現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2008年 11月 将来の経済――選集

将来の経済――選集

世界は株式市場と銀行の崩壊によっていまだ揺れ動いているので、マイトレーヤと彼の覚者方のグループの教えに基づいて、人類が直面している真の諸問題およびそれらの克服に関する引用文選集を発表する。それはマイトレーヤの教え(『マイトレーヤからのメッセージ』、『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

破産に向かっているのは大きな金融機関のみではなく、全世界が――精神的に霊的に――破産状態にある。世界は巨大な危機を通っており、あらゆる薬が試みられたが、いずれも失敗した。治癒が始まる前に、まず腫瘍が破裂しなければならない。
(1992年5月) 
(『いのちの法則』p.183)

人類は大きな霊的危機を通っているのです。なぜなら、私たちは自分が誰かを知らないからです。なぜ自分がここにいるかを知りません。人生の目的を知りません。私たちはいのちへの尊敬の念を商業至上主義、市場フォース経済や金銭崇拝に取り替えてしまいました。経済が世界の新しい宗教であり、私たちを破滅の淵へ導いているのはこの経済優先、商業至上主義なのです。人類の霊的危機は政治・経済の分野を通して集中されており、その分野で解決されなければなりません。?
(ベンジャミン・クレーム『大いなる接近』p.123)

商業主義

超大国がそれぞれ自国の外交方針や利益を追求するための武器供給の政策を撤回するにつれて、世界中で起こっていた戦争や葛藤が過去2~3年間で減少した。軍隊を戦場に送り込み、空を爆撃機で埋めるエネルギーのスイッチが切られた。しかしエネルギーは世界をさまよっており、突然、新しい子宮を見つけた――市場のフォース(エネルギー)によってつくられた商業主義である。超大国の新しい信条は経済であり、それは商業主義の魂である。これが世界に深刻な新しい脅威を呈しており、人間の生命をも危うくし得る。商業主義の特質は貪欲であり、それはすべての国家に影響を及ぼすだろう。戦場から巻き戻された否定的(破壊的)エネルギーは目も心(マインド)も持たないフォース(勢力)であり、非常に敵意に満ちた風潮を世界につくるだろう。政治家は商業主義が人類の未来だと信じるけれど、彼らはこのエネルギーをコントロールすることができない。
(1989年3月) 
(『マイトレーヤの教え――いのちの法則』p.172)

市場のフォースに追い立てられて、政府は激しい競争の中で互いに争い、それによって国民の生計と福祉を犠牲にする。ビジネスの効率性という名において、かつて文明社会の証印であった健康管理と教育は、餌をあさる者たちの爪の攻撃を受ける。根もなく、希望もなく、何千万の人間が絶望の思いで未来に臨む。
「市場主義の論理」によって盲目になり、観念論者は彼らの不浄なる儀式を、長い間苦しんできた貧困者に対して演じる。彼らには自分たちの愚行の必然的結果、つまり彼らがコントロールしようとしている機構の崩壊が見えない。彼らが何をしようが、どちらの方に向こうが、「法」は彼らに対立して働くことを知る――原因、そしてその結果は、否定できない。
間もなく、この文明の名残はありのままの姿で見られるようになるだろう――不公正と貪欲のもろい最後の断片である。間もなく、民衆自身がこの衰えている権力を乱用するだろう、そして世界の市民として、神の子供たちとして、彼らの権利を要求するだろう。
現在の制度の中心(ハート)にある病は、利己主義と自己満足と恐怖である。これらの三つが支配するところには分離と搾取と容赦なき貪欲に仕える者たちが必然的にはびこる。
人生の意味と目的についての再思考のみが、災難の渕を走る人間の舵を取る。新しい現実感のみがこれらのミステリーを解く鍵を提供する。かつて人間にとって寺院であった世界の株式市場が崩壊してつぶれるとき、その鍵は回り、生まれ出ることを待っている新しい美が明らかになるだろう。
そうすると、人間は自分たち自身を皆、同じ道しるべの星々を暗闇の中で探し求めている同胞として知るだろう。前進するための唯一つの道は、一般的善のために協力することであるのを知るようになるだろう。自分たちが地上に存在する理由を改めて認識し、大計画について理解することを、できる限りの方法で実施しようとするだろう。
(『覚者は語る』―教師たちは用意が整っている)―p.348-349)

市場フォース(エネルギー)がこの惑星の生活を支配することを許容すべきではない。もしそれを許すならば、巨人をつくり出すことになる。巨人は何をするか。昼になく夜になく、腹が減っていようがいまいが関係なしに、食い荒らし続ける。市場フォースに個人の生活を支配させるべきではない。それが占める場はあるが、それはあくまでも、個人は神聖な存在であるという見方の中におさまらなければならないだろう。
(1991年6月)
(『いのちの法則』p.183)

[ イギリスのサッチャー首相は市場フォースを理解できなかった]。市場フォースは、現象的なパワーと同様に、従うべきものでも、甘受すべきものでもない。正しい動機と無執着の心で利用すべきものである。もしそれにしがみつけば、それは人を腐敗させる。政治経済の指導者たちがどのような方向を定めようとも、もし彼らが市場フォースにのみ従えば、未知の世界に誘い込まれるだけである。極端であるということは、破壊的である。……サッチャー首相が市場フォースに基づいたヨーロッパ連合を支持した時、彼女はもっと富をつくることにのみ関心を持っていた。しかし彼女はこれらの市場フォースの暗い側面には注意を払わなかった。この暗い側面のために、国家がそのアイデンティティー(独自性)と主権を失う結果となるのである。いま彼女はこれらの暗い側面の影響を経験しつつあり、自分のアプローチを変えようとしている。国家のアイデンティティーは神聖なものであり、もし政治家がそれを自分たち自身の目的のために操作し搾取するならば、国とその国民は道徳的に、肉体的に、精神的に売られることになる。
(1990年5月)
(『いのちの法則』p.178-179)

市場フォースの緊張がすべての先進国で非常な害を生じています。ニューヨークやロンドンやパリ、東京、ベルリンなどの大都市を歩いていて、ホームレスの人々、街路に寝ている人々に出会わないことはほとんど不可能です。先進諸国のホームレスで根なし人の大軍、これが市場フォースの創造物です。それから麻薬があります。麻薬のせいで増大する犯罪があります。アメリカにおける犯罪全体の85パーセントが麻薬に関連しています。英国やほかのヨーロッパの国々でもほとんど同じ比率です。犯罪が増加するにつれて麻薬が広まり、麻薬文化が増大するにつれて犯罪が増加します――相互に影響し合います。マイトレーヤは、麻薬を乱用する人々は霊的飢餓に苦しんでいると言われます。人々を麻薬に追い込むのは、競争社会の結果である霊的飢餓です。……
これがいつまで続くと思いますか。私たちは生活様式を変えなければなりません。競争の中で表現される恐怖を人類の意識から除去してしまわなければなりません。ではどうすればよいか、その方法を見つけなければなりません。マイトレーヤに尋ねるならば、彼はこう言うでしょう、「わたしを信頼しなさい。いのちを信頼しなさい。あなた自身を信頼しなさい。裡なる神を信頼しなさい。そして世界の資源を分かち合いなさい」。私たちが分かち合いの原則を受け入れるや否や、そしてそれによって世界に正義がもたらされるや否や、競争はなくなるだろうと私は思います。
(ベンジャミン・クレーム『協力の術』p.46-47)

市場フォース(力/エネルギー)は悪や混乱や破局のフォースであり、そしてその子供は競争と比較である。市場フォースは、悪魔的なエネルギーである。市場フォースは“私のもの”とか“もっともっと”(つまり独占欲や貪欲)につながり、それに終わりはない。市場フォースは、われわれが知るこの文明を破滅の淵にまで導くだろう。
(1989年12月)
(『いのちの法則』p.175)

人々は初めて、子供たちが持っているあの新鮮さとバイタリティー(活力)と高揚した精神と快活さを再び感じるでしょう。ほとんどの大人たちはその感覚を失ったのです。なぜなら絶えず心配事を抱えているからです、「どうやって家賃を払おうか、月謝を払おうか、医者の費用を払おうか」と。人々は心配と不安でいっぱいです。商業至上主義が本当に人生を支配してしまったのです。だからマイトレーヤはそれを「原子爆弾よりもずっと危険である」と言われるのです。それは人々からいのちを奪い取ります。絞り切ったレモンのように人々のいのちを最後の一滴まで絞り取ります。
(ベンジャミン・クレーム『人類の目覚め』p.47)

市場フォースの本質は貪欲と分離主義である。これらのフォースに執着すればするほど、ますます束縛の独房をつくり出す。これは霊的な破産につながり、精神の不均衡につながる。
(1990年5月)
(『いのちの法則』p.181)

投 機

人類は長い間投機という病気を病んできた。この病気の徴侯は貧困、犯罪、麻薬濫用、暴力、戦争である。基本的な原因は分離と恐怖に基づく人類の昔ながらの貪欲である。キリスト(マイトレーヤ)のリーダーシップの下に、覚者たちは人類がこれを見ることができるように助け、より大きな相互依存の感覚を彼らの中に喚起するだろう。すべての人間に知られるマイトレーヤの存在そのものがこの変容を可能にすることに大いに寄与するだろう。
人類が相互依存の感覚を得るとき、恐怖心をなくし、かくして貪欲をなくすだろう。当然ながら、これは一夜にして起こらないし、またあまり長く遅らせることはできないだろう。経済崩壊とそれに引き続いて起こる変容は強力な教師となるだろう。変換された経済の相対的な制限が人類に新しい現実感をもたらし、それによって変化は論理的で受け入れやすいものとなろう。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命第Ⅲ巻』
p.197-198)

差し迫る株式市場の暴落は商業主義の結果である。商業主義とは、他の人々が飢えている間にお金を儲けることである。“利己主義の術”を教えられるや否や、あなたは自分の運命に従うことをやめる。あなたの運命とは、本来のあなた自身を認識することである。……この種の(このような状況をつくった)文化は消え去るだろう。商業主義の終末は今や間近にある。特定の傾向のマインドを持つ人々を満足させるために、ところどころに「賭事の場」は残されるだろうが、一般的に、現在運営されているような株式市場は、新しい社会の中に存在する場はなくなるだろう。
(1989年4月)
(『いのちの法則』p.176)

株式取引所は特定の会社の金融状態を(単に書類上で)登録するのに用いられます。取引所に上場され株価が上がっていれば人々は投資をするのです。なぜなら、買い得だからです。株価が下がれば売ります。彼らは賭けをしているのです。だから株価は上がったり下がったりするのです。ただお金をある会社に何パーセントかで一定の期間貸しているのです。彼らはただ座って待っているだけです。賭けの勝利金で暮らしているのです。悪銭です。すべては、何もしないで何かを得るという虚構に積み上げられています。世界に振りかかる負担は莫大です。そのコストは、職場の喪失であり、突然の働き手の失業による家族の心の痛手です。
(ベンジャミン・クレーム『大いなる接近』p.132-133)

すでに発表したように(シェア・インターナショナル1988年12月) 世界の株式市場の崩壊は日本において始まるだろう。マイトレーヤは繰り返し次のように言われる――株式市場の崩壊は避けられない。その終わりは間近である。株式市場は、誰もがますます多くのお金を得る麻薬に夢中になって賭け事をする賭博場のようなものである。かれらは自分の財産を隠し、そして犯罪的雰囲気さえも創出している。これは破裂寸前のバブルである。
(1989年6月)
(『いのちの法則』シェア・インターナショナル1989年6月号p.12)

人々はお金のつくり方を学ぶために、そしてすでに投資した金でさらに儲けるために、毎日、毎時、株式新聞を読むことに没頭しています。世界を餌にして生きており、何も世界に還元しません。単なるギャンブル(賭け事)です。金を投資し、それを2倍、3倍、それ以上に増やします。株式市場で財を成しても、社会に何も還元しません。それは巨大な錯覚想念であり、すべての国において何千何百万の人々がそれを現実として受け入れました。それゆえに、マイトレーヤは株式取引所を「世界のギャンブルのカジノ(賭場)」と呼びます。社会に何も負うことなく、何も還元しません。お金に余裕のある人々が全く何もせずに、そのために働くことなく、ただあるお金を利用してさらにお金を儲けることができる場なのです。
(ベンジャミン・クレーム『生きる術』p.241-242)

商業主義はいかなる原子爆弾よりも破壊的である。?
(1989年3月)
(『いのちの法則』p.174)

ハイアラキーは投機を病気と見ています。現在、すべての株式取引の90パーセント以上が貨幣の投機です。株式市場はマイトレーヤの言葉で言えば「賭事のカジノ」です。正義に基づく合理的な経済制度の中では、何の役割もないでしょう。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命第Ⅲ巻』p.125)

変化の必要

マイトレーヤは、彼の訴えに対して、そして彼が授けようとしておられるものに対して、人類が可能な限り最も良い反応をする時期、ある一つの周期を待っておられます。最良の周期は世界の株式市場の崩壊と共に始まることをマイトレーヤは知っています。それが人類を初めてリアリティ(実相)に直面させるでしょう。そして私たちが予期する事柄を完全に変えるでしょう。それが起こらない限り、西欧の諸大国の行動と期待はマイトレーヤの計画と非常に相違します。……しかし人類の進化、意識の変化、したがってマイトレーヤの旗印の下で人類が進むために必要な価値観という意味から見れば、それは非常に重要です。私たちは喜んでマイトレーヤのアイディア――西欧の諸大国のみならず地球上すべての人々のための正義(公正)、自由、分かち合い――に応えなければなりません。このことは既存の社会/経済機構の解消を必要としますが、まだそれは起こっていません。
(ベンジャミン・クレーム『協力の術』p.289-290)

株式暴落の後における政府の第一の義務は、人々を正しい食物で養うことである。第二の義務は、適切な住宅を保証することである。健康と教育が、その次の優先事である。世界の他の地域では、これらの線に沿った投資がなされるだろう。そして最後に防衛である。短く言うと、暴落は優先されるべき物事の順序の再検討につながるだろう。
(1988年10月)
(『いのちの法則』p.175)

現状は、G7諸国、つまり7カ国の主要先進諸国が世界人口の3分の1しか占めていないにもかかわらず、世界の経済を支配しており、世界全体の暮らし向きを決定しています。彼らは他の3分の2の人々に彼らの機構を、やり方を、つまり商業主義や自分たちに有利に傾いた「競争」、市場のフォースの働きなどを押しつけています。これが至るところで、先進諸国においてさえ、世界を屈服させており、ましてや開発途上国においてどうであるかはあなた方にも想像できるでしょう。これは経済的全体主義であり、終わらせなければなりません。それは、私たちすべてが平等な時点で始まるという嘘に基づいています。実際にはそうではありません。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命・第Ⅲ巻』p.129)

政治家が『宇宙の主人公』であるという考えは終わるだろう。幸せと社会の安全のために重要なのは国民の意志であることを、政治家はいま気づきつつある。それはとても聖なることであり、それを侵す者は破壊に直面するだろう。
(1989年6月)
(『いのちの法則』、シェア・インターナショナル1989年6月号p.12)


荒野の体験

民衆の声が聞こえはじめる。民衆は政治家が彼らの期待に背いたことを認識しはじめている。……路頭に住むことを余儀なくされ、あるいは家のローンを支払うのが困難な人々は言う「私たちはこんな生活をするために政治家を選んだのではない」と。
(1989年9月)
(『いのちの法則』p.217)

最近の株式市場の暴落はマイトレーヤの影響の結果ではなく、われわれの不合理な経済システムの結果です。株式市場の基礎である投機は今日の社会の主要な病です。「荒野の生活体験」とは、人類が極度の物質主義の過剰と不公正を取り除くために、より簡素な生活を自発的に取り入れていくことです。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命・第Ⅱ巻』p.164)

人々が「それにはどうしたらいいのですか。私たちは分かち合いたいのです。分かち合いの原則を受け入れます。どう始めたらいいのですか」とマイトレーヤに尋ねるなら、次のように答えられるでしょう。
金融や経済や行政などの分野に、イニシエートや覚者方の弟子たち、そしてそれぞれの分野で偉大な業績を成し遂げた男女のグループが存在します。彼らは今日の経済問題の中心課題である再分配の問題を解決する相互に関連した青写真、計画をすでに作り上げています。世界の資源の全体像が分かるように、各々の国は自分の国の在庫を明らかにすることを要請されるでしょう。国民が必要とするもの、製造するもの、輸入しなければならないものが明らかにされるのです。そして各国は自国民が必要以上に持つ余剰分を共通の備蓄に入れることを求められるでしょう。その共通の備蓄分からすべての人間の必要が満たされるのです(洗練された物々交換のシステムが現在のシステムにとって変わるでしょう)。
人類の完全な変容にとってのカギは、分かち合いの原則を受け入れることです。その原則の上に正義がかかっており、正義の上に世界の平和がかかっています。そして非常に奇妙なことは、最も重要なこれが一番達成しやすいのです。人類が分かち合いの原則を受け入れることで、その他の問題は簡単に解決されるのです。
(ベンジャミン・クレーム『大いなる接近』p.140-141)

荒野の体験とは、特に西洋にとっては、世界中至るところの人々が生きることができるようになるために、より簡素な生活様式を受け入れることなのです。事実、キリストの主な任務の一つは、人類を物質主義のグラマー(自己眩惑)から解放することです。このグラマーが、この非リアリティの霧こそが、人間が本来の己を、そして人生の真の意味を知ることを阻んでいるのです。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命・第Ⅰ巻』p.180-181)

市場フォースを手なずけることが非常に多くの政治家の信条となっているのが見られるだろう。それは人々の健康と富を奪ったが、しかしいまや人々はヒューマニティ(人間性)の名において目覚めつつある。国家の富はすべての国民の間で分かち合われるようになるだろう。
(1992年1月)
(『いのちの法則』p.183)

来るべき時代に、人類は分かち合いの原則を実施するための問題に取り組む方法をいくつか開発するだろう。この貴重な原則が実施されていく各段階(ステージ)において、人間は己の本源へより近づいていくだろう。徐々に、その聖なる潜在力をますます顕現していく新しい人類が見られるだろう。第一の段階においては、再分配が基調となり、各々の国家は自国の必要以外の資源を世界共通のプールに提供する。人間が、その裡なる神性ゆえに、より単純な経済形態を欲する心を目覚めさせるまでは、世界の物質は洗練された物々交換の形態を通して分かち合われるだろう。
(『覚者は語る』―分かち合い―p.20)

先進国は特にもっと質素に生活することを学ばなければなりません。世界の生活水準の不均衡を全く考慮しないで、現在のペースで世界の資源を強奪し続けることはできません。もしそれを続けるならば、この惑星の生態系は完全に破壊されるでしょう。樹木ははぎ取られ、水はさらに汚染され、空気や土壌も同じく汚染され、私たちは中毒して死んでしまうでしょう。私の師は「すでに汚染は、世界における殺人者のナンバーワンである」と言っています。それは免疫系を破壊し、その結果様々な病気による死をもたらしています。資源の悪用があまりにも致命的なので、方向転換をしない限り、10年または15年以内にこの惑星はほとんど住めなくなるでしょう。
(ベンジャミン・クレーム、『大いなる接近』p.289-290)


マイトレーヤの教え

わたしの到来は変化の前兆である。だから、古い機構を失うことへの悲しみでもある。しかし、我が友よ、古い甕は壊されなければならない――新しい酒にはより良いものが相応しい。
(メッセージ 82信p.236)

今や非常に間もなく、マイトレーヤが諸国家に重大な選択を提示するだろう――現在の脅えた自己破壊的な様式を続けて、皆ことごとく消滅するか、あるいはマイトレーヤに従って、より簡素な、より健全な、より安全な生き方をするか、それは地球上のすべての人間のためのより幸せな未来を保証し、
そして人を進化しつつある神の子としての運命に再び結び付けるだろう。人々が彼らの前にある選択――幸福か絶滅か――の性質を理解するとき、彼らは決断を下すのによもや躊躇することはないだろう。彼らがそれを行うのを助けるために、マイトレーヤは現在の問題を分析し、そして人間が取る様々な行動の結果を非常に明快に示されるだろう。……
マイトレーヤは今まさに出現し、人間への呼びかけを始めようとしている。「あなたがたは自分たち自身をひとつとして見なし、あなたがたの生得の権利を得なさい」。「分かち合いなさい、そして正義と平和の意味を知りなさい」。「愛することを、そして信頼することを学び、いのちの美を知りなさい」。「すべての人間をあなたの兄弟として見なし、そして本来のあなたである神になりなさい」。偉大なる主はこのように語る。かくして、彼は人間の心(ハート)を、いまの時の緊急事態に目覚めさせる。決断の時、最も重大な時はいまや人類種族に迫っている。良くそして賢く考えて、「光に充ちた未来」を選びなさい。
(1996年5月『覚者は語る』―人間の重大な選択―p.425-426)

わたしの教えは単純である。分かち合うことの必要と、すべての人間が平等に汲み取ることのできる資源の溜まり場を創ることの必要を、示すであろう。貪欲を協力と信頼に置き換え、人間の裡なる霊性を顕すことの必要を説こう。
霊性の顕現こそ、もっとも大切なことである。我が友よ、それなくしては、人間の未来はまさに闇である。
決定の時が人類を待つ。
わたしの愛が両極端の見解を創り出す、それがわたしの振り回す剣である。
我が友よ、あなたがたがどこに位置するかをよく知り、わたしの光を受けなさい。
(メッセージ 64信p.187-188)

日本で始まる株式市場の崩壊は世界中に反響するであろう。その後すべての政府の優先事項が変わるであろう。第一の優先事項はすべての人間のための十分な食糧の供給。第二は、すべての人間のための適切な住宅の供給。第三に、すべての人間のための健康管理と教育の提供である。これらは至るところにいるすべての人間が必要とする基本的人権であるが、それがすべて人間の普遍的権利として提供されている国は世界のどこにも存在しない。?
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命・第Ⅱ巻』
p.32)

世界の資源を分かち合うことは世界に正気を取り戻させるでしょう。ほとんどの人々にとって生活はより楽しくなるでしょう。明らかに、最初のうちは人生の単純化と選択の喪失ゆえに喪失感を感じる人々もいるかもしれませんが、覚者方の影響の下で、そして霊的・知的変容、分かち合いの結果生じる緊張とストレスの減少の中で、私たちは、人々が人生をよりいっそう楽しみ、それを美しく思うような世界を創造するでしょう。メディアは毎日、分かち合いの進行について、そしてそれがどんな効果を上げているかを報道するでしょう。全世界が巻き込まれるでしょう。マイトレーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。そして人々は「お金は昔より少なくなったけれど、前よりも幸せだよ」と言うでしょう。すべての人が同じであれば、より少なくてもより幸せになれます。大金持ちがいる一方で、ほんの少ししか持たない人がいるから、百万ドル欲しいなどと思うのです。この分割が貪欲をつくり、すべての可能性を十分に生きていないという感覚を生み出しているのです。分かち合いの原則で苦しむと思う理由は何もありません。それどころか、ほとんどの人がもっと豊かになるだろうと教えてあげなさい。?
(ベンジャミン・クレーム『協力の術』p.70-71)

新しい機構 
わたしの到来は、古い秩序の終わりを意味する。
もはや人類の目的にそわない、役に立たないものはすべて、捨て去られる。
これを嘆く者は多いであろうが、しかしなされねばならない。
我が友よ、子供たちよ、人類には、まことにすばらしい未来があることを示すために、わたしはここに居る。
いつの日か、人は、虹色にかざられ、神の栄光に輝きながら、己の神性を顕して立つであろう。
わたしはこれを約束する。
(メッセージ4信p.30)

人間の生活の物的な構造がたてなおされ、宝瓶宮の時代にわれわれの生活を支配すべき原則が理解され実施され始めるとき、マイトレーヤは、人間に実在(神)の全く新しい相を明かされるでしょう。この新しい啓示をもたらすことが如来の使命なのです。いにしえの神秘は復興され、秘教学校が再開され、人間は己の本質に気づき、真の目的と運命への認識が大きく拡大されるでしょう。宝瓶宮の「いのちの水」はマイトレーヤから流れ出て、人間は約束された、より豊かないのちを得るでしょう。
分かち合いの原則が人類の輝かしい未来へのカギであります。世界が真に一体となり、世界の生産物がすべての人間に分かち合われるとき、覚者方がわれわれのために保管しておられる聖なる科学の秘密が危倶なく明かされ、その媒介を通して、人間は世界がこれまで見たことがないような文明を創ることができます。人間が聖なる存在であることを悟り、マイトレーヤと覚者方の指導の下に、われわれはその神性を、仏性を、新しい創造性と生きる姿勢の中に表現していくでしょう。
(ベンジャミン・クレーム『世界教師と覚者方の降臨』p.100)

今日、どこを見回しても、変化の結果が見える。
恐れを感じさせるようなことがたくさん起こっている。しかし我が友よ、わたしがあなたがたの中に居る間、恐れるべきものは何もない、なぜなら、わたしは神の意志を体現する者であるから。
変換のための神の計画は、古い形態の破壊を必然とする。
我が友よ、これは避けられない、そして新しい美を招き入れるであろう。
(メッセージ110信p.323)

新しい簡素さ
――覚者より、ベンジャミン・クレーム筆記
あまり遠くない将来、人間が自分たちは神であることを確信する時がやって来るだろう。神性が達成されると、それは兄弟同胞愛として実際に顕され、人類が神より与えられた能力と力(パワー)を展開していく文明の創造を通して実演されるだろう。
キリストと覚者たちの刺激のもとに、人間は知識と洞察を授かるだろう、そしてそれが新しい在り方と意味の展望を彼らの目の前に開くだろう。その結果として、必然的に新しい形態の創造、生活と仕事の新しい技術、新しい製造手段、新しい目標とゴールの創造が流れ出るだろう。そしてそれによって人間の業績が測られる。人生に対するまったく新しい対処の仕方が、新しい関係と儀式を通して表現されるだろう。
はじめは、変化はゆっくりとしたものであろう、しかし徐々に、広範囲の変化が世界を変容させるだろう。各国は、それぞれユニークな贈り物を新しい世界の融和のために寄与するだろう。何にも増して、新しい善意の精神が人間の行為を動機づけ、本当に永続する平和の創造につながるだろう。そのようになるだろう。そのようにして、「すべての国家の願望」がわれわれの直中に確立されるだろう。そのようにして、人の子たちは、自分たちを神の子として認識するようになるだろう。
今日多くの者が、現在の困難と危険の迷路を無事に通り抜けるのを助けてくれる案内者を、「約束の地」に、「ミルクと蜜であふれる地」に、潤沢な地、豊かな地に、彼らを導いてくれる案内者の顕現を、アバター(大聖)の、偉大なる教師の顕現を待つ。大教師についてのこのビジョンはまったく誤ったものではないにしても、深い物質主義の見方を反映している。豊かさは、もちろん確かにあるだろう、すべての界において、人間に「新しいいのち」をもたらすだろう。この「新しいいのち」は、キリストを通して集中され、すべての人間に提供される宇宙の霊的贈り物である。しかし、豊かな地は今日でも、すべての人間のものであり得る。現在の過ちを正すのにアバター(大聖)を待つ必要はない。人間が自分自身を救うことができるとき、救い主の必要はない。「あなたの兄弟の窮乏をあなたの行動の尺度となして、世界の問題を解決しなさい」。かくキリストは語られ、すべての者のための正義と潤沢への単純なステップを描かれたのである。
アバター(大聖)が人間の個人的な病気を癒してくれることを待つ者は多い。彼ら自身が治療法を自分の手の内に持つことを忘れているのである。「人間は誰も孤立した存在ではない」し、またそうあるべきではない。そしてすべてのものの必要が満たされるとき、個人が栄えるだろう。
繁栄とは、「誰も窮乏することなく」、大金持ちも極端な貧乏人も存在しない状態なのである。贅沢と飢餓が手に手をとって進んでいる今日、人間はこのような祝福された状態から程遠い存在である。
新しい簡素さをキリストは人間に提供し、そして彼らはすべて兄弟同胞として分かち合うだろう。協力がこの簡素な生活の基調であり、資源の分かち合いが毎日のなすべき事項になるだろう。このようにして人間の神性は表され、このようにして大計画は人間を通して成し遂げられるだろう。
そこで人間にとって偉大な冒険が始まり、それは彼らを最高の高みにまで連れて行くだろう。簡素さの中に、意味と目的で豊かに満ちた新しい人生を、人々は知るようになるだろう。宝瓶宮の「いのちの水」から、すべての人間が心(ハート)の裡で請い願うあの霊的豊かさが流れ出るだろう。
このようにして、金や権力、特権や威信の問題に対して、新しいアプローチがなされるだろう。奉仕への欲求が利益を求める欲望に取って代わり、正義への願いが分離的な貪欲に取って代わる。各人が、この新しい自由の創造の中で、それぞれに演ずる役を持つ。今のこの時の出来事を感知する者はすべて、自分たちの役割を良く演じなければならない。
(『覚者は語る』―新しい簡素さ)―p.181-183)