現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2012年 1月 伝導:新しい時代のための瞑想

伝導:新しい時代のための瞑想

【次の記事は、2008年1月26日にロンドンのセシル・シャープ・ハウスで行われた伝導瞑想のワークショップでのベンジャミン・クレームの講話を編集したものである】

人々は一体なぜ瞑想するのだろうかという疑問が、あなたの心の中で生じたことがあるかもしれません。なぜ瞑想なのでしょうか。何がそれほど良く、それほど興味深く、それほど効果的であるため、世界中の何百万もの人々が瞑想を始めたり続けたりするのでしょうか。しかも、その数は大幅に増え続けています。人々はなぜ瞑想を行うのでしょうか。
地球上の私たちの進化を監督しておられる方々の観点からすると、その理由は、瞑想が人間をその人自身の魂と接触させる卓越した手段であるからです。そのようなわけで、私たちは瞑想をするのです。他に何を探しているにせよ、特定の瞑想によって何がもたらされるにせよ、瞑想を行う根本的な理由は魂と接触することです。
知ってか知らずか、私たちは皆、転生している魂です。転生するのは魂であり、私たちが自分自身と考えている、肉体を持ったこのパーソナリティーではありません。魂は偉大な霊的存在であり、人間王国と呼ばれる一つの偉大なフォースの個別化した断片です。魂は何度も何度も転生しながら、それぞれ個性的な容貌やビジョンや考えなどを持った物質界の男女という一連の器(乗り舟)を通して、進化の旅路をたどります。その器は肉体、アストラル(情緒)体、メンタル体から構成されており、それらが一緒になって、魂がこの存在レベルで人生を見たり経験したりするための器を提供します。このレベルは、私たちが意識や認識をより高位の界層へと持ち上げるにつれて経験することができるあらゆる生命レベルのうちの、一つの最低の様相でしかありません。
たいていの人は、鏡をのぞき込むとき、自分自身を見ていると思っています。元気そうか、顔色が少し悪いか、さえない顔をしているかどうかを確かめます。人々は魂の器の外観を見ているにすぎません。そして魂は、このレベルにおいていのちがどのようなものであるかを経験するためにこの器を用います。もし私たちが一つの器として、「いのち」を正しく経験するならば、魂もそうすることになります。しかし、もし人々が、通常そうであるように物質界、情緒界、メンタル界のイリュージョン(錯覚)だけを見ていれば、魂も錯覚に基づいて知覚することになります。(物質界のイリュージョンは「マヤ」、情緒界では「グラマー」、メンタル界では「イリュージョン」です)
転生していなければ、魂は完全な神聖なる存在であり、私たちが地球で私たちのレベルで経験することのできるあらゆる神聖さを備えています。しかし、もし私たちがイリュージョンを通して物質界、情緒界、メンタル界の「いのち」の様相――イリュージョンの霧を通して私たちが盲目的に見ることによって不正確になるいのちの様相――を提示しているならば、魂もそのイリュージョンを共有します。
現在転生している人類の大半、そして転生していない人々も、多かれ少なかれイリュージョンの中で生きています。本質的に、魂はイリュージョンの中におりませんが、もし私たちが魂に対して錯覚に基づく体験を提示するならば、魂はそのイリュージョンを共有します。魂は私たちが見るものだけを見ることができます。もし私たちがグラマーやイリュージョンによって盲目になっているならば、それが、いのちの性質として私たちが魂に対して提示するものになります。

進化の旅路

いのちの狙いと目的、転生している魂の狙いと目的は、リアリティ(実相)の特質にますます純粋に反応する器を発達させることです。そして、その反応がより純粋に、より正確になればなるほど、このレベルにおいてリアリティに対する魂のビジョンはより正確になります。
私たちはこの進化の旅路において何千何万回という転生を経験します。輪廻転生は人生の事実です。しかし、この完成への旅路を歩むのは、私たち――名前を持ったあなたや私――ではなく、私たちの魂です。それ自身完全である魂は、アストラル(情緒)反応とメンタル的なビジョンや考えを備えた一連の肉体を通して、物質界において完成への旅路を歩みます。器が進化していればしているほど、魂は転生の旅路においてより完全になります。その旅路は何千何万回もの転生を要しますが、その旅路のある時点で、魂はそれ自身のレベルにおいて、その器、特定の転生にある男や女が、魂のエネルギーと光に何となく反応し始めていることを認識します。その時まで、魂から伸びる細長い糸とつながったその器は、それ自身の目的だけを遂行しています。食べたり、次に何を食べたらよいか、どうやってその食べ物を手に入れたらよいか、どうやって生計を立てたらよいかなどと考えたりしています。
しかし、器が魂のエネルギーと目的に反応し始めていることを魂が知る時が到来します。これが起きていることを魂が知るとき、魂はその人間を何らかの種類の瞑想へと方向づけます。魂はそれから、肉体の右側にあるセンターを照らします。これは、濃密な肉体ではなく、より精妙なエーテル体にある魂のセンターです。キリスト教の聖書には「賢者の心(ハート)は右側に、愚者の心(ハート)は左側に」と書かれています。これは、自分が実際には魂であることを知っている賢者が、肉体の心臓ではなく魂のセンターが私たちの存在の中心であることを知っていることを意味しています。このセンターが魂によって照らされるとき、転生している魂の進化が始まります。魂のエネルギーと光は輝き始め、魂はその反映である男女を何らかの種類の瞑想へと導きます。瞑想は、魂とその器を結びつける手段です。最初、その人はたくさんの瞑想を試してみて、続けないことにするかもしれませんが、やがて何らかの瞑想に注目が引き付けられ、かなりの時間とエネルギーをその瞑想の実践に当てる生涯が訪れます。
このようにして魂とその器のつながりはますます強くなり、やがてその二つの結合が確立されます。ヨガとは結合を意味しており、瞑想のヨガを通してその接触が最初になされ、生涯を重ねるにつれて強固になります。
世界には何百という瞑想が提供されています。瞑想したい人にとってはたくさんの選択肢があります。瞑想が科学的であればあるほど、それはますます効果のあるものになり、必要とされる役割をますます果たすようになります。
魂は決してあきらめません。魂は試みる者であり、もしある生涯でその人が瞑想を行わないならば、魂は次の生涯やそのまた次の生涯でその人を再び突つき、やがてそのメッセージが届いて人は瞑想し始めます。最初は束の間かもしれませんが、その後、瞑想に打ち込む生涯が訪れます。
そのとき、何か他のものが起こり始めます。しばらく瞑想を続けていると、その人は魂の影響の下で変化し始めます(ただし、その人はそのことに気づかないかもしれません。それについて理論的にどれほど知っているかによります)。その変化に気づくかもしれないし気づかないかもしれませんが、友人たちは明らかに気づくでしょう。かつての自分ではなくなり、以前に抱いていたものに関心を抱かなくなる傾向があります。他のことに興味を持ち始めます。自分への関心が薄れ、関心が外側に向くようになり、世界全体に、自分以外の人々に関心を持つようになります。これは明確な段階です。私たちは皆それを経験します。何か変わったことや恐ろしいことが起きているのではなく、それは発達、魂の発達にすぎません。
魂は境界を知りません。魂は個人ではなく、世界全体を見ます。魂は自身の目的を完全に把握し、その器(肉体人間)を、転生の旅路において一定の時間用いることができる過渡的な状態と見なします。魂はその器を、他の器よりも劣っているとか優れているとは見なしません。魂は自身が必要とする器をつくります。魂はその器を子宮の中に置き、大人にまで成長させ、その肉体人間を通してこの存在レベルにおける人生を経験します。
魂には時間の感覚がなく、永遠という感覚だけがあります。魂は永遠という観点から考えます。魂はまた、自分自身を分離した存在とは見なしません。私たちは誤って、自分自身を分離したものと見なす傾向があります。私たちには異なった名前、異なった肌の色、異なった宗教があり、世界の異なった地域に生まれます。これらすべてのものが、私たちが現実のものであると受け止めてしまう分離をつくり出します。魂の観点からは、そうした分離は全く現実ではありません。分割や分離はありません。魂は全体を認識しており、その全体という感覚をその反映に、つまり男や女としての人間に伝えようとします。
私たちの観点からすると、これには何千年もかかるかもしれませんが、魂の観点からすると、時間のようなものはありません。永遠だけがあります。私たちの限定されたビジョン、イリュージョンの中にいれば、私たちは時間が現実であると考え、そのイリュージョンを自分たちの生活に課します。もちろん、電車に乗るため、船や飛行機に間に合うため、雑誌を作っていて締め切りまでに原稿を印刷所に渡さなければならないという場合には、時間を持たなければなりません。しかし、それは慣習であり、1日の想像上の分割にすぎません。それは現実ではありません。それは、物質界の現実にうまく対処しやすいように私たちが作り出したものです。しかし、それが「いのち」であると誤って考えてはいけません。それはいのちではなく、物質界の便宜にすぎません。物質界の外では、時間は意味を持ちません。
それでも、人生が異なった形で経験される時期があります――より活動的な形で、あるいはより受容的な形で。これらは、人生の中で私たちに時間の印象を与える局面です。それらは大宇宙そのものの呼気と吸気であり、私たちは皆、その一部分です。

魂の目的

他の原子から分離した物質原子やエネルギーというものは、宇宙のどこにも存在しません。私たちの肉体が小さな、相互に密接に関連した細胞で構成されているのとちょうど同じように、宇宙全体の中で、すべての小さな原子はすべての他の原子と関連しています。魂はそのようにして宇宙を見ます。
魂は、私たちがいのちと呼ぶものの意味と目的を知っています。魂は個々の転生の目的を知っています。基本的に、魂は進化の大計画を推進するために転生し、個々の転生をそのもっと偉大な目的に関連づけます。私たちの肉体は、そのような肉体の長い系列の中の一つの肉体にすぎません。それぞれが異なっており、少しだけ進歩しており、魂のエネルギーと目的がより多くその肉体の内部や背後にあります。そして、瞑想はその魂との融合を達成する手段の一つなのです。
魂はとりわけ、ロゴスつまりこの地球という惑星に魂を吹き込んでいる天帝の進化の大計画に奉仕するために転生しています。その天帝つまりロゴスの意識は、この惑星だけでなく太陽系全体に魂を吹き込んでいる天帝のより偉大な意識に関連しています。私たちの個別の魂は、惑星ロゴスの進化の目的、さらに太陽ロゴスのより偉大な計画との関係を推進するために転生に入ります。
その目的が何であるかを私たちはまだ知りませんが、魂はそれを確かに知っており、それ自身の器を通してその目的を実現しようとしており、さらに魂の個別の目的や、惑星ロゴスの目的との関係、したがって太陽ロゴスの目的との関係をもたらそうと努めます。さらに踏み込んで、太陽ロゴスの大計画は、(もしその存在をこう呼ぶことができれば)宇宙ロゴスに関連していると言うこともできます。それは、私たちの惑星と太陽を一部分として含むこの特定の宇宙の偉大なシステムのロゴスです。何百万という太陽があり、私たちの太陽はこの特定の銀河系の端にあります。銀河の中心には、信じ難いほどの進化を遂げた太陽があります。なぜならその太陽は、考えられないほど、知ることができないほどの進化を遂げた存在によって魂を吹き込まれているからです。それは「それについて何も語ることができないお方」と呼ばれています。銀河系に魂を吹き込む存在の計画について何を言うことができるでしょうか。それについて考えることは信じ難いことなのですが、それがリアリティの性質です。そして、私たちはこのプロセス全体の小さな細胞の一つです。私たちが瞑想するのは、一つには、私たちがこのような認識に達するのを助けるためです。
魂は、転生を繰り返しながら、自らの意識をその器の人生の中にもたらそうと努めます――その意識を物質界へともたらせば、終いには、意図や目的が魂と全く同じ存在を創造することができます。そのような存在を想像することができますか。彼らは実際に存在します。彼らは完全に進化を遂げており、欠点を全く持たず、常時彼らを通して流れている聖なる愛、聖なる意志、聖なる目的と知性しか持ちません。そのような人々がおり、彼らは智恵の覚者方と呼ばれています。
魂が旅路を進むにつれて、徐々にその器を変えていきます。瞑想と奉仕の実践を通して、ますます多くの光つまり魂のエネルギーが、その器つまり男や女に反映されます。奉仕することを望むのはその個人ではなく魂です。そして瞑想を通してその二つの結合が十分になると、その個人は、自分が奉仕をしたがっていることに気づくでしょう。魂による奉仕への呼びかけは、大き過ぎて抵抗することができないものになります。世界は、自分の助けを必要としていると見なされるようになり、その人は、魂によって行うように呼びかけられるどんな方法であるにせよ、奉仕をし始めます。奉仕する方法を持たない人は一人もおりません。「私は奉仕したいけれども、どこにいたらよいのか分からない。自分がふさわしい場所にいるかどうか分からない」と言う人がおります。奉仕されることを求めている全世界があるのです。魂はその方法を提供します。必要なことはそれを認識することであり、自分自身を世界の必要に関連づけることです。

智恵の覚者方

私の観点から見ると、伝導瞑想の主要な要素は、100%科学的であることです。この瞑想がうまくいくのは、それを世界に提示した方々、つまり智恵の覚者方が科学の達人であるからです。覚者方は大体の場合かなり以前に、この旅路を歩み、この惑星地球において可能な限りの完全な人間になりました。彼らはこれ以上、この惑星での転生を必要としません。この惑星が彼らに教えることはもうありません。しかし、多くの覚者方が選ぶ道、地球奉仕の道があります――これは私たちにとって幸運なことです。なぜならそれは、完全になったかなりの数の覚者方が地球にとどまり、私たちの進化を見守ることを選択されたということを意味するからです。こうした智恵の覚者方は、あなた方の多くがご存じのように、何千何万年もの間、ヒマラヤ山脈、アンデス山脈、ロッキー山脈、カスケード山脈、ウラル山脈、ゴビ砂漠、そして世界の様々な他の砂漠など、世界の辺鄙な山地や砂漠地帯に住んできました。こうした辺鄙な地域にある隠遁地から、彼らは何千年もの間、地球の進化を監督してきました。このように隠遁していたため、彼らは主に彼らの弟子たち、世にある男女を通して働いてきました。
科学、芸術、音楽、宗教、政治の分野にせよ、あるいはどのような形態の人間活動にせよ、何らかの種類の業績という贈り物を顕著にもたらした人々の名前をあげれば、いずれかの覚者の弟子であった人々の名前を上げることになるでしょう。シェイクスピア、ダンテ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、レンブラント、ベートーベン、モーツァルト、バッハ、キュリー夫人、アインシュタインのような人々です。このような人々は皆、進化の旅路に沿って一定の距離を進み、その旅路において物質界で魂のように行動しようとした人々です。彼らにはそれ以外のことができず、それが彼らのあり方であるからです。彼らはそのように人生を見ます。彼らは助けたがり、創造的になり、人類と世界のために何か価値のある有益なことをしたがります。このような人々は弟子たち、物質界にいる男女であり、地球の守護者、つまり私たちがみな通っている進化の旅路の守護者である覚者方の計画を遂行しています。それは科学的な道ですが、厳密な科学、言うなれば冷徹なハードサイエンスではありません。それは、魂からのあらゆる種類の流入に対して、目標を達成するためのより良い、より早い方法を見つけるための進路の変更に対して開かれており、よく反応するものです。
現在起きている極めて重大なことの一つは、こうした覚者方が、最終的には大勢、日常の世界に戻って来つつあることです。人間の進化に関係している覚者は63名おり、このうち、現在のところ14名の覚者が転生して世界に住んでおられます。加えて、個人名を主マイトレーヤという、すべての大師方の大師もおられます。マイトレーヤは肉体として世にあり、ここロンドンにいる私たちは、彼の存在によって恩寵を受けています。やがては世界におよそ40名の覚者方が出て来られるでしょう。
マイトレーヤは、仏教徒によってマイトレーヤ仏陀(弥勒仏)、第五仏陀として待たれており、ヒンズー教徒によってはクリシュナあるいはカルキ・アバターとして、イスラム教徒によってはイマム・マーディとして、ユダヤ人によってはメシアとして、キリスト教徒によってはキリストとして待たれています。これらはすべて、智恵の覚者方、人類の兄たちの長でありリーダーである方の名前です。
私たちが入りつつある宝瓶宮(アクエリアス)の新しい時代には、伝導瞑想が、完全な覚者となるために進化しようとするすべての弟子たちと弟子道を志す熱誠家たちにとって、科学的な道と見られるでしょう。そしてこの時代には、進化がとてつもなく速まるでしょう。非常に多くの覚者方が私たちの中に住み、彼らの途轍もない霊的エネルギーが世界に注がれることになるからです。
知ろうが知るまいが、それが実際に、私たちが伝導瞑想を行う理由です。伝導瞑想は、覚者方によって創造され、現在私たちに与えられた完全に科学的な瞑想です。今や初めて、大きな規模で伝導瞑想を実践することができるほど十分な数の、弟子道を志す熱誠家、弟子、イニシエートたちがいるからです。私たちは進化の大計画に奉仕するために伝導瞑想を行います。技術的には、それは難しい瞑想ではありません。その逆に、それは本当に極めて単純です。
伝導瞑想はまだとても若いものです。最初のグループはここロンドンで1974年3月に結成されましたので、存在するようになってからまだ約35年しか経っておりません。今や初めて、やりがいのある奉仕であり、同時に科学的な瞑想でもあるこの方法を探し始めるほどの進化地点に到達した人々が十分に多く出てきました。覚者方が授けたこの瞑想の美しさは、それが完全な進化の方法であると同時に、完全な奉仕の手段であるということです。智恵の覚者方が知っており明らかにしているロゴスの進化の大計画に奉仕することなしに、伝導瞑想を行うことはできません。
覚者方は地球に入ってくるすべてのエネルギーの管理者であり、彼らの仕事は惑星ロゴスの進化の大計画の必要に従って、こうしたエネルギーを科学的に再分配することです。マイトレーヤや仏陀、そして他の方々のような偉大な存在が、こうしたエネルギーのうちどれが特定の時期に有益で役に立ち、どれがそうでないか、どの程度の強度がよいかなどを決定します。そのすべてが大計画に従って行われます。それは覚者方だけに知られている壮大な科学です。

伝導瞑想の科学

伝導瞑想は、奉仕のヨガであるカルマ・ヨガと、チャクラ、エネルギーのヨガであるラヤ・ヨガという、二つのヨガの組み合わせです。これらは二つの非常に強力なヨガです。伝導瞑想のようにその二つが組み合わさると、現在のところ瞑想と奉仕に求められるあらゆるニーズを満たすことになります。
伝導瞑想は、覚者方にのみ知られている科学であるトライアングル(三角形)の科学に基づいています。トライアングル運動は覚者方によって創始され、アリス・ベイリーを通して世に与えられました。伝導瞑想はトライアングルの科学をさらに進めたものであり、この目的のために覚者方によって与えられました。この途方もないトライアングルの科学が、伝導瞑想を非常に強力にしているのです。
私たち一人ひとりが自分を通して一定量のエネルギーを送ることもできますが、もし私たちがトライアングルの一部分となっていれば、同じ3人を個別に通すよりも、トライアングルとしての3人を通した方が、より多くのエネルギーを安全に流すことができます。したがって、3人は伝導瞑想グループの基本的な最低人数です。それよりも人数が多ければ、そのグループはより強力になります。覚者方はエネルギーの管理者であり、パワーを失うことなくエネルギーを最も良い、最も効果的な方法で分配しようとします。彼らはこれを行うために伝導瞑想をもたらしました。3人いれば、覚者方は三角形を構成するために3人をエネルギー的に結びつけます。そのため、これら3人のチャクラを通して流れるすべてのエネルギーが、三角形であるという事実によって磁化されます。
もう1人がそこにいれば、そのような三角形の組み合わせは4個でき、それらはすべて結びつけられます。5人いれば、10個の三角形の組み合わせができます。10人いれば、途端に120個の三角組ができるというように、数学的に増加していきます。そのため、1人加わるごとに、三角組の数は急激に増加します。すべての人が他のすべての人とエネルギー的につながるからです。この科学は壮大なものであり、それが覚者方の手の内にあることから、完全に効率的であり、失われるものは何もありません――もし伝導が正しく行われれば。グループに20人いれば、1,140個の三角組ができます。驚くべきことです。100人のグループであれば、161,700個の三角組ができます。
そうしたすべての人々が覚者方によって連結されます。それが、伝導瞑想を非常に効果的なものにしている科学なのです。100人のグループであれば、それぞれの人が4,851個の三角組をグループの中に持ち込みます。途方もないことです。もしあなたが100人のグループのメンバーであれば、あなたには4,851個の三角組の価値があります――それについて考えてみてください。あなたはこれらすべての三角形に対して責任を負っており、もしあなたが瞑想会を去れば、あなたは4,851個の三角形を持ち去り、グループはその数だけ弱まることになります。ですから、伝導瞑想を行う責任というものが分かるでしょう。それは、真剣で責任感があり、奉仕したいと思い、本当の意味で十分に無私であり、自分にあまり関心がなく、奉仕や、世界のために何か有益なことを行うことに関心があり、そのため、伝導瞑想を行うためにいくらかの時間を放棄したいと思っている人々のためのものです。それは覚者方の手の内にあるため、少しのものが非常に大きな効果を生みます。たとえやり方が悪くても、世界のために有益なことをすることなしに伝導瞑想を行うことは不可能です。そうせざるを得ないのです。この科学は非常に効果的であり、目的がはっきりしており、純粋であるため、あなたは効果的にならざるを得ません。そして、こうしたエネルギーが脊椎に沿ったフォース・センターであるチャクラに送り込まれるため、伝導瞑想を行うときにあなたは変わらざるを得ません。こうした途轍もなく強力な霊的エネルギーがチャクラを通るとき、エネルギーがこの活動を活性化するため、あなたは非常に急速な進化を遂げるのです。
繰り返しますが、その目的のために伝導瞑想を行わなくても、そうならざるを得ません。非常に急速にますます進化するようになります。それは促成過程のようなものであり、どんなフォースを感じるわけでも、誰かが側に立っているわけでもありませんが、あなたはそれを自分の魂の命令にしたがって行います。あなたの魂がいつもあなたに、「世界を助けるためにこれを行いなさい」と告げているのです。そして、やればやるほど、あなたはますます進化し、ますますやりたくなります。正しい持続的な伝導瞑想を1年間続ければ、一見したところ何もしないでただ座っているだけで、普通の瞑想を10年、15年、おそらく20年続けた場合と同じだけの進化を遂げることができます。

どのようにして伝導瞑想を始めるか

瞑想の最初にグループは声に出して大祈願を唱えます。それは覚者方からエネルギーを呼び起こします(次頁「大祈願」を参照のこと)。
それから、注目を眉間のアジュナ・チャクラに保つだけです。額の中央ではなく、眉間です。そこに注目を保つことができれば、始めから終わりまでずっと瞑想していることになります。最初はきっと注目が落ちるはずです。たぶん、太陽叢(みぞおちのチャクラ)に落ちるでしょう。たいていの人はそこに注目を保っており、そのようなわけで、人類の大多数はアストラル偏極をしています。注目はアジュナ・チャクラになければなりません。それでは、どうやってそうするのか。できるだけ長く意識的に、注目を眉間に、アジュナ・チャクラに置きます。
もし注目が落ちてきたことに気づき、アジュナ・チャクラで波動を感じなくなれば、マントラム(言霊)の「オーム(OM)」を(言うのではなく)思ってください。そうするとすぐ、注目が自動的にアジュナ・チャクラに戻るでしょう。ですから、心の中でオームを唱えることから始めると、注目がすぐにアジュナ・チャクラに引き上げられ、注目が落ちてくると再びオームを思います。注目を保つためにオームを使い、注目が落ちてくると再びオームを思います。

伝導瞑想グループ

伝導瞑想を行う最も簡単な方法は、すでに存在しているグループに加わることです。グループに加わりたくてもグループがどこにあるか分からない場合は、シェア・インターナショナル(シェア・ジャパン)に連絡すれば、あなたの住所に最も近いグループを教えてもらえます。あるいは、自分でグループを形成することもできます。伝導瞑想を行おうとするときに、あと2人に加わってもらうことができれば、基本的な3人のグループができます。もちろん、1人加わるごとにグループの規模は拡大します。人数が多ければ多いほど、ますます多くの三角形が構成され、グループはますます強力になり、グループを通してますます多くの霊的エネルギーを伝導することができます。しかし、3人の基本的なグループであっても、この途方もない科学により、個別に行うよりも多くのエネルギーがグループを通して分配されるのです。あなたにできることで伝導瞑想ほど効果的なものはありません。他にどのような奉仕を行うのであれ、少しの伝導瞑想を行うよりも良く行うことはできません。それはとても強力だからです。しかも、それは他のどんな霊的実践も妨げることはなく、排他的ではありません。あなたが現在行っている他のどんな種類の瞑想でも、伝導瞑想を行うことで強化されるでしょう。もちろん、それらを同時には行うのではありません。
伝導瞑想はとても強力であるため、特定の人々に対する制限があります。例えば、心臓の病気がある人には通常、伝導瞑想を行うことを勧められません。それは非常に強力であるため、そうした人々にとって助けにならないことがあります。また、精神的あるいは情緒的な病気の経歴がある人にも、伝導瞑想は適していないかもしれないと警告されています――やはり非常に強力であるため、その病気のために現在行っている、あるいは過去に行った治療を台無しにする可能性があるからです。他の制限は年齢です。12歳より下の子供は伝導瞑想を行うこと、あるいは伝導瞑想が行われている部屋にいることさえも許可すべきではありません。12歳より下の子供のチャクラつまりフォース・センターはまだ十分に仕上がっておらず、発達の途中であり、そのため、子供にとって有害なものになる可能性があります。12歳より上の子供たちでも、伝導瞑想に費やす時間は制限されるべきです。健康状態がまずまずであれば、制限はありません。もし妊娠している場合、医師があなたの状態に満足しており、悪い経験が何もなければ、伝導瞑想を行うことは9カ月までは完全に可能です――しかし、健康な状態にある場合のみです。
このようなものが伝導瞑想です。とても行いやすいですが、私が述べたように制限がありますので、それを無視すべきではありません。1週間に6回か7回伝導瞑想を行う狂信的な人々がいます。もっとバランスの取れたやり方を提案します。理想的には1週間におよそ3回、あるいは少なくとも1週間に2回でしょう。1週間に1回も許容できますが、2回の方が良く、3回の方がもっと良いでしょう。特に最初は、伝導瞑想をやりすぎるべきではなく、立て続けに10時間もやるべきではないと思います。例えば、1時間から始めて、15分くらいずつ徐々に増やし、2時間から3時間やるようになれば、うまくやっていることになるでしょう。
伝導瞑想は覚者方によって設定され、特定の目的のために科学的に人類に与えられており、このような方法で行うべきです。伝導瞑想を行うならば、覚者方が設定したように行うべきです――彼らはアート(術)の達人です。自分たちが覚者方よりよく知っていると考え、指示を自分たちの自由意志の侵害だと見なす人々がいつもおります。伝導瞑想は贈り物であり、もしそれを正しく行おうとしないのなら、一番良いのは全く行わないことです。そうでないと、自分のチャクラを台無しにし、自分自身を病気にしてしまう可能性があります。
伝導瞑想の間、注目がアジュナ・チャクラから落ち続けても、絶望することはありません。それは自転車の乗り方を学ぶようなものです。何度も何度も転んで、突然自分のものになり、できるようになります。練習をして、注目を保つことができるようになります。伝導瞑想についてすべてを話すとなると長い時間がかかりますが、実際にそれを行っているときは時間が速く過ぎていきます。終わってみると、「こんなに長くここに座っていたんですか」と言います。それほど時間がかかったと感じないのです。時間が速く過ぎていくのです。
伝導瞑想はそのようなものであり、やることはシンプルですが、世界にとって信じ難いほど有益です。世界に恩恵を与えずにそれを行うことはできません。数分間整列しているだけでも、その数分間が、あなたが行う他のどんな活動よりも強力であり、地球にとって価値があるのです。










質疑応答

大祈願の使い方についてもっとおっしゃっていただけますか。

大祈願は、「神の御心の光の源より、光をあまねく人の心に流れ入れさせ給え」から始まります。これを唱えるのに良い方法は、あなたが仏陀をどのように見るにせよ、仏陀を思い描くことです。祝福のために右手を上げ、黄金色のエネルギーが彼のハート・チャクラとアジュナ・チャクラから発し、それが世界に入り、世界に仏陀の光を復活させるのを思い描きなさい。彼は光の使者であり、ハイアラキーの最高のセンターであるシャンバラの光をもたらされます。
次の一節「神の御心の愛の源より、愛をあまねく人の心に流れ入れさせ給え」と唱えるときは、あなたがキリストをどのように見るにせよ、キリストを思い描いてください。良い方法は、祝福のために両手を上げているキリストを思い描くことです。Yの字を逆さにしたような形をしたテーブルの上座におられ――マイトレーヤはそのテーブルで議長を務められます――、両手を上げて祝福しておられるのを思い描きなさい。彼のハート・センターからあざやかな銀色がかったバラ色の光が発し、そのマイトレーヤの銀色がかったバラ色のエネルギーが世界に入り、至るところにいる人間の心(ハート)に入るのを思い描きなさい。
次の一節「神の意志、明らかなる中心より」を唱えるとき、これはシャンバラという主要な霊的センター、世界で最高のセンターです。シャンバラを白い光の大球として思い描きなさい。それはゴビ砂漠の上空の偉大な球の中にあり(それはエーテル界の上位二段階の次元のエネルギーで構成されているため、いまだに目に見えません)、そこに世界の主サナット・クマラ、仏陀、そして様々な偉大な存在が住んでおられます。それを白い光の大球として思い描き、そこから輝かしい白い光が流れ出て地球に入り、地球を満たし浄化するのを思い描きなさい。


イニシエーションの過程についてもっと述べていただけますか。

進化の過程の最後の数回の転生は、五つの惑星レベルのイニシエーションとして知られている五つの大きな意識の拡大によって覆われます。数回の転生といってもたくさんの、つまり20回か30回の転生かもしれません(すでに過ぎ去った何千何万回に比べれば、最後の数回です)。それぞれのイニシエーションは、進化の大計画についてのより深い認識を弟子に授け、ついには第五イニシエーションで完全な覚者になります。彼は「復活」して、その時以降、物質の波動へのいかなる反応からも解放されます。
聖書にあるイエスの生涯の物語は、この進化を象徴しています。第一段階のイニシエーションは、ベツレヘムでのイエスの誕生です。そのとき、ハートの洞穴の中で魂が生まれます。第二段階のイニシエーションは洗礼であり、これはヨルダンでの洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼によって象徴されています。第三段階のイニシエーションは変容であり、聖書の物語では山上でのイエスの変容によって象徴されています。それは最初の「魂」のイニシエーションであり、そのときにすべての器――肉体、アストラル(情緒)体、メンタル体――がほぼ同じ波動で同調します。それが起こるとき、人間は最初の魂のイニシエーションである第三段階のイニシエーションを受けます。それから、その人間は初めて本当に神聖になります。魂が人生の目的を完全に支配し、その人には魂が入ることになります。
それから、第四段階のイニシエーションがやって来ます。西洋では磔と呼ばれ、放棄という四つ目の偉大な体験を私たちのために明らかにするために、イエスが十字架上で肉体的に経験しました。東洋では、それは大いなる放棄と呼ばれています。これに続くのが復活の第五段階のイニシエーションであり、それによって人は覚者になります。すべての覚者方は第五段階かそれ以上のイニシエートです。
パレスチナで第四段階のイニシエートであったイエス覚者は、今世界に出ておられます。彼の拠点はローマにあり、彼は第六段階のイニシエートになっています。マイトレーヤ御自身は第七段階のイニシエートです。ゴータマ王子を通して働かれた仏陀は第八段階のイニシエートです。私たちの太陽系には、この惑星ではなく太陽系には、受けることが可能な九つのイニシエーションがありますが、こうした高位のイニシエーションについては何も言うことができません。第五段階のイニシエートほど高度に進化するということは、この惑星に関する限り完成されているということを意味します。第六段階になると、一定の高位の惑星にいくことができます。第七段階になると、太陽系のどの惑星に行くこともできます。
マイトレーヤは地球に留まることを選択されています。彼は他の惑星に住んだことがありません。彼は信じ難いほど古いお方です。私は何百万年という話をしています。彼は次の2,350年から2,500年の間、つまり宝瓶宮(アクエリアス)の時代の期間、私たちと一緒におられるでしょう。彼は双魚宮(パイシス)の時代の世界教師でしたが、来たるべき時代、すでに始まっている宝瓶宮の時代の間も世界教師であるでしょう。それから、彼はより高度な仕事に移られ、彼の地位は覚者方の一人によって取って代わられるでしょう。

3人以上が伝導瞑想に参加すると、伝導する人々の間で三角形が構成される。覚者方はエネルギーを強化するためにこれらの三角形を用いる。三角形の数は、次の公式により、参加人数に応じて飛躍的に増加する。nは伝導者の数である。
n × (n-1) × (n-2)
6

参加人数
3
4
5
6
7
8
9
10
20
30
40
50

その時? 構成される三角形の数
1
4
10
20
35
56
84
120
1,140
4,060
9,880
19,600



大祈願 

神の御心の光の源より
光をあまねく人の心に流れ入れさせ給え
光を地上に降(くだ)らせ給え。

神の御心の愛の源より
愛をあまねく人の心に流れ入れさせ給え
如来(キリスト)よ、地上に戻られ給え。

神の意志、明らかなる中心より
大目的が人の貧(とぼ)しき意志を導かん事を――
如来は大目的を知りこれに仕え給う。

我らが人類と呼ぶ中心より
愛と光の大計画を成させ給え。
悪の棲処(すみか)の扉を封じ給え。

光と愛と力とをもて
地上に大計画を復興させ給え。

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