ベンジャミン・クレーム東京講演
2008年5月10 日比谷公会堂
変化の時は来た
皆さんこんにちは。東京に来ることはいつも私の喜びであり、今回も例外ではありません。この講演会を主催し、私の話を伝える機会を提供してくださった関東地区の伝導瞑想グループの皆様に感謝いたします。
ロンドンと東京では8時間の時差があり、私が日本に着いてからまだ数日しか経っておらず、時差の影響を強く受けておりますので、話の途中で居眠りをすることがあっても、それは退屈からではなく時差のためであることをご了解ください。また疲れを知らない通訳の石川氏はこの数日間、風邪のために声を失って、本当に声が出なくなってしまいました。今、これでも彼女は精一杯叫んでいるのです。この二人の老いぼれが困難な条件の下でベストを尽くしますので、皆様の寛大なご協力をお願いしたいのです。(拍手)
今日はこのように大勢の、満場の聴衆を迎えて非常にうれしく思います。まず、特に、初めてこの話を聞きに来られた方に申し上げたいのですが、私は次のような質問をよく受けます。「クレームさん、あなたの話は非常に興味深いものです。他の人の話とはずいぶん異なったことをたくさん言われます……でも、なぜ私があなたの言うことを信じるべきなのか教えてください……」つまり、彼らは、私の言うことが真実であることを証明してくれ、と言っているのです。
私が話すことは予言的な性質のものであり、予言はそれが現実になるまで証明することができません。ですから私は彼らに、いつもこのように言います――私はこれをあなたに証明しようとしているのでも、信じてくれと言っているのでもありません。今の時代に起こっていることについて、私が理解し、信じていることを伝えているにすぎません。ただ伝えることによって、私の仕事は達成されるのです。もしあなた方がそれを信じるか信じないかを気にしていたならば、私はとうに神経衰弱になっていたでしょう。私は時差ボケで、年老いてくたびれているかもしれませんが、まだ神経的に参ってはいません。
私が望むことは、皆さんがこれを必ずしも信じるかどうかではなく、心(マインド)を開いて聞いてくださることであり、はなから拒絶しないでいただきたいのです。人はよく言います――「オープンマインドだって? もちろん私は心(マインド)が開いているよ」と。そうでしょうか。私の長い経験によれば、本当にオープンな心(マインド)を持つ人は、想像するよりも稀であります。もちろん私たちは皆、自分はオープンマインドを持っていると想像します。しかし実際には、私たちが考えること、信じることのほとんどが、赤ん坊のときから条件づけられてきたことの結果です。オープンな心(マインド)を持つのか、自由な心(マインド)あるいは閉ざされた心(マインド)を持つかは、私たちが育ってきた環境、先生たちや両親、どんな学校に行き、どの国で育ったかなどによるのです。これらすべてが私たちの考えや経験を条件づけます――自由に自分自身で物事を考えることができるのか、あるいは条件づけられた環境の中で生きているのか、を決めます。
もちろん私は30年以上もこの仕事をしていますから、自分が話していることが真実であることを確信しています。現在、私たちは途方もない変化の時に、想像し難いほど大きな変化が、人類にとってより良い方向への変化が起こっている時代に生きています。戦争や竜巻やその他の恐ろしい出来事、苦難やストレス、緊張は通り過ぎていく一時的なものであり、新しい文明の産みの苦しみです。その新しい文明を築くことは私たちの特権であり、責任であります。あなた方が私の話を信じようが信じまいが、もし今日、帰途につかれるとき、あなた方の将来について、あなた方の子供たちの、そのまた子供たちの将来について新たな希望を抱いてお帰りになるならば、私は満足です。
新しい宇宙の周期
私たちはいま地球上における途方もない変化の時を通っています。実際、少なくとも三つの途方もない出来事が同時に起こっています。したがって、変化の必然性があるのです。
一つは、私たちが新しい宇宙の周期、「新しい時代」に入ってきているということです。アクエリアス(宝瓶宮)の時代と呼んでいます。これはいわゆるニューエージのグループが考え出した幻想ではなく、科学的な天文学的事実です。
この太陽系は天空を、黄道帯を巡っており、一周するのに約2万5千~6千年かかり、その過程において、黄道帯上にある12の星団と次々に直接的なエネルギー的整列関係に入ります。ですから約2,150年ごとにそれぞれの星団から放出されるエネルギーの影響圈内に入ります。過去の2,150年の間、この太陽系はパイシス(双魚宮)星団と整列関係にありました。したがって過去の2千数百年の間、この惑星はパイシス(双魚宮)のエネルギーで充満しており、見るものすべて、政治、経済、宗教、社会、科学、教育、芸術等々のすべてがパイシス(双魚宮)のエネルギーに人類が反応した結果つくられたものです。
現在、この太陽系は新しい星団、アクエリアス(宝瓶宮)の星団との整列関係に入って来ており、私たちはアクエリアス(宝瓶宮)の時代に入っています。太陽が1625年にその影響圈から移行し始めるにつれて、パイシス(双魚宮)星団のエネルギーは後退し始めました。アクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーは1675年に流入し始めて、徐々にその強度と影響力を増してきています。今日、まだパイシス(双魚宮)のエネルギーの方が少しばかり強いのですが、大体ほぼ同じくらいの強度で、両方のエネルギーが地球に影響を及ぼしています。
ですから問題は、同時に2種類の大いなる宇宙のエネルギーの影響下にあることから発しています。私たちは一つの時代から次の時代への困難な移行期に生きているのです。世界の人口の約半分がまだ強烈にパイシス(双魚宮)のエネルギーに影響されており、パイシス(双魚宮)的に考え、行動しています。残りの半分(半分よりは少し少ないですが)は、新しいアクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーの影響の下で考え、感じ、行動する方法を探り始めています。
これらのエネルギーは特定のアイディア(概念)を包含しています。パイシス(双魚宮)のエネルギーの強い影響の下で、今日の競争思考が培われました。すべての人間が幼児のころから、生きて勝ち抜くために競争しなければならないと教えられています。あたかもある人々は勝利者になる運命にあり、ある人々は敗者になるように運命づけられているかのように、人生の勝利者と敗者が存在します。それが、人類がパイシス(双魚宮)のエネルギーを扱うにつれて培ってきた特質の本質です。
パイシス(双魚宮)のエネルギーは偉大なる特質を、理想主義の特質と献身、そして個人性の特質を私たちに与えてくれました。過去2,000年余の間、全体としての人類が個としての特質を発展させ、顕してきました。残念ながら、個人性を強調するあまり、競争や分裂をつくり、人類をほとんど破滅に導きました。個人性が強調され過ぎて、狂信性を生み、これが今日の世界に現われています。均衡感覚が全くありません。人々は自分の個人性、自分自身の理想、それが何であってもその理想に狂信的に献身しています。
均衡感に欠けるとき、必然的にバランスを欠き、平衡を欠きます。もしあなたが日本人ならば、日本人が最も賢くて善人だと考えます。アメリカ人ならば、アメリカほど神に祝福された国はなく、世界中の誰よりも善良で、知的でよく働く国民はいないと考えます。フランス人も、ドイツ人も、中国人もみな自分たちの国が最も賢く、最高の国だと考えます。このばかげた考えに狂信的に固執するのです。単なる考えにすぎないのです。
他方、アクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーの特質は、パイシス(双魚宮)とは全く異なります。それは私たちが統合と呼ぶ特質です。あらゆる異なった別々のグループを和合させ、統合させ、それぞれの個性や違いを保ったままひとつの総体の中に融合させ混合させる特質を持ちます。至るところに戦争があり、次々に危機が起こり、投機と貪欲が生活のすべての分野に影響を及ぼす今日の分離した、全く崩壊した世界が、徐々に、統合が支配する世界に、そして各人は統合された全体の一部であるというようになる世界を想像できますか。
今日、何もかもが機能しません。人々が何を試みようが大きな違いは起こりません。世界の諸々の政府は過去のやり方で、過去の考え方や行動様式で、今日のそして将来の問題に対処しようとしているので、何をやっても成功しません。過去のパイシス(双魚宮)時代のやり方なのでうまくいかないのです。ですから一時しのぎのことをやっており、将来についての真のビジョンを持ちません。私たちは新しい世界にいるのです。人生への要求も必要も、全く異なります。個々の人間もまた途方もない変化を通っており、したがって過去のやり方で新しい世界を創造することは不可能です。
原子爆弾の開発とそれの日本への悲劇的な投下の結果、それが非常に致死的な武器であり、もし将来の大きな戦争に使われるならば、地球上の人間や人間以下の生命もすべて破壊するということを世界の諸政府は知っています。ですから、世界の大国はその武器が使用されることのないように様々な試みや操作をしており、今後その武器の使用はタブーと考えられています。しかし現在のイラクでのように、より小規模な戦争は考慮に入れていません。大きな戦争が起これば地球上の生命の終わりです。
商業主義
原子爆弾の開発で頂点に達したあの世界大戦をつくり出したエネルギーは、ただ単に立ち消えになったのではありません。あのエネルギーは世界中を巡り、新しい手口を、宿り場を探し、それを見つけました。商業主義です。戦争に注ぎ込まれたすべてのエネルギーが経済に、市場フォース(エネルギー)に、一言で言えば、人間の生活の商業化に注がれました。商業至上主義の目的、目標はただ一つ、最大限の金を儲けることです。
今日、金儲けは、商業至上主義は、新しい‘宗教’として崇拝されています。それが人間生活のすべての面に浸透しており、人間を、人間の必要を、ますます2次的なものにしています。会社の運営の商業的利得のほうが、その組織の労働力である人間よりも重要なのです。その企業が世界的状況のせいでうまくいかなくなると、最初に起こるのは人員解雇です。ますます多くの人々が捨てられています。先進開発国の失業率は今日非常に大きく、世界の多くの国にとって主要な問題ですが、それは現代のテクノロジーの結果、いやテクノロジーの間違った応用の結果です。人間がオートメーション・テクノロジーに置き換えられるにつれて、必然的に雇用に向かない人々の余剰ができてきます。それが先進開発国、G8の国々全体に起こっています。
この商業主義が私たちの生活のすべての面に、例えば医療にも教育にも入り込んでいます。この世界は人間のものであり、すべての人間のためのより良い生活が目標でなければならないのに、生活の質はますます低下していきます。ますます多くの人間がチェスゲームのポーン(あるいは将棋の歩)のようになっており、人間の生活や仕事や必要は、商業的目標に照らして検討されています。それに合わなければ、歩の駒のように取り除かれます。人間の必要は、世界を支配している人々の心(マインド)にありません。
ですから、人々が不幸せなのは不思議ではありません。私たちは幸せになるために生まれており、正しく生活するときにのみ、すなわち「いのちの法則」の中で生活するときのみ幸せになるのです。いのちには法則があります。法則を守り、その枠の中で生活するとき、幸せになるのです。平衡が生まれます。法に沿わなければ、今日のように狂信的で破壊的な生活をするならば、その結果はますます不幸になるのです。
今日、世界中に飢えている人々が、文字通り飢え死にしている人々が、子供たちに食べさせることができずに、ただ死ぬのを眺めていなければならない人々が何千万もいます。主にアフリカですが、インドや南米など、そして先進開発国と呼ぶいわゆる金持ちの国々にも大勢います。15年、20年前よりも多くの人々が飢え死にしているのです。そして世界の金持ちと貧乏な人々との間の隔たりは、ますます大きくなっています。その隔たりが狭まるのではなく、ますます大きくなっているのは、商業主義のせいです。ますます多くの人々が人生の恩恵から締め出されています。
何らかの爆発か革命なしに、途方もない変化なしに、いつまでこの不均衡が持続されると思いますか。 人類は変化しなければ、自分たち自身の破滅に直面するのです。利潤よりも人間の方が重要であることを理解しなければなりません。世界の13億の人間が一日200円以下で生活しており、大勢の人々が飢えています。この豊かな世界で文字通り飢え死にしています。基本的な食糧がますます値上がりし、2倍3倍になり、世界中で食糧を求めた暴動が起こっています。何のためなのか、儲けるためです。世界に食糧の不足はありません。逆に、先進国の倉庫には食糧が溢れて、腐っているのです。問題は分配です。
いのちの法則
では、この状況を変えるために私たちに何ができるのか。世界には、まだ少数ですが、人類自身が地球におけるいのちの鍵であることを認識する人々がますます増えています。それは勝つか負けるかの競争ではなく、育むことについてであり、いのちの法則そのものの範囲の中で生きることを学ぶことです。
この惑星上のいのちを支配する偉大な法則が二つあります。第一の法則は原因と結果の法則であり、東洋ではカルマの法則として知られています。これはすべての人間に影響する基本的な法則です。私たちが考えることすべて、行うことすべてが原因を始動させます。それらの原因から発生する結果が良いにつけ、悪いにつけ、私たちの人生をつくります。しかるに人々は、あたかもそのような法則は存在しないかのように生活しています。好き放題なことをやっています。いくら貪欲で、利己的で、破壊的であっても、自分には何も起こらないだろうと思っています。しかし法は法です。それはどうしても逃れられないものであり、そして有益なものです。つまり人は、破壊的でなくなることを学ばなければなりません。
人類がこの基本的な法を理解するとき、人生のすべての面において無害であることの必要を知ります。私たちは自分たちをひとつと見なければなりません。この法則がすべてに影響を与えます。もしあなたが破壊的ならば、戦争を起こすならば、あるいは世界の資源をすべて自分自身のために使い、他の人々が飢えるままにするならば、それはあなたに影響を及ぼします。この法則から逃れることは決してできません。あなたに起こることは、あなたが行うことの結果です。
カルマの法則に関連するもう一つの偉大な法は、再生誕の法則です。人類は自分たち自身の特質を、その構造を理解していません。基本的に、私たちは最高のレベルにおいては神聖なる存在です。唯一なる神(神性)の個々の閃光です。私たちは霊的な宇宙に住んでいます。本来の私たち、すなわちあの神聖なる閃光は、それ自体をこの濃密な物質レベルにおいて直接に顕現することができません。ですから人間の魂として少し低い波動でそれ自体の反映をつくりました。魂は、それ自体をこの肉体レベルで正しく完全に表現することができません。魂は、神の閃光とかモナッドとか、名前は何でも良いのですが、至高の存在と、それ自身の反映である物質界における肉体人間との間の聖なる仲介者として働きます。
私たちは、魂が肉体で転生している存在です。男女であるこの肉体人間(パーソナリティー)が転生するのではありません。魂は、その反映である肉体人間がある特定の人生でついに魂と一体になるまで、何度も何度も生まれ変わってきます。それは、魂自体がそれの反映である神の閃光と物質界の人間とを直接に合体させるまで、繰り返されます。そうすると、この地球上での私たちの逗留は終わります。その完成された魂は、さらにさらに高位の惑星や高位の太陽系での高位の体験へと進んでいくことができます。
人間の行為における基本的な変化は、すべての人間がひとつの人類家族の一員であるということを、初めて認識することです。それぞれ異なった国や伝統の中に住み、異なった皮膚の色や宗教を持ちますが、基本的に人類はひとつです。一人ひとりの人間がすべて、神聖なる存在(魂)がこの惑星上に男や女として転生して来ているのです。私たちは本質的に神聖なる存在です。世界に人類が存在するのは、この世界の物質を霊化して、私たちが進化していくにつれて、それらをもまたより高位に持ち上げていくためです。
地球上にはその成長の過程を、認識における成長の過程を完成し、さらに高位へと進化していっている人々が存在します。彼らは様々な名前で呼ばれていますが、通常、智恵の大師、慈悲の大主、覚者として知られています。この方々は、私たちから見れば完璧な方々であり、人間体験のすべてを通り、究極的に自由を達成し、大悟された方々です。もはやこの地球上での体験を必要とされない方々の一団です。彼らは、わずかな弟子たちを除いて、人類のほとんどに知られずして、私たちの日常生活の背後にあってこの惑星上に住んでおられます。
第二の出来事
現在、一つの時代から次の時代への移行期にあると同時に、いま起こっている第二の大いなる出来事は、これらの智恵の大師方、覚者方がわわれの日常生活の中に入って来つつあるということです。
数え切れない長い年月、覚者方は大多数の人間に知られずに、世界の辺鄙な高山脈や砂漠に住んでいました。彼らは500年ほど前から、自分たちが再び人間の日常世界に戻って行くことが要請されているということをご存じでした。比較的最近まで、覚者方が世界に戻って来ることができるのは、つまり私たちが覚者方の到来を迎える準備ができるのは、まだ1,200年から1,300年先のことだろうと考えられていました。
しかし原子爆弾の開発によって、この一団の長であり、リーダーであるマイトレーヤ、世界教師は、1945年6月、世界大戦の終わり(欧州戦線の終結)に弟子たちである覚者方に発表されたのです――もし人類が彼らの自由意志で、そのお家(世界)に秩序を取り戻し、正しい人間関係に向けて第一歩を踏み出すならば、マイトレーヤは弟子たちである覚者方を引き連れて世界に戻り、人類に完全に知られた存在として、彼らに教え、人類と共に働く過程を始めることを約束されたのです。
それは5年後くらい、つまり1950年頃であることが期待されたのですが、世界の大国は直ちに元の古い、貪欲で利己的なあり方に、競争に基づいた過去のあり方に戻ってしまい、今日もまだその中に完全にはまり込んでいます。そこでマイトレーヤの到来は次々と延期されました。
1975年に5人の覚者方が世界の5つの主要な霊的中心地(磁場)に位置を占められました。ニューヨーク、ロンドン、ジュネーブ(スイス)、ダージリン(インド)、そして東京に一人ずつお入りになりました。後に、あと2人が、モスコワ(ロシア)とローマにお入りになりました。現在までに14人の覚者方が世界に出ておられます。究極的に40人の覚者方が世界に出て来られるでしょう。
1977年7月に、マイトレーヤは「わたしは人類の用意ができようができまいがやって来る」と言われました。1977年7月8日に、マイトレーヤはヒマラヤの高所6,000メートルのところにある彼のセンターから降りて来られました。彼がこの任務のために何年もかけておつくりになったからだ(顕示体)で降りて来られ、パキスタンの平野で数日間そのからだを新しい風土に慣らし、それから飛行機に乗ってイギリスのロンドンにお入りになりました。マイトレーヤのからだ(顕示体)は、私たち人間のレベルで住むことができ、同時にキリスト原理の体現者、神の愛のエネルギーの体現者としての彼の意識を備えることのできるからだであり、すべての人類のための世界教師として働くことのできるからだであります。
1977年7月19日以降、マイトレーヤは現代世界における拠点地として選ばれたロンドンのアジア系移民社会に、本当のご身分を明らかにすることなく住んでおられます。彼の周りに住む人々は彼が本当に特別な方であるということは知っていますが、実際、彼が誰であり、何をなさるのかを知りません。
キリスト教徒はキリストの到来、つまりイエス・キリストの到来を待っています。実際、イエスはキリストではありません。彼はキリストの肉体として、つまりマイトレーヤによるオーバーシャドウによって、洗礼から十字架に架けられるまでの3年間、物質界におけるキリストの表現体として働いたのです。イエスがキリストだったのではなく、キリストの器(乗り舟)でした。それはその600年以前に、仏陀が弟子であった釈迦族のゴータマ王子をオーバーシャドウして顕現されたのと同じやり方でした。つまりゴータマ王子が仏陀だったのではなく、仏陀の器として働いたのです。イエスはあの3年間、マイトレーヤの教えを説き、模範を示されたのです。
キリスト教徒はイエスの再臨を待っていますが、それがいつなのか、誰も知りません。イエスであった弟子は、現在は覚者となられて、ローマに出てきておられます。イスラム教徒はイマム・マーディと呼ぶ偉大なるイマムを待っています。ユダヤ教徒はメシアを待っています。イエスが2,000年前に彼らのメシアとしてやって来られたのですが、認知されませんでした。ヒンズー教徒はクリシュナ、またはカルキアバターを待望しています。仏教徒はマイトレーヤ仏(日本では弥勒菩薩として知られていますが)の到来を待望していますが、それがいつのことか全く分かりません。
仏陀はゴータマ王子を通してこう言われたと仏典に書かれています――この時代には、つまり、カリユガの終わりの時に、もう一人の偉大なる教師が、彼と同様の仏陀がやって来る、そして彼の名をマイトレーヤという。彼はその途方もない霊力によって人類を鼓舞し、正義と真理に基づいた輝かしい黄金の文明を築くだろう、と。今日、それが起こりつつあるのです。
世界教師マイトレーヤは世界に、日常世界にすでに出てきておられ、34年間、ロンドンに住んで、公に人類の前に出てきて、自分が誰であり、何であるかを公に宣言する機会を人類がその行動によって提供してくれる日を待っています。人々はなぜ彼がさっさと出てきて、「わたしはここにいるよ、やって来たよ」と言わないのか不思議に思います。マイトレーヤは世界を良くするために来られるのではありません。それは私たち人類の仕事です。マイトレーヤと覚者方は、私たちが世界をより良いものにしていくのを助けてくださいます。古いパイシス(双魚宮)の過去にしがみつくことなく、商業主義に、投資に、権力にしがみつくことなく、正しく物事を行い、法の枠の中で生きることです。私たちは世界中の苦しんでいる人間の犠牲の下に、現在のような生活をしているのです。この34年の間、私たちはいつでもマイトレーヤを世界の前面にお迎えして、彼が御自身を公に紹介するのを聞くことができたのです。私たちがしなければならないことは、私たちの本当の神性への最初の一歩を踏み出すことだったのです。それは何かとても大変なことのように思えますが、実に簡単なことなのです。
私たちがしなければならないことは、真理に向けた、正しい関係に向けた最初のステップです。つまり人類をひとつとして、ひとつのグループとして、人類と呼ぶ大きな家族の兄弟姉妹として見ることです。文化や宗教や伝統などの違いが何であれ、それは表面的なことにすぎません。根本的なことは人類の一体性です。
マイトレーヤは言われました、分かち合いへの最初のステップを踏むことはあなたの神性への最初のステップを踏むことである。「あなたが分かち合うとき、あなたの兄弟のうちに神を認める。分かち合いは神聖なことである、正義は神聖である」
神聖とか霊性という言葉を聞くと、人は宗教、教会、寺院などを、あるいは手を合わせて祈ることを思い浮かべます。しかし神性とは正しい関係についてです。教会や寺院ではありません。あらゆるところにいる人と人との間の正しい関係です。
本来のあなたが誰か、あなたの魂が、すなわち神の閃光としての本来のあなたの霊的真理がどれだけあなたを通して顕現しているかに関係しています。
それが顕現するとき、あなたはあなたの神性を顕現するのです。それは、何か学ぶことでも、教会や寺院に行って何かをやることでもありません。それは本来のあなたであり、それが自然なことだから自然にあなたがやることなのです。霊性と呼ぶものを人生のもっと多くの面に、関係に広げなければなりません。最大数の人々の人生を改善するために働くことは、基本的に霊的です。一定の日に教会や寺院に行くときのために分けられている面ではありません。それは本来の私たち自身の日常的な表現です。マイトレーヤは、あなたは神であると言われるでしょう。一人ひとりが神以外の何ものでもありません。
出 現
マイトレーヤは間もなく出現してこられます。長い間の待機はほとんど終わりました。御自身が誰かと言わずに、マイトレーヤという名前を使わずに、最初はアメリカのテレビやラジオなどのインタビューに現われるでしょう。それから日本で、そして世界中の様々な国で現われて、私がいま話したようなことを、人類の必要について、世界が直面しているひどい問題を解決するには何が必要かについて話すでしょう。私たち自身をひとつとして見、世界の資源を分かち合う用意をする必要を話すでしょう。
分かち合いへの第一歩は、あなたの神性への第一歩です。それほど単純なものはありません。人類はそれをしなければなりません。もはや大きな戦争を起こす余裕はありません。核戦争は地球上のすべての生命を破壊します。ですから私たちに選択の余地はありません。分かち合うか死滅するか、そのどちらかです。
さて、マイトレーヤはヒマラヤ高所にある彼のセンターから、無駄に世界に出て来られたのではありません。彼は人類が分かち合い、正義、正しい関係の確立を選択するだろうということをご存じです。私たちが分かち合いの原理を受け入れることです。分かち合うとき、信頼が生まれます。信頼があるとき、いかなる困難も問題も話し合いによって容易に解決し得ます。最初に信頼を培わなければなりません。そのためには分かち合いの原則を受け入れることです。
十分に大勢の人々がマイトレーヤの呼びかけに反応するようになると、彼らは政府に対して、マイトレーヤが全世界に向かって話をするように要求するでしょう。世界中のテレビネットワークが衛星中継で連結され、その日にマイトレーヤは全世界に紹介されるでしょう。世界中同時に(それぞれ異なった時間帯で)放映されるでしょう。それまでには、マイトレーヤはほとんどの人々にとってすでに顔なじみになっているでしょう。人によってはその方がマイトレーヤであることを、マイトレーヤ仏陀であることを確信しているでしょう。あるいはキリストだとか、メシアだとか、クリシュナだとか、それぞれの宗教的背景に応じて、彼らが待望している方に違いないと考えているでしょう。しかし彼に対立する人々、分かち合いとか正義を信じない人々も大勢いるでしょう。もし彼がマイトレーヤ仏陀ならばキリストではない、もしキリストならばクリシュナではない、クリシュナならばイマム・マーディのはずはない、というように考えるでしょう。しかし、これらはみな一人の人物、覚者方の一団の長であり、リーダーである方の異なった名前にすぎません。
マイトレーヤは政治家として来られるのでもなく、世界を支配するために来られるのでもありません。どこかの国の大統領とか首相になるために来られるのではありません。彼は教師です、世界教師です。そして人類の自由意志を侵さないようにして、教えを説かれます。
大宣言の日には、あなた方はすでに馴染みのある方のお顔を見るでしょう、しかし彼は一言も話さないでしょう。マイトレーヤは全知遍在の方であります。これが行われている間、どのくらいの時間か分かりません。25分か35分くらいかもしれませんが、その間、マイトレーヤは全人類と思念伝達の連結をつくられます。ですから、それぞれの人間が彼の思いを、アイディアを、内的にテレパシーで自分自身の言語で聞くでしょう。あなた方は日本語で、フランス人はフランス語で、オランダ人はオランダ語で、中国人は中国語で、というように。
彼は人類がいかに年を経た存在であるか、私たちが動物人間であった時代から何百万年も経て、今日の段階にまで進化してきた過程を示されるでしょう。そしていま私たちは変化する用意があることを、単に外面的な変化ではなく、内的に変化して、本来の自分たちである神として成長していくことを話されるでしょう。マイトレーヤはビジョンを見せてくださいます。そして未来の科学を、途方もない文明を、私たちが想像したこともないより高度のより美しい文明のビジョンを見せてくださるでしょう。
そのように語っている間に、マイトレーヤが体現しておられるエネルギーが、キリスト原理と呼ぶあの愛のエネルギーが途方もない強度で放出されて、全人類のハートに注がれるでしょう。「それはあたかもわたしが全世界を抱擁するかのようであろう。実際にわたしに抱かれているように感じる人もいるだろう」とマイトレーヤは言われました。この素晴らしい愛のエネルギーが自然に私たちの裡に彼の言っていることに対する洞察を喚起させるでしょう。彼の言うことが私たちの心(ハート)の中に響き、それが真理であることを悟るでしょう。そして私たちは喜んで分かち合う意思表示をするでしょう。
外的な、肉体レベルでは、何千人もの人々が世界中で自然な、奇跡的な病の治癒を体験するでしょう。これらの三つの方法で、人々はこの方こそが世界教師であり、マイトレーヤ仏陀であり、キリストであり、イマム・マーディであり、クリシュナ、メシア、どのような名前で呼ぼうとも、待望されていた御方であることを知るでしょう。
人類の目覚め
私たちは決断しなければなりません。これを受け入れて変化し、世界を変えるか、あるいは何もせずに、そのままで、やがて世界を滅ぼすか、選択は私たちの手中にあります。私たちは自由意志を持ちます。
そうして、人類の目覚めが、上昇が始まるでしょう。前方にある問題や仕事に目覚めるだけではなく、内的に目覚めて、人生の意味と目的を理解し、大目的、すなわち宇宙の中におけるこの惑星の果たす役割を含む大いなる目的の中で、人類が果たすべき役割を理解していくでしょう。
そうすると第三の大いなる出来事、人類の目覚めが起こるでしょう。競争や貪欲から解放されて、人類はこれまでの長い歴史の中で見られたことのないほどのスピードでより高位へ、より急速に進化するでしょう。なぜなら私たちの直中に、神のような人間が住んでおられ、私たちに道を示し、途方もないインスピレーション(鼓舞)で、私たちが後戻りして、古いやり方に戻ってしまうのを防いでくださるからです。彼らは人類を活気づけ、途方もないマインド(識心)の発達が可能な条件をつくってくださいます。私たちはマインドの進化をまだ始めたばかりなのです。しかし大宣言の日から先は、ますます急速に進化していくでしょう。私たちが何かを欲しいときにはロボットや機械などに必要なものをつくらせるようになる、それらを単に思考によってつくるようになる日がやって来るでしょう。そのような可能性を想像できますか。覚者方は今日それをなさっておられるのです。科学者や技術者のマインドが発達して、私たちの人生に必要な物品は思考によってつくられるようになるときがやって来ます。しかもそれは始まりにすぎません。人類は目覚めつつあり、自分たちが神であることを認知し始めつつあります。
ご静聴ありがとうございました。