きっかけ
編集長殿
2008年5月10日のベンジャミン・クレーム東京講演会で、私は妹とマイトレーヤの手のカードとベンジャミン・クレーム氏の曼荼羅絵画の小冊子のコーナーで案内係をしていました。
開演の一時間ほど前、すでに私たちのコーナーは人混みでいっぱいでした。ふと見ると、私たちの前に立ってきょろきょろと体を左右に動かしていた男性が、突然大声で聞いてきました、「マイトレーヤは生きてるんか?」。その男性は65歳くらいで小柄な方でしたが、あまりにはっきりと鋭い問いかけでしたので、私は胸にぐさりと矢が刺さったような衝撃を感じてうろたえてしまいました。私たちはお答えしなければと言葉を探していましたが、何と言っていいのかわかりませんでした。ついに私が「公には出ておられませんが……」と言いました。
「生きているのか死んでいるのかわからんのか? それならこんなもんインチキや!」とその男性は大きな声ではき捨てるかのように言い、帰っていきました。2、3人の方が困惑した顔つきでその男性を見ていましたが、ほとんどの方はその男性の声が聞こえていなかったかのように、続けて手のカードや小冊子を見ていました。その男性は「いんちきだ」と言いながらも、「本物だよ!」と周りのみんなに言ってくださったように、妹と私は感じました。その男性のテンポがあまりに速くて、私たちは圧倒されてしまい、会話できる状態ではなく、彼のシンプルな質問にも答えられませんでした。けれどもその後、たくさんの方から声をかけられ、私たちは何とか自信を持って対応し、この情報の説明をすることができました。あの男性は特別な方でしたか。
U.M.
日本、滋賀県
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】
次の2通は同じ人からのものです。
案内のモットー:
「備えておきなさい」
編集長殿
(1)2008年5月10日にベンジャミン・クレーム氏東京講演会で、姉と私は案内のコーナーを担当していました。たくさんの方が来られ、声を掛けてくださいました。そのなかに40代ですらりと背が高く、長い黒髪のご婦人がいました。彼女はしばらく姉と話をされてから私の方を向いて「マイトレーヤは生きているのですか?」と聞いてきました。私は先ほど同じ質問に答えられなかったのを不甲斐なく思っていましたので(前出の手紙「きっかけ」参照)、はっきりと「はい、生きておられます」とお返事しました。彼女の髪は不自然なほど真っ黒で、前髪は市松人形のようにまっすぐにカットされた古風なヘアスタイルでした。そして彼女は「覚者はいつ出て来られるのですか?」と聞いてきましたので、「私たちの日常生活の中に善意が現れ始めたら出て来られると聞いています。私たちの意識が大切なのです」と答えました。
私のつたない説明にもかかわらず、彼女はにこやかに笑みを浮かべて、さらに覚者方は何人おられるか、どこにおられるかなど質問されました。私は必死に説明しましたが、うまく答えられない点をお詫びしました。「チベットの問題とか、そういう人間の争いが解決すると、マイトレーヤは出て来られるのですね」と彼女はにっこりとされ、十分に理解されているようでした。彼女は特別な方でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『婦人』はイエス覚者であったことを確認した】
見守る人
(2)午後8時30分頃、東京講演を終えて私たちが後片付けを始めようとした時に、眼鏡をかけた55歳くらいの小柄な男性が来られました。彼は手にいっぱいのゴミや丸めた新聞紙を持ち、私のそばのゴミ箱に捨てました。彼がうろうろとトイレを探しているようでしたので、案内したところ、階段を上っていかれました。彼は戻ってきて、マイトレーヤの『手形』のパネルを見て、「これは何?」と尋ねてきました。姉が「スペインのバルセロナにある家の浴室に現れた、マイトレーヤの手形です」と答えました。彼は顔を近づけて見て、「マイトレーヤがその浴室に来て手形をつけたの?」と聞かれました。姉は、そこに来られたのではなく、思念伝達で『手形』を現されたと伝えました。彼は意味がよくわからない様子だったので、さらに姉がマイトレーヤは全知遍在の方なので、そういうことができるのですと話しました。その男性は「全知遍在?」とつぶやきながらも、関心なさそうに帰っていかれました。彼は酔っ払っているような感じでしたが、私には、彼がすべてを知っていて、そういうふりをしているように思えました。彼は最後に会場を出られた方となり、私たちが仕事を終えるのを見届けて行かれたように感じました。
彼は特別な方でしたか。
N.H.
日本、滋賀県
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が東京の覚者であったことを確認した】