現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2013年 11月号 いのちの法則ーー撰集

いのちの法則ーー撰集

The Laws of Life ─a compilation

「いのちの法則(The Laws of Life)」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

人間は彼らの人生を支配する精妙な法を学び、理解するだろう──すべての者の運命をコントロールする「カルマまたは原因と結果の法則」、それに関連して、魂が物質の中に転生する旅を可能にする「再生誕の法則」、正しい関係を支配する「無害であることの法則」、そしてすべての進化がそれによって進行するところの「偉大なる犠牲の法則」である。
これらの法の理解を通して、人間は彼らのメントール(良き指導者)に、兄たちに、似るようになり、すべての者が分かち持つ神性を顕示するようになるだろう。賢者たちの教えに耳を傾け、一歩一歩、彼らの生得の権利を受け継ぐだろう。人間は神になるために生まれており、何ものもその運命を変えることはできない。その時期(タイミング)のみが、人間の手中にある。
(『覚者は語る』─いのちの法と規定─p.510)

わたしの兄弟である覚者たちが、あなたがたを彼らの知恵の光の中へ導き、人間の過去の歩みを一望のもとに繰り広げてくれるだろう、そしてあなたがたに、いにしえの法を教え、未来へのあなたがたの歩みを導いてくれるだろう。兄に接するように彼らに向かい、信頼して、光に照らされた道を示してもらいなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第49信、p.146-147)

私たちは生きる術(アート)を学ばなければなりません。それは芸術形態であり、進んでいくにつれてのみ学んでいくことができるものです。それは教えることができるものではありません
が、その基本原理、法は教えることができます。法──原因と結果の法則、再生誕の法則、無害の法則、犠牲の法則──とそこから派生する規則を教えるならば、人生の基本を教えたことになります。人生はこれらの法の下で進行し、これらの法を生活の本能的な部分とするのが早ければ早いほど、私たちはかなり調整され調和された人生や世界に生きることになるでしょう。今日の世界は不安と恐怖心で満ちています。人生はそれとは正反対であるべきです。いつか、マイトレーヤと覚者方の援助によって、そうなるでしょう。
(『生きる術』p.53)

魂はその器である人間男女を通して自分自身を表現することを求めていますが、人は教えに反応しなければなりません。そのために教師はやって来ます。私たちに再び『法』、すなわちカルマの法則、再生誕の法則、無害の法則を思い出させるためです。私たちはこれらの法を正しく、ダイナミックに私たちの生活に適用しなければなりません。単なるアイディアとして頭に留めて、何もしないのではいけません。もしそれが単に頭脳の中の記憶でしかなければ、何も起こりません。実際にそれを適用して、自分を変えるための酵母にしなければなりません。
(『全人類のための世界教師』p.179)

わたしの臨在によって、分かち合いの法が顕現するであろう。わたしの臨在によって、人は神へ近づく。わたしと覚者たちの臨在によって、新しい愛の御国が知られる。我が友よ、この単純な法をあなたがたの心に受け入れなさい。分かち合いを通して愛を顕現し、世界を変えなさい。あなたがたの周りに平和と喜びの風潮を創りなさい。そしてわたしと共にすべてのものを新しく創り直しなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第82信、p.235-236)

カルマの法則(原因と結果)

人間が己の存在の事実、すなわち三重の特性、物質界への誕生の繰り返し、偉大で公正なカルマ(因果)の法則とその働きによって人間の生と死が進行するということ、これらの事実を把握するとき、人間は「存在(Being)」の状態の中に入るだろう、その中ではすべてが可能となる。その時、すべての人間の裡に潜む力(パワー)が発揮されるだろう。それが明らかにされるとき、人間の聖なる起源が実際に顕されるだろう。人間は神である。ただそれを知りさえすればよいのである。無知のみが人間を盲目の中に迷わせており、それゆえに自分たちの栄光を知り得ない。
(『覚者は語る』─来たるべき時─p.184)

魂はグループとして二つの大法則、すなわち再生誕の法則と原因と結果の法則、を通して転生にもたらされます。支配的な法則は原因と結果の法則で、これを理解するのには幾つかの方法があります。科学的にはそれは作用と反作用の法則と見ることができ、これはご承知のとおり、正反対でありながら対等なものです。宗教的意味では旧約聖書において、「目には目を、歯には歯を」と要求する非常に厳格で、冷たく、容赦なく、しかも少々意地悪な神として見られます。しかし、キリスト教の福音書では、キリスト──イエスとして──は、ただ単に蒔いたものを刈り取る過程と呼んでいます。あなたが蒔いたものをあなたが刈り取るのです。非常に単純なので人々は忘れてしまいます。目には目を、歯には歯を、と言うほうがむしろ覚えやすいでしょう。しかし蒔いたものを刈り取るというのがより正確なのです。
私たちの思考と行動のすべてがこの法則の下で原因を始動させるので、私たちは始終原因をつくっています。これらの原因に対する反作用、つまりこれらの原因から生じている結果が、良きにつけ悪しきにつけ、私たちの人生をつくっているのです。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.383)

条件づけられた人間の活動は『カルマ』として知られており、それは原因と結果の法則に支配される。「もしあなたが人生の活動の中で無執着を実践しなければ、障害や停滞や囚われを経験する。人生は循環的(すなわち、繰り返し的)なものになる。原因と結果の法則につながれたままである。そうすると平和も恩寵も幸福も自由も救済もない。
(『いのちの法則』p.104)

それではどのようにしてカルマを取り除くか、どうやってこれに対処するか。人にあげることはできませんね。重すぎるし、誰も欲しがりません。余剰カルマの売り出しはありません。皆が十分過ぎるほど自分のカルマを持っています。それではどうしたらよいか。私たちの活動を、喜びや幸せを制限するこの重荷にどう対処すればよいか。それには非常に簡単な方法があります。奉仕と呼ばれます。奉仕はカルマを取り除くために、特に優れた方法です。いや取り除くのではなく燃焼してしまうのです。それは次のような過程で行われます。つまり、あなたは奉仕するにつれて、あなた自身にエネルギーを引きつけていきます。エネルギーを与えることによって、エネルギーを得るのです。それが法です。基本的に、それが愛の法則であり、われわれの特性を支配しており、それなしに世界は存在しません。それはまた別の意味では、原因と結果の法則そのものです。あなたが愛を与えるにつれて、原因を始動させ、その結果として愛が返ってくるのです。
ですから、法そのものがそれ自体の成就を始動させます。奉仕するにつれて、われわれは愛を具現します。愛を具現するにつれ、われわれは法によって愛を得ます。それがその個人を強くし、力を強めます。己のカルマに対処することができるのです。人が愛と奉仕の道をさらに先へと進むにつれて、自動的に人生の成り行きの影響から自分自身を引き離すようになります。様々な出来事は起こります。しかし、それが心理に及ぼす影響はますます少なくなります。東洋では「あー、それはカルマだ」という表現をします。フランスでは「あー、それが人生さ」と言います。「それが人生さ」と気軽に言えるような態度を徐々に培っていかねばなりません。もし良いことがあれば、「それが人生さ」ということは容易です。もしそれが大変なことであり、苦痛があり、われわれを不幸せにするような時にも、「それが人生さ」なのです。そのような態度で生きなければなりません。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.275)

再生誕の法則

すべての魂は「再生誕の法則」の下で転生し、そして再び転生する。魂は過去につくったカルマを片付けるために、グループ(集団)として一緒にやって来る。故にこの法則が、大昔の負債を支払い、昔の友人たちを認知し共に働き、昔の責任と義務を受け入れ、そしてずっと昔に身に付けた才能や特質を再び利用するために表面に持ち出すための機会を提供するのである。であるから、物質界におけるわれわれの顕現を支配するこの法則の中には、素晴らしい美と秩序がある。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.262)

再生誕の意義を本当に認識することが(単なる知的な受け入れ方ではなく)、リアリティ(実在)に対する西洋のアプローチ全体を変えさせることは明らかでしょう。人生は短く、残酷な、いい加減なものではないという考え、目的と計画があるということ、われわれは徐々に完成への過程をたどっているということ、何にもまして、原因と結果の偉大なる法則がわれわれの存在を支配するという考えは、人々の見解を変えるに違いありません。正しい人間関係や害を及ぼさないことがいかに必要であるかが非常に明確になるでしよう。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.268)

無害の法則

輪廻転生の過程、すなわち再生誕の法則を通して、人間はゆっくりと徐々に進化する。この法則と原因と結果の法則(カルマの法則)との関連を理解することを通して、正しい人間関係の確立のための確かな基礎がつくられる。このことを、マイトレーヤは確認なさるだろう。われわれの思考と行動が一瞬一瞬に原因を発動させ、その結果が、良いにしろ悪いにしろ、われわれの人生を形づくっているということを理解するようになるだろう。他との関係において無害であること、善意として表現される「善をなす意志」に基づく無害さの必要性を知るようになるだろう。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.125)

目覚めつつある新しい光は、人間が大いなる法則を理解し始めているという徴である──無害であることのみが人間を原因と結果の法則、すなわちわれわれの生活の基本的な法則との正しい関係に導くということを理解し始めている。これは霊的な自明の理であるが、人類はそれを理解するのに、あるいは受け入れるのに困難を感じる。そのような理解と受諾があれば、多くの不必要な苦痛と難儀を、永久に、そして瞬く間に、変えてしまうだろう。日々が経過するごとに力を増しながら、アクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーは人間が無害であることの必要性を知ることを容易にするだろう。これらの恵み深いエネルギーは融合と統合に向けて働き、そうすることで競争と独断的な個人主義への欲望を減少させる。人間がその方向に進む途上にあることを示す徴が現れ始めている。
(『シェア・インターナショナル』2010年9月号、
「覚者より」─人類の中に新しい光─)

あらゆる思考、行動が他の人々と自分自身に跳ね返る反作用をもたらすことが分かれば、無害であることの必要性が分かります。私たちの存在の根本法則を本当に理解すれば、それは私たちの世界を変えることになるのです。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.390)

マイトレーヤの教授はすでに始められており、それはあらゆるいのちを支配する法の働き方に照明をあて、人間が地上にいる目的を明らかにする。行動 (Action)がいかに反応(Reaction)を生み出すかを示されるだろう。かくして人間は、自分自身で自分たちの人生の環境をつくる。そして、人間はあらゆる状況において、あらゆる関係において、無害であることの必要性を理解するようになるだろう。
(『覚者は語る』─マイトレーヤの教え─p.293)

無害であることが、人間関係に新しい美を表していくための鍵である。行動と思考に対する新しい責任感が、すべての状況において各人を導くだろう。原因と結果の法則の理解によって、お互いに対する態度が変わるだろう。人間関係の中に、国家間に新しいより和かな交流ができ、現在の競争と不信に取って代わるだろう。徐々に人は生きる技を学び、一瞬一瞬に新しい経験を持ち込む。
(『覚者は語る』─生きる技─p.74)

犠牲の法則

偉大なる犠牲の法則は進化の過程の基本です。多くの人々にとってこれを考えるのは困難です。なぜなら彼らは、犠牲は何か苦しいものだと思っているからです。しかしそのような犠牲は“起こる”のです。光や亜原子の粒子がやって来て、「とても苦しい地点に達するぞ」と言うのではありません。
しかしあなたは、人生の中で、物事が決して以前のようではないことに気づくでしょう。以前あなたの関心を捕らえたものに対して“死ぬ”のです。以前必要だったものに対して死にます。肉体の生活に対して死にます。アストラル体の欲求や幻想に対して、メンタル体の不足や狭量さに対して死にます。なぜなら、あなたはこれらの器を超えたさらに高位に達しているからです。
魂はあなたをますます亜原子粒子、すなわち光で満たします。それによってあなたは希薄になっていきます。それはあなたの器を浄化し、希薄化していきます。低位の器の要求の声はますます小さくなり、魂の要求の声がますます強力になります。あなたがしていることは実際には地上の光を魂の光に置き換えているだけです。
物質は比較的惰性的で扱いにくいものですが、もちろん、それがなければ、人は機能することができません。進化の過程を通っていかねばなりません。物質は必要ですが、常に精妙にされていきます。進化するにつれて、これらの器は常により多くの亜原子の光によって精妙にされ、それが犠牲です。
(『生きる術』p.52-53)

魂は犠牲しか知りません。魂は進化の大計画の一部であり、そのために、己を犠牲にすることを望みます。魂は大計画に仕えるために犠牲的行為として転生する(肉体に生まれる)のです。魂は魂自体の界においては完全な存在です。ではなぜこの(物質)レベルに転生することによって己自身を制約するのか。犠牲的行為であります。魂にとっては、何十万回もの転生を必要とする長い進化の過程で、己自身の不適切な反映(肉体人間)をもって物質の中に己を縛りつけることは本当に制約なのです。やがて魂の本来の特質である愛と犠牲をそのまま反映するような乗り舟をつくることができるときを忍耐強く待ちながら、何度も何度も転生を繰り返します。そのような愛と犠牲を示すことのできる者たちを覚者方は歓迎します。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ卷』p.686)

愛の法則

人間はわたしの法を受け入れる。わたしの愛は、彼らの心に花開き、この愛の法則を通して人類は神を知るだろう。わたしの教えは、神への道を、正義と愛の単純な道を、あなたがたに示す。わたしの覚者たちは、いにしえの法規と知恵とを教え、あなたがたを、わたしの前に連れて来る。わたしは光である。わたしは法である。わたしは昇天した者である。わたしは神の意志を知る者である。わたしはかがり火である。わたしはすべての人間の支えである。
(『いのちの水を運ぶ者』第40信、p.127)

あらゆる進化の背後にある基本的衝動はわれわれが奉仕と呼ぶあの魂の活動である。奉仕は(人間)関係のなかにおいて表わされる愛の法則以外の何ものでもない。被創造物に対する神の愛がロゴス(神)御自身をして転生せしめ、惑星の形態を通して御自身を表示せしめるのである。われわれはその惑星の形態の部分である。ロゴスの心(マインド)の中にある想念である。キリストが非常に美しく描写されたように、「われわれはロゴスの夢である」。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.352)

新しい法は降る。人は新しい真理を知る。その法は愛である。その真理は、我が友よ、同胞愛である。わたしの働きによって、この法とこの真理が確実に具現されるであろう。わたしはこれを約束する。必ず、そのようになるであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第43信、p.134-135)

世界中の民衆の心(ハート)に希望と歓びが同じように持ち上がるにつれて高まっていく彼らの声を見守り、耳を傾けなさい。そのとき、あなたは車輪が回転したことを知るだろう。貧困と不正義の苦痛はもはやなくなることを、戦争の冒涜は永遠に放棄されることを、愛の法則が、このわれわれの世界の至るところに住む男女の心(ハート)の中にその正当な位置を見いだすことを、知るだろう。
(『シェア・インターナショナル』誌・2008年4月号、「覚者より」─民衆は目覚める─)

世界は人間によって変えられるべきである。これがわたしの意図である。それ以外のことを、法は許さない。だから、我が友よ、わたしの計画を実行し、新しい世界を準備する仕事を、あなたがたに依頼するのである。神の法はすべての人間に適用されることを、わたしの教えは示す。この法の外に立つものは、何も存在しない。人がこれを知るとき、単純な愛の法を喜んで受け入れ、それを顕現する。
(『いのちの水を運ぶ者』第85信、p.244-245)

再生誕の法則
覚者より ――ベンジャミン・クレーム筆記

再生誕を支配する法則に関して、人間の理解に大きな混乱がはびこる。この混乱は既存の様々な教えや解釈に反映されており、人間の無知と恐怖をさらに深める役を果たす。東洋では、数え切れないほど長い間、因果(カルマ)の不変の法則によって支配される生まれ変わりの理念について疑問が持たれることはめったになかった。その結果は、現在の環境がどのように屈辱的で非人間的なものであろうとも、それを即刻受け入れることであった。他方、西洋では、繰り返し転生するという概念は休眠状態にあり、6世紀にユスティニアヌス皇帝の煽動で教会の教えから除外されて以来、少数の人々の注目を引くだけである。もしオリゲネスの教えがキリスト教徒の信仰の本体の中に残されていたならば、生と死の事実について全く異なった態度が西洋に広まっていたであろう。
あの偉大なるイニシエート、オリゲネスは周期的転生の真理を知っており、これを教えた。生まれ変わりの繰り返し、それは「世界の主」によって始められたものであり、「犠牲の法則」の刺激のもとに進行し、「原因と結果の法則」によって支配される。教会の教えからこの真理を削除したことが、今日の明らかな無知と恐れを招いた。転生についての関心が残っている場合でも、その大部分がいわゆる前世の個人的なことについての興味に限られている。
来るべき宝瓶宮(アクエリアス)の周期には、再生誕の法則に関して全く新しいアプローチが取られるだろう。東洋では、起こることはすべて容赦なきカルマ(因果)の結果として甘受するという宿命観、何百万の人間を過酷な労働と苦しみの生活に運命づけてきた古い宿命観が支配するが、それはもはやなくなるだろう。西洋では、人間の存在の基本的原則と、これらの法則の働きが授ける個人的責任をもはや無視しなくなるだろう。人間自身が思考と行動を通して自分の生活環境をつくることを知るようになるだろう。そしてまたこの同じ法則の働きによって、人間の性質や状態をより良い方向に変えることができることを知るだろう。
これが人生の意味と目的を再評価することにつながり、死の事実についてより健全なアプローチが生まれるだろう。すべての生命──生まれていようがいまいが──の連続性に関する理解が、今日の恐怖に取って代わるだろう。死がすべての終わりという古い恐怖症は、人間の心(マインド)を照らす新しい光の中に消え去るだろう。迷信や無知の暗黒の隅々にこの新しい光が輝き、永遠なる魂としての人間の神性を目覚めさせるだろう。自分で蒔いた種は自分で刈り取るというあのキリストの格言の真の理解が、人間の存在をすべての面において変容させるだろう。人間がこの法則の公正さと論理を認めるにつれて、これまで知られなかった寛容と無害の姿勢が現在の分離に取って代わるだろう。
新しい時代は新しい見識をもたらし、人間は人生を冒険として、発見の旅路として対処するだろう──神と人間は一体であるという事実の発見、探究者の限られた視界以外に分離するものは何もないという発見、そしてすべての人間が同じゴールに向かって異なったコースを歩むということ、われわれが努力しているすべてのゴールは、認識されるのを待つわれわれの神性を実現することであるという事実発見の旅路である。大いなる再生誕の法則のもとに、われわれはその旅路を何度も何度も繰り返したどり、そしてついには自己を完成した「神の子」として、われわれ自身の理解の光の中に入るのである。
(『覚者は語る』─再生誕の法則─p.113-115)