『美(Beauty)』― 選集
『美』というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)と教え、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。
「いつの日かこの惑星は天空にあるダイヤモンドのように光り輝くでしょう」
ベンジャミン・クレーム講演会(1975年)
あの「新しい国」へ、「愛の国」へ、「信頼と美と自由の国」へ、あなたがたを連れていくために、わたしはやってくる。
わたしを受け入れ、わたしに従い、わたしに導き案内させてくれるなら、あなたがたをそこへ連れていこう。そして共に「新しい世界」を建設しよう。恐れも、不信も、分裂もなく生きることのできる世界を、大地の豊かなる資源を、共に分かち合い、わたしたちのいのちの本源と一体となる喜びを、共に入ることのできる世界を、創造しよう。
(『いのちの水を運ぶ者』第3信、P27-28)
我が友よ、わたしの手を取りなさい、川の向こう岸にお連れしよう。
狭い橋を渡るのを手伝おう、向こう岸にある美を見せてあげよう。
その美は、我が友よ、あなたがたの真我である。
我が友よ、あなたがたを援助させてください。そして共にこの世を変換しよう。
(『いのちの水を運ぶ者』第130信、p.393)
リアリティ(実相)についての、リアリティ(実相)の様相についてのすべての発見は美しいものです。それはいのちの財宝の、私たちがその中で生きている自然と呼ぶもののシステムの美しい開花です。唯一の問題は、私たちが自分たち自身をそれから分離させていることです。自然を向こうにあるものとして見ます。神は天上におり、私たちはここにいると考えます。これらの間には実際、何の分離もないのです。私たちは自然と分離していません。だからこそ、私たちは自然環境を略奪すべきではないのです。私たちは神と呼んでいるところのものから分離していません。それは私たちの存在のすべての様相の中に内在しています。私たちはお互い同士から分離していません。これは私たちが発見しなければならない素晴らしいことであります。
(『大いなる接近』p.350)
今日非常に必要なことは、あなたがたの社会の機構の変換である。我が友よ、あなたがたの文明は、死にかかっている――いや、すでに死んでいる。その灰の中から、新しい美が育つであろう。その基礎は愛と正義と分かち合いである。これをあなたの目標としなさい、我が友よ、そして神の意味を知りなさい。これをあなたの目標としなさい、我が友よ、そして満たされた幸せな生活の意味を知りなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第107信、p.319)
すべての側において古い体制が崩壊しつつある形跡がある。往古の憎悪が人々を分割し、無法がはびこる。しかし、至るところで新しい精神が人間の中に目覚め、あらゆる形態の生命に対する新しい責任感と新たな敬意が目覚めつつある徴が見られる。
この新しい美の顕現は無数にある。人類の前に開かれる未来のビジョンは多く、驚くべきものである。人間は未だ新しい始まりの門口に立っているにすぎない。しかし、見る目を持つ者には、すでに進歩の徴が見える。
(『覚者は語る』―勝利は保障されている―p.83)
必要に迫られて、人々は再分配の可能性とそれから必然的に生じる正義に新鮮な目を向けるのに気づくだろう。そしてそれが良いことを知るだろう。このようにして、一歩一歩、人間は、貪欲と搾取で築かれた彼らの壊れた殿堂を、すべての人々の必要に応える素晴らしいものに変容させていくだろう。かくして、マイトレーヤは人間をこれまで見たことのなかった霊的な旅路のために整えさせるだろう。その旅は、やがて人間を本来の彼ら自身の姿である神にしていくだろう。
(『覚者は語る』―未来の声―p.518)
キリストはこの「いのちの贈り物」を授けられるだろう、そしてご自身を、「水を運ぶ者」として、すべての人間の解放者として明らかにされるだろう。ずっと昔に予言されたように「より豊かないのち」を携えてこられるだろう。この「より豊かないのち」と共に新しい創造性が生まれるだろう。人間から、これまでのものをはるかに凌ぐアイディアや発見が豊かに流れ出るだろう。これらはすべて、宇宙の法則に沿って行われる。自然はその秘密を放棄し、宇宙は人間の探究心に屈伏し、このようにして得られた知識は全体的な福利に仕えるために提供され、地球上のすべての生命を美しく、豊かにするだろう。
(『覚者は語る』―いのちの贈り物―p.29-30)
神の計画は従わなければならない一定の規則ではなく、私たちの生活の霊的基盤の中心にあるものなので、それ自体に内的美、つまり内的関連性を持つアイディアなのです。私たちが正しい関係を実施するとき、私たちは自動的に機構――政治、経済、社会――を創造します。それが計画を実施することを可能にするのです。抽象的に起こることではありません。この濃密な物質界で実施されなければなりません。
(『大いなる接近』p.224)
世紀から次の世紀へ、順を追って、人間の神性をますます顕現する文明を人間は築いていくだろう。聖なる創造の美のすべての様相が表現される文化をつくるだろう、それは神のイデア(理念)の栄光が映し出される鏡である。
このようにして人間は、神の大計画のもとで、ものごとの体系の中における人間のその位置を占めるだろう。このようにして、マイトレーヤのインスピレーション(鼓舞)のもとに、人間はこの
――恐怖と独断的教義と憎しみによって分裂された――世界を変容させるだろう。愛の法則が支配し、すべての人間が兄弟であり、聖なる特性にかかわるものはすべて人間の注目を引き付け、それが人生をコントロールするそのような世界に変容させるだろう。このようにして神についての人間の夢は実現され、その潜在力は達成され、人間の運命は全うされるだろう。
(『覚者は語る』―新しい文明―p.37)
再生誕は、神がその代理者=われわれ自身=を通して、正反対の極=物質=に下降し、そしてその物質を、完全に御自身の特性の浸透したものとなして、再び御自身の下に戻すことを可能にする過程である。創造のなかでとてつもなく興味深い、美しいことが起こっている。その美、その精妙さ、その論理、そして創造的変化への機会は驚嘆するものである。それは固定した機械的なものではなく、非常に美しい、生きた過程である。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.156)
子供の美しさは転生している魂のあらゆる志向を持っており、しかも全く懐疑心や冷笑で汚されていないことです。子供はこれが世界にとって最善であることを知っています。子供は言います、「もし世界に病気があるなら、魔法にかけてなくしてしまえばいい。世界中の病気を全部魔法のように消してしまえたら、どんなに素晴らしいだろう」と。子供は皆、世界の病気を取り除くために魔法というアイディアを使いたがります。全く非利己的な志向です。心(ハート)が語るとき、キリストのエネルギーが人類の心(ハート)を通して流れ、私たち一人ひとりの内にあの幼年期の純粋な志向を目覚めさせるとき、世界は彼の方に向くでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第3巻』p.286)
地球が、生きている存在として、その全体にとってそれぞれ欠くことのできない各部分をすべて整えた完全な存在として見なされるとき、新しいビジョンと新しい正常さが普及するであろう。 人間は自然の秩序の世話人として自分たちを見るようになるだろう。大計画に沿って、人類の上位も下位も、それぞれの王国が関連し合い、和合と美の中に機能することを前もって定められているのである。
(『覚者は語る』―人間の役割―p.139-140)
「マイトレーヤの旗印」のもとに愛において団結し、人間は星々への新しい通路を創り出すだろう。人間が自然の神秘を探究するにつれて、自然はその秘密を明け渡し、すべての底に横たわる秩序だった美を明かすだろう。
(『覚者は語る』―光の時代―p.246)
あなた方の兄たちであるわたしたちには人間の前方に広がる輝かしい未来の輪郭がますますはっきりと見える。今日の最も創造力に富む洗練されたマインドを持つ人々を驚嘆させるだろう科学の青写真が見える。また人間がいまだかつて見たことのない美と創造的パワーを備える芸術が見える。
とりわけ、規模において人間の歴史に前例のないこの創造力の放出は、人類が通っている大いなる内的変化――「いのちの法則」のうちで生きることを学ぶこと――の必然的結果であることを、わたしたちは認知する。
(シェア・インターナショナル誌2008年6月号、
「覚者より」―人間が振り返って見るとき―)
マイトレーヤの臨在と模範を通して、人間は神の特性を理解するようになるだろう。そしてその神性に劣るまいと努力する気になるだろう。かくして人は喜んで神の特性の美を顕すようになり、彼らの周りにその反映を創造するだろう。かくしてマイトレーヤの特徴である愛と智恵に恵まれた輝かしい文明が育つだろう。彼はご自身の、そして人間の業績をご覧になり、満足されるだろう。
(『覚者は語る』―マイトレーヤの教え―p.293-294)
わたしたち覚者の仕事は、正しいバランスを維持する道に沿う新しい社会の発展を監督することであり、人間の必要を侵害するものは何であれ、わたしたちの推薦を受けることはないだろう。美と適合感が試金石となるだろう。見苦しくて機械的で人間の精神(スピリット)に害のあるものはすべて避けられるだろう。目標は、人間とその環境との間に正しい関係を完全な自由と調和のうちに維持することであり、そしてテクノロジーと科学の発達すべてが人間の必要によりよく仕え、実在(リアリティ)の特性をよりよく知ることの助けとなることを保証するだろう。
このようにして、新しい機構の中に必要な安全装置があらかじめ設置されるのは確かである。いのちの高揚とその形態を美しくすることに関連することはすべて、わたしたちの祝福を受けるだろう。公共の福利に仕えるものはすべて、わたしたちの支持を得るだろう。
人間が彼らの環境との新しい関係を築く時がやって来る。人間と自然と神とは一体であるという意識に沿って、その真理の顕現を可能にする形態を人間はつくるだろう。総体のすべての側面との間に密接な接触(コンタクト)と自由な交換が行われるだろう。人生の意味と目的についての確かな知識が現在の混乱に代わり、これまで知られたことのない美の表示につながるだろう。真なるもの、善なるもの、美しいものが人生の中で現実となるだろう。
(『覚者は語る』―新しい時代の生活―p.53-54)
もし火星人がその宇宙船を地球に着陸させて、あたりを見回すとすれば、周囲の環境に絶対に驚くに違いない。彼が田舎に行く使命を持っているのでない限り、地球人が世界中の非常に多くの都市や町の絶望的な単調さとむき出しの醜さをどうやって我慢できるのか、不思議がるだろう。おびただしい極貧層のみすぼらしさが、大金持ちの非情で無味乾燥な露骨さと対比される。地球上どこを見ても、巨大な蟻の巣のようなオフィス街が大地を覆い、ほぼ類似した立方体の果てしない軒並みに囲まれている。その中で疲れ切った蟻たちは眠って回復する。もちろん、火星からの友は、この至るところに見られるいのちを否定する凡庸さには例外があることを発見するだろう。しかしそれは(例外は)みな過去の遺物であり、観光客を楽しませるために誇らしく維持され保存されているということを発見するだろう。その間、その土地の人々は沈黙の羨望の中でなんとか生活している。
もちろん、上記は風刺的な描写である。しかしマイトレーヤの優先事項の中に、都市の美化があるのは、理由がないわけではない。都市というものは単にお金を稼いで、その果実を楽しむ以上のものである。それはセンター(中心)であり、磁石であり、人々の集団を共に引き付けて、すべての者の意識を高め、豊かにする。それは、国家の魂が顕現され、至るところにいる人々の業績に光彩を与えることができる場所である。であるから、都市は美しいところであり、多様性と色彩を持ち、瞑想や休息のための静かな領域をたくさん備えたところであるべきである。大き過ぎるべきではない。多くの近代都市はその市民を惹きつけるよりも、むしろ追い払う。
(シェア・インターナショナル誌2008年5月
「覚者より」―明日の都市)
建築はいつも特定の時期と文化を定義する芸術です。それが絵画や音楽など他のすべての芸術の色合いを定めます。建築は最も大きくて、最も重厚で、最も物質的な建物であり、アイディア(概念)のみではなく石やコンクリートに体現されているアイディアをも含みます。それは時間がかかり、儀式的秩序の第七光線を必要とします。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.54)
人間は潜在的な「神」であるということを、あなた方は何度も聞いた。それは空虚な言葉ではなく、人間の特性および存在についての確かな真理である。その真理が立証され、すべての者に見えるように表現されるのは、時間の問題にすぎない。
覚者たちは彼らの持つ無害性と智恵と愛という贈物を提供して、達成という港に向けて安全に人間の船の舵を取るだろう。そのようになるだろう。やがて、人間は自分たちの正当な場を占めて、すべてのものの利益のために覚者たちと共に働くようになるだろう。そのようにして、人々はいのちと愛の法則を学び、比類なき美の未来を形づくるだろう。
人間がこの時を振り返って見るとき、それを「神の恩寵」への踏み石として見るだろう。今日の混沌とした騒乱はただの騒乱ではない。この混乱から新しい形態が生まれ、それが新しい文明を飾るだろう。新しいより良い形態が、至るところに住む人々のために寄与し、すべての者のハートを喜ばせるだろう。
(シェア・インターナショナル、2009年6月号
「覚者より」―顕現しつつある人間の神性―)
美はある形態――数学、音楽、芸術――に具体化された宇宙の、実在の本性です。それは波動への反応であり、何らかの形態をとった実在の、その波動のカプセル化です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.471)
美は神のイデアの表現であり、私たちがそのイデアの啓示に表現を与えることができるとき、美が創造されます。これはすべての偉大なる絵画、音楽、詩や文学、世界中のすべての偉大なる科学的発見の背後に、すべての偉大なる直観、私たちが住むリアリティ(実相)の特性についての宗教的表現の中にあります。それらすべてが美を達成し、神の輝きを達成します。その輝きは人が最高のものに、いのちの最も神秘的なものに触れているときにのみ発見されます。いのちの意味と目的を考えるときに美が生じます。
(『協力の術』p.279-280)
第4光線が理想的に完全に行うことは、私たちに神の美のイメージを与えてくれます。神の美は多様です――私たちが色とか美しい音とかメロディーと呼ぶもの;輝き調和するもの、これらはすべて神の美です。第4光線はあらゆる異質の要素を混合し、豊かにし、一緒にする頼向があり、これらの対立したものを混ぜ合わせていく中に新しく美しいリアリティ(実体)が明らかにされます。対立するものを関連づけ、混ぜ合わせ、詞和させることで、芸術に、そしてそれが適応されるとき人生に、文明に、ダイナミック(躍動的)な美を与え、したがって輝きを与えます。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.490)
それがモーツァルトの中に見られるとき(モーツァルトは第三段階のイニシエートですが)、美を求めて天国をくまなく探す第4光線の能力に最大の表現を与えるためにすべてが集中されました。というのは、それが芸術家のやることだからです。彼は天を探索し、リアリティ(実在)の波動を探し求めます。それが形態を取って表現されるときに美を創造します。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.471)
レンブラントは乞食を描いて、その人を聖者のように見せることができました。それは理想化することによってではなく、完全な写実主義を保ちながら、彼のモデルに例外なく、彼自身の美しく優しい第2光線の魂の特質を与えることで、そうしました。
オランダのアムステルダムの美術館にある『ユダヤの花嫁』はおそらくあらゆる絵の中でも優しい愛を表現した最高の絵の一つでしょう。人体の解剖的構造をいくら勉強しても、ここで表されているとてつもない優しさのような情緒を明確に表現する器として描くことはできないでしょう。非常に少数の画家のみが、リアリティ(実相)をあたかも実際に起こっていることのように描く能力を持っています。それは想像力の中にある能力であり、目にあるのではありません。おそらく彼は意図的に愛と優しさに溢れた絵を描こうとしたのではないでしょう。多分、彼の2光線の魂の内的ビジョンを実現するという技術的問題に完全に熱中したのでしょう。
(1994年8月号 レンブラント、p.24-25)/
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.436)
レンブラントによって描かれた美しいキリストの肖像画がミュンヘンにあります。それは多分キリストとは程遠い普通のどこにでもいるような男性をモデルにして描いたものでしょう。しかし、レンブラントは2光線の魂の共感によって、素晴らしく高貴な品格と悲劇的な美しさを表現することができました――キリストのようなイニシエートを連想させるような特質です。レンブラントは、彼自身高度のイニシエートであり、その洞察によって、2光線の魂の愛、優しさ、忍耐力を通して常に意味の世界を見ていました。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.437)
『モナリザ』が、その複製画しか見たことのない世界中の無数の人々の想像力をこれほどまでに捕えるのには理由があるはずです。なぜなのでしょうか。ダビンチが4.4段階のイニシエート、つまりほとんど覚者であったという事実に人々が(無意識に)反応しているからだと私は思います。ダビンチが一般的な人間が生きる三つの界――物質界、アストラル界、メンタル界――で、もはや働いていないことを感じ取ります。彼の絵は4光線と7光線の活動を通して――つまり色彩と形態の間の関係を通して――表現されるリアリティ(実相)の美しさを霊的意味、さらに宇宙的意味において表現しています。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.439)
間もなく、新しいエネルギーがわれわれの生活の中に入り、人々を創造的行動へ鼓舞するだろう。新しい調和の取れた刺激が芸術および生きる技に与えられるだろう。以前には見られたことのない美が人間のあり方を変え、神の特性を照らし出すだろう。
人は、今や啓示を受ける用意ができている。人の心(ハートとマインド)は用意ができており、未来に向けられている。そして人は、用意を整えたことによって喚起したあの栄光を待つ。
(『覚者は語る』―生きる技―p.75-76)
新しい時代が、正義と自由と平和の時代が創られつつある。来るべき時代には、すべての国々の国民は、より良き人生についての、意味と目的についての、美と理解、正しい関係と愛についての、彼らの夢と希望の成就を見るだろう。毎日毎日が内的、外的な新しい発見をもたらし、毎時間が奉仕への機会をもたらすだろう。そのようになるだろう。そのようにして、男も女も子供も、一人ひとりが、われわれすべての裡にある神を称えるだろう。そして、神の多様な面の美をそのあらゆるバラエティの中に顕現させるだろう。
(『覚者は語る』―束縛の終止―p.604-605)
来るべき時代に、あなたがたの想像を超えるうるわしさと奇しき御業をみせてあげよう。それこそは神の子としてのあなたがたが生まれながらに持つ権利である。
(『いのちの水を運ぶ者』第1信、p.22)