現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2008年 4月 われわれの前の未来

われわれの前の未来

本稿には『われわれの前の未来』というテーマに関わる引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(『キリスト・マイトレーヤからのメッセージ』、『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師のことば『覚者は語る』、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

わたしの覚者たちは、彼らのグループを通して、新しい形態と機構を開発している。それは、あなたがた自身である聖なる存在を、よりよく顕すことを可能にさせる。かくして大計画は完成される。
この偉大なる霊の冒険に参加しなさい、我が友よ、そして、あなたがたの受け継ぐ遺産を示させてください。そこへ導かせてください。 
(マイトレーヤからのメッセージNo. 41、p.130)

覚者たちは世に在る

覚者たちがその存在を世界のすべての視野の中に確立するとき、人類と覚者たちの関係に大きな変化が起こるだろう。今まで覚者たちは、少数の弟子たちを除いたすべての人間にとって接触することのできない遠く離れた存在であったが、間近い将来、「人類種族の案内者」は人類とのより深い、より持続的なかたちの協力関係を育むだろう。「ハイアラキーの外的顕現」として知られるこの過程はすでに始まっており、何人かの覚者たちは物質界における種々のグループと接触した。これまでのところ、この接触は、経済、行政、科学の分野、そしてやや少なめに教育の分野で働くグループに限られていた。しかし、覚者たちのインスピレーションと指導が、世界の復興のために働くすべてのグループに自由に与えられる時がやって来るだろう。
その時以降、「霊感を与える者たち」と人類との間にまったく新しいコミュニケーションのシステムが確立されるだろう。大体において、特に弟子たちに関しては、思念伝達が接触の様式として続けられるが、しかし必要なときには、普通の言語の様式も使うだろう――この目的のために彼らは特別の訓練を受けたのである。これは、もしそうでなければ覚者の刺激を受けられない多くの者をも、彼らの影響圏内に入れることになるだろう。そうして人類の真のトレーニングが始まるだろう。
(『覚者は語る』―覚者たちは世に在る―p.104)

この地球上でのわれわれの未来は幸せなものであるように運命づけられており、すべての人々が人生を最大限に楽しむことができるのである。腐敗や混乱は政治家によってつくられたものであり、覚者方は、それらすべてを終わらせて、政治家は国民の下僕であり、主人ではないことを認識させるためにやって来た。
(『いのちの法則』p.322)

通 信

人間のマインド(識心)は、人によって多少は異なるが、敏感な器具であり、体である。それによってメンタル界に接触し、それを知ることができる。メンタル界、つまりマインドベルトは無限に広がっており、あらゆるメンタル的体験の回路として機能するのである。
人間がこれに気づくとき、テレパシー(思念伝達)がいかにこの関係の自然な結果であるかを理解するようになるだろう。そして相互のコミュニケーションと理解の新しい時代が始まるだろう。神経組織は、魂とその器〔*〕の間をつなぐリンク(輪)として、それによって転生している魂が肉体人間をしっかりとつかみ、己自身を反映する手段として、理解されるようになるだろう。このようにして、意識、すなわち魂の特性は拡大し成長し、その光をすべての界に投射して、人間を神の子としての本来の運命に目覚めさせていく。
(『覚者は語る』―意識の成長―p.332)

〔*〕器=パーソナリティー、メンタル体、アストラル体、肉体。

思念伝達は人間の自然な特性であり、覚者方はいつもそれをお使いになります。ほとんどの人はその能力を失いました。覚者方は話をなさいません。単にお互いに思考を送るだけです。それが普通のことになり、嘘をつくことは不可能になるでしょう。
(ベンジャミン・クレーム『大いなる接近』p.46)

質問 覚者の記事に述べられているテレパシーと、ほとんどの人間がテレパシーと呼ぶものはどのように違うのですか。
答 ほとんどの人々が経験するテレパシーの体験はでたらめな偶然であることを除けば、実質的に違いはありません。それはみぞおちを通しての感情的=アストラル的な反応であり、動物王国と共有しているものであり、コントロールできないものです。それはただ起こります。母親はしばしば自分の子供との密接なテレパシー的な接触を持っています。もし何かが子供に危害を加えようとしているなら、母親はそれを知るでしょう。
覚者が述べるテレパシー、ハイアラキーが使うテレパシーは同じ性質を帯びたものですが、まったく異なった段階のものです。それは高位メンタル界で起こり、媒介としてマインド・ベルト(想念帯)を使用します。私たちのマインドはマインド・ベルトに意識を合わせる道具、器であり、私たちが持っているメンタル的な印象と体験のすべてをそこから引き出します。覚者方は言語を使いません。もし覚者方が肉体として弟子の前に現れることがあれば、言葉を使用するかもしれませんが、覚者にとっての通常のコミュニケーションの方法はテレパシーです。覚者方はグループ意識を持っており、そのため、彼らの間のテレパシー(思念伝達)のコンタクトは完璧です。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命、Ⅱ巻』p.435)

「家族と国家、国民の間に何の違いもない」。安らぎや奥ゆかしさや調和のパターンをつくるものは、両親と子供たちとの間の「コミュニケーションの術」である。こうした人間の進化に貢献するコミュニケーションが存在するところでは、認識がその家族の憲法になる。 (『いのちの法則』p.298)
今は、BBC、ITV、そして世界のテレビ・ネットワークにとって非常に大切な時である。新しい時代には、テレビが最も効果的なコミュニケーションの手段になるだろう。コミュニケーションのテクニック(skills)と術(art)に対する需要が非常に大きくなるだろう。メディアは世界の隅々の町や村にまで行き渡り、情報伝達が行われるだろう。コミュニケーションを通して、世界は本当に統合されていくだろう。だからテレビがその新しい責任に応じるために正しく組織されていなければならない。
(『いのちの法則』p.307-308)

子供たち

現在、転生に入ってきている子供たちは前の世代よりもずっと進化しています。彼らは霊的エネルギーに対してより敏感であり、そしてより直観的です。これは進化の過程の一部です。各時代はその時代の問題に対処する能力を備えた人々を転生させます。彼らの時代の特殊な問題に対して解決法を提供することができます。いま既に、新しい時代のために適応した子供たちがよりたくさん生まれてくる時期に入っています。彼らは私たちの生活を変革するでしょう。次の25年から30年にかけて、世界は根本的に変わるでしょう。現在生まれてきている子供たちの多くは既に目覚めた直観を持っているでしょう。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命、Ⅰ巻』p.163)

エーテル視力

現代の科学は三つのレベル――つまり、固体、液体、ガス状――しか認めません。しかし、ガス状の上位にさらに物質の四つの状態があるのです。それらは厳密に言って、それぞれが下位のものよりさらに精妙である物質です。物質のエーテル界は現代科学が次に研究していく分野であり、やがて顕示していくでしょう。そうするとエーテル界は現実のものとなり、ますます多くの人々が物質のエーテル界を見ることのできる能力を備えて生まれてくるでしょう。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命、Ⅲ巻』p.353)

人間はまさに偉大なる発見の瀬戸際にいる。病気は不均衡の結果であり、正しいバランスは正しい思考と行動によって維持され、そのような正しい思考と行動は至るところにいる兄弟姉妹に関わる。もし人間が病気に終わりを告げようとするならば、まず分離に終わりを告げなければならない。
(『覚者は語る』―健康と治療[1]―p.43)

覚者方は治療センターを創設なされ、あらゆる種類の医者となるイニシエートや弟子たちを集団(ルビ・グループ)で訓練なさるでしょう。これらのグループは、従来の医者や外科医、そしてホメオパシー医や鍼治療師やラジオニクスの実践者からなります。色や音を使っての治療も行われるでしょう。グループには霊的治療とエーテル界を見る能力を持つ人がおり、エーテル体とエネルギーセンター(チャクラ)の状態について助言をします。彼らは一つのチームとして働くでしょう。
(ベンジャミン・クレーム『世界大師と覚者方の降臨』p.212)

今日、科学は病気の征服にその役割を果たす用意が整っている。物質のエーテル界が人間の探究と研究を待っている。肉体の病気として顕れるエネルギーの不均衡の起源が、そこに見いだされる。チャクラの機能がエネルギーの受容器であり分与器として理解されるとき、そしてチャクラと内分泌組織の主要な分泌腺との関連が知られるとき、病気の処置法は新しい次元を包含するだろう。もちろんすでにこのことを知り、貴重な仕事をしている治療家がわずかに存在するが、この知識が一般的なものとなるまで、病気の仕組みの理解に多大の進歩はない。
エーテル界の分野への研究が熱心に始められるまで、あまり長い時間はかからないだろう。そうなるとき、治療状況は変容するだろう。新しい心理学、すなわちやがて訪れる魂の科学が病気の性質と原因に多大な光を投じ、その予防への道を指し示すだろう。時を経て、人間はデーヴァ界(天使界)に接近し、これと共に働くことを学ぶだろう。デーヴァ界の進化の多くの面が治療のプロセスに深くかかわっている。このようにして、病気は段階を追って世の中から根絶され、今日ではめったに見られないような活力と福利が取って代わるだろう――この生得の権利を人間は知らないだけである。変容の舞台は整えられつつある。覚者たちが(日常世界に)戻って来るとき、道を示すだろう。そして彼らの賢明な指導のもとに、すべてが新しくなるだろう。
(『覚者は語る』―健康と治療[2]―p.45-46)

医者たちが光のテクノロジーを治療に使う訓練を受けるようになると、もはや薬物や手術は必要なくなるだろう。ソ連と米国の科学者はすでに遺伝子工学で実験を行っており、これがさらに開発され、やがて遺伝子情報を、手術を行わずに病んだ器官に伝達し、それを活気づけることができるようになる時がやって来るだろう。やがて、最も深刻な状態でさえも数時間でこの治療を行うことができるようになると、そんなに多くの病院は必要なくなるだろう。          
(『いのちの法則』p.362)

教 育

将来の教育の方向性は魂実現の線に沿ったものになるでしょう。すべての子供がそれぞれ特定の光線構造を持つ、特定の進化段階にいる魂として見られ、それが子供の特定の性向と方向性を決定するでしょう。この知識は、子供が何をどのくらい吸収でき、特定の線に沿ってどの程度刺激が必要かを決定するでしょう。魂の教育が新しい心理学です。これが心理学の向かう道です。……
教育そのものが単なる知識の伝達から個人の特質や目的の解明に変わるでしょう。それは個人を人生に適合させるのであり、特定の仕事に――これが今日の「教育」がうまくもまずくもやっていることですが――ではありません。それは個人を、魂の特質と目的からくるその人の人生の宿命に適合させます。もしあなたがどの子供であれ、その子の個人的なパッケージあるいは教育プログラムを作ろうとするなら、これらすべてが理解されなければなりません。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命、Ⅲ卷』p.171-172)

教育は内在する神に接触し、これを知り、それに表現を与える手段として理解されるべきである。伝統的には、宗教がこの目的を果たすものとして見られ、宗教教育が今日多くの国においてその防壁として残っている。しかしながら、宗教は神へ通じる幾多の通路の一つにすぎず、すべての人間が己の神性を体験し、それを表現できる手段を見つけなければならない。
新しい教育はこの目標に応えるべきである。神の仲介である魂の事実が一般に受け入れられねばならず、この高位の原理に接触をつけるテクニックが一般的に使われるようにならなければならない。
光線構造や進化的発達や魂の目的が知られ、裏付けされるとき、より科学的なアプローチが子供と大人の両方の教育に採り入れられるようになり、その過程に新しい意味が与えられる。それによって、人は神になることを学ぶ。
(『覚者は語る』―新しい教育―p.202)

青少年と自己実現センター

間もなく「アウェアネス(認識/awareness)センター」ができるだろう。そこでは肉体のレベルのみではなく、個人と個人の間のコミュニケーションに焦点が置かれるだろう。現在、このアイディアが何人かの人々によって検討されつつある。真のコミュニケーションが最も大切な場で人々と関わり合う場合の様々な接触(アプローチ)の仕方を、科学者のようなやり方で、実験していくだろう。助けを求めて来る人々は突然「それ(つまり認識)」を自分の裡に体験するだろう、そしてこの内的な出来事を通して、彼らは安堵を経験するだろう。
(『いのちの法則』p.70)

マイトレーヤが悩んでいる若者たちのために世界中で創設しつつあるセンターにおいて、若い人々は、彼らの人生でおそらく初めて自己尊敬の念を教えられる、という言い方は適切ではないかもしれませんが、自己尊敬の念を持つことのできる状態に導かれるのです。彼らは麻薬を使っていたり、アルコールを乱用していたり、崩壊した家庭で育ったり、あるいは犯罪活動に加わっていたり、野蛮な、社会に適応できない者たちであるかもしれない。そのような青少年がこれらのセンターに連れて来られるのです。それは彼らの心の治療です。そこで彼らは、他の状況にいる人々には当たり前のことである自己尊敬を教えられます。なぜなら自己尊敬がなければ、どのような進歩もできないからです。自己を尊敬する念を持たなければなりません。彼らは自己尊敬の念を欠く。だから犯罪の中にいるのです。彼らは、内的に、自分が魂であることを感じているのです。しかし外的な世界では、悪い教育、悪い社会環境、悪い影響のせいで、神聖なる存在としての自分自身についての内的な感じに表現を与えることができないのを知ります。そのために彼らは自分自身とそして自分の延長線としての社会と戦っているのです。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命、Ⅱ卷』p.330)

死に対する新しい態度

わたしがあなたがたと共に居る間に、あなたがたが夢見ることもできないような不思議をお見せしよう。
新しい方法で、神の特性を示そう。
あなたがたの心から、死の恐怖やいのちそのものへの恐れと、あなたの兄弟やあなた自身に対する恐れを取り除いてあげよう。
そのような無知を過去のものとなし、新しい光の中へ、わたしと共に歩けるように手伝ってあげよう。
(マイトレーヤからのメッセージNo. 123、p.361-362)

万有の中の生命は絶対である。創造(被造物)においては、それはいつも相対的である。だから人は死に出会ったとき泣くべきではない。それは何か恐ろしい、嫌なことではない。彼らの友人や愛した人々は単に彼らの故郷へ帰ったのである。チャネリング(霊媒)を通して得た情報を書いた本や書き物が出回っているのは、死の向こう側にある生命についてのメッセージが人類に通じはじめている印である。
(『いのちの法則』p.71)

いのちのみが存在するのである。死は、いのちのもう一つのレベルの体験を指す名前であり、人間の限られた意識を除けば、いのちは連続し途切れることがないのである。われわれが死と呼ぶ体験と、その間(生と死の間)の体験と、外的顕現への復帰を、完全に覚めた意識で思い起こすことのできる時が訪れつつある。そうすると、人間は死の恐怖をなくし、神の子としての本当のアイデンティティー(正体)を完全に認識する中で、知識と至福の内界の収穫を刈り取るだろう。
(『覚者は語る』―意識の連続性―p.196-197)

徐々に、死に対するアプローチが変わっていくでしょう。私たちがすでに持っている永遠のいのちにおける一つの段階であることを認識するようになるにつれて死への恐怖はなくなるでしょう。私たちが(覚者方や高段階のイニシエートのように)意識の連続性を獲得するようになるとき、私たちは以前の状態を完全に認識しながら、物質界での表現体(肉体)の中へ入ってきたり(生まれたり)、それから離れたり(死んだり)するようになるでしょう。覚者方は死を克服されました。例えば、「昇天した覚者」の身体は、全く壊すことができないものです。
(ベンジャミン・クレーム『大いなる接近』p.399-400)

マイトレーヤの教えは、人間から死の恐怖を取り除くだろう。彼の臨在そのものが永遠なるいのちの証であろう。彼の言葉はまた、ほとんどの人間の生活の中につきまとい自然さと歓びを損なわせている恐怖心をも征服するだろう。マイトレーヤの積んでこられた経験が進化の旅路の迷路を案内するだろう。そして彼の足跡をたどることのできる者たちに、安全で確実な行路が保証される。友として、案内人として、教師として、賢明な顧問として、この人類の長兄は御自身の任務を成就されるだろう。
(『覚者は語る』―マイトレーヤの教え―p.293)

誕生の経験に比べると、人間がこの世界から去ることは全く苦痛のないものであり得るし、またそうあるべきです。しかしこれを知るものはいない。だから恐怖があるのです。来たるべき時代には、覚者方とその弟子たちが、我々が死と呼ぶ経験について本当のことを明かされるでしょう。そして人は、そのお呼びが来るのを、安らぎと、希望に満ちて待つようになるでしょう。この知識が一般的になると、大いなる新しい自由が人間に開けるでしょう。人生を、終わることのない旅の一つの段階であるとしてあるがままに見、死そのものを、その道にあるさらに次の、束縛の少ない経験として見るでしょう。そして人は死の恐怖を克服します。
(ベンジャミン・クレーム『世界大師と覚者方の降臨』p.216-217)

来るべき宝瓶宮(アクエリアス)の周期には、再生誕の法則に関してまったく新しいアプローチが取られるだろう。東洋では、起こることはすべて容赦なきカルマ(因果)の結果として甘受するという宿命観、何百万の人間を過酷な労働と苦しみの生活に運命づけてきた古い宿命観が支配するが、それはもはやなくなるだろう。西洋では、人間の存在の基本的原則と、これらの法則の働きが授ける個人的責任をもはや無視しなくなるだろう。人間自身が思考と行動を通して自分の生活環境をつくることを知るようになるだろう。そしてまたこの同じ法則の働きによって、人間の性質や状態をより良い方向に変えることができることを知るだろう。
これが人生の意味と目的を再評価することにつながり、死の事実についてより健全なアプローチが生まれるだろう。すべての生命――生まれていようがいまいが――の連続性に関する理解が、今日の恐怖に取って代わるだろう。死がすべての終わりという古い恐怖症は、人間の心(マインド)を照らす新しい光の中に消え去るだろう。迷信や無知の暗黒の隅々にこの新しい光が輝き、永遠なる魂としての人間の神性を目覚めさせるだろう。
(『覚者は語る』―再生誕の法則―p.114)