現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2008年 11月 民主主義の赤字

民主主義の赤字

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ノーム・チョムスキー氏へのインタビュー(第2部)
ジェイソン・フランシス
ノーム・チョムスキー氏は米国マサチューセッツ州ケンブリッジにあるマサチューセッツ工科大学の名誉教授であり、そこで言語学と哲学を教えている。彼は政治や外交政策といった主題に関しても学者として国際的に称賛されており、『覇権か、生存か──アメリカの世界戦略と人類の未来』(2004年、集英社)、『破綻国家──権力の乱用と民主主義への攻撃』(2007年)、『介入』(2007年)を含めて、政治に関する多くのベストセラーを執筆した。 ジェイソン・フランシスによるノーム・チョムスキー氏へのインタビュー「民主主義の赤字」の第1部が、シェア・インターナショナル誌2008年10月号に掲載された。
宗教的な原理主義
シェア・インターナショナル(SI):宗教的な原理主義は世界中の民主主義にどのような影響を与えていますか。
ノーム・チョムスキー:もし宗教的な原理主義が個人的な問題や地域社会の問題にとどまっているならば、それは民主主義に何ら影響を及ぼしません。しかし、それが政治システムに、公の場に入り込むと、民主主義に対して非常に重要な影響を、もちろん否定的な影響を及ぼします。なぜなら、その原則は民主主義とかなり食い違っているからです。このような事態が世界中で進展しています。米国では現在、それが非常に劇的に現われています。米国は常に、過激な宗教的信念に関しては他の追随を許しませんでした。他の先進国社会とは根本的に異なっています。現在ある世界は数千年前に創造されたと信じる人がかなり多くいる──米国では50%を占める──先進国社会は、米国以外にありません。このことは他の極端な信念にも当てはまります。 宗教的な原理主義がときどき、宗教的な復興気運が盛り上がった時期に公の場や政界に入り込みました。例えば1950年代に、そのような気運は政策に影響を及ぼしました。しかし、ここ30年のような時期は今まで一度もありませんでした。政党の選挙担当者は1970年代後半までに、宗教的な原理主義を信奉するかなり大きなコミュニティーに対し、政策立案者にとってはあまり重要でない小さなものを提供することで要求に応えれば、選挙の時に投票してもらえるということに気づき始めました。1980年の選挙以降、どの大統領候補も自分が非常に信心深いことを明言しなければならなくなりました。それ以前は、そうしたことが問われることは決してありませんでしたが、1980年の選挙以降、それが普通のことになりました。 世界の他の地域では、イスラム原理主義が西側にとって大きな懸念材料となっています。世界で最も過激なイスラム原理主義国家は今も昔もサウジアラビアです──この国は世界で最も親密な米国の同盟国でもあります。一つには、そのイスラム原理主義のせいです。1950年代と1960年代にさかのぼると、世俗的なアラブ民族主義とイスラム過激原理主義との間で闘争がありました。その闘争に関与した二人の主要人物は、エジプトのナセル大統領とサウジアラビアの国王および王室です。米国はエジプトやイラクやその他のどこの国においても世俗的な民族主義に強く反対し、イスラム原理主義を支持しました。 その対立は、1967年のイスラエルによる征服によって基本的には決着しました。それは、世俗的な民族主義の中心であったナセル大統領と、米国が同じように嫌悪していた第三世界運動の柱の一つ、非同盟運動にかなりの打撃を与えました。実際にそのとき、米国とイスラエルの関係が本当に強固なものになりました。米国の知識階級とイスラエルとの間で一種の「情事」が展開しました。それは、世俗的な民族主義の危険に対抗してイスラム原理主義を支持する米政権にとって現実に役立つものとして、それ以前は存在していなかったものです。同じことがイスラエル占領地内でも起こりました。イスラエルは世俗的な民族主義のPLO(パレスチナ解放機構)に対抗する武器として原理主義グループを支持し、そのグループはやがてハマスとして台頭しました。 これは他のところでも起こりました。レーガン元米大統領が、アフガニスタンでロシア人の力をそぐために、米国が世界中から寄せ集めた最も過激なイスラム原理主義者を支持したことはよく知られています。 同じ1980年代に、米国はパキスタンのジア・アル・ハク独裁政権を強く支持しました。この政権は同国を急激にイスラム化し、サウジアラビアの資金提供を受けて有名なイスラムの宗教学校マドラサスを設立しました。この学校は同国をイスラム原理主義の方向へと大きく動かしました。レーガン政権はまた、パキスタンの核兵器開発計画に基づいた、パキスタンへの援助に関する議会の制限を踏みにじりました。レーガン政権はその計画のことは知らないかのように振る舞いました。今ではもちろん、イスラム過激派が非常に威嚇的で危険な特性を帯びています。 同じことがヒンズー民族主義にも当てはまります。原理主義的な民族主義は主に、インドの主要政党の一つであるBJP(インド国民党)によって代表されています。この政党が危険で非常に過激なヒンズー民族主義を推進しています。グジャラート州では、最近の選挙でナレンドラ・モディ(ヒンズー民族主義運動の中心人物)が勝利を収めました。彼は、数年前にそこで発生し、2,000人のイスラム教徒が殺害された虐殺事件において大きな役割を果たしました。これらのことは小さな規模で進展しているのではありません。民主主義にとって脅威になっているだけでなく、人権のあらゆる重要な概念にとっても脅威になっているものです。
南米の民主化運動
SI:ベネズエラのチャベス、ボリビアのモラレス、アルゼンチンのキルヒナー、エクアドルのコレア、ブラジルのルラといった大統領による社会主義政策は、地域統合、社会経済的な主権、南米全体の民主主義にどのような影響を及ぼしていますか。
チョムスキー:民主主義から始めましょう。それが最も測定しやすいからです。高い評価を受けているチリの世論調査団体ラテンバロメーターは、ラテンアメリカ全体で定期的に世論調査を行っています。様々な国で民主主義に対する国民の姿勢を詳細に調べています。米国はかなり当惑するかもしれませんが、ベネズエラが多くの尺度で最上位にいます。民主主義への支持と政府への支持という点でウルグアイと並んで最上位におり、経済的な進歩の達成や他の一連の尺度においても政府の役割を最も高く評価しています。こうした結果は米国では受け入れがたいため報道すらされませんが、ラテンバロメーターの世論調査を見れば毎年その結果が分かります。最新の調査は2007年11月に行われました。 ベネズエラ人に関する限り、彼らは民主主義において大きな進歩を遂げ、それを誇りに思い、政府を支持しています。もちろん、重要なのはベネズエラ人の意見であり、北米人の意見ではありません。同じことはボリビアにも当てはまります。実際に、モラレス大統領の選任は民主主義の大勝利でした。世界でこれに匹敵する例を見つけるのは困難です。ここ米国では、そのようなことはとても考えられません。ボリビアでは、人口の大半を占めるインディアンの先住民が、スペインの征服以来初めて政治の場に本格的に参入し、政治権力を増大させて、大変な不利を克服して自分たちの階層からある人物を選出しました。それが米国や西側の国で起こることを想像できますか。 彼らは選挙日に投票に行きませんでした。これは、文化的な権利、資源の管理、国民生活を破壊している新自由主義(ネオリベラル)政策の撤廃といった重要な問題のために戦ってきた大規模な大衆運動でした。彼らはこうした主要な問題をめぐり、長年にわたって闘争を続けてきました。選挙になったとき、彼らは組織を作り、自分たち自身の候補者を選出しました。それが民主主義というものです。2005年12月に実施されたボリビア選挙はまぎれもなく、この半球の中で最も注目すべき民主的な変化でした。モラレス大統領はすぐに、専制的であり独裁制を承認しているなどとして非難されました。その主な理由は、彼がボリビアの資源の国有化を要求していたからです。批評家たちは、これが全国民のおそらく90%の賛同を得たものであることに言及しませんでした。しかし、私たちの基準から見ると、それは非常に独裁的で反民主的だというのです。それは私たちの命令に、つまり、民主主義が私たちにとって意味することに従っていないというのです。 ネストル・キルヒナー大統領の場合は幾分異なっていました。アルゼンチンは国際通貨基金(IMF)の、IMFが創り出した大きな経済的奇跡の申し子でした。しかし、そのすべては全面的な破局の中で破綻し、アルゼンチン経済は崩壊しました。キルヒナー大統領はIMFの命令に徹底的に従わず、彼の言い方を借りれば「IMFを永久に追放する」ことによって、アルゼンチンをその状態から脱出させました。IMFは本質的に米財務省の支部です。アルゼンチンは、ベネズエラからの援助で負債の返済を繰り延べて完済しました。こうした手段が惨事につながると予測した伝統的な経済学者の驚きをよそに、アルゼンチンは非常に急速に回復しました。南米の他の国々も同じ道をたどっています。ブラジルは独自の方法で債務を返済し、IMFを追放しました。ボリビアもその方向に進んでいますし、ベネズエラや他の国々もそうです。事実、IMFは今、深刻な苦境に陥っています。主として債権回収によってIMFの資金の調達先となりIMFが頼りにしている国々が命令に従うことを拒否し、負債を完済するか返済を繰り延べているからです。 こうした努力のすべてが統合へ向けた動きです。米国は今、何年か前までは軍事クーデターで転覆させていたような南米の政権を支持する立場にあります。ですから、ブラジルのルラ大統領は「秘蔵っ子」なのです。彼の政策は、1960年代初めのゴウラール元ブラジル大統領の政策とそれほど変わりません。彼はケネディ政権が計画した軍事クーデターによって打倒されました。それはケネディ暗殺の1週間後に発生し、卑劣な殺人者によるある種のネオナチ国家安全保障の状態が確立されました──これは伝染病のように半球全体に広がりました。 米国は今、自国の希望の星としてルラ大統領を支持し、「善良な左派」のルラ大統領と、「悪辣な左派」のチャベス大統領とモラレス大統領の間には対立があるという作り話を維持しようとしています。それにはいくらかの真実があります。両者は異なっているからです。しかし、その作り話を維持するためには、かなり多くの情報を隠す必要があります。例えば、ルラ大統領が再選されたとき、彼がとった最初の主要な行動は、ベネズエラのカラカスに行ってチャベス候補の選挙運動を支持し、ブラジルとベネズエラの共同プロジェクトとして建設したオリノコ川にかかる大きな橋の除幕式を行い、さらにもう一つのプロジェクトに着手することであった、という事実を隠す必要があります。その後すぐに、ボリビアの民主的な革命の中心地であったコチャバンバに南米諸国の指導者が集まった、という事実も隠す必要があります。指導者たちはどうやら自分たちの相違を覆い隠して、欧州連合(EU)のような形でのラテンアメリカの統合を求める宣言を出したようです。そこに行き着くまでの道のりは長いが、それがその方向に向けた動きの始まりであることを彼らは認めました。これは新聞では見つかりませんが、非常に重要なことです。主要国──ブラジル、ベネズエラ、アルゼンチンなど──が参加し、「南の銀行」が設立されました。この銀行は、南米の開発問題を専門に扱うものです。それは、世界銀行から独立した資金提供機関となる可能性があります。 スペインの征服以来初めて、南米で生じている二つの重要で相互に関連した傾向があります。一つは、諸国が統合へと向かっていることです。諸国は互いに非常に分離していました。各国がそれぞれのやり方で強国と関係していましたが、互いに分離していました。それは克服されようとしています。それは自立に向けた必要条件です。もし諸国が統合されなければ、外部の強国に太刀打ちできないからです。 また、南米諸国は初めて、自国内の極めて重要な内部分裂に向き合おうとしています。南米には世界でも最悪の不平等があります。南米は伝統的に、ヨーロッパ化された少数の、ほとんど白人が占めるエリート層によって支配されてきました。彼らは西側との非常に裕福な結びつきを持ち、西側に資金を送り、西側に別荘を持ち、西側の大学に子弟を送って勉強させます。自分自身の社会からはほとんど切り離されています。裕福で有力な、ほとんど白人が占めるエリート層がある一方で、非常に困窮した人々の大集団があります。その大きな隔たりが克服されようとしています。 ボリビアで起こったことが一つの顕著な例です。ベネズエラにさえも、同じような要素があります。チャベス大統領がエリート層を強く憎んでいる理由の一つは、彼が白人ではないことです。彼は混血人種です。ベネズエラでは人種問題が重要ですが、それは克服されようとしています。落とし穴がたくさんあります。どんな進路をたどるのかを予測することはできませんが、非常に肯定的な発展が起こっています。 ラテンアメリカはその経済関係を多様化させています。かつては欧米の投資や貿易などに完全に依存していましたが、それは変わってきています。今では──インド、南アフリカ、ブラジルの間での──南南関係が進展しつつあります。ラテンアメリカの原料輸出国──ペルー、ブラジル、チリ、ベネズエラ──は、アジアへの輸出品を多様化させ始めています。中国も今や投資に動き出そうとしています。このすべてが、ラテンアメリカにかつてないほど多くの選択肢を提供しているのです。 統合や、激しい内部分裂の克服へ向けた歩み、そして世界との関係の多様化はすべて、非常に重要な進展です。社会主義が意味していることが何であれ、それは時に社会主義と呼ばれます。しかし、国民全体に恩恵をもたらそうとする動きがあるのは確かです。例えばベネズエラでは、ここ米国で言われていることとは逆に、貧困がかなり削減されました。伝統的なエリート層による支配を弱める、大衆による支配を発展させようという努力がなされています。成功することもあれば失敗することもあり、腐敗が起こることもよくありますが、少なくとも努力はなされています。同時に、専制的な傾向もあります。それは長い目で見れば危険かもしれませんが、もちろん複雑な調整がなされるでしょう。総体的には、非常に肯定的な措置が講じられており、この国の敵対的な反応によってそのことが分かります。それはよい尺度となっています。 いくつかの国々では、米国で嫌悪されている当局へと富と権力を移行させる措置が講じられています。かつては、そのようなことをすれば軍事クーデターか経済的な締めつけへとつながりましたが、米国にはもはやそうした力はありません。最後の軍事クーデターの試みは2002年に行われました。米国が支持したクーデターによって短期間、ベネズエラ政府が打倒され、大統領が誘拐され、国会と最高裁判所が解散されました。この民主主義の打倒は米国によって支持され、公然と歓迎されました。実際、人々はそれを民主主義への前進と呼びました。それはすぐさま民衆の蜂起によってひっくり返され、米国は政府を打倒するための他の方法──宣伝や転覆工作など──に頼らなければなりませんでした。しかし、軍事クーデターはケネディやジョンソンの時代ほど簡単ではなくなりました。
SI:真の民主主義へ移行するために、私たちは米国で何をすることができるでしょうか。
チョムスキー:私たちは明日の民主主義へ向けてうまく進んでいくべきです。世界で最も裕福で、自由で、強力な国において、貧しいボリビアの農民たちが達成に成功したことを達成できないと主張するのは馬鹿げたことです。もちろん、私たちにはそれができます。しかし、それには関与、エネルギー、献身、幻想の克服、宣伝の取りやめ、真の民衆運動の進展、指導層への説明責任の要求が必要とされます。自分自身の計画を開発し、それを政治体制の中で推進し、それが実行されるようにしてください。もしも、ボリビアのようなところでそれができて、この国ではできないと言えば、もしも、誰かが火星からこのありさまを眺めていれば、彼らは大笑いするでしょう。もちろん、私たちはこの国でそれができるのですが、それが独りでに起こることはありません。
詳しくは:www.chomsky.info,
www.hegemonyorsurvival.net,
www.americanempireproject.com

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