現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2012年 3月 お金なしで生きる

お金なしで生きる

ハイデマリー・シュベルマー氏とのインタビュー
アンドレア・ビストリッヒ

ハイデマリー・シュベルマー氏は、1996年にお金なしで生きる実験をする以前は、20年間、精神療法師や教師として働いていた。最初は1年間だけ続けるつもりの実験が、そうこうするうちに70歳の人の生活様式になってしまった。彼女はお金なしで生活することに関する本を3冊執筆し、講演を続け、数々のトークショーのゲストになった。最初の本『The Star Money Experiment(「星の銀貨」実験)』は多くの言語に翻訳され、そして2008年12月にはティチアーノ・テルザニ平和賞を受賞した。さらに2010年には彼女の人生に関するイタリア/ノルウエーでのドキュメンタリー映画がオスロで初めて上映された。お金を使わない生活方法を通して、彼女はより公正で平等な社会に移行するための積極的な刺激を与えることを望んでいる。
アンドリア・ビストリッヒが、シェア・インターナショナルを代表して、ミュンヘンでハイデマリー・シュベルマー氏に会見した。

シェア・インターナショナル(以下SI):あなたはこれまで16年間もお金なしで生活してこられました。あなたは何ゆえ自発的にお金を放棄したのですか。

ハイデマリー・シュベルマー:私はこのような極端な生活の仕方を選択してきたためにこれまで精神的外傷を受けたかどうかについて、しばしば質問されますが、世界の状態こそが私のトラウマなのです。毎日何十万人もの人たちが餓死する一方で、世界には食糧が豊富にあります。そして、食糧は海に、あるいは廃棄物処理場に捨てられています。億万長者は、莫大なお金をもはやどのように使ったらよいのか分からないので、プール付き自家用飛行機をつくったり、あるいは豪華なヨットを購入しています。その状況があまりにもばかげているので、私はもはや今の生き方に協調することをやめ、新しい生活の形態を探索することにしたのです。
私は、人生を通して貧困問題に取りつかれてきました。私は戦争時代の1942年に生まれました。私が子供のとき家族は、東プロシア、現在のリトアニアから強制的にドイツ北方のシュレスウィッヒ・ホルスタインに逃げざるを得なくなりました。私たちは突然――人々が私たちを「汚い奴ら」と呼ぶことになる――難民になったのです。財政的には私の両親は非常に早く立ち直りました。私の母はピアノの先生でその地方の農夫の子供たちにピアノを教え、父はそこの新しい都市で仕事を見つけました。しかし、この経験は私に傷跡を残しました。なぜ人間は、その人が単に何も待たないという理由で突然価値のない人間になるのか、私は全く理解できませんでした。私は、すべての人が生涯を通して取り組むべきテーマを持って生まれてきたと信じています。私のテーマは――豊かな世界の中での――貧困です。

SI:最終的には何がお金なしで生活しようという決意に導いたのですか。何か特別な理由があったのですか。

シュベルマー:私は職業上の理由でドルトムントに移住しました。そこは極度に貧しい都市でした。ある地区にはあちこちに乞食がいました。その時、私はしばしば自分自身に問いかけたものです:誰も仕事を与えてくれないために、若い人たちが路上で単にビールを飲んでいるのをどうしてただ傍観していられようかと。彼らは組織にとって余剰なものたちです。しかし、なぜ人間は余分なものになれるのでしょうか。一体、どのようなシステムがこのようなことが起こるのを容認するのでしょうか。それはあり得ないことです。以前私は、カナダのある村について語っている司祭の話をラジオで聞いたことがあります。住民のほとんどが働いていた工場が倒産して閉鎖したとき、すべての人々は突然失業して収入がなくなりました。人々は言いました。「われわれはみな有能だ。一致団結してお互いに助け合っていこう」と。このことから何か新たなことが生じました。その司祭は「ドイツで同じことが起これば素晴らしいことだろう」と解説しました。これらの言葉は私のハートを直撃しました。それが私の目的でもあったからです。それはまさに私がドイツでやりたかったことだったのです。そこで私は、人々がお互いに助け合い、そして新しい価値と生活の様式を探せるよう、人々が他の人々と交流できるような仕事を行う決意をしました。

SI:1994年にあなたはドイツで最初の「交換サークル(exchange circle)」 の一つを始めましたね。

シュベルマー:はい、ドルトモントで「ギブ アンド テイク センター」を始めました。誰でも、お金がなくても、「ギブ アンド テイク」に参加できます。当面、人々にお金がなくとも役割を果たすことでサービスを交換できるこのようなセンターがあるのです。車の修理と交換に散髪をする、窓掃除の代わりにベビーシッター(子守り)をする、パンやお菓子焼きと交換にカウンセリングまたは事務の仕事をする、その他たくさんの交換があります。交換サークルを通して、私は日常の生活費は継続してそんなに必要ではないことが分かりました。しばらく後に、このままではもはや私にとっては十分ではないと考え、そこで思い切ってある実験を断行し、そして完全に無銭の生活を送るようにしました。

SI:これは日常生活でどのようにして達成できるのですか。あなたは毎日食事をしなければなりませんし、時には新しい衣服を必要とするでしょう。住む場所も必要です。あるいは少なくとも雨露を凌ぐ屋根を必要とするでしょう。

シュベルマー:初めのころはもちろんどのようにしたらそれを達成できるだろうかと自問しました。私はアパートに住んでいました。それで家賃と保険料を支払わなければなりませんでした。それから、交換サークル のある知人たちが、休暇の際に彼らの家の世話をするように私に依頼しました。このようにして、私は一時的に住むことのできる10軒またはそれ以上のアパートを突然持つことになりました。
結局、私は私の所有物とすべての有価証券を手放す方法を取りました。私は家具、陶磁器類およびその他の所有物を廊下に置き、それらを手放したのです。私は保険証券を解約しました。そこで私の新しい生活を始めることができるようになり、そして3カ月間世話をすることになっていた最初のアパートに転居しました。

SI:最初はどのような具合でしたか。あなたは全く新たな生活を一から始めなければなりませんでしたね。

シュベルマー:最初は本当に楽ではなかったのです。私にとっては全くの他人である人々のアパートに私は逗留したのです。私もまた彼らにとって他人であるように感じていました。私が提供できる技量や奉仕がいつでも要請されるとは限りませんでした。しかし、時の経過と共に新たな人の輪と人間関係が生まれ、かけがいのない多くの経験を積むことができました。

SI:あなたは食事をどこから手に入れたのですか?

シュベルマー:私がお世話をした最初の家の場合は、若干の食糧がありましたが、それは1週間しか持ちませんでした。餓死しないようにするためには、そのための何らかの方法を見つけなければなりませんでした。近くに有機食料品店がありましたので、私は売り物にできないようなものや売れ残りがあるかないか尋ねました。私たちの交換グループのメンバーたちはしばしば一緒に料理をしましたので、私たちは代金を支払わなくても食事をいただくことができました。しかし、いつも私たちはそれに対する何らかの返礼――クリーニング、整理整頓、中庭の掃除、コンピューターによる仕事、必要とされる家事――を行いました。有機食料品店の人々は直ちにこのアイディアを受け入れました。実際彼らはずっと長い間このようなことを望んでいたのですが、食料の収集を進んで行う人が見つけられなかったのです。最初私たちは食料の収集を1週間に1度だけ行いましたが、その後毎日収集するようになりました。15年後の現在も、その有機食料品店との取り決めは結ばれたままです。
他の場所でも同様です。例えば、私は一度トリノ(イタリア)のある家のお世話をしていましたが、そこには食べるものはありませんでした。毎日開いている市場があるので1週間に2~3回、正午の閉店の少し前に出かけて行っては地面に落ちているすべての食料を拾いました。これが強烈な印象を残しました。そうした中、トリノの地元住民のある小さなグループが共同の食事の準備のために、廃棄された食料収集のため月に1度その市場に出かけるようになりました。

SI:新しい衣類が必要なときには、あなたはどのようにされるのですか。

シュベルマー:私はドルトモントで「熱狂的な交換(exchange frenzy)」をつくりました――それは衣類の交換マーケットでした。人々は毎月1回必要としない衣類を持参して集まります。私はいつでも必要なもののすべてをそこで見つけることができました。その間に、多くの都市で物々交換の原理が確立されました。それはしばしば「費用のかからない商店」と呼ばれました。ウイーンではそれらは「無料商店」と呼ばれています。私たちはそれを「ギブ アンド テイク ショップ」と称しています。それらの数は増大しつつあります。

SI:あなたが 「ギブ アンド テイク」という言葉を用いるとき、厳密には何を意味しているのですか。

シュベルマー:「ギブ アンド テイク」はお金や請求書がなくても機能します。それは計算された交換ではなく釣り合いの取れた交流であり信頼のある態度です。私たちは豊かさの中で生活でき、すべての人のために必要なものが十分あります。本来これはまた実践されなければなりません。なぜなら、過去何世紀にもわたって私たちは「費用のかからないものは価値がない」という原則によって生活してきたからです。ギブ アンド テイク ショップは、どこにでも設立されるでしょう。例えば、街の商店や個人の部屋あるいは喫茶店などです。人々は、彼らがもはや必要としないものを提供したり、置いたりすることができます。それらのものは商店の隅っこにある箱や戸棚の中の過剰物品でしょう。そして他の人たちは彼らが必要とするものを持ち帰ることができます。

SI:あなたは「ギブ アンド テイク」というシンボルをつくられましたね。それは何を意味しているのですか?

シュベルマー:それは4色のスパイラル(螺旋)です。それはそれぞれの人間に内在する女性原理を表現しています。人々を勇気づけ共同性に向けて再度彼ら自身を開放するためにはどうしたら良いか、と私は考えていました。それはお金を取り除くことだけに関する問題ではありません。それだけでは、おそらく人々を大きく変えることはないでしょう。彼らは多分喧嘩をし続けるでしょう。しかし、私たちが「ギブ アンド テイク」という意識の中で共に合流したら、やがて、支払いとか交換という形式のお金は自ずと余計なものになってしまうでしょう。
これはどのようにして起こり得るのでしょうか。先ず次のように自問してみてください。「自分は何を欲するのか? 私は実際に何を必要としているのか、私は何者なのか? 私はこんなに大きな車を必要としているのか? 私は自分のためだけに車を必要としているのか? 私はおしゃれな服や30足もの靴を持っていなければならないのか? これらのものをすべて所有していないとして、私は、一体誰なのか?」これは緑色で象徴化されています。つまり内なる道であり、「私」に向き合うことです。
次の色は外的に現れている「あなた」を見つめることに関連しています。他の人々は私たちの鏡であり、私たちは自分自身について学ぶために彼らを必要とします。誰かが私たちを悩ましても、私たちは幸運でさえあるかもしれません。というのは、それは私たちの成長のための一つのステップとなるかもしれないからです――私たちがそれに対してオープン(寛大/率直)であるならば。それは黄色です。赤は「われわれ」に直面することです。これは政治的・社会的レベルに関することです。この点で私たちは社会に対する責任があります。すなわち、自分自身、生活、家、家族だけにかかりっきりになることなく、いつも社会から目を背けないということです。4番目の色である青は、すべての人間の霊的一体性を表しています。これは、私たちすべての人間が同じ源泉から発生し、私たちは神聖で対等であり、人と人とを比べて価値の高低はないという知識を表しています。

SI:今のお話の流れの中であなたは現在当然あるべきパラダイムチェンジ(社会の規範や価値観の変化)についてお話しされました。

シュベルマー:はい。私たちには新しい視点が必要です――個人的にも社会的にも、そして世界的にもです。現在、私たちは、自分を幸せにしたいときには、買い物に出かけます。私たちは何かを買うために、あるいは食物を買うために出かけます。私たちは消費し、本質的なことから私たち自身を逸脱させます。私のアイディアである「ギブ アンド テイク」は、それとは反対に、生活のより多くの特質、喜び、共同性に、そしてまた消費や競争という形を通さずに人と人とが関わり合う活動に基礎を置いています。今日私たちは、特に自分の達成や業績を通して自分自身を定義します。私たちは――対価としてのお金を受け取るために――いつでも機能しなければなりません。お金を獲得することに私たちのすべてのエネルギーが消耗されます。お金を使用しない私の生活モデルでは、私は個人的に次のような経験をしています。それは私の焦点が徐々に物質的な価値から思いやり、創造性、活き活きとしていること、質素、人生・生活の流れに対する信頼のような価値に移行していったというものです。

SI:価値観のこのような移行を社会的なレベルで開始できるでしょうか。

シュベルマー:現在多くの小さなイニシアティブ(創意・主導)があります。それらは社会の中における新たな方法を展開しつつあります。そこは物質的な価値は活動や興味の中心ではありません。問題はこれらすべてのイニシアティブをネットワーク化してお互いに理解し合うことができるかどうか、ということです。以前次のようなことがしばしば起こりました。最も重要で強力な人物がいて、彼が最善のアイディアを所持している、と明言したのです。これが方法を決定し、そしてすべての小さなイニシアティブは取り消され、あるいはその見解のために諦めなければなりませんでした。しかし今は、誰もこのようなやり方に関してはもはや納得しません。現在は様々なイニシアティブやアイディアは、共に立ち上がることができるのです。なぜなら、それらは彼らすべてが考えているように、豊かなもの、重要なもの、そして価値のあるもだからです。これは新鮮なものです。

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