現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2010年 8月 収容キャパシティーの問題

収容キャパシティーの問題

編集長殿
2010年のベンジャミン・クレーム氏東京講演会で、日比谷公会堂の2,070名の定員は開場直後から満席になりました。30分後には入場できない人々の長い列が入口にできました。
私たちは、休憩時間まで1、2時間も外に立ったまま列を作っていなければならない人たちのことが気になりましたので、順番待ちリストを用意することにして、携帯電話の番号を書き留めて、退出する人が出たらすぐに連絡できるようにしました。列に並ぶ人が益々増えてきたので、私はお手伝いのために何かしたいと思い、並んでいる人たちに状況を知らせて回りました。
私が順番待ちの番号を書いた『チケット』を渡していると、赤いシャツを着て列の前の方に立っていた中年の男性が私に話しかけてきました。「携帯番号を書いたけど、知らせてくれるのはいつになるのかな? 電話をもらってから戻ってきた時にはもう順番が来ていたらどうするのかな? 不公平にならない?」と言われました。
彼はやさしくて気さくな人でした。彼は時計を見ながら、「5分遅れたからだなあ! 小さな二つ折りのチラシがチケットだと思って、駅まで取りに戻ったんだよ。それで1時間半もかかってね。だから入るのに遅くなりすぎてしまったよ!」と言われました。私はとても気の毒に思いました。彼はさらに「どうして次の日の公開伝導瞑想会の案内が(二つ折りの)チラシに入ってないの?」と聞かれました。私はチラシの内容までちゃんと見ていなかったので、彼の言ったことに驚きました。彼が「この会は皆ボランティアの方たちがしているんだよね?」と言われました。私が「そうです、この情報が本当に素晴らしいので参加しているんです。今日はお手伝いをしたくて岡山から(新幹線で4時間)来ました」と答えました。
「僕は何としても、この講演を聴きたいと思っているんだけど、こんなに行列で人が待ってたら、難しいかも!」と彼は言いました。とてもがっかりした様子でした。私はロビーにある書籍のコーナーに行って見てみることや、6月に東京での(すぐに予定されていた)石川道子さんの講演会に来ることをお勧めしてみました。また次の週、大阪で講演会があることもお伝えし、講演案内をお渡ししました。
最後には130名以上の方々がホールに入ることができましたが、その男性のことは見かけませんでした。講演をとても聞きたがっておられたので、どうされただろうと思っていました。彼はただ感じの良い人だったのですか。
Y.N.
日本、岡山
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が東京の覚者であったことを確認した。彼は会場内には入らなかった】

新しい洞察

編集長殿
2010年5月9日、ベンジャミン・クレーム氏の東京での公開伝導瞑想会で、妹と私はマイトレーヤの『手』のカードとベンジャミン・クレーム氏の密教絵画(マンダラ)の冊子を展示しているコーナーを担当していました。私たちから少し離れた所に書籍の販売コーナーがありました。ホールの廊下はかなり狭く、瞑想会に参加しに来た人々で大変混み合っていました。
人込みの中に気になる男性がいました。彼は中肉中背で白髪交じりの頭に、グレーのジャンパーとズボンをはいていて、60歳くらいでした。彼は最初書籍売り場に行き、スタッフと話していました。二人の会話が聞こえてきて、私は興味を引かれました。彼はそのスタッフに、「分かち合いね……何を分かち合うんだ?」と尋ね、それに対して「すべてです」とスタッフが答えていました。それに対してすぐにその男性は、「命もか?」と尋ねました。そして少しの間を置いて、彼は売り場にいたスタッフの人たちそれぞれを指差しながら、「命は分かち合っているだろう?」と言ったのです。
その男性が私たちのコーナーにやって来て、マンダラ絵画の冊子を一冊手に取って、ページをペラペラとめくっていました。私から彼に「これはクレーム氏のリトグラフの冊子です」と話しかけました。彼は「現代のマンダラは、図式的すぎるんだ」と言いました。私にはクレーム氏の絵をそのように言っているのではないと分かりました。すると彼が、「これは何だ?」と『地球をオーバーシャドウするオーム』という題名の冊子の表紙を指差しながら尋ねてきました。そして彼は私に挑むような非常に厳格な語り口で「オームとは何だ?」と尋ねてきました。私はできる限りしっかりと答えなければならないと感じながら、「創造の初めの言葉です」と答えました。彼が別の答えを求めていることが分かったので、さらに「それは神です」と言いました。すると彼は、顔の前で両手を合わせて「オームとは合掌。感謝だ」と言ったのです。彼の声はとてもハリのあるはっきりとした力強いもので、威厳と確信に満ちていました。その後その男性は「貧者の一灯だ」と言いながら、小銭をカンパ箱の中に入れてくれました。
妹と私はこの男性に圧倒され、とてもありがたい気持ちになりました。言葉ではうまく表現できませんが、新しい認識へと至る光を与えられたように思いました。(1)この男性は特別な方でしたか。(2)その男性が言ったように、オームとは感謝の意味を含んでいるのですか。
M.M.
日本、宮城県
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであり、オームは感謝の意味もあることを確認した】

全的生き方

編集長殿
2010年5月9日の、ベンジャミン・クレーム氏公開伝導瞑想会の日に、私はマイトレーヤの『手』のカードを担当し、私の双子の姉のまり子が密教絵画の冊子を担当していた時、60歳くらいの男性が私たちのコーナーにやって来ました。彼は小柄な白髪頭の人で、青とグレーの縞模様のポロシャツの上にジャンパーを着ていました。彼は『地球をオーバーシャドウするオーム』の絵を指差しながら、姉に「これは何だ?」と尋ねてきました。
私は姉の隣に立って、二人の会話を聞いている間、その男性の瞳を間近に見つめていました。彼の姿は普通でしたが、彼の瞳が尋常ではなかったので、彼から目を離せずにいました。その瞳は鋭いだけでなく、とても深く、この肉体的な現象の領域を超えたものを見ているように感じました。彼の瞳が海のように深く、空のように高く私を見つめていました。私は心から感動したのです。
数日後、私はシェア・ジャパン研修会に参加しました。クレーム氏が水で薄めたような絵を描く画家がいるように、人々は「水で薄めたような人生」をしばしば生きているという話をされた時に、私はこの男性の瞳を思い出しました。私たちは言葉にしても絵を描いたり、文章を書いたりするにしても水で薄めるべきではないし、何よりも人生そのものを水で薄めた(生ぬるい)ものにしてはいけないと強く思ったのです。私は心の内深くで、海のように深く空のように高い生き方を選び取りたいと感じました。私はあの男性のように深く気高い瞳を持つ者になりたいと思いました。
M.R.
日本、宮城県
【ベンジャミン・クレームの師は、その尋常ではない瞳の男性がマイトレーヤであったことを確認した】