現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2008年 12月 進化論対創造説

進化論対創造説

ベンジャミン・クレーム筆記

多くの人々は、今日あるようなこの世界の歴史は5,000年以下であることを;人間および動物王国のすべての生きものと、鉱物王国の岩石は数日の間にあらゆる面において完全で完成した形で創造されたということを信じているか、または信じるふりをしている。彼らは、進化論は神話であり、キリスト教の聖書にある創造についての話は文字通り本当であり、正しいとする。そのような理論を受け入れるためには、科学一般に対して、特に地質学、人類学、古生物学、考古学に対して目を閉じる必要がある。
人間が地球上を歩いていなかった時があり、その代わりに巨大な恐竜が歩き回り、支配していた時があったことは確かに本当である。また、わたしたちの計算では、人間の歴史は今日の科学が信じるよりも非常に古いということも本当である。今日の(科学の)計算では、人類の年齢は最高でもおよそ5~6百万年である。しかしながら、わたしたちの科学と伝統によれば、初期の動物人間は個体化が可能な時点まで到達し、‘マインドの息子たち’は進化の長い旅路を始めたのであった。人間が今日のレベルにまで到達するのに1,850万年かかったのである。なのに、知性のある教育を受けた‘創造説論者’が、科学の証拠にもかかわらず、ばかげたように思える概念を保持するのはどうして可能なのか。

食い違い

その答えは、進化論者と創造説者は実際、互いに誤解した議論をしていることにある。両方とも、それぞれ限られた意味において正しい。現代の科学者はダーウィンの発見を客観的に見て、進化論説、すなわち、動物の祖先から、特にマインドの発達によって、長いゆっくりとした人間の進化説を支持する豊富な証拠を蓄積してきた。
創造説論者は、キリスト教の聖書が何百年もかけて、大勢の人々によって書かれたものであり、象徴的な言葉で書かれており、事実というより象徴的なものであるということを無視して、聖書を彼らのガイドとして見る。創造説論者は‘人間’は神によって、‘神ご自身のイメージ’につくられたのであり、進化によるものではないことを強調するのに骨折っている。それに対して、ダーウィンと彼の説に従う者たちは、人間についての重要な点を見落としている。人間は霊的な存在であり、神性という遺産を受け継いでいることを、そしてもし人間が必ずしもいつも神の創造物としての行動をしないならば、それはサタン(悪魔)によって堕落させられてきたからである。

架け橋

この二種類の正反対の見解に橋を架け、同時にそれを拡大することができるか。わたしたちの理解によれば、今日の科学者たち、つまり進化論者の、人間が動物王国から発達したという彼らの分析は疑いもなく正しい。われわれは物質肉体を動物王国に負っている。しかしながら、それはわれわれを動物にするわけではない。ダーウィンおよび彼の考えに正しく従った者たちは、われわれはすべて意識の発達に従事しているということを大体において無視しており、人間の外的な肉体的発達のみを描写する。人間の肉体はほとんど完成の段階に到達しており、さらに成し遂げるべきものはほとんどない。しかしながら、意識という面からは、人間はその開花に向けてほとんど最初のステップすら踏み出していない。その開花は人間がまさに神性を内在させていること、すなわち魂が転生しているということを証明するだろう。いつの日か、魂の事実が科学によって証明され、一般的に受け入れるようになるだろう。そして古い意見の対立は癒されるだろう。