現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2012年 1月 編集長への手紙

編集長への手紙

編集長殿
2012年1月16日月曜日、私はロンドン北部のアレキサンドラ・パレスにいました。車から降りる時、パレスの西側にオレンジ色の光が空を横切っているのを目撃しました。さらにとりわけ輝く星が空にあるのが見え、オレンジ色の物体がちょうどその下を通り過ぎていき、それからすっと消えてしまいました。それから45分後に空を見上げると、その夜は雲一つなく他の星はすべてはっきりと見えていたのに、あの輝く星もやはりすっと消えてしまったのです。
『輝く星』とオレンジ色の光が何だったのか教えていただけますか。
ソニヤ・シャンデル
英国、ロンドン
【ベンジャミン・クレームの師は、『輝く星』がマイトレーヤの『星』で、オレンジ色の光がマイトレーヤの光船であったことを確認した】


スーパーな病院

編集長殿
私が病院に入院し、一人ぼっちで惨めな気持ちだった時に起きた、とびきりの体験を分かち合いたいと思います。
2011年11月1日、午後2時15分に付き添いの交代がありました。新しい付き添いの人が来て、自己紹介しました。私は最初、「付き添いの人員が足りなくて、退職した人まで登録されているのね!」と思いました。彼女は75歳くらいに見えました。彼女はとても美しく、きらきらとした温かな茶色の瞳で、強烈な魅力がありました。彼女は背中が丸く曲がっていて、白い服を着て名札は付けていませんでした。私の注意は彼女が左耳に付けていたイヤリングにも引かれました。それは本当に素晴らしく美しいものでした。これまで見たことのないような輝きでした。そのイヤリングは小さな光線を発していたのです。彼女が私の方へかがみ込んで、私の手を取り、自己紹介して、「私がしばらくそこにいますからね」と言いました。彼女がかがみ込んできた時、素敵なネックレスが見えたので、それを手に取り、「これはとても美しいネックレスね」と言いました。彼女はさらに体をかがめて、宝石の一つ一つが、私にもっと良く見えるようにしてくれて、「これは『砂の中の足跡』というシンボルなのよ」と教えてくれました。そして彼女は、ある人がひどく惨めな気持ちだった時、神が背負って運んだという話をしてくれました〔訳注:神が運んだので砂の中に足跡がなかったという意味の有名な詩から〕。「これは本当のことよ」と彼女はやんわりと断言し、シャワー室の掃除へと歌いながら向かいました。
三日後、私はリハビリのためにヒルズガーデンへ行き、私の娘に家に行って処方箋を取ってきてくれるように頼みました。娘が戻ってきた時、「要ると言っていた処方箋に何か紙がくっ付いていたの。外せなかったわ」と言うのです。私が注意しながらどうにかその紙を取り外すと、くっ付いていた紙はマイトレーヤの『手』の写真でした。
2011年12月27日に容態が再び悪化して病院に戻らなければなりませんでした。病室は他に4人がいて、私のベッドは右手側の二番目でした。ドアに一番近い左側には、心臓の悪い女性が寝ていました。朝10時の直前に、一人の男性が病室にやって来ました。彼は45歳から50歳で、中背で清潔な格好をしていました。彼は病室を見わたし、私に微笑みかけ、うなずきながら心臓の悪い女性のベッド脇に腰を下ろしました。私は座って編み物をしていました。私が目を上げる度に、彼はうなずき、私に微笑みました。12時には、その女性と私が退院になりました。その男性はまだそこにいました。私はエレベーターのあるスペースへ出て行き、家に戻るための車の手配をしました。その男性は女性と、もう一人の男性と一緒にいて、エレベーターの一つに乗り込むところでした。彼が振り返って私を呼びとめ、満面の温かな笑みを浮かべて、「回復をお祈りします」と言ってくれました。
私は信じられないほどの温かさが胸に広がるのを感じました。温かさは頭まで広がり、それから体全体へと広がりました。私は穏やかな至福と光明の感覚を体験しました。その後、私の容態は徐々に良くなっていったのです。
あなたの師に、その男性と女性が誰だったのか尋ねていただけますか。覚者方はこの時のために肉体を創られたのですか、それともそれらの人々はオーバーシャドウされていたのですか。他の人々にも彼らは見えていましたか。
グドルン・フロム
スウェーデン、ムンカ・リュングビー
【ベンジャミン・クレームの師は、最初の出会いの『女性』がイエス覚者であったことを確認した。男性はマイトレーヤであった。彼らは実際にその肉体を創ったが、他の人々には見えていなかった】


突然差した光

2011年12月28日の私の妻の体験を分かち合いたいと思います。彼女はトゥアールにある「ラ・マグドレーヌ」という墓地に午後4時30分に両親のお墓参りに出かけました。空には雲が低く垂れ込めていました。
彼女にとって、こうした時間は「両親に語りかける」という大切なもので、私たちの息子に子供が生まれることを知った喜びを彼らに伝えるためでもありました。突然、雲が晴れ、太陽が以前と違った強烈な放射で現れたのです。一筋の光がお墓と妻の姿だけを照らしていました。彼女が驚いたことには、見上げると、もう一つの太陽が初めの太陽に添うように現れていたのです。発光の度合いは強烈で、現れた太陽が車のヘッドライトのようにきらきらと輝き始めました。
彼女は両親に、「人生は続いているのだから、幸せでいてくれるように」と語りかけました。この時には、太陽のきらめきの速度が速くなりました。彼女はその太陽について両親に向かい、「これは肯定的な徴よね?」と話していました。太陽のきらめきが倍増しました。
彼女はとても気持ちが良く、穏やかで、太陽の熱は感じませんでした。(喜びと幸福で)泣きたいほどの強い衝動に駆られていました。彼女は10分間留まっていました。二つの太陽は、彼女がお墓の前にいた間中、両親にお別れを言って立ち去るまで輝いていました。それから二つの太陽は雲の中に消えて見えなくなり、どんよりとした曇り空になりました。
この徴をどう考えたらよいでしょうか。それは覚者が臨在されたということでしたか。
M.R.
フランス、トゥアール
【ベンジャミン・クレームの師は、筆者の妻がビジョンを与えられ、それがイエス覚者によって現されたことを確認した】


皆に瞑想を!

編集長殿
オランダのケルクラードでの昨年の(2011年)ヨーロッパ研修会で、ベンジャミン・クレーム氏が、再び伝導瞑想の重要性を強調されたので、私たちグループは特別に長時間の瞑想(2回の小休止を含む)を毎月行うことに決めました。
1回目に瞑想を始めた時、私は背中に持病があったので、足を伸ばすために昼休憩の時、短い散歩に出かけました。通りで、変わったタイプのジマー型歩行器か何かの器具を付けて、派手なピンクのボンネットを被った年配の婦人が英語で、ある店への行き方を尋ねてきました。長い道のりで、彼女には歩くのが困難だろうと気の毒に思いました。けれども彼女は問題ないと言い、背中が悪いので歩くのが良いと言っていました。
私が彼女にしばらく一緒に行くことを申し出ると、喜んで同意してくれました。特に何の理由もなく、私は彼女にその日が瞑想の日で、昼食時間に少し散歩に出てきたところであることを伝えました。彼女はそれを聞いて大変喜び、彼女も瞑想グループに参加していたと言いました。彼女はユダヤ人で、彼女のラビ(ユダヤ教の指導者)が世界中に、ユダヤ教徒とキリスト教徒の瞑想グループを組織し、一つあるいはもう一つのグループが継続的に瞑想をするようにしていました。そのラビはイスラム教徒も参加させようと試みましたが、結局は成功しませんでした。彼女はラビに、彼が義務だと思うことを行ってこられたが、何かを強制しないようにと話をしたのです。彼女はまた、世界中の母親が瞑想することの重要性を強調していました。彼女は私に彼女のために祈るように頼んできて、彼女も私のために祈ると言っていました。私はグループの所へ戻らなければならない頃になり、彼女が私の名前を尋ね、大きく腕を広げると、喜び溢れる様子で、「私の名前はグロリアよ」と言いました。私たちは互いにお別れのキスをし、彼女は私に「シャローム(ユダヤ人の別れの挨拶、“あなたに平和を”の意)」を願ってくれました。私は度々この特別な婦人のことを思うのです。彼女は誰でしたか。
ベティ・グロスマン
オランダ、ハーグ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の婦人』がイエス覚者であったことを確認した】


クリスマスの挨拶

編集長殿
私は2011年12月3日に、大変に不思議でおもしろい体験をしたので、それに何か光を当てていただけたらありがたいと思います。
私はスイス・コテッジ地区でのクリスマスの祝賀会に参加するために、ロンドンへ出かけました。旧メトロポリタン線の列車の先頭車両に座っていて、出入り口が一つ私の前にあり、一つは私の背後にありました。列車がハローオンザヒルに近づいていた時、一人の男性が通路を歩いてきて、私の前の出入り口から降りるようでした。彼はドアの横に立ち、列車が止まると、私の方を振り向いて何か言ってきました。
私は彼が何を言っているのか聞こえなかったのですが、集会のための花を生けてある花瓶を手で支えながらも、礼儀正しく微笑んでいました。開いたドアの前で、彼は少なくとも3回言葉を繰り返しました。ついには前かがみになって声を張り上げたので、私にも聞こえました。「あなたはクリスマスを楽しみにしていますか?」
「もちろん」と答えました。
「このクリスマスで一番のことです」と彼は付け加えると列車から降りていきました。彼は私の方を見つめて微笑み、プラットホームを歩きながら窓をコツコツとたたきました。
彼はグレーのスラックスをはき、ポロ襟のセーターを着ていました。手には何も持っていませんでした。彼には存在感がありました。彼の顔は(1988年ケニアのナイロビでの)マイトレーヤを思い出させました。彼は背が高く、浅黒い肌に黒っぽいウェーブがかった髪でした。
後になって、集会の間、講演者が私たちにクリスマスのための準備をすることの大切さを気づかせてくれました。
リリアナ・ジリ
英国、ミドルセックス州アイケナム
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】