学校を一つずつ建てて平和を促進する
マクネア・エザードによるグレッグ・モーテンソン氏へのインタビュー
- 1993年、グレッグ・モーテンソン氏は世界で2番目に高い山、パキスタン・カラコラム山脈のK2に登頂しようとする試みをあきらめた。文明世界に戻ろうとして50マイル歩いている途中、モーテンソン氏は一行からはぐれてしまった。次の7日間ずっと、下山道を必死になって探したという。 疲れ、やつれ果てた状態で、彼はようやくパキスタン北東部の僻地にある貧窮した村、コルフェに迷い込んだ。モーテンソン氏は村の客人として看病を受け、やがて健康を取り戻した。回復しかけた頃のある晩、モーテンソン氏は村の首長のハジ・アリーにコルフェの学校を訪問してもよいかと尋ねた。翌朝、彼はモーテンソン氏を連れて険しい村道を登り、霜の降りた敷地へと案内した。そこには82人の子供が集まり、学校の一日を始めようとしていた。ハジ・アリーはモーテンソン氏に対し、村には学校がなく、隣村との間で教師を共有しなければならないと話した。 モーテンソン氏はその日、子供たちが土をひっかく棒を使って掛け算表を写している様子をじっと 見ていた。「私は胸がかきむしられるように感じた……何かをしなければならないと悟った」とモーテンソン氏は述べている。村人たちが彼のためにしてくれたことに深く感謝し、彼はハジ・アリーに、いつかコルフェに学校を建てることを約束した。 そのため、モーテンソン氏の人生の行方は、彼がそれまでに知っていたどんなことよりも、より危険ではあるがより満足のいくものになった。10年以上が経過し、人質にとられたり、命を狙われるという脅しを何回も受けたり、個人的な障害だけでなく経済的な障害にも打ち勝ったりしながら、彼はどうにかしてパキスタンとアフガニスタンの何千人もの子供と大人の生活を変えることができた。学校を建てて子供たちを教育することを通して、彼は村全体に未来への希望の感覚と、平和は実現可能であるという信念を吹き込んだのである。ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー『3杯の紅茶』は、グレッグ・モーテンソン氏の使命についての話である。非営利団体「中央アジア研究所」は、中央アジアでの彼の仕事を支持し推進するために設立されたものである。 マクネア・エザードが本誌のためにグレッグ・モーテンソン氏にインタビューを行った。
- シェア・インターナショナル(以下SI):中央アジア研究所(CAI)の主な目標は何ですか。
- グレッグ・モーテンソン:私たちの使命はパキスタンとアフガニスタンの僻地で、特に女子のために識字率と教育を向上させ、学校を建設することです。私たちは非政治的であり宗教にも無関係です。 私たちのより大きな目標は、教育を通して平和を促進することです。最初に出版されたハードカバーの副題を決めるときに、私はこのことを主張しました。出版社は副題を「テロと戦い、学校を一つずつ建てて国造りを行った男の使命」にしたいと言いました。私はそれに反対しました。私は米軍の退役軍人であり、志願して2年間、衛生兵として兵役につきましたが、9・11の8年前からすでに学校を建設し、女性の識字率向上のために支援し始めていました。テロと戦うことは、明らかに私の第一の任務ではありません。それは実際、私のリストではかなり下位にあります。 テロとの戦いは、恐怖に基づいています。平和の促進は、希望に基づいています。結局のところ、真の敵は無知なのです。無知が憎しみを生みます。テロと戦うというよりも平和を促進するために、勇気と信念を抱いて本気で関与しなければなりません。
- SI:あなたの本は、架け橋を建設し無力な人々に力を与えることによって戦争とテロ以外の選択肢が生まれるということを教えてくれています。あなたが伝えているのはこのようなことですか。
- モーテンソン:はい。仕事は非常に困難で、危険な時もあります。現地には確かに、暴力やテロや憎しみを助長したいと思っている人々がおります。それはここアメリカでも同じです。 私はパキスタンとアフガニスタンで兵役についている人々とその親から手紙をもらいます。そうした手紙すべてには、ある共通項があります。子供たちを学校に入れ、選択肢を提供するのを手伝うことができなければ、私たちがそこでしていることは全く無意味だということです。
- SI:CAI学校で教育を受けている子供は何人いますか。また、あなたが働く地域について何か話していただけますか。
- モーテンソン:今のところ2万5,000人の生徒がいます。運営されている学校が61校あり、さらに約36校がテントや貸部屋、ホールの中にあります。基本的に約100校を運営しています。 女子を教育し識字率を向上させる仕事に加えて、学校がなく教育的な機会が不足している最も極端な地域に焦点を当てます。そうした三つの極端な地域とは、第一に、文明の辺境地帯にあって物理的に孤立している地域や、到達するのが非常に困難な僻地の谷間のことです。第二に、紛争や戦争が行われている地域です。アフガニスタンで言えば、パキスタンとインドとの国境線に沿った部分です。そして第三に、宗教的な過激主義が信奉されている地域です。 こうした地域のほとんどは貧窮しています。つまり、豊かさという観点から見て、社会の階梯の底辺にあります。学校は全くありません。私たちが働く地域の約80%で、女子のための教育は全くないか、ほんのわずかしかありません。
- SI:CAIは人々が自分自身の福祉と活力に責任を持つよう奨励する革新的な手法を開発したと述べています。それはどういう意味ですか。
- モーテンソン:学校の創設について人々が納得すれば、私たちは熟練労働や、セメントと鉄筋のような物資を無料で提供します。人々は所有地と労力を無料で提供します。つまり、各家庭が10日~30日の肉体労働を提供しなければならないということです。さらに、人々は木材、砂、砕石などの資材も無料で提供します。 基本的に、村とは五分五分の取引をします。それをけちだと考える人もいます。しかし、彼らが責任を負い、自分たちがしていることに投資するようになれば、そのプロジェクトに本気で取り組むことになります。学校を建てたがっている村は何百とあります。 米軍の民間部門、「地方建設チーム」がやっていることと比較してみましょう。彼らはアフガニスタンに非常に素晴らしい学校を何十校も建てました。しかし、その学校のそばを通り過ぎても、学校には子供が一人もおりません。道を約200~300ヤード下っていくと、テントや戸外には何百人もの子供たちがいます。なぜ新しい学校に行かないのか子供たちに尋ねると、学校に戻るようにという通知をもらっていないからだと言います。それから、地区レベルの教育担当者のところに行き、子供たちがなぜ学校に戻らないのか尋ねます。請負業者が全額を用意していなかったからだ、あるいは、契約が履行されていないからだと言います。主な問題は、最初の日から地域社会が全く関与していないことです。外部の請負業者がいて多額の費用がかけられますが、何が行われているのかを地域社会はさっぱり把握しておりません。 米国が行おうとしていることは良いことです。しかし、地域社会がもっと関与する必要があります。お金を節約することにもなります。そうした学校を建てるには、通常約20万ドルかかります。私たちは同じ学校を約20ドル~2万5,000ドルで建てることができます。地域社会から無償の労働と資材を提供してもらうからです。
- SI:CAI学校の子供たちは、原理主義的でもなく西側世界に傾倒しているわけでもなく、バランスのとれた教育を受けていると理解しています。
- モーテンソン:私たちの学校は世俗的なものです。ここ米国と同様に、子供たちは読み書きや算数、科学を教えられます。しかし、少し異なっている点、つまり従来にない特徴が三つあります。 一つは、私たちの学校には口承文学の伝統があるということです。そうした伝統はいまだに彼らの文化の中に息づいています。本や識字を通してそれを根絶させたくはありません。1週間に2回か3回は年配の方に来てもらい、子供たちに物語を語ってもらいます。彼らは自分たちの民話、文化、遺産について語ります。 保健、衛生、栄養に関する授業もあり、1年生から始まります。それは極めて重要であり、約12年間ずっと続けられています。 私たちの学校には週に2~3時間、イスラム研究の授業もあります。パキスタンとアフガニスタンの政府によって要請されているからです。これは問題だと考える人もおりますが、いわゆる宗教学なのです。子供たちはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教について学びます。むしろ比較宗教学のようなものです。特定の宗教を奨励したりはしませんが、子供たちを各宗教の違いに触れさせています。
- SI:世界の非識字率について何かおっしゃっていただけますか。
- モーテンソン:世界には、持てる者と持たざる者との間で大きな格差があります。1日1ドル未満で生活する人が地球上におよそ10億人います。ユニセフによると、教育を受けておらず読み書きができない5歳から15歳までの子供が1億4,500万人います。これが意味することは、子供たちが貧困、奴隷制、宗教的な過激主義、性差別、腐敗した政府のせいで学校に行くことができないということです。 非識字を根絶させたいと思うならば、必要とされる世界の投資は15年間に年60億~80億ドルになるでしょう。現実には、米国は2006年にイラクで、ペンタゴンが主導するテロとの戦いに940億ドルを使いました。アフガニスタンでは、ペンタゴンの予算は140億ドルでした。私たちはアフガニスタンで、アヘン根絶のために6億2,400万ドルを使いました。この数値は2005年と比べると倍増しています。それでも、アヘンの生産は60%増加しました。これとは対照的に、米国政府が2006年にアフガニスタンでの教育のために行った資金提供の総額は4,200万ドルでした。
- SI:あなたは女子が教育を受けることの重要性を強調しておられます。なぜそれほど重要なのですか。
- モーテンソン:私が育った東アフリカにはこういうことわざがあります。「少年を教育すれば、個人を教育することになる。しかし、少女を教育すれば、地域社会を教育することになる」というものです。少年たちは村を離れることが多かったり、送金してこなかったりするのです。しかし、少女たちはあとに残ります。 女子を少なくとも5年生レベルまで教育すれば、三つの恩恵があることがあらゆる研究から分かっています。女子教育は乳幼児死亡率を減少させ、人口爆発を緩和させ、健康の質と生活指数を向上させます。しかし、それには1世代か2世代かかります。 良い例がバングラデシュにあります。1960年代に女性の識字率は20%未満でした。その後、女性の非識字をなくす全国キャンペーンが始まりました。2000年までに女性の識字は約70%になりました。男性の識字率は50%から85%に上昇しました。 女子教育によるもう一つの興味深い影響は、ジハードに行く若い男たちと関係しています。私は見識ある穏健な多くのムラーたちとイスラムについて話したことがあります。若者がジハードに行くとき、それにはいろいろな意味があります。霊的な努力のように、高尚な探求を意味する場合もあります。大学に行くことを意味する場合もあれば、テロ組織に加わることを意味する場合もあります。それはあらゆるタイプの探求なのです。 若者はまず母親から許可と祝福を得なければなりません。そうしないでジハードに行ったとすれば、非常に恥ずべき不名誉なことです。その若者は追放されてしまうでしょう。殉教者になったとしても、天国には行けません。母親が教育を受けていれば、母親は息子が暴力やテロに関与したりタリバンに参加したりするのを認める可能性はずっと低くなるでしょう。 9・11後、米国が2001年10月にアフガニスタンに入る前は、タリバン内で脱走兵の割合が高くなっていました。新人を加入させるのに苦労していました。彼らは読み書きのできない困窮した社会の広大な領域に狙いを定め、銃を突きつけて勧誘して回っていました。なぜなら教育を受けた女性たちは、銃を突きつけられても、息子がタリバンに加わることを許そうとしなかったからです。 アフガニスタンの米軍大佐はこのことに関して別の面白い見解を抱いていました。過去1年半の間、タリバンは400校以上の学校を爆撃したり破壊したりしました。その約90%が女子校でした。男子校はめったに閉鎖したり爆撃したり破壊したりしません。タリバンが最も恐れていること、自分たちの運動の最大の敵と見なしているのは、教育を受けた少女たちが成長して母親となるとき、イデオロギーの道が失われてしまうという事実です。そうすると、彼女らの心の中ではイデオロギー戦争は無意味になってしまいます。そのため、タリバンは新人を募集することができなくなるのです。
- SI:あなたが建てた学校のどれかが、宗教的に過激な地域にあるということでトラブルに巻き込まれたことはありませんか。
- モーテンソン:私たちの女子校のうち約12校が、過去あるいは現在のタリバン支配地域にあります。最も成功を収めた女子校の一つがカブールの南、中央アフガニスタン高原地帯のチャー・アジアブ谷にあります。そこは実際にタリバンの最大のお尋ね者の一人の生誕地であり故郷です。彼はかつてムジャハディーン、つまりソ連軍と戦う自由の闘士でした。 私たちの女子校は彼の本拠地の中にあり、147人の女子がその学校に通っています。そこがタリバンに攻撃されたとき、ファーヒム司令官──タリバンではない地方司令官──は怒り狂いました。15人のタリバンが夜中にやって来ました。これは2007年6月末か7月初めのことです。彼らは夜警を縛り上げ、誰かが朝学校に来れば、彼らを殺して学校を破壊するつもりだと言いました。ファーヒム司令官は150人の民兵と一緒に踏み込みました。彼は2人のタリバンを殺し、他の人々を逮捕しました。彼はタリバンが、約3,100ドルに相当する20万アフガンを受け取っていたことを知りました。 彼らはそのタリバンにどこでお金を入手したかを聞き、出所が地元のムラーだということを突きとめました。それで、彼らはムラーの家に行きました。ムラーは逮捕され、8年の実刑を受けることになっています。それぞれのタリバン兵には懲役2年か3年の判決が下されました。
- SI:「マドラサス」とは何のことですか。
- モーテンソン:イスラム世界には、あらゆる集落や村や町に文字通り何万校ものマドラサスがあります。マドラサスの99%が日曜学校と似ており、生徒たちは信仰やコーランについて学びます。しかし、暴力的で過激で好戦的なイスラムを宣伝しているワッハーブ派のマドラサスが急増しています。 地球上には12億人のイスラム教徒がおります。約82%はスンニ派で、17%はシーア派です。1%はイスラム教の他のタイプから派生したものです。スンニ派には4つの小区分があり、その1つがワッハーブ派です。 アハメド・ラシッド氏は『タリバン』という題名のベストセラーを書きました。1980年の時点でパキスタンとアフガニスタンには、およそ800~900校の過激なワッハーブ派のマドラサスがあると彼は推測しました。今日では2万5,000校以上あります。400万人の子供たちがそうしたマドラサスに在学しており、その数は年々増えています。 子供たちがマドラサスに通う主な理由の一つは、父親が年に約50ドルの収入しか得ないことが多いからです。これらは困窮した地域です。学校があれば、たいていの子供は学校に通うでしょう。学校がなければ、父親は当然、マドラサスに息子を送るでしょう。 「ジハードの戦士」あるいはテロリスト集団が、教育の価値を、少なくとも自分たちの教育方法の価値を、実際に教育を信じている人々よりも認識しているのは皮肉なことです。
- SI:現地の非識字の根絶にとって大きな障害になっているのは何だと思いますか。
- モーテンソン:最も重要なステップは、女子教育を最優先事項にすることだと思います。多くの地域で、読み書きのできる少数のムラーが、読み書きのできる唯一の人物であるということで、非識字社会の広大な領域を支配しています。彼らは大きな権力を持っています。しかし、識字がもたらされるとき、彼らの権力は弱まります。そのため、主な障害の一つは、女子教育が実施されてほしくないムラーつまり過激主義者たちに、教育の価値を認めさせようとすることです。これは非常に困難です。何十年もかかることがあります。
- SI:先進国の多くの人々は、パキスタンにせよアフリカにせよ、地球の裏側の遠く離れたところにいる困窮した人々の必要にかかわりを持つのに困難を覚えます。通常はそのような人々の政府もそれほど良くはありません。そうした国々に戦略的な利害がない限り、その国の民衆のために人々が行おうとする努力は微々たるものです。そうした姿勢をどう克服することができるでしょうか。
- モーテンソン:私たちは大人として、平和をもたらすことや貧困を軽減することに失敗しました。真の希望は子供や孫たちにあります。私は米国の学校で子供たちを相手に講話をすることに大きな努力を注いできました。モスク、ユダヤ教会、キリスト教会、その他の礼拝所に実際に入っていきますが、普通は子供たちのところに行って話をします。 中央アジア研究所は「平和のためのペニー」と呼ばれるプログラムを開始しました。その背後にある推進力は、誰でも変化を起こすことができるという考えです。そのプログラムは子供たちに寛容と同情について教え、もし世界を変えたいと思うならば、1ペニー、1本の鉛筆、1人の子供を手始めとして、小さく考えるよう教えます。実際には大きく考えるのですが、小さく行動するのです。種を蒔くことです。
- SI:あなたはパキスタンとアフガニスタンにおいて、別々の時期にイスラム教の宗教活動に参加しましたね。伝統的な意味で自分のことを宗教的だと思いますか。
- モーテンソン:私はルーテル派として生まれ、洗礼を受けましたので、ルーテル派の教会に行きます。しかし、私にとってキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒の神は同じ神です。私の場合、信仰は父親から学びました。信仰とは、話し合うものというよりも、行動と献身のことです。
- SI:そのような姿勢はお仕事をするうえで役立っているのではないかと思います。
- モーテンソン:そのようです。興味深いのは、パキスタンとアフガニスタンで14年にわたって仕事をし、65カ月も現場に、一触即発の地域にいたのですが、私を公然とイスラム教に改宗させようとする人はいなかったということです。これは特筆すべきことだと思います。私は彼らに大きな敬意を抱いていたし、彼らも私に敬意を抱いていたと信じています。
- SI:あなたがファトワー※やその他の脅迫を受けたことは何度となくありましたね。恐かったですか。もしそうなら、どうやってやり続けたのですか。 〔※イスラム法学者による法的な意見や判決のこと。俗な言い回しでは、イスラムへの侮辱を受けた場合には復讐のために人殺しをするよう促すものを意味する〕
- モーテンソン:仕事をやめることを考えた唯一の時期は9・11の後でした。私は2001年8月から10月末までパキスタンとアフガニスタンにいました。9・11の直後、命を失う恐れがあるということで、米国務省はすべての米国市民に対して避難を要請しました。私は妻に電話をかけ、自分の仕事はまだ終わっていないため、やり遂げる必要があると伝えました。妻はこう言いました。「あなたを愛してくれる人たちと一緒にいるのね。今は、彼らがこの事態を乗り切るのを手伝うために、あなたが実際に彼らと一緒にいなければいけない最大の瞬間かもしれないわね」と。 私は行った先々で、ありったけの歓待を受けました。一人の非常に年をとった貧しい未亡人は、ニューヨークの未亡人たちに渡してほしいということで五つの貴重な卵を持ってきてくれました。非常に頑固な何人かのムラーさえも、平和を祈るためにモスクの中に来るよう勧めてくれました。至るところで人々が近寄ってきて、彼らは全く無関係であるにもかかわらず、ニューヨークで起こったことについて謝りました。 2001年10月下旬に米国に戻ったとき、私は嫌がらせのメールや死の脅迫を受け始めました。それ は1年間続きました。それらはアフガン人やパキスタン人からではなく、アメリカ人からのものでした──手紙、電子メール、電話が来ました。私は敵の一人になっているため、敵よりもたちが悪いと彼らは主張しました。お前は国家への反逆者だ、と彼らは言いました。ある手紙にはこう書かれていました。「テロリストを助けているのに、あなたは自分のことをなぜキリスト教徒と呼ぶことができるのですか」と。それは無知と憎しみに他なりませんでした。その後、それは次第に消えていきました。本が出版された後、再び嫌がらせメールを受け取るようになりました。妻は、私の仕事が本当に反響を呼び、成功しつつある徴だと言ってくれました。
- SI:あらゆる問題を理解し、手を差し伸べたいと思っているけれども、一人の人間が変化を起こすことなどできないと考えている人に対して、あなたなら何と言いますか。
- モーテンソン:誰でも変化を起こすことができます。それは種を蒔くことから始まります。現地にいるある人物を例にとりましょう。 アズィザという若い女性がアフガニスタンとパキスタンの国境にあるチャープサン谷で暮らしています。ヒンズークシ山脈の部族地帯にあるこの谷には4,000人が住んでいます。1年生と2年生のとき、少年たちは彼女に石を投げつけました。彼女はその谷で学校に通った最初の女子だったからです。3年生と4年生のとき、先生たちは彼女に教えることを拒否しました。彼女が女子だったからです。高校に進学したとき、彼女に石を投げつけた少年たちは、彼女を卒業させてなるものかと彼女のノートと教科書をすべて盗みました。アズィザは卒業しただけではなく、クラスで最も優秀な成績を収めました。1998年に、私たちは彼女に母親の保健に関する2年間の訓練──助産、産前産後の看護、予防接種に関する訓練──を受けさせました。それには800ドルかかりました。彼女は2000年にチャープサン谷へと戻りました。2000年に母親保健ワーカーとして働き始めたとき、現地には医者がおらず、薬や診療所もありませんでした。毎年5人から20人の女性が出産時に死亡しており、かなり深刻な事態となっていました。十年間の累計では、大勢の女性が死亡していました。アズィザは7年間働いてきましたが、出産時に死亡する女性は一人もいなくなりました。彼女の給料は1日約1ドルです。
- SI:一人でも変化を起こすことができるのですね。
- モーテンソン:一人でも可能です。私たちの学校のほとんどは、お金も資源もない村のある人物が、自分たちの村で学校を開校させようと言ったことがきっかけで建てられています。
- 詳しくは:www.ikat.org
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