現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2006年 4月 協力の魔術 ― クレーム著作より

協力の魔術 ― クレーム著作より

闘争や昔のあるいは近年の鬱積した憤りは終わりなき暴力と緊張の繰り返しにわれわれを結びつけるに役立つだけである、ということを世界中が徐々に認識してきている。旧い敵同士は、和解と許し、妥協と協力の方向にますます向きを変えつつある。ベンジャミン・クレームの師である覚者は「和合と協力がすべての人にとっての未来への跳躍台であり、達成への保障である。人類のうちに偉大なる力の貯水池が未開栓のまま横たわっており、協力の魔術によって解き放たれるのを待つ」と書いておられる。今回われわれは、マイトレーヤ(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著作(『協力の術』『大いなる接近』および本誌バックナンバー)から引用した“協力”というテーマに関する選集を発表する。


人の道とは、同胞愛であり、密接な協力と相互の信頼であり奉仕である、ということを示そう。これが唯一の道である。他はすべて失敗に終わった。我が友よ、もしこれをなさなければ、人間はこの地上に存続し得ないのである。脅しているのではない。真実を述べているに過ぎないのである。時間は残り少ない--自然とこの世界との間に均衡を取り戻す時間は。
(『いのちの水を運ぶ者』No.12)


少しずつ新しい意識が人類を彼らの内的要求に目覚めさせている。古い競争心はなかなか死なないが、それにもかかわらず、新しい協力の精神もまた見え始めている。これは未来への吉兆である。なぜなら協力によってのみ、人類は生き延びられるだろうし、協力によってのみ、新しい文明が築かれるだろう。人類は彼らの神性の内的真理を知り、それを具現することができる。協力は正しい関係の自然の結果である。正しい関係はまた賢い協力に伴う。協力はグループの努力のすべての成功への鍵を握り、聖なる善意の顕われである。協力なしには、長続きするものは何も達成されない。というのは、協力は多種多様の見解の統合をもたらすからである。協力は和合のもう一つの言葉である。和合と協力がすべての人間にとっての未来への跳躍台であり、達成への保証である。人類の裡に偉大なる力の貯蔵池が未開拓のまま横たわっており、協力の魔術によって解き放たれるのを待つ。競争は自然の秩序に無理を強いる。協力は人間の内なる善意を解き放つ。競争は自己のためのみに関わり、他方、協力はすべての者の最高の善のために働く。競争はすべての罪の起源なる分裂に導く。協力は唯一の聖なるいのちの多色の糸を混ぜ合わせ融合することを求める。競争は人間を絶壁に導いた。協力のみが道を見いだすのを助ける。古い時代の後ろ向きの者は競争を好み、新しき時代の者は聖なる協力を喜んで抱擁する。世界の人間は二つの種類に分けられる--競争する者と協力する者とである。心(ハート)から競争のしみを洗い浄めなさい。心(ハート)を楽しい協力に開きなさい。
(『覚者は語る』協力 p.111-112)


魂は競争が何かを知りません。それはただ善意しか知らず、協力は善意を通してやって来ます。
(『協力の術』p.87、p.92)


私たちが分かち合いの原則を受け入れるや否や、そしてそれによって世界に正義がもたらされるや否や、競争はなくなるだろうと私は思います。競争の災いは二つのことに基づいています--貪欲と恐怖です。貪欲は恐怖の結果です。恐怖は、いのちに反するところのものについての基本的、根本的表現です。恐怖を取り去るとき、いのちのエネルギーを解き放ちます。それゆえに資本主義制度は人々を自由にして彼らの創造性を探求させるということに基づいているのです。しかしながら、それは純粋に物質的な意味で見られており、集合的に己を表現する魂の側面を除外しています。皆が非常に誇りにしている個人性は、グループ(集団)に仕えるために使われなければなりません。個人性がグループのために使われるとき、その特性は変わります。競争心ではなく、協力的になります。神性なる善意を表現します。
(『協力の術』p.47- 48)


今、再生の時に入るにつれて、人間は正しい前進をなすための基本的原則を理解すべきである。人類同胞愛、それ自体が一つの事実であり、それがますます新しい形態の特性を決めなければならない。同胞愛の事実に目覚めた者はすべて、未来への道の中央にいることに気づくだろう。同胞愛に関するものはすべて、霊ハイアラキーの活気づけるエネルギーがその大義に注がれていくことを知るだろう。平和は同胞愛の理念の上に築かれ、戦争の潰瘍は永久に世界から除去されるだろう。
協力が新しい関係の鍵である。協力が支配するとき、過去の不公正や不平等は終わるだろう。利己主義と貪欲に煽られる競争の火は消え、人間が調和と信頼のうちに生きることを可能にする。そのようになるだろう。そのようにして「神の大目的」を具現する大計画は遂行されるだろう。その祝福された状態に向かって、踏まねばならないステップは数多い。しかし、すでに人間の心(マインド)は希望に満ちてその方向に向きつつある。
分かち合いが、鍵の中の鍵である。分かち合いを通して、人間は神の愛の意味を知るようになるだろう。分かち合いなしに、人間の未来はない。なぜなら神の愛を具現するか--さもなくば死滅するか--その時がやって来たのである。分かち合いが、人間の問題のすべてに対する答えと、「新しい時代」への確実な入口を提供する。分かち合いを通して、平和は行きわたるだろう。分かち合いを通して、正義は勝利を得るだろう。分かち合いと協力を通して、同胞愛は栄え、新しい栄光の未来が人間に開かれるだろう。
(『覚者は語る』未来 p.120)


正しい協力が正しい外的な、つまり効果的な行動を生じさせます。集中した効率的なビジネスのやり方がより効果的な競争をつくるのと同じようにです。競争を協力で置き換えるとき、より大きなグループの認識や創造性やテクニックや創造力を持ち込むことができます。もしそのように働くなら、より効果的なグループになります。より多くのアイディアが生まれ、そしてこれらのアイディアを使わなければなりません。誰でもがそれぞれのアイディアを持つ権利があることを理解しなければなりません。アイディアは、特定の問題との関連においては、おそらくすべてが平等の価値を持たないでしょう。しかし協力によって、試行錯誤によって、最も効果的なアイディアに到達するのです。
(本誌1998年1月号ベンジャミン・クレーム、p.15)


日ごとに、人は自分の生活を見返しては、不満の原因を明確に見分けることを逸する・・・このようにして、人は人生の交差路に立ち、新しい夜明けか、あるいは破局的な戦争への運命的な最後の滑走を待つ。この情景の中に、マイトレーヤと覚者たちの一団が平和と愛の旗印を掲げて登場する。彼らの周りには正義と平和の大義のために戦う用意の整っている弟子たちが集っている。彼らの鬨の声は「和合」--すべてのための正義と自由である。彼らは戦闘のルールを知っている--愛と奉仕による征服である。彼らは時の要求を知っており、あらゆる犠牲を払う覚悟がある。彼らは自分たちの任務を知っており、行動の時を待ち遠しく待つ。彼らの楽の音--美と真理--に耳を傾けなさい。彼らの手の合図--協力と分かち合いと歓び--を見つけなさい。「新しい時代の勇士」を認知し、共に働く用意をしなさい。そして、あなたが生まれてきた目的を成就しなさい。
(『覚者は語る』愛―前進への道 p.136-7)


欲望の原理は非常に強力で本能的に競争を通して表れます。協力することはできますが、必要と感じるもの、少なくとも欲しいと思うものを獲得するために競争し、必要ならば殺したり、傷つけたり、破壊したりします。魂が、つまり神性の側面が示顕する段階に至るまでは、それが人間の生活の物語です。覚者が言われるように、「協力は神性なる善意の示顕である」のです。善意を示顕し、私たちに協力を願わせるのは、すべてのいのちの中にある魂です。(『協力の術』pp.32-33)


競争の時代には、あのいにしえの 諺 が適用される。仕事のみが、食べる権利を授ける。しかし人間は新しい関係を体験する用意が整っている。新しいそして思いやりある協力が人間を、その兄弟の保護者となり、生活の必需品を得る権利を保護するために、招いている。
(『覚者は語る』余暇が鍵である p.167)


覚者は言われます、「世界の人間は二つの種類に分けられる--競争する者たちと協力する者たちである」。これはとてつもないステートメントです。この記事の重要なステートメントであると思います。それは世界の現状を、変化への世界の用意の度合いを測るとてつもない尺度のように私には思えます。今日二つのフォース(勢力)が存在します--過去を愛するが故に後ろを振り返り、古い過去に、役に立たず壊れてしまったものに頑固にしがみついている反動的なグループと、前進への唯一の道は協力を通してであることを知る者たち、協力する用意を整えて転生に入ってきた弟子たちやイニシエートたちです。世界奉仕者の新集団を構成するこれらの弟子たちやイニシュートたちの手に、世界の未来はかかっているのです。
(本誌1998年1月号ベンジャミン・クレーム、p.16)


人は競争という毒物から自分たち自身を解き放たなければならない。それがグラマーであることに気づかなければならない。実際そうなのであるから。そしてすべての人間の一体性を悟り、「全体的な善」のために協力を喜んで抱きしめなければならない。協力と正義(公正さ)のみが人間を、彼ら自身がつくり出す大惨事から救うだろう。協力と正義のみが彼らの未来を保証するだろう。これがそうであることを考慮するならば、人間は、救済への鍵として協力を受け入れる以外に選択肢を持たない。人々は競争ではなく協力するときに、魔法の一服が彼らの生活の中に入ってくることを発見するだろう。長いあいだ続いていた問題がいとも容易に解決されるのに驚嘆するだろう。不可能だったことがもっとも軽いタッチに道を譲るだろう。そして協力を通してのみ、人間は生きることの本当の術を学ぶだろう。そのようになるだろう。かくして人間は、協力のみが授けることのできる(人間)関係の素晴らしさに感謝することを学ぶだろう。協力を通して、新しい文明が築かれるだろう。新しい科学が明らかにされ、新しい理解が顕れるだろう。かくして、人間は自分たちの神性を発見していく中で共に成長するだろう。かくして、彼らはそのような一体性の歓びと幸せを知るだろう。あなた方の兄たちである覚者たちは協力をよく知っている。わたしたちが行うことすべてにおいて、協力は中心的な役割を果たす。「同胞愛」が示顕されている関係の中では、競争という潰瘍は未知のものである。それ以外ではあり得ない。人間が協力の術を学ぶことがわたしたちの真剣な願いである。この日標を目指して、わたしたちはメントール(良き助言者)として働き、模範を通して教えよう。協力は非常に解放的なものなのに、人間がその歓びを学ぶのにかくも遅れたのは本当に驚くべきことではないか。競争の時代は急速に終わりに近づきつつある。その消滅に伴って、暴力や戦争、豊かさの直中の飢餓、貪欲や分離が同様に記憶から消え失せていくだろう。これらの悲哀に取って代わるために、喜ばしい協力が出現するだろう。そして人間に彼らの本質的な神性を保証する。そのようになるだろう。かくして人間は、神の様相のもう一つの面を理解するに至るだろう。
(『覚者は語る』協力の術 p.530-532)


私たちは競争が神のようになってしまった社会に住んでいます。生産と製品の売り上げを増やすことが、人生の必要とされる基本的特質として受け入れられています。経済生活においてはそれ以外の機能はありません。より多くの製品をより安く生産し、それを競争相手よりもより安く、より持続的に売ることが競争でないとするならば、経済的な意味での競争の居場所はなくなってしまいます。それが本当に意味することは、私たちは人間としての、転生している魂としての自分自身の感覚を、人生の意味と目的についての機械的な見方とすり替えてしまったということです。
(本誌1998年1月号ベンジャミン・クレーム p.19‐20)


人間がこの仕事の緊急性を認識するとき、以前には見られたことのないほどの善をなすエネルギー(フォース)が現在の不公正に対して解き放たれるだろう。世界の変容は速やかに進み、人々は同胞として、すべての者の福利のために働くだろう。そうなるであろう。このようにして新しい時代は、マイトレーヤと彼のグループの指導のもとに、人類自身によって築かれるだろう。過去の分離は協力と分かち合いに、利己主義と貪欲は新しい正義に場を譲るだろう。人間自身の裡から、より良き方向への衝動が沸き上がるだろう。それは、われわれすべての裡に備わる神性の証である。その神性が人間の本性であり、マイトレーヤはそれの顕現の動因であることを示されるだろう。
(『覚者は語る』マイトレーヤの出現 p.179-180)


合意に達するには一つの方法しかありません。協力です。協力するや否や、合意が可能になります。競争心に駆られて見解を述べている間は、合意はありません。なぜなら誰もが自分の見解を受け入れて一般的な見解にしてほしいと考えるからです。そうすると多数意見となり、それは合意とは関係ありません。合意とは、グループによる特定のプロセス、特定の認識、従って特定の行動が、その時間と場所での唯一の正しい行動である、という直観的な、つまり魂による理解です。このようにして、合意は非常にダイナミックな力(フォース)になります。真の合意を得るや否や、全体としてのグループのすべてのエネルギー--意志と愛と知性--を得ます。それはあたかも別のもの、つまり統合された声、すなわち全く異なる見解、異なる色合いと条件を一つにまとめる声を創造したかのようです。本当に完璧な協力の中で仕事をしているグループの中で、これらはすべて突然、直観的な方法で融合するのです。すべての人に目的のための計画が知られ、受け入れられ、同様に認識され、そして背後にある魂の全エネルギーを伴って合意が突然グループに降下するのです。合意から来るその行動が仕事をなすのです。それがグループのすべての行動の目的であるべきです。非常に融合しブレンドして、あたかも鋭く強靭な鋼の棒のようになり、それが一直線にこの任務を遂行していきます。そうでなければ、こちらでちょっと、あそこでちょっと試してみるようなかたちになります。するとそれは拡散し、従って比較的非効果的です。時折、一種のインスピレーションのようなものが結束させる火のように働き、灼熱の自然な行動をもたらし、それがターゲットに真っ直ぐに入ります。それがあるときには認知できます。それを考え出すことはできません。グループの人々のマインドと直感が一つの行動として融合するほどにグループが協力するときに、それは起こるのです。その行動こそ最も自然で最高の方法であるのは自明です。それが平均よりも優れた仕事の仕方です。批判や疑問の問題をすべて取り除きます。行動それ自体が、グループのすべてのアイディア、意図、知性、および創造的能力を融合するるつぼになるのです。それがグループの思考であり、グループの行動であり、何ものもそれに匹敵するものはありません。
(『協力の術』pp.317-318)


人間の裡に聖なる存在が宿ることを、わたしは知っている。愛と正義が勝利すべきであるというのは、その裡なる存在の計画によるものである。そうであるから、結果は保証されている。しかし、すべての者が変化の必要性を、この世界の変換の必要性を、分かち合いと協力と信頼の必要性を、感じているわけではない。わたしの単純なる法が、愛の法が守られるとき、これらすべてのことは結果として起こるであろう。だから、我が友よ、わたしはただ愛と信頼について語る。
(『いのちの水を運ぶ者』No.77)


今後の仕事は、すべての人間が未来の社会の創造に声を添えることができる条件を、世界的規模で創造することである。このようにしてのみ、現在の分裂は解決されるだろう。これは見かけほどむずかしいことではない。その鍵は人間の手のうちにあるのだから。その鍵とは、いつも言うとおり、分かち合いの原則である。この原則が実施されるや否や、異なった社会的・国家的集団の間の協力を阻む障害は取り除かれ、このようにしてより協調的な形態と道が整えられ、それを通して人類は自分自身を表現することができるだろう。何千万の人間にとって初めて入手できる余暇が、それまで彼らに否定されていた地域社会や国家の出来事や組織に、より密接に関与する機会を提供するだろう。参加する暇が持てるようになると、現在、彼らを取り巻く問題--派閥的憎しみや分裂、不正義や貧困、犯罪や戦争などの問題--に対する解答を彼らの裡に見いだすだろう。
(『覚者は語る』新しい機構の創造 p.51-52)


協力が単なる必要性としてではなく、前進への道であることが示されなければなりません。なぜなら、そうでなければ革命が起きるからです。私たちは変化を欲しなければなりません。協力を欲しなければなりません。経済のスケールの上で最も若い、最も低い者たちから先進国の巨大なマンションに住む権力のプリンスに至るまで、すべての人間が持つ権利を認めて、それを受け入れなければなりません。それは欠くことができません。覚者が述べるように、「競争は自然の秩序に無理を強いる。協力は人間の内なる善意を解き放つ」のです。(『協力の術』p.45-46)


協力が基調である。抑制なしに繁茂するままに放っておく競争を強調する今日のあり方は、究極的に破壊につながるだろう。かくして協力の旗印がすべての側で高く掲げられ、人々を世界の復興に向けて共に働くように鼓舞するのが見られるだろう。協力以外の何ものも、人間の問題を、多種多様で複雑な問題を、解決することはできない。協力以外の何ものも、人間が人間に負わせた古い傷やいまだうずいている傷を癒すことはできない。協力のみが、すべての者に受け入れられる健全な平和の未来を保証できる。
(『覚者は語る』協力が基調である p.435)


魂は完全な絶対的な善意を持っています。それは神聖な知性、神聖な愛、神聖な目的・意志しか知りません。善意は愛の一つの側面です。それは神の目的と神の愛が一緒になったものであり、基本的愛です。魂はこれをその乗り舟であるパーソナリティー(肉体人間)の中に培おうとします。それは必然的に協力につながります。協力するとき、人は善意の特質を表現します。これらは一緒に働きます。協力すればするほど、より多くの善意を表現します。善意があればあるほど、より協力したくなります。もし善意があるなら、協力することは容易です。善意という魂の原理ではなく欲望の原理の下で働いていれば、自分の知性が必要だと告げることを、あなたにとってあるいはあなたのグループにとってベストだと知性が告げることを欲しますから、協力することは困難です。知性はしばしば魂から来る洞察や直観と矛盾します。魂から来るものはいつも善意に、正しい関係の表現につながります。魂は正しい関係のみを知っており、それを物質界につくり出すことを欲します。もちろんこれは難しいことです。なぜなら、長い長い間、特に今は政治的経済的機構を通して、私たちは本質的に競争の特性を持つ世界をつくり出したからです。(『協力の術』p.33-34)


マイトレーヤは、世界の前に公に現れるとき、世界の再生のためのプログラムの輪郭を示すだろう。人類が多くの問題に対処する現在の方法は競争と自己利益に依存しており、非常に欠陥があることを示すだろう。現在の緊張と危険は、無関心と貪欲によってつくり出される不均衡の直接の結果であることを、協力によってのみ世界の問題は解決され、貧困で飢えている人々に食糧が与えられ、惑星の健康が確保され、戦争が忘れられた過去の悪夢となることを、示すだろう。
(『覚者は語る』人類の選択 p.576)


わたしの教えは単純である。分かち合うことの必要と、すべての人間が平等に汲み取ることのできる資源の溜まり場を創ることの必要を、示すであろう。貪欲を協力と信頼に置き換え、人間の裡なる霊性を顕すことの必要を説こう。霊性の顕現こそ、もっとも大切なことである。我が友よ、それなくしては、人間の未来はまさに闇である。決定の時が人類を待つ。わたしの愛が両極端の見解を創り出す、それがわたしの振り回す剣である。我が友よ、あなたがたがどこに位置するかをよく知り、わたしの光を受けなさい。あなたの足をどこに置くか気をつけなさい--明日へつながる階段か、または忘却の彼方へか。世の男女よ、我が兄弟たちよ、子供たちよ、あなたがたに訴える
--わたしのもたらす真理の光の中へと通じる道を歩みなさい、そして本来のあなたである神を顕せるようになりなさい。これこそが、人の唯一の道であることを知る者は、今日大勢いる。我が友よ、今のこの時に、あなたがたが占める位置をはっきりと示しなさい。わたしの祝福をあなたがたすべてに与える。(『いのちの水を運ぶ者』No.64)


わたしたちは公に姿を顕していないが、その数を増しながら世界に出てきている。間もなく、あなた方はわたしたちを見るだろう、そして鼓舞されて、わたしたちのあり方を見習おうとするだろう。わたしたちの協力があなた方の競争に取って代わるだろう。わたしたちの見解の広さがあなた方の不寛容さを、わたしたちの愛があなた方の暴力と憎しみを克服するだろう。そのようになるだろう。そのようにして、あなた方は再び大計画に目を向けて、それをあなた方自身のものとなすだろう。(『覚者は語る』機会と挑戦 p.535)


マイトレーヤは、協力することを切望し、協力する能力のある人々、すべての人間のための協力、正義、自由といった人生観を持つ人々の大きな一団が存在することを承知の上で、世界に出て来られたのです。古い競争的なやり方にしがみついている人々を目覚めさせるために、そして、協力を前進の道として見る人々を啓発し是認するために、マイトレーヤはここにおられるのです。マイトレーヤは、人類が自分たちを破壊するのを阻止するのに、きわどいところで間に合ったのです。もし私たちが協力しなければ、私たちは自分たちのいのちを破壊するでしょう。しかしマイトレーヤは、私たちが分かち合う用意を整えていることをすでに知っていると言われます。
(『大いなる接近』p.57)

・・・アクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーはまさに諸国民を集い寄らせ、協力と理解の連結をつくり、そしてゆっくりと徐々にではあるが、現存の体制の本質的に異なった勢力を統合された全体に融合させていく。新しい時代はまさにわれわれの頭上にある。マイトレーヤと彼のグループの一団の差し迫った到来が、その開始の合図をするだろう。
(『覚者は語る』新しい時代は頭上に p.483)

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