お馴染みの話!
編集長殿
私は娘との休暇を過ごしていた時、一人の男性がバス停に立っているのを見かけました。彼は若く、30代半ばくらいで、明るいオレンジ色の半ズボンと黄色の縞のシャツというカジュアルな服装でした。青い帽子を被り、サングラスをかけていて、テキサスのカウボーイというよりもハリウッドの伊達男のように見えました。どことなく落ち目のようにも見えました。私は興味がわいてきて、近づいてみると、彼が泣いていたのです。助けがいるかどうか尋ねると、とてつもなく非現実的な体験を理解し、彼が使命を果たすのを助けてくれる友人が必要だと、彼は言いました。さらに続けて「私には分かち合うための大切なメッセージがありますが、日常のありふれた認識や普段の生活からあまりにかけ離れているために、人々は耳を傾けようとしません。彼らは私を罵り、私の知性を侮辱し、私を無視するのです。私はつらい状況にあって、悲しみだけが唯一の友なのです」と言って、声を詰まらせましたので、続けるように励ましました。彼が「私たちは人類史上最もユニークな時代に生きているという、たくさんの徴があります。私がこの世界の奇跡や天国の兆しについて人々に語ると、私を頭のおかしい人として追い払いました。彼らはまるで聖霊に耳を貸さず、物も言わず、見ることもしない人たちのようです。ある女性は、私が水の上を歩くとか、正真正銘のヨギなら行わないようなトリックまがいの奇跡でも演じて見せなければ、私のメッセージをまともには受け取らないとまで言ってきました。別の人物は、もし私の言っていることが本当ならば、私が寺院を持ち、売るための本を持ち、人々が私からのアドバイスと祝福のために長蛇の列を作っているはずだと言いました。彼らが重要だと思っていることは、すべてグラマーです! 彼らは聞く耳がなく、見る目がありません! 智恵には何の見返りもなく、代々の預言者たちの達成には何の敬意も払われなかったのです」と語りました。
彼はすすり泣き始め、私は彼の痛みを感じました。彼の語っている徴の一例を話してくれるように頼みました。それで彼は、聖なる動物が月と星々の正確な整列の時生まれるという、アメリカ先住民の予言について話してくれて、それがすでに起こっていること、そしてそれは私たちが魂の進化における、人類種族として直面している重大な決定に関係していることを伝えてくれました。彼はさらに「もし私たちがどうすべきか知っているならば、今は非常に良い時なのですが、人々は知らされる必要があり、人間の生命の偉大な潜在力を発揮するための、新しい選択肢が与えられるべきなのです」と言いました。
私は彼の話してくれたことに鼓舞され、彼は前兆の数々を説明していると、彼の悲しみがすっかり消えてしまい、彼の顔が明るく輝きました。彼は大変生き生きとして、耳に残るメロディーを歌ったりもしながら、話を盛り上げていました。さらには冗談さえ言い出して、それがとても上手で、そのうち笑い過ぎと楽しいのとで脇腹が痛いほどでした。彼が私たちの時代の挑戦による危険性や問題点を話していた時、私たちの存在の意義への高潔な選択と注目にかかっている、勇気付けられるような可能性も示唆してくれました。彼が話している時、私はこの人はただの男性ではなく、おそらく変装した覚者か天使ではないかと確信するようになりました。私は彼の話にお礼を言い、いくらかお金を渡しましたが、最初彼は断りました。彼の旅を助けるために受け取って欲しいと言い張って、三度目に受けてもらえたのです。私は彼にこのメッセージを家族や友人に、できるかぎり分かち合うつもりだと伝えました。彼はお礼を言ってくれて、その時バスが来たので、旅立つ前にハグをしてくれました。私はこの出会いを本当に嬉しく思い、彼の正体を確認していただけたらと思っています。この変化の時に、私たちに向けての重要なメッセージを彼は持っていると信じています。彼は誰でしたか。
オーウェン・ムーア
米国、テキサス州コーパス・クリスティ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い男性』がイエス覚者であったことを確認した】
遅すぎることはない
編集長殿
2013年6月26日、私の姪がトイレで倒れ、心肺停止になりました。家族が心臓マッサージをし、彼女は病院に救急搬送されました。診断は「甲状腺クリーゼ」で高熱を伴うので、低体温療法を3日間施し、後に体温をゆっくりと戻しました。けれども意識は長い間戻りませんでした。私は『手』のカードを使ってマイトレーヤに、早く回復するように祈りました。10日目に主治医から「命の保証はします」と告げられ、11日目には、意識は戻らないと思うと言われました。
家族はそれを聞いて大ショックを受けましたが、今度は入院させる病院を探さなければなりません。その翌日、姪の弟が病院に行き、まだ意識はありませんでしたが話しかけると、微かな反応を感じとりました。その後、幾つかの厳しい治療と症状の変化を通って、現在は集中治療室からも出ることができ、自分の状態もわかっていて、会話もできます。
姪を診た医師から、このようなひどい状態からの奇跡的な回復は非常に稀だと言われました。
姪の奇跡的な回復は『手』のカードの使用を通して、マイトレーヤから助けていただいたのですか。
S.K.
日本、東京
【ベンジャミン・クレームの師は、彼女はイエス覚者によって助けられたことを確認した】
次の2通は同じ人物からのものです。
元気づけられた会話
編集長殿
(1)約3年前、息子の医師から治療をこれ以上続けられないため、息子との別れに対する心の準備をしなければならないと言われました。私は心のコントロールを失い、家で一人のときは泣いてばかりいました。
2010年の9月の終わりか10月の初めに、息子の面会に向かう電車の中で眠り込んでしまい、誰かが隣に座った気配で目が覚めました。70代前半の優雅な女性でした。笑いながら「あら、ごめんなさい、起こさないようにと思ったのよ」と言いながら、彼女は自分のことを話し始め、ベランダで花を植えたこと、2交代の前の職場の同僚を訪ねに行くこと、1年ほど前に、私の息子が入院したのと同じくらいの時期に、彼女も手術で入院していたことなどを話してくれました。私は彼女の年齢で夜の交代があるのはとても大変なことだと思いました。笑顔を絶やさず彼女は話を続けて、時折肩をトントンとぶつけてきました。そうされても全く不快には感じず、息子の話をしたくなりました。「私の息子は心臓の病気で1年以上入院しているのです」。彼女は「でも、あなたがとても明るいから!」と言ってくれました。「希望を持とうと思っても、時々落ち込んでしまうんです!」。「そうね、トイレで泣いたりしてね?」。私は彼女の言葉に驚きました。家で私はよく泣いていたのです。その時、列車が終点に着き、彼女が立ち上がりました。私も席を立つと、彼女はとても姿勢が良く、175cmくらいの身長で、顔の皺に反してとても若々しく見えました。お別れを告げた後、振り返ると彼女は笑顔で応えてくれました。もし私がトイレで泣いているという話がなければ、その女性をただの普通の人だと思ったことでしょう。この出来事の後、私と息子に残された時間がどのくらいであっても、大切にしようと前向きになれました。私の中の変化は、私を明るいと言った彼女の言葉に励まされたもので、今でも彼女の言葉が私の心に刻まれ、支えになっています。絶望の淵から私に助けの手を差し伸べてくれた方は、特別な方でしたか?
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』がイエス覚者であったことを確認した】
貴重な贈り物
(2)2009年2月24日に、私の息子は心臓病で入院しました。心臓の機能を回復させるための機械を装着しました。私は意識不明の息子の手にマイトレーヤの『手』のカードを重ね、祈り続けました。何度も生命の危機を乗り越え、その機械を装着した状態で1カ月半生き長らえ、医師から機械装着の生存では世界記録と言われました。しかし息子は回復しませんでした。手術を受けるために、東京の別の病院に転院することになりました。装着していた機械が大きかったため、救急車でもドクターヘリでも運ぶことができませんでした。そのため公的組織の協力のもと、数千人もの人々が動員され、リレー搬送されて転院できました。医学会で、心臓移植を受ける前提の症例として報告され、10回もの手術を受けました。私たちには感情の起伏の中でぶつかり合いがありましたが、危機を乗り越える度に、息子を取り巻く空気がだんだんと澄んでいくように感じました。医師からこれ以上命の保証ができないと言われた後、息子は長年抱えていた悩みを打ち明けてくれました。その後意識不明になり、24歳で、1年8カ月の闘病生活の後亡くなりました。
私は今、息子がたくさんの贈り物を私たちに残してくれたことに気づきました。家族の大切さ、平穏な日常生活のありがたさ、私たちの人生が数え切れないほど多くの人々に支えられているという事実、祈りや深い思いの込められた言葉が強い力を持っていることにも気づくことができました。
医師は、「息子さんの生命力が素晴らしいのはもちろんだが、それ以上に神様のおかげだったと思う」と言いました。こうして振り返ってみると、息子が旅立つ前に、息子との時間を与えていただいた、聖なる力の大きな働きがあったとしか思えません。
E.K.
日本、東京
【ベンジャミン・クレームの師は、彼がイエス覚者によって助けられたことを確認した】