現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2010年 7月 質問の名人

質問の名人

編集長殿
2010年6月4日、グループのメンバー数人は他のたくさんの人々と共に、ガザに向けた船隊へのイスラエルの攻撃によって活気づいた、パレスチナのための正義を求めるデモに参加しました。私たち二人は数時間デモに参加してから、シェア・インターナショナルの情報センターに路面電車で戻りました。私たちが2台目の路面電車を待っていた時、二人の若い女性が近づいてきました。「あなた方の看板がどうしても気になるのですが、それについて教えていただけますか?」。私たちの看板には、「パレスチナ人は私たちだ」と「人々を生かそう」と書かれていました。話をしてきた背が高い方の若い女性はデモに参加したかったが事情があってできなかったと言っていました。
二人の女性は20代で、とても親近感を覚えました。私たちはその二人を知っているに違いないと確信し、私が「あなた方にはとても見覚えがあります。お会いしませんでしたか?」と尋ねてみました。女性は二人とも魅力的で、笑みを浮かべていてかわいらしい物腰の人たちでした。背が高い方の人は、私にはオランダ人というよりイギリス人らしく見えて、柔らかなハート型の顔に生き生きとした知的な濃い茶色の瞳をしていました。彼女の友人は黒っぽい髪にワシ鼻で青白い肌をしていて、どの国の人にも見えました。彼女はずっと無口でしたが、始終笑顔できちんと会話に耳を傾けていました。
なぜデモに出かけたのかと背の高い女性に尋ねられました。私たちは団結、正義、平和、信頼や、信頼を築く解決策としての分かち合いについて話しました。言い換えると、すべての者のための正義なくして、中東における信頼も交渉もないということです。すべての人々は平等の権利を持っています。私たちは一つの家族であり、皆が食料、水、住宅や健康管理などの権利を持っているのです。
その素敵な若い女性による問答を通して、私たちはインタビューを受け、質問されていました。「それはどのように起こりますか?」「何が必要ですか?」。私たちはシェア・インターナショナル誌について、宗教的な指導者ではなく、すべての人のための世界教師マイトレーヤに関するベンジャミン・クレーム氏の仕事について話をしました。「彼はどのように自分の存在を知らせるのですか?」。彼はTVに出演して分かち合いや正義などについて呼びかけていますが、世界は彼の地位のために彼に気づくというのではなく、彼のアイディアに反応しなければなりません。要するに私たちはできる限りの出現の情報を電車の停留所で数分間のうちに伝えていたのです。
ある時に私は口ごもってしまい、オランダ語の特有の言い回しを思い出せずにいると、彼女が英語で話を続けるように励ましてくれて、彼女は控えめに(英語で)大丈夫だと言ってくれました。彼女はそれから何の訛りもない美しい英語で質問を続けました。
彼女はさらに私たちとの問答を続けていましたが、彼女の質問は知的で、私たちを導いて、この情報が理論的に展開されるようにしてくれるものでした。私たちは彼女がたくさん質問をしてくれることがどんなにすばらしいことか伝えました。彼女は元気づけられることだと言ってくれました。
「あなた方はなぜこれが重要だと思うのですか?」「何があなた方をこの情報に引き付けたのですか?」「どのようにしてこのことについて知ったのですか?」。彼女は私たち自身の関わりや専心していった過程をたどるように絶え間なく促してくれました。「さあ、では個人的な質問ですが、このバス停に立ったままで時間が足りないのですけれども、あなた方の旅はどのようなものでしたか? 何があなた方をこの情報へ導いたのですか? どのようにして始まったのですか?」。私が質問に答えました。
私たちは彼女たちにベンジャミン・クレーム氏の本とシェア・インターナショナル誌やそのウェブサイトについて話をしながら、4人ともがトラムに乗り込みました。私たちは彼女たちの少し先に腰を下ろしました。一人の男性が私たちの看板の言葉を見て腹を立て、声を荒げて怒鳴り始めました。ちょうどその時、あの背の高い若い女性が立ち上がり、路面電車の中を私たちの所まで歩いてきて、力強い言葉で「分かち合ってくださったことに、ただお礼を言いたかったのです」と言ってくれました。
私たちが路面電車を降りてから、私はお別れの手を振りたくて中をのぞいてみました。二人は電車の反対側に座っていたので、二人の姿が見えるはずでした。おそらく私がちゃんと中を見なかったのかもしれませんが、二人を見ることができなかったか、あるいは二人がそこにいなかったのです。
あの魅力的で根気のある質問者たちは、単に探究心の旺盛な若い女性たちだったのですか。
二人は覚者方だったのではないでしょうか。
マイエンク・ラメイン
フェリシティ・エリオット
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、背の高い、よく話をした『女性』がマイトレーヤで、物静かな『女性』がイエス覚者であったことを確認した】


母の抗議

編集長殿
2010年6月4日、オランダでの再臨の仕事をする様々なグループから何人ものメンバーが、今週初めにガザを目指していたトルコの救助船隊へのイスラエルの非道な攻撃に対する、アムステルダムでの抗議集会に参加しました。
抗議をする人々の大半がトルコ人とアラブ人の中で、私たちは少し目立っていたようで、多くの人々やカメラマンが私たちの看板を気に入ってくれて、そこには、「人々を生かそう!」「パレスチナ人は私たちだ」とか「私たちの兄弟を殺すのをやめろ!」と書かれていました。
ある時、抗議集会の最中に、魅力的なアラブ人風の、30代くらいの若い女性が濃い青のハーレムパンツにベージュのカーディガンを着て、頭を半分ショールで覆い、青いバックパックを持って、うるんだ瞳で私たちの方へやって来て、「あなた方がここにいて、その看板を見てとても感動したことをお伝えしたかっただけなのです。私たちは本当に皆一つなのです。ちょっとハグをしていいですか?」というようなことを言いました。彼女はまるでグループをハグしたいかのように手を広げていましたが、彼女が私の前に立っていたので、私が体を傾けて彼女とハグをし、「ありがとう!」とお礼を言いました。それは兄弟愛や統合の生きた見本のように感じられた場面で、彼女の心からの言葉と仕草に私たち皆が感動しました。
彼女はさらにイエスについて何か話をし、彼もまたやって来て自分の血を与えたという話をし、グレタ・ドゥイセンバーグという、パレスチナ問題について有名なオランダの活動家が、今週初めのデモ行進で不当な扱いを受けて、今日は参加できなかったと言っていました。ドゥイセンバーグ女史を母親のように形容して、彼女が「私は知られていない母親よ」と言いました。彼女は私たちの前の抗議の人々の間を移動していき、そこで女性カメラマンが写真を撮りたいようでしたが、彼女はそれを断りました。他の人たちと話をした後、彼女はしばらくコンクリートのブロックの上に腰を下ろし、それから歩いて去っていきました。
その若いアラブ人の女性はもう一人の抗議の人にすぎなかったのでしょうか。
G.A.
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若いアラブ人の女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

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