現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2015年 11月 地下鉄のメッセージ

地下鉄のメッセージ

地下鉄のメッセージ

編集長殿
私は2014年2月15日にパリでの出来事の体験を分かち合いたいと思います。
夜10時30分頃に、私はボーイフレンドと二人の友人と一緒にレストランから出てきました。私たちはパリのメトロ(地下鉄)の駅前に友人たちを連れていくところでした。
メトロへ向かって歩いていた時、一人のバイオリン弾きがメトロの入口の前に腰を下ろし、美しいメロディを奏でて、お金を受け取るためにケースを開けているのに出会いました。私は何年もこの地区で暮らしてきましたが、そこで彼を見かけたことはありませんでした。彼は 40歳そこそこの白人で、本当に真っ白の髪と肌色で、アルビノ(白子)の人のように見えて、とても鮮やかな緑色のつばなし帽(ウールの帽子)を被っていました。演奏をするには遅すぎる時間だったことと、彼の座っている場所がとても寒く、風も吹いていたことが心に残りました。
地下鉄の入口の、彼の隣に来ると、私に非常に強烈で激しい感情が湧き起こりました。心臓がバクバクと脈打っていました。彼にお金を渡したいという気持ちが抑えきれなくなったのです。彼にお金を渡すと、彼は両目を閉じて、頭を持ち上げました。
私が地下鉄の入口にいた友人たちの所へ加わると、地下鉄の支柱の一つに「良い1日を」と書かれているのが見えて、別の支柱には「あなたは愛されている」と書かれていて、それが英語で書かれているのが不思議でした。もう一度バイオリン弾きを見ると、彼が私をじっと見つめていました。とても強烈で激しい気持ちでありながら、夢の中のような、少しぼんやりしているような感じでした。
まさにその夜に、私は起こったことの、とても鮮明な夢を見たのです。
数日後、私は二つの文の写真を取ろうと、その場所に行ってみましたが、それはもう無くなっていました。
クレーム氏はこの男性が特別な方だったのかどうか教えてくださいますか。それから誰がこれらの肯定的な言葉を書いたのですか。
先にお礼を申し上げるとともに、世界のためになさっていることにも感謝いたします。
シリール・レイモン・ドブルイユ
フランス、パリ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『バイオリン弾き』がイエス覚者の弟子であったことを確認した】


軽快な仕事

編集長殿
2015年7月末のとても暑い日に、一カ月後に予定されたビデオ上映会に向けて、ポスター貼りとチラシ配布のために、私たち5人は車で2時間の長野県駒ケ根市へ出かけました。メンバー2人は車で地域にある様々な公共の施設を回り、私たち3人はチラシを持って街中を歩き始めました。
歩き始めるとすぐに、60代の酔った男性が近づいてきて、足元をふらつかせながら煙草を片手に、「煙草を吸わせてくれる所ないかな?」と言ってきました。それから彼は私たちに向かって「ご苦労様だね……駒ケ根の人たちは皆とっても良い人たちだよ。私はここが大好きなんだ」と言いました。それで私たちは彼にチラシを渡し、どうぞビデオ上映会にいらしてくださいと伝えました。すると彼は(かなり離れた)横浜から来ていると言いました。チラシのクレームさんの写真を見て、「この人を良く知っている。昨日もテレビに出て、とても良いことを言っていたよ」と言いました。それから私たちを指差して、「あんたも、あんたも知ってる。良い顔してるね」と言いました。少し話をしてから、彼は私たちと握手をし、アルコールを飲みに行くと言いながら去っていきました。
私たちが驚いたことに、私たちが訪ねた店すべてが、快くポスターを受け取ってくれて、店の人たちは「ご苦労様」と言ってくれました。あっという間に駒ケ根の街はクレームさんのポスターだらけになりました。車で出かけた他のメンバーと落ち合うと、市役所だけでなく、観光協会までがポスターを全部引き受けてくれて、ちゃんと配ってくれると言ったそうです。
この街は、まるで覚者が魔法の粉でもまいてくださったかのように思えました。その酔った男性は特別な方で、私たちの仕事を助けてくださったのですか。
M.I.? 他
日本、愛知県
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】


特別の技術

編集長殿
2015年9月19日の土曜日、私は少し感情的になり、自分のパーソナリティーにイライラしていたので、オルゴン集積器の中に座り、マイトレーヤの『手』を見つめながら、自分がアストラル偏極していることにとても疲れて、それを変えるために努力したいと心底願いました。それで頭の中でマイトレーヤに、「どうやったらメンタル偏極になれるのですか?」と尋ねました。私はしばらくそれについて瞑想し、予定されているシェア・インターナショナルエキスポのためのポスター貼りに出かけました。
ポスター貼りを1時間した後、天気がまだ良いうちにサイクリングに行くことにしました。きれいに晴れた秋の日で、木々が紅葉していました。谷川の道へ続く歩行者用の橋を渡ろうとしていた時、しなやかな身のこなしの20代半ばの若い男性が、私の前にいるのが見えました。彼は明るい茶の髪を後ろに束ねてポニーテールにして、日に焼けたシャツ無しの姿で、一方の肩からバッグを提げ、もう一方にはギターのストラップを掛けていて、そのギターを弾きながら、同時にローラーブレードをしていたのです。その様子はなかなか見ものだったので、彼を通り過ぎる人たちが笑みを浮かべていました。
彼を追い越す時、彼が微笑んで、明るい口調で「ハイ」と言ってくれたのですが、これから向かう先の急な下り坂を、どうやって下りていくつもりなのかと思ったのは、ギターは手放さなければ到底無理だったからでした。ところがそうではなく、彼が私の背後でギターを演奏するのが聞こえてきて、私に追いつき、険しい坂道をローラーブレードで下りながら、ギターを演奏したままで私を追い越したのです。前方の小さな起伏に向かいながらも彼は演奏を続けていました。彼がそれをどうやっているのか、私は首をかしげるばかりでした。彼の後ろから自転車をこぎながら、微笑まずにはいられませんでした。彼のギターが聴こえるのも、道の上を難なく移動していく彼を見るのも楽しくて、彼を追い越したくありませんでした。
彼に追いつきながら、彼に一つ質問をしなければと思いました。通り越しながら私は、「どうやってそんな風に坂道を下りられるの?」と尋ねました。彼が笑みを浮かべて、「熟練の技ですよ、お嬢さん、技です」と答えてくれた時、彼の青い瞳がキラキラしていました。それから彼は「よくよくの注意力と忍耐、修練と努力です」と言いました。私が彼を追い越しながらうなずいていると、彼がうれしそうに「素敵な1日を!」と言ってくれました。彼がこれらすべてを伝えてくれた時、彼の年頃の人が言いそうにない言葉だと思っていました。「お嬢さん」と言ったりするのは、どこか紳士的な古めかしい感じで、「注意力、忍耐、修練と努力」という言葉は私へのアドバイスのように思われたので、覚えておかなくていけないと思い、その後の自転車の道のりで何度も心の中で繰り返していました。彼の言ったことについて考え続けていたところ、突然、それより前の私からマイトレーヤへの質問への答えだったと分かったのです。「どうやってメンタル偏極になることができるのか?」。「注意力と忍耐、修練と努力……それは熟練の技です、お嬢さん、技です」
ギター演奏するローラーブレード乗りの若者は、特別な方でしたか。
ヘザー・カーナハン
カナダ、エドモントン
【ベンジャミン・クレームの師は、そのローラーブレード乗りがイエス覚者の代理人であったことを確認した】


訂正
シェア・インターナショナル誌2014年9月号25頁の手紙「応えられた祈り」にある、マイトレーヤが金を現したお守りは、善光寺のものではなく、栃木県奥日光の中禅寺湖のほとりにある古いお寺、中禅寺のものでした。