現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2010年 11月 やり続けよ

やり続けよ

編集長殿
2010年5月8日のベンジャミン・クレーム氏東京講演会で、私は案内係の一人として働いていました。休憩を取るために廊下に出た時、85歳から90歳くらいの高齢の女性が、私の方へ歩いて来るのが見えました。彼女は眼鏡をかけて白い帽子を被っていました。彼女の背中は90度に曲がり、足は外側に曲がっていました。彼女は右手に長い杖を持ち、畳んだビニール傘を左手に持ってステッキとして使っていました。彼女はこの二本の杖で上半身を支えていました。その両腕には力を感じました。彼女の力強く地面を這うような歩き方を見て、強い生命力で生きていると思いました。会場内へのドアを開けて差し上げると、彼女は一言「ありがとう」と言いました。
翌日、その高齢の女性を思い出し、彼女の足と彼女をしっかりと力強く支えていた杖を思い出しました。私は体がどんなに弱くなっても、人生がどのような困難があっても、しっかり大地に足をつけて人生を歩いていかなければならないと心に深く感じました。その高齢の女性は友人の母親にとても良く似ていました。彼女は特別な方でしたか。
O.M
日本、茨城県
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』がイエス覚者であったことを確認した】

気高い訪問者

編集長殿
(1)2000年8月28日に、私はロンドンのカムデンタウンホールでのフェアで、シェア・インターナショナルのスタンドを手伝っていました。忙しかった日が終わりに近づいた頃、一時静かな時間がありました。少しの間私が一人でいた時、一人の男性がスタンドに近づいてきました。彼は白いスーツを着て、イスラム教徒が被っているような帽子を被っていました。私は彼が聖職者に違いないと思い、立ち止まったら、この再臨の話にどのように反応するだろうかと考えました。
彼は立ち止まり、しばらくポスター展示を眺めていました。私は間近で彼の顔を見ていて、彼の静かで気高い姿に感心していました。それから彼の視線がカウンターの上の本に向けられたので、話をしました。彼はいくつか質問をしてきました。その時彼は眉を持ち上げて、疑って信じていないような風でした。私は、このことについてはオープンマインドを保つことが大切であると伝え、心を決める前にベンジャミン・クレーム氏の講演会に行くことを勧めました。
私からマイトレーヤが新しい宗教を始めるためにやって来たのではないと言われていることを伝えると、その方は、「もう十分そういったものはありますからね」と答えてくれました。ある時には彼から「イエスはどうなのですか?」と尋ねられました。私の答えに満足してくれたようでした。彼はチラシを数枚持って、講演会で会いましょうと言いながら去っていきました。彼はもしかしてマイトレーヤでしたか。
サラ・マクデイド
英国、サリー、リッチモンド
【ベンジャミン・クレームの師は、その訪問者がマイトレーヤであったことを確認した】

タイムリーな脱出

編集長殿
2010年9月25日頃、妹のドロシーと夫のトムと共にパリに滞在していて、トムがゴミを出すために6階のマンションの部屋から1階へとエレベーターに乗っていた時のことです。トムは何をてこずっているのだろうかと不思議に思っていたところに、彼がドンドンと音を立てて助けを呼んでいる声が聞こえました。彼は階の途中で止まったエレベーターの中にいて、大変取り乱していました。使える電話もなく、エレベーターの中にあるオーティス社の非常呼び出し装置も作動しませんでした。パニックになり始めたので、私はトムをエレベーターから出してくださるようにマイトレーヤにお願いしました。
しばらくすると、エレベーターが6階に昇ってきて、ドアが開き、トムが歩いて出てきたのです。
トムが出てこられるようになさったのはマイトレーヤでしたか。
ベッツィ・ウィトフィル
米国、テキサス州ダラス
【ベンジャミン・クレームの師は、マイトレーヤがトムをエレベーターから救出されたことを確認した】

次の3通は同じ人物からのものです。

確信(1)

編集長殿
私は彼と本屋で出会いました。彼はきちんとした服装の白人の若者で、年の頃は15、6歳、ほっそりとした人で身長は160cmくらい、茶色の髪と瞳の持ち主でした。私たちは二つの通路の交差する所ですれ違いました。目が合って、彼は微笑んだすぐ後で、感じのよい声で、どうかしましたか、と尋ねてきました。もし他の誰かがその質問をしていたら、たいていは身構えていたと思いますが、彼なら大丈夫だったのです。私は自分のヨットでやり終えたばかりの仕事のことを気にしていると説明しました。彼がその仕事について尋ねてきたので、私は答えました。彼は微笑んで、ヨットは心配ないと受けあってくれたのです。私の気持ちはすぐに高揚しました。一言二言言葉を交わしてから、私たちは別れました。彼と会ってから20年になりますが、彼のことがしばしば思い浮かんできて、その度に心が高揚するのです。
その若い男性は誰でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、『十代の若者』はマイトレーヤであったことを確認した】

お手本(2)

2000年7月に、ニューヨークのサバド・チェルシー・センターへ、ベンジャミン・クレーム氏講演会を聞くために歩いて向かっていて、交差点に差し掛かった時、道端に一人の物乞いが座っているのが見えました。目に入ったのは、ゆらゆらと揺れながら伸ばされた、病的な細い白い右腕が、野球帽を逆さまにしてお金を入れられるよう持っている姿でした。近くで見てみると、彼は50代で、身長170cmほどで、服は汚れていました。
ちょうど彼の所を通り過ぎようとした時、仕立ての良い、赤い十字模様の白のワンピース姿の女性が彼の帽子に小銭を入れました。まさにその瞬間、物乞いの切実さが大変なものだと感じられて、お金を渡さずにいられなくなりました。彼に数ドル渡しました。彼の顔は見ませんでした。ただ帽子にお金を入れて、向きを変え、歩き出しました。2、3歩進んだところで、はっきりとした声が、「神の祝福がありますように」と言うのが聞こえました。私は歩き続けました。
講演の終わりに、ベンジャミン・クレーム氏が、マイトレーヤは白いワンピースの『女性』の変装で現れたと言いました。物乞いにお金を与えたあの女性は、マイトレーヤだったのですか。物乞いは誰でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その白い服の『女性』がマイトレーヤであったことを確認した。物乞いは普通の人であった】

変容(3)

2000年11 月に、米国マサチューセッツ州マールボロでの2日間の健康エキスポで、私たちは『奇跡の背後の奇跡』の展示ブースを出しました。最初の日の午前の終わり頃、私がブースに一人でいた時に、カジュアルな服装の白人の男性で、身長170cmくらいの細身な50代半ばのごま塩頭の人が通りかかりました。私は「光の十字架を見てみませんか?」と声をかけました。彼は立ち止まり、振り返ると私たちのブースに近づいてきました。私が説明をしたのですが、そうしている間、何度か彼と目が合いました。彼の瞳はきらきらと輝いていました。説明の終わりに、私は、無料の冊子を持ち帰りますかと尋ねました。彼は首を振って断ってきました。彼は私に質問をすることも、感想を言うことも笑うこともありませんでした。彼は背を向けて立ち去りがけに、「良い仕事を続けなさい」と言ったのです。彼が去った後で、私が次にした説明の仕方が改善していることに気づいたのです。
しばらくして、グループのメンバーと交代しました。エキスポを歩き回っていると、元気が回復しているように感じました。私はキルリアン写真のブースへ行き、写真を撮ってもらいました。昨年撮った写真と比べると、同じ写真家で同じ機械を使っていたのに違っていたのです。
①『キラキラと輝く瞳』の男性はどなたでしたか。②私がより良い説明ができたことや、元気が回復したこと、オーラに変化があったことに現れたような祝福をいただいたのですか。
ボブ・マレシャル
米国、ロングアイランド州グレンデール
【ベンジャミン・クレームの師は、①彼がイエス覚者であったことを確認した。②はい】

かつての友人

編集長殿
数年前、私は歯の外科手術をしなければならず、虫歯を一本抜かなければなりませんでした。この手術の後遺症のために、数週間にわたって二日ごとに歯肉掻爬を受けなければならなかったのです。本当に我慢できないほど痛いものでした。
ある日、歯医者に向かっていた時、ある男性とバッタリと出くわして立ち止まりました。彼は簡素な服装でしたが、みすぼらしいわけではありませんでした。彼は私に「あなたを知っています、私たちは知り合いですね」と言いました。私には全く覚えがなかったのですが、彼は、「そう、確かですよ、私たちは知り合いですよ」と言い張ったのです。彼が、私の仕事の関係で出会った誰にも似ていなかったことには、とても不思議に思いました。ともかく彼は物乞いのようでもありませんでした。それから彼が「私に何かしてくれますか?」尋ねてきました。私は彼の質問の意味がよくわからなかったので、食品割引券を渡しました。すると彼は「これも良いけれど、何か他にできることがありますね」と言いました。
彼はしばらくすると、「神の祝福を!」とだけ言って去っていきました。私は笑みを浮かべてマイトレーヤのことを思い、このことで幸せな気持ちになりました。私は歯医者に心も軽く向かったのでした。
この男性がマイトレーヤであったかどうか、どうぞ教えていただけますでしょうか。
ジュヌビエーブ・ジャコベリ
フランス、リヨン
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

動く手

編集長殿
私は居間の壁に掛けてある、マイトレーヤの『手形』を眺めていました。マイトレーヤが私の病気に対して長年与えてくださった助けと、私がただ一つ人生の目的としていることがあって、それはマイトレーヤの手中の道具となることなのですが、それに対する助けにも感謝していました。突然、『手』が掛かっている額のガラスを押しているように見えて、それが元に戻り、また押し出してきて、それを何度も何度も繰り返したのです。それから『手』が人々の輪を作り、その真ん中に背の高い男性が立っていました。それはとても心に響きました。それはマイトレーヤでしたか。
あなた方皆が世界のためにこれまでなさってきたことと、今でもなさっていることにお礼を申し上げます。あなた方はそれを、私たち皆が理解するような大変シンプルなやり方でたくさんのユーモアをもってやってくださいました。ありがとうございます。
アンドレア・ヴァイ
ベルギー
【ベンジャミン・クレームの師は、目撃された背の高い男性がマイトレーヤであったことを確認した】

次の二通は同じ人物からのものです。

行儀の良い人(1)

編集長殿
2010年4月21日に、リュブリャナの中心街のバス停で、私の注意を引く光景を目撃しました。バスがやって来ました。入口のドアの前に、人々に対して丁寧にお辞儀をしている男性がいて、乗車するように身振りで促していたのですが、彼も列に並んだ最初の人の一人だったのです。彼は先に私を乗せてくれて、さらに最後の瞬間にバスに駆け込んでくる人たちまで待っていました。それから最後の人が乗車すると、彼もやっとバスに乗り、私の向かい側に腰を下ろして周りを見回していました。彼が「家に帰るところですか?」と尋ねてきました。私は「いいえ、教師教育の仕事が残っています」と答えました(その時もう午後6時で、私はすでに大変疲れていて、見習い教師との授業が待ち受けていたのです)。その男性は「重要な仕事がありますね」と言いました。彼はさらに「病院の救急で働く人々は一日に30分しか休憩できないのです」と言っていました。
バスに乗っている間、彼は軽くうなずきながら、きびきびした様子で乗客を見つめていました。彼からは活動的で元気な退職者という感じがしました。私がバスを降りる時、彼が「またね!」と言いました。私は「幸運を!」と返事をしました。この短い出会いの後で、私は鼓舞されたように感じ、感謝の気持ちがわいてきて、気分も高揚しました。見習い教師との授業は、大変すばらしい進展を見せました。私は初めて協力学習の方法を試したのですが、すばらしく効果的でした。
その男性はどなたでしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

救急サービス(2)

編集長殿
2009年11月28日に、私は体調が悪くなったのですが、妊娠初期だったため、流産になってしまうのではないかと動揺し、怯えていました。すぐにでも婦人科へ行きたかったのですが、電話口で看護師が、私にはただ休息が必要で、特別なことが起こっているわけではないと言ったのです。そこで私はベッドに入って、マイトレーヤの手形を見つめていました。夜になると、私の容態は悪い方へと変わったので、すぐに救急病院へ行くことにしました。一緒に行ってくれる人が誰もいなかったので、ひどく心細くなっていました。私はタクシーを呼びました。タクシーに乗り込むと、運転手に注意を引かれました。彼は明るい顔立ちと、喜びに満ちた瞳をしていて、とても穏やかで私にも大変好意的でした。車の中では言葉は交わしませんでした。救急にやって来ると、彼が「領収書がご入用ですか?」と尋ねてきました。私は「ええ、要ります」と答えました。そして彼が領収書を渡してくれて、もう一度彼の顔を見たのです。善意に溢れ、喜びに満ちた微笑と瞳でした。それから私は、彼が私たちよりも物質的でなく、もっと希薄なように見えた感じがしたのです。
アンナ・ルフ
スロベニア、リュブリャナ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『タクシー運転手』がイエス覚者であったことを確認した】