現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 11月 消費者から管理者へ

消費者から管理者へ

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ジェイソン・フランシスによるバンダナ・シバ博士へのインタビュー

バンダナ・シバ博士(Vandana Shiva)は、物理学者、環境問題活動家、そして多くの本の著者である。彼女の最新の著書は『地球民主主義:正義、持続性、平和 (Earth Democracy:Justice, Sustainability, and Peace, published by South End Press, 2005)』である。バンダナ・シバ博士はアメリカ、サンフランシスコを拠点とするグローバリゼーションに関するNGO国際フォーラム設立評議会のメンバーであり、インド、ニューデリーに本部のある科学技術・生態学研究財団の理事長である。
シバ博士は適切で持続可能な農法、生物の多様性、生態系および性の平等を支持するキャンペーンを指導してきた。彼女は、1993年ライト・ライブリフッド・アウォード(生活様式改善賞)を受賞し、現在はグローバル・ジャスティス・ムーブメント(Global Justice Movement)のリーダーである。この運動は、世界の資源の公正な分配を目指す組織と活動の国際ネットワークである。彼女の拠点はインドのニューデリーにある。ジェイソン・フランシスがシェア・インターナショナルのために、バンダナ・シバ博士にインタビューをした。
シェア・インターナショナル(以下SI):地球民主主義の原則は何ですか。
バンダナ・シバ:初の原則は、私たちは第一番目に地球の子供であり、そして他の種と共に地球を共有しているということです。私たちの第一のアイデンティティーは、地球共同体です。他のすべてのアイデンティティーは、性や種族、そして言語または宗教のアイデンティティーでも、より低位のアイデンティティーです。そのアイデンティティーと共に、義務や責任の感覚、そしてその義務から流れ出る権利が生ずるのです。地球民主主義は、多様性--世界にある相違というもの--の認識や、地球に平和の状況を創出する多様性の認識にのみ基礎づけられるのです。もし私たちが地球家族であって、そして(人間が過剰開発や過剰抽出によって地球の再生能力を妨害して破壊しない範囲内で)地球がそれ自体を永久に復興できるのであれば、地球の限られた資源の分かち合いが地球民主主義の基本的な要素になります。
SI:世界の活動的な三つの主要経済についてのあなたのアイディアを説明していただけますか。それらはどのようにして、互いに、また地球民主主義に対して、関系しているのですか。
シバ:経済というものを考えるとき私たちは市場についてだけ、そしてそれを通してグローバルな市場のみを考えます。これは、経済のスーパーマーケットモデルであり、私たちを消費者としての立場だけから考えて自然との共同作業者であると考えないことに起因しています。生命が依存している二つのより大きな経済機構は自然の機構であり、昆虫の受粉によるものであれ、水の循環によるものであれ、人類がこれまで成し遂げたものよりはるかに多くのものを生産しています。第二の主要な経済は私たちの必要のために私たちが生産している経済機構です。私たちは水を必要としています。食べるための食料も必要です。ひどい暑さ寒さから身を守るための家屋も必要です。この生命維持のための経済、つまり人々の経済の中で、子供たち、老人、病人は世話してもらうのです。見捨ててもよい人は一人もいないのです。しかし、市場経済においては、97%の人間は実際不要な人間なのです。
持続可能なシステムにおいては最大の経済機構は自然です。二番目に大きな経済機構は生命維持のための経済であり、そこでは人類がそれ自体を共同体つまり社会的なネットワークとして扶養し元気づけています。次いで実際に最も小さな部分が市場経済です。現在、市場経済では、資金のみで評価すれば毎日地球上を一兆ドルものお金が循環しており、それは人類が生産するすべての物品の70倍にもあたるのです。そういうわけで、お金で自由にできる資源や物品よりも多くのお金を私たちは所有しています。しかしこの架空の金融界の成長は自然界の経済機構の破壊によるものです。その最も劇的な例の一つは、車両の燃料の原料となる大豆を栽培するためのアマゾン熱帯雨林の破壊です。それはまた、自主的な組織、管理、家族、共同体に基づく持続的経済機構の破壊によって成り立っています。そして市場経済が、特に金融市場経済が成長するにつれて、自然界の経済機構や持続的経済機構は萎縮するのです。自然界の経済機構の萎縮は私たちが生態系の危機と呼んでいるものです。民衆の経済機構の萎縮は、貧困危機、人間疎外危機と呼んでもよいものです。
SI:あなたは、人々の尊敬を集めているインドの人権運動指導者マハトマ・ムハンダス・ガンジーについて書いています。彼は「アヒムサ(ahimusa)」または非暴力運動の考えを実行しました。三つの経済機構の中で、どの部分が非暴力ですか。
シバ:自然界の経済機構は非暴力に基づいています。それは食料の連鎖がないということではありません。虎が捕食獣でなくなるということではありません。生命のサイクルはそれ自体の活力を回復するということです。持続性の経済機構 (sustenance economy)の第一の原則は、無害であるということです。それは非暴力に基づいています。不幸なことには、市場経済の第一の機能は完全に暴力に基礎を置いています。つまり、それは地球に対する暴力に基づいているのです。しかしそれはまた、人々に対する暴力に基礎を置いています。グローバル市場経済のルールは、例えば、土地から追いたてられた農夫に基礎づけられているのです。10年間に及ぶいわゆる『貿易自由化』の結果、15万人のインドの農夫が自殺しました。それは、儲け以上の投資をしないと農産物を生産できないような、経済機構の機能障害によるものです。
これがゆがんだグローバル経済機構の実態です。この暴力がまた人間関係に影響を与えるのです。この暴力の一つの例として、次のようなことがあります。私たちが生産者であることをやめさせられ消費者だけに落とし込まれると、生産的な経済機構では対等な生産者としてパートナーであった女性が、消費経済機構の中では寄生生物のような存在と見なされるようになります。中国やインドにおいては、将来の女性の世代に対する暴力は女性の堕胎ー出生前の女児の堕胎ーという形式になります。これらのレベルの暴力は、あらゆるものが商品であるような社会の建設をスタートさせます。そして人間関係というものが商品化されると、使い捨てにされる人間がつくり出されるのです。
SI:バイオピラシー(biopiracy)やハイドロピラシー(hydropiracy) とは何ですか。その生態学的・社会学的な影響について説明していただけますか。貿易協定はそれらの中でどのような役割を演じているのですか。
シバ:地球民主主義においては、地球の資源はすべての人の対等な生計のために共有されるべき地球の贈り物であり、わずかな人の貪欲のためにあるのではないという深い認識があるのです。残念なことに、貿易協定は、この共有資源を私的財産にすり替えて一握りの企業に利潤獲得のための貿易行為をさせているのです。世界貿易機構(WTO)の貿易関連知的財産権協定(The Trade Related Intellectual Property Rights [TRIPS] agreement) は、結果的には各国に対して生命(種子、植物、動物、および微生物)の財産をつくり出すことを強制しています。このことは結果的には、資金的には貧乏ではあるが生態系の多様性に関しては豊かな国々から知識と生態系の多様性を文字通り窃盗することになるのです。この種のバイオピラシーの例として、インドの聖なる木であるニーム・ツリー(neem tree) のアメリカ政府とWR Grace [世界的な薬品・材料会社]によるパテント取得があります。私たちは11年間もそのパテントを取り消すための闘争をしました。それは私たちの知識の窃盗行為だからです。バイオピラシーのもう一つの例は、RiceTec(テキサスの会社)による非常に有名な芳香米の特許取得です。この米(バスマティ米)は、ヒマラヤのドーン渓谷産です。それからモンサントは古代の小麦の変種である、ある種の小麦のパテントを取得しました。それはグルテン含量が非常に低いので、食物アレルギーが高まっていることから非常に価値が高いのです。
水に関しては、貿易協定や世界銀行の構造調整プログラムは水の私有化を推し進めています。特に関係のある貿易協定は、貿易および公共事業〔GATS〕に関する一般協定や結果的には同じである二国間協定です。それらは、環境物品や公共事業を商品として取り扱い、所有し、企業によって売買しています。この私有化を行っている5大企業はベクテル、スエズ、ビオラ(以前のビヴェンディ)、テムズーRWEおよびザウアです。水は共通の資源として用いられてそれなりに維持されているので、企業は共同体から盗み出して利潤追求のために貿易商品に変えています。これの劇的な一つの例はコカコーラですが、そのプラントを設立するために1日当たり150~200万リットルの共同体の水を許可なしで汲み上げました。そのプラントは、インドのケララ州の一共同体プラシマダという村を占領してしまったのです。そこの一人の女性が叫びました「私たちの水がなくなりました。私たちはきれいな水を汲むために10マイルも歩いているのです。これはハイドロピラシーです。私たちの水を盗んでいるのです」と。私はこの運動に参加しました。そして数年前にそのコカコーラプラントは閉鎖されました。もう一つの大きなハイドロピラシーは、都市の水を私有化したケースです。そこでは川から流れてくる公共の水を会社が水道水に換えて、以前は公共のものとしてその水を使っていた一般市民に高い値段で販売したのです。これらは、ハイドロピラシーやバイオピラシーがもたらした変化です。彼らは社会全体に属するもの、つまり公共のものを奪って個人の所有物にしたのです。彼らは巨大な企業体のために貧しい共同体から奪って、すでに持っているものにさらに多くのお金を加えていったのです。
SI:これはグローバルな単一文化をつくり出すのでしょうか。心(マインド)の単一文化とは何を意味するのですか。
シバ:ハイドロピラシーやバイオピラシーは確かにグローバルな単一文化をつくり出しています。自然は様々な水という基本財産を与えていますが、それが多様な水文化をもたらしています。ラジャスタン砂漠は2インチの降水量と関係のある明確な水文化を持っているのですが、それが美しい伝統的な生活様式をもたらして人々に年間を通して農業を行わせ、飲料水を与えているのです。それは、ケララの水文化とは非常に異なっています。ケララは湿地帯であり、人々は一定の水と共に生きなければならない土地で全く異なった生活様式を採用しています。これらの水文化は、単一文化によって破壊されつつあるのです。それは、水がプラスチック・ボトルの中のコカコーラやペプシコーラから出てくると仮定しているかのようです。単一文化は自然と自然の水理学的な循環から私たちを分割してしまいました。それは全く私たちを共同体から分割してしまったのです。なぜなら私たちは、地球の水資源という公共の善の管理人からスーパーマーケットの市場シェアの個人的な消費者になってしまったからです。
同様にあらゆる社会は、その食料や医薬をつくるプラントや動物を持っています。現在、バイオピラシーが成長するにつれて単一文化も成長しています。バイオピラシーは自然の寛大な行為を再生させません。それはその途方もない豊かさをわずかな収穫物に縮小してしまうのです。私たちは8,500種類の様々な穀物を食していました。インドでは7,500種類の様々な植物を医薬品として用いていました。現在は4種類の穀物が国際貿易のために世界的に生産されています。とうもろこし、大豆、キャノーラ(菜種)、綿花が世界の多様性を減少させています。
「心(マインド)の単一文化」と私が呼んでいるものは、基本的にはこの世界--私たちが自然から受け取った非常に豊かな世界--の収縮が先ず心の中に生じていることをはっきりと認めています。その心とは、デカルトの機械論的マインドのことです。そのマインドは世界を抽象的なものに構築し、次いでこの単一文化的な抽象概念を生み出し、そして世界にそれを投影してその多様性を破壊するのです。
SI:グローバルな食糧システムはどのような影響を与えますか。つまり、農産物のビジネスや産業/工業化された農業が世界に与える衝撃はどのようなものでしょうか。
シバ:グローバル化した食糧機構からは、4種類の危機が発生します。この危機の第一の様相はその非常に鈍重で不器用な生態学的な足跡です。産業技術的な農法では食糧生産の10倍ものエネルギーを消費し、生態学的な農法による農業の10倍の水を用います。それは10倍も効率の悪い農法です。それは、人々と彼らの創造性を、石油、有毒薬品、およびこれらのものから排出される二酸化炭素のような汚染物質で、そして巨大な機械で置き換えてしまいます。その一方で、それらはこの惑星と食糧システムを毒物で汚染させます。そしてそれは、異常気象の原因ともなる地球温暖化ガスを排出します。これが人類の未来に対する大きな脅威となっているのです。
この危機の第二の様相は、農業による一次生産が破壊されると言うことです。農夫は絶滅の恐れのある種族になるということです。私たちが食糧機構を新たに整備しなければ、小作農夫は数十年以内で消滅するでしょう。
第三の食糧関連危機は『健康爆弾(health bomb)』と私が呼んでいるものです。それは、二つの様相を持っています。一つは、食糧が産業技術化されグローバル化されると、食糧は生産者から消え失せてしまいます。それは購入できる人によって消費され、それが10億という人々を飢えさせるのです。それは貧乏人が栄養失調になるということです。しかしまた、豊かな人の栄養失調もあるのです。20億の人が悪い食糧のために病気で苦しむようになります。30億の人は地球人口の半分です。それらの人たちが健康を害して苦しみます。肉体を保持し体の各器官に栄養を与えて健康を保つのが、私たちが食糧を必要とする第一の理由であるにもかかわらず、そのようになるのです。
最後の第四の危機の様相は、文化の危機です。私たちは私たちが食するものなのです。食物は私たちのアイデンティティーの重要な部分です。異なる文化は入手できる異なる伝統的な食物で形成されるのです。インドは非常に高度の菜食主義者の国です。地中海地方には地中海地方の食があります。産業技術化とグローバル化による食文化がそれらに取って代わり、もう一つ食事の単一文化へと衰退が起こるのです。しかしその単一文化の、貧しく、栄養学的に欠陥のある、毒性に富んだ食事は、人間にとって呪われた粗悪な食事なのです。そして若者たちにとってこの文化的な疎外感は、食欲不振や大食症のような新しいタイプの病気を際立たせており、人類は食べる行動から今や引き離されて、食料というものが呪わしいものになっているのです。
SI:どのような方法が食糧危機を解決するのに必要であると思いますか。
シバ:危機を解決するのに必要な第一の方法は、生産量を少なくすることによってより多くのより良い食糧を生産することができるということを認識することです。私たちは大量生産を必要としている、という強い通念があり、産業団体は食糧生産を増大させようとします。しかし大規模農法は、より生産的ではありません。20年間の研究の結果、私は農場が小さいほどその生物学的生産量は大きいということを繰り返し明らかにしてきました。大規模農法は、所有権に集中しています。彼らは栄養学や人々の健康という見地からは、より効率的ではありません。それは生産される量とは関係ありません。それは権力、土地の支配、資源とそれらに対する所有権に大いに関係があるのです。それで私たちは精力的に世界中の小さな農業従事者を守り、小規模農法と環境に優しい農法を広めていかなければなりません。環境に優しい農法は、これらの危機のすべてに対処できるのです。それは資源に加える圧力を減らして、生態系の危機に対処できるのです。それは農夫たちを土地に帰すことによって、彼らの自主性の問題に対処できるのです。それは健康問題を解決するのです。なぜなら、小規模で生物的多様性のある農法がより良い高品質の食糧を生産するからです。最後に、栽培行動と食事行動の連結によって食文化を取り戻すのです。これが私たちにとって必要な進む方向です。しかしこれはまた地球民主主義を建設する決定的な側面でもあるのです。
SI:企業体のグローバリゼーションに直面して多様性の回復を意図としている運動がありますか。
シバ:世界中には数多くの運動があります。しかし私たちがインドで深くかかわっているのは、私が『生きた民主主義』のための運動および『生きた経済機構』のための運動と呼んでいるものです。これらの運動はまたガンジーのスワラジ(自己統治および自己組織)とスワデシ(自己生産)の原理に基づく運動です。ここ20年間、私が建設した運動「ナバダニャ(Navadanya)」によってやってきたことは、村のレベルで生物的多様性共和国を創設することでした。その共和国とは彼らの生物的多様性--彼らの水、彼らの土地、彼らの森--の管理者です。彼らが生物界の多様性を保護する過程で、それは彼らを扶養し彼らの生活を豊かにするのです。彼らは経済的にもっと豊かになり、収入は増大し、生産は増加するのです。政治的自由のレベルではこの運動は、それを私たちは「生きた民主主義」運動(インドでは“jaiv panchayats”)と呼んでいるのですが、真の民主主義を実践しているのです。代表民主主義では誰かが役職者に選ばれますが、商業主義の影響が地球と人々を見捨てるために、その人は選挙民を裏切ってしまいます。私たちは新しい形態の民主主義を創案しなければなりません。そうすればこの創案によって地球上の人類種族と他の種族の未来を保障することができるでしょう。
SI:女性が、正義と持続性と平和を求める世界的な運動で果たすユニークな役割について説明していただけますか。
シバ:運動自体は、平和、正義、共有、および持続性を求めて長年にわたって構築されてきました--それは、貪欲、支配、および搾取に基礎を置いた支配機構のマインドという単一文化とは部分的には対照的でした。私たちはこれを「多様性のための多様な女性」と呼んでいます。女性が実際に世界にもたらすことは何かと言えば、それは私たちが分かち合いと介護の文化と呼んでいるものです。結局女性のやることは、子供と老人と病人の世話をすることに限定されます。そしてその過程において、看護の文化が女性においてより多く生き延びてきたのです。それは女性が生物学的に看護に向いているからではなくて、経済的な都合で維持するための経済機構に留め置かれたからです。そしてまた、分かち合いがなければ家庭経済への気配りはできないからです。経済学の言語学的な起源はoikos(ギリシャ語の“家族”)ですが、しかし現在では経済学が家族の経済から引き離されてしまいました。分かち合いなしで家族の面倒を見ることはできません。一つの家族としてのこの惑星は豊かですが、その豊かさには限りがあるのです。もし地下水を過剰に汲み上げてしまったら、将来のための水はなくなるでしょう。もし私たちが限られた量の地下水を使用すれば、将来水不足で困ることはありません。分かち合いの概念もまた水の提供者、食の提供者、種の保護者である女性によって生かされ保たれています。その労働の分割は、女性に対して、世話係という二次的な仕事と呼ばれているものを残したのですが、人類の未来のための技能、価値観、知識の主要な源になったのです。
SI:あなたの最近の本の中であなたは「中央の排除(Excluding the Middle)」ということについて言及していますが、それは、分極化、つまりいずれか一方をという態度 、およびグローバリゼーションに対する地域の意思決定という問題提起と関連があります。どのようにして経済の地域化と経済のグローバリゼーションとが関係づけられるのでしょうか。
シバ:グローバリゼーションは、分かち合いの文化と私たちが宇宙的な存在であるという感覚との連続体(continuum)の一部なのです。それは、私たちが飲んでいる水および私たちがその部分であるところの共同体を定義する、私たちが住んでいる場所についての私たちの感じ方によって地域的に結び付いているのです。しかしその同じ連続体が、私たちがこの地球の惑星共同体であるだけでなく、私たちが一つの共通の宇宙的な部分であるという意味での宇宙の単位であること、つまり宇宙の究極の子供たちであるということを教えてくれているのです。
一方、貪欲を基礎にした企業体の経済的グローバリゼーションは地域に結び付いていません。そこには「地域的なもの」はなく、グローバルな貿易のための物品を置く場所があるだけで、収縮をもたらしているのです。宇宙的でもある深く根を張った地域性は、私たちの意識を強化しつつ私たちの生態系への足跡を減少させます。グローバル化した商品化は私たちの意識を収縮させ、その一方で、この惑星に対して、特に貧しい人たちに対して与える圧力を強めるのです。
SI:これらすべてのどの場所でテロ行為は起こるのですか。
シバ:私にとってテロ行為とは多様性を破壊する単一文化の鏡像です。二つの理由から私はそれを鏡像と言っています。それは非常に強力な装備--暴力という装備--を用いるからです。そしてそれは多様性の実践を拒絶しています。それは「中間排除の律法」実践の見本です。
SI:大規模な問題に小規模な応答がどんな意味で重要なのでしょうか。その効果についての例を教えていただけますか。
シバ:変化においては二種類のやり方があります。一つは大きな権力によってつくられた問題を見る方法です。支配者の権力は暴力的ですから、通常はそれに応答する方法は同じレベルの、つまり支配者の権力と同じ暴力です。一方、小さなスケールで始めることによって変化を起こし始めることもできます。これに対する私のインスピレーションはガンジーから来ているのです。彼は、インドがイギリスに統治されていたとき、糸車を取り出して「われわれは、自由へのわれわれの道をつむぐだろう」と言いました。人々は笑って言いました「木の装置による平和ですか。それでどのようにして自由を得るのですか」と。ガンジーは「それは小さいので間違いなく強力である」と言いました。それは最も貧しいこの国の山小屋に住む女性でも手に持つことができます。それゆえ力を与える源になるのです。最も小さな行動によって数百万の人々に力を与えることは、同じような暴力的な爆弾を持った三人の人に力を与える(それが自爆テロの論理です)よりも、もっと強力な行動になるのです。
私はガンジーの糸車からヒントを得ました。そこで小さいことから始める方法として種に注目し、それが自然に分布するままにしました。今ちょうど私のテーブルの上には一人の農夫が散布した数百の種の変種があります。彼は、昨年自殺多発地帯を旅行中に私に会った後に、生涯の責務としてこの仕事に着手しました。私の旅行の目的は、農夫たちに自殺を思いとどまらせることでした。私たちはこの暴力をストップさせる努力をしています。彼は私と一緒にしばらく旅行をした後、これらの種を散布する仕事をしています。行動の小ささ、種の小ささは、大きな成果を生み出すのです。
SI:地球民主主義を明らかなものにするために私たちは、今道程のどの辺りを進んでいるのでしょうか。あなたは今、何が必要であると思いますか。
シバ:人類がどこにいるのかということについての支配的な表現--支配的なメディア、新聞、政府の政策が取り組んでいる問題など--を熟視するならば、私たちは地球民主主義からはるかに遠い地点にいることが分かるでしょう。しかし、アフリカ、アジア、およびラテンアメリカの大部分の離れた地域の農夫、部族の人たちは、実際に地球民主主義を実践しているのです。これは多数派による実践なのです。それから、非常に多くの人々が、静かに、レーダーに感知はされないが、彼らの意識の中で、彼らのハートの中で、変化しているということについても考えてみてください。私は世界中の大部分の人たちは地球民主主義の方向に移行しつつあると、結論したいと思います。
詳細情報:www.navdanya.org

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