彼にお礼を言ったらよいか分からなくなりました。彼は、素早く私を助けに来てくれただけでなく、助けてくれていた間、世界をしばらく停止させていたかのように思えました。私は感謝でいっぱいになり、口が利けませんでした。けれども彼の顔を見つめていて、衝動的に「あなたは天使よ」と言っていました。彼はただ微笑んでいました。彼は「ああ、いつもこの時間にここを通っていますから」と言っていました。でも彼のことも、彼の黄色の車も再び見かけることはありませんでした。

もう一つ気になったのは、彼が水のボトルを取り出す時に見た車の中に、他に何も物がなく、個人の持ち物が何も全く見当たらなかったことで、水だけがあったのです。なぜだか、彼が聖なる方だと確信していましたが、私は興味を引かれ、そして何だか元気づけられて、その神聖さが、私たちと関連づけてみると、とても人間らしく親切で普通だったのです。この普通の、とてつもない人は誰でしたか。

【ベンジャミン・クレームの師は、彼女の救い手がイエス覚者であったことを確認した】

ジル・ラシティ-ブラウン
イタリア、シシリー、カタニア