現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2006年 11月 創造性(Creativity)― クレーム著作より

創造性(Creativity)― クレーム著作より

神よりも単純なるものは存在しない、なぜなら、すべてのものの背後にその聖なる原理があるのだから。人がこれに気づくとき、真に偉大となる。そしてその人から、創造的エネルギーが流れ出ずる。(マイトレーヤ、メッセージNo.54)

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一人ひとりが人類の織りなす複雑なパターンの中に演ずべき役を持つ。一つ一つの貢献がユニークな価値あるもので、総体にとって必要なものである。いかにまだ輝きが鈍かろうとも、裡に創造力の火が灯されない者はいない。生きる技とは、その創造力の火に表現を与える技であり、潜在する神としての人間の特性を顕すことである。
すべての人間がこの経験を分かち合い、生きる技を学ぶことが非常に重要である。今までは真に創造的な人生を送ることは、少数の人間の特典であった。来るべき時には、何百万の人間の未開発の創造性が人類の業績に新しい光輝を添えるだろう。
搾取と恐怖の闇から抜け出て、真の正しい関係の中で、生きることの目的と歓びを自分の中に発見するだろう。(覚者は語る『生きる技』p.75)

・・・直観の働きなしにはいかなる創造的な芸術も生まれません。直観は魂の特質ですから、魂がその反映である、作曲し、絵を描く男女を通して顕示されます。ですから、芸術作品の背後にある創造的な火は直観です。それは魂から来ます。人を感動させ、何百年、ときには何千年を経てもなお意味を持つ質の高い過去の絵画や音楽はすべて、魂の特質の表現です。
芸術は魂から来るものであり、人間は魂であるという事実を、直観を通して表現することです。彼らが魂として行動すればするほど、より高次の特質を持つ芸術が生まれます。それは常に、魂が芸術を創造する男女を通して創造性を表現することができる度合いに従っています。芸術と文化は魂から来ます。

創造性は神の子なる一人ひとりの裡に存在します。それは神に賦与されている特質です。創造的な活動は、いのちの法則の下で生きる人生の特質です。生きる術(すべ)(アート)とは創造的に生きることです。それは人生のすべての様相に必然的に伴います。機械工でも、看護師でも何でもよいのです。

創造性と奉仕は同じものです。奉仕は魂のいのちが物質界に創造的に表現されることです。これが今度はその個人の人生をさらに支配するようになり、文化の創造があるのです。いかなる国家においても、その文化がその国の弟子たちやイニシエートたちによって創られるのは偶然ではありません。彼らは魂との間に第一段階の連結の橋を既に築いた人々です。

奉仕の中に己を忘れなさい、と言われます。これを行う過程がこの橋のアンタカラーナの建設です。それが奉仕の創造性をもたらすのです。
創造性は奉仕です。奉仕は創造性です。三次元の世界において何らかの創造的な奉仕の形態の中に己を表現することが魂の特性であり、私たちはこれを行うにつれ、分離した自己という意識を失います。大宇宙についての経験を深め、それと自分たちは一体であることを悟ります。この橋を築く個人が、すなわち魂との統一を成し遂げていく個人が、ますます経験していくことです。そうすると、魂はある人生で、その人にとって現実となります。あらゆる論議や、反対意見を越えて、私たちは自分が魂であることを悟ります。(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤの使命・第三巻』p.462)

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創造的過程におけるモーツアルト

「私が、いわば完全に自分自身であり、全く独りであるとき、快活であるとき--例えば馬車で旅行をしているとき、おいしい食事の後で散歩をしているとき、眠れない夜など--このようなときに私のアイディアは最もよくそして豊富に流れてくるのです。いつ、そしてどのようにして、それがやって来るのか私は知らないし、それを強いることもしません。私は楽しいこれらのアイディアを記憶に蓄え、分かるままに、独り口ずさむ習慣がありました。このように続けていると、おいしい料理にするためにあれこれの小片をどのようにうまく表現するかということ、つまり、対位法の法則や様々な楽器の独自性にとって好ましいものにするかが直ちに課題になってきます。
このことすべてが私の魂を鼓舞するのです。そして妨害されなければ、私の主題はそれ自体を拡大し、組織立てられて明確にされ、全体が、長いものであっても、私の心(マインド)の中でほとんど完成されて、立派な絵画または美しい像のように、一瞥して概観することができるのです。私は想像の中で各部分を次々と聞くのではなく、いわば同時にそれを聞くのです。それが何たる喜びか、とても私には伝えることはできません。この創案、この創作は、愉快な生き生きとした夢の中で起こるのです。それでも何と言っても実際に全曲を聞くのが最高です。このようにして創作したものは簡単に忘れられるものではありません。そして、これはおそらく私の創造主からの最高の贈り物でしょう。
アイディアを書き記すときには、私が述べたような方法で以前集めた楽句を用いてもよければ、私は、記憶の鞄(バッグ)から取り出したのです。このようなわけで、印刷に回すのは速やかに行われました。前に申し上げましたようにすべてがすでに完了し、そして私の想像していたものと記録されたものの間にはほとんど違いがなかったからです。この仕事では、そういうわけで私は邪魔されても我慢することができました。私の周りで何が起きても私は書き、語ることさえできたのです。ただ、鶏やガチョウ、グレーテルまたはバベル(Gretel or Babel)、あるいはこのような類は例外でした。しかし、私の作品が私の手から受け取ったものは--それはモーツアルトの作品に仕立て上げられ、他の作曲家の作品とは異なった特別な形式やスタイルなのですが--おそらく私の鼻(直覚)を鷲の嘴 のように大きくしたもの、あるいは手短に言えばモーツアルトの作品に仕立てて他の人々のものとは異なったものにしたものと同じ原因によるものです。というのは、私はどのような創造力の学習もせず、また目標も持たないからです」

ウォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756-1791)、書簡『フォン P__男爵へ』から抜粋(1790頃)