特別なメッセージ 他
数年にわたって、覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見で世界中の数多くの人々にも現れた。彼らの体験がシェア・インターナショナル誌上で詳しく述べられているものもある。体験がベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。
これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。やはり非常に頻繁に、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に注意を引き付けたり、あるいは愉快な方法でコメントを述べたりする。多くの場合、覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。
彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念で作った形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。幾つかの手紙は覚者方による、この方法でのコミュニケーションの例である。
(注:掲載不可の意思表示がなければ、名前を掲載しても良いと編集長は解釈します。希望しないという要請がない限り、手紙が本誌のウェブサイト上に記載されることがあります。イニシャル、都市名、国名のみが掲載されます)
特別なメッセージ
編集長殿
2016年1月の最後の週末に、南西部のメンバーたちと共に、ドーセット州プールにあるライトハウスシアターでのホリスティック・フェスティバルに出店しました。資料を渡したり、新しい出会いがあったりととても忙しい週末でした。
日曜日の午後に、背が高くブルネットの髪で、紫色のロングコートを着て、クラッチバッグを持った女性がやって来て、後でお話がしたいと言われました。ちょうどイベントを終えて荷造りをする前に、その女性が私の所へ来ました。彼女が握手をしてきて、私の目を見て「私は天使で、あなた方が良い仕事をしているというメッセージを伝えに来ました。2016年は特別の年になるでしょう」と言いました。私は彼女にその言葉を他のメンバーたちにも、もう一度伝えてくれるように頼みました。
この特別なメッセンジャーがどなたなのか、あなたの師に尋ねていただけるでしょうか。
フィリップ・クックストン
英国、ドーセット州ボーンマス
【ベンジャミン・クレームの師は、『背の高いブルネットの女性』がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】
和合のメッセージ
編集長殿
2015年10月24日に、翌日の講演会に人々が参加してくれるように、私たちはミュンヘンで公開イベントを開きました。ドイツ全土からたくさんのメンバーたちが、ミュンヘンのグループを応援するためにやって来てくれました。30人ほどのメンバーたちがそれぞれ異なった旗を持っていたので、私たちが何を訴えているのか尋ねに来る通行人もいました。全身黒い装いで、首から木製の十字架を提げた小柄な男性が、私を見つめていたので、私は彼に講演会への招待状を渡しました。彼はあまり興味を示しませんでしたが、「私はトルコ人のキリスト教徒です」と言ってきて、私との短い会話の間にも何度かその言葉を繰り返しました。「素晴らしいですね」と私は答えました。「私はカトリック教徒ではありませんが、イエスは私の最良の友です」。彼は笑って、「イエスがトルコにいたことを知っていましたか?」と尋ねてきました。「いいえ」と私は答えました。講演ではキリストの再臨について話をすることになると、彼に伝えたかったのですが、キリスト教の信仰を持つ人たちは、キリストがここにおられると聞くと、恐れてしまうこともあるので、私は黙ったままでした。その男性は「私はあなた方皆と共にいますよ」という言葉を残して去っていきました。
私はこの出会いが忘れられません。彼は特別な方でしたか。
ダニエラ・カントン
ドイツ、ミュンヘン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『黒服の男性(マン・イン・ブラック)』がイエス覚者の代理人であったことを確認した】
『世界が平和でありますように』
編集長殿
2014年7月19日※土曜日の午後12時30分に、私はCNNニュースを見るのを楽しみにしていました。部屋に入るとテレビの電源はすでに入っていて、以下の言葉が画面に現れていました。「世界が平和でありますように」という言葉が、昔風の色とりどりの文字で書かれていて、他には何もありませんでした。
それらの言葉の出典もなかったのですが、ルーシス・トラストがCNNに宣伝を出したとは思えませんでした。この言葉の直後にCNNニュースが始まり、ウクライナとガザの紛争を伝えていました。
他の人に尋ねてみても、誰もCNNでそれらの言葉が出たのを見ていませんでした。友人に話したところ、彼女は奇跡かもしれないと言いました。これはテジングにある両親の家で起こりました。
これは奇跡でしたか。
カリン・シュミドル
ドイツ、ミュンヘン
【ベンジャミン・クレームの師は、その言葉がマイトレーヤによって画面に置かれたことを確認した】
(※編集長記:マイトレーヤは1977年7月19日に最初にロンドンにお入りになった)