現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2013年 5月号 フェアの楽しみ

フェアの楽しみ

編集長殿
私たちのグループはバンクーバーで、2013年2月15日から18日の週末にかけてのフェアにブースを出しました。私のパートナーのジェシーと私は土曜日の午後に担当をしていて、その時、彼女がとても興味深い男性と会話を交わしました。彼は70代中頃から後半に見え、(彼の国籍を正確に指摘するのは少し難しいことでしたが)おそらくアジア系で、身長は150cmくらいでした。彼は普通の洋服を着ていて、杖をついて歩いていました。彼はその日早くに来ていましたが、世界教師について私たちが提供している情報を、聞きたいかどうかジェシーが尋ねた時、あまりにも教師だらけなので、人は言われていることの中の真実を確信できないという返事でした。ジェシーは彼に同意し、人は識別をしなければならないと言いました。その訪問者はその後、私たちのブースから移動していきました。
その日の午後遅くに彼が戻ってきて、ベンジャミン・クレーム氏の本の展示をじっくり眺め始めました。ジェシーが熱心に彼に近寄っていき、「戻ってきましたね」と声を掛けていました。その男性はジェシーに物事の幅広い分野について話し始めて、会話は30分ほども続きました。私たちにとって非常に興味を引かれたことの一つは、彼が人生の目的とは何かということを熟考してきて、それは奉仕することだという結論に至ったと語った時でした。唯一大切なことは奉仕であり、見返りに何も期待すべきではなく、終わればただその場を去って振り返らないことだと彼は言いました。また彼は自分が教師で、教えようとすることを生徒たちが聞いても学んでもくれないと不平を言っていた、ある学校の先生に話をしていたと言っていました。彼はその先生に子供たちが退屈していること、教えようとしていることを彼らは前世からすでに知っていて、その知識を自分たちから引き出すことが困難なために、挫折感が引き起こされてしまうことを伝えました。ジェシーがどうやって子供たちを助けられるのか尋ねると、彼はとても難しいと答えました。彼はまるで前世のことを引き合いに出すのは世界で最も自然なことだとでもいうように話をしていました。彼はまた非行少年たちにも教えていると言っていました。
彼は話している間ずっと笑ったり微笑んだりしていて、押し付けになるような独断的な、あるいは狂信的なことは決して言ったりしませんでした。彼はとてもリラックスした様子で、真っ直ぐにジェシーを見つめていて、私がすぐ近くに立っていても、グループのメンバーたちが何人もテーブルの向かい側に立って会話を聞いていてもそのままでした。彼は6年間家に引きこもっていて、その日が初めての外出で、この展示にやって来たと言いました。人々が腰を下ろすように言ってくれたけれども、彼はどのくらい歩いていられるか知りたかったとも言っていました。メンバーの一人が彼にどこから来たのか尋ねました。彼は住んでいた場所のいくつか(ほとんどはアフリカの様々な国)を話してくれただけで、直接質問には答えませんでした。彼はひどいことも見てきたと言いました。彼はこちら側がどんな風か見てみようと思い、世界を半周してバンクーバーにやって来たのです。彼は40年前に来て、多くの様々な職に就きました。彼が最後に言ったことの一つは、シンプルに食べるべきだということでした。ジェシーは「シンプルに」という言葉が聞き取れなかったので、どういう意味かを彼に尋ねました。人々は地面からにんじんを収穫し、それをより大きくしたり、小さくしたり、他のものに変えたりするが、そのようにして食べるべきではないと彼は説明してくれました。
彼は会話が終わりに近づいていて、彼も帰るつもりだということを実際には言い表したりしませんでしたが、それはあたかもただ彼が十分だと決めたというようでした。彼が帰ろうと体の向きを変えた時、手を差し出してくれたので、私たちは温かなしっかりとした握手をしました。私はその方がマイトレーヤなのかイエス覚者なのか考え続けていて、彼はどのような名前を名乗っているのだろうかと思ったので、彼に名前を尋ねました。彼は歩いて帰っていきながら、一瞬立ち止まり、生意気そうな笑みを浮かべ、瞳をキラッとさせて、「ガブリエル。でも輪っかなしのね!」〔訳注:ガブリエルは天使の名〕と言って、指で宙に小さく円を描きました。
彼が去ってから、ジェシーが彼から話しかけられていた間中、「これはマイトレーヤだわ」と思っていたと言っていました。どうか彼がマイトレーヤかあるいは覚者のお一人だったのか、もしかしてただ面白い男性だったのか教えていただけますか。
レイ&ジェシー・ショウ
カナダ、バンクーバー
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

ダイレクトなアプローチ

編集長殿
私は2012年にロサンゼルスで約50人に講演をしました。講演後、小柄で年配の、きれいなオレンジ色のスーツを着た女性が私の所へやって来て、素早く私をハグしました。私をハグしている間、彼女は私の耳に向かって、「あなたのエネルギーが大好きよ。あなたの講演が大好きよ。あなたの話しぶりが大好きよ」というようなこと、あるいはそれに似た言葉を囁いてくれたのです。私は彼女の素早いハグと反応にあまりにもびっくりしてしまい、不意打ちを食らって、ちゃんと聞いていませんでした。私は彼女にお礼を言って、彼女が大好きだと伝えると、彼女も同じ言葉を返してくれました。彼女は、背の高い頭がはげかかった無口な男性と一緒でした。それから満面の笑みを浮かべた二人から、私がまたすぐに講演をするかどうか尋ねられました。来月には講演する予定だったので、この講演のパートナーであるリンと私は彼らに日時と場所を伝えました。彼らは特別な方たちでしたか。
ディック・ラーソン
米国、カリフォルニア州ロサンゼルス
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者で、男性がイエス覚者の弟子であったことを確認した】

もう一つのサッチャーの遺産?

編集長殿
2012年6月3日、女王のダイヤモンド・ジュビリー(即位60周年祭)での川の催しの間、テムズ川の小型船隊が見たくて、バタシー公園まで自転車で降りていきましたが、公園の門の所で警備に止められて、私の地元の公園に入るためのチケットを見せるように言われました。少しむっとしながら、私は警備の人にどこでチケットをもらえるのか尋ねました。彼は公園の外のチケット売りを指し示しました。もう始まっていることでチケット屋をもうけさせたくなかったので、私は群衆の間を歩いてチェルシーブリッジまで行って、そこから小型船隊を見ようと思いましたが、チケットがないと川を見ることのできる橋の先端まで行くことができないとわかりました。すると一人の警官がやって来て、皆に橋から降りるよう言ってきました。私はいらいらしてものすごく頭にきていました。一人のすてきな男性が微笑みながら近づいてきて、私たちは川を見ようとして同じようにうまくいかなかった不満を述べ合ったのですが、すぐに二人でそのバカバカしさを明るく笑い飛ばせるようになりました。彼は30代くらいのアフリカ系で、髪をきれいな長い三つ編みにしていました。彼は覚者でしたか。
私は自転車で家に戻り、テレビでイベントを見ました。
ノエル・グリン
英国、ロンドン、ハーンヒル
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】