デジタル・マジック
編集長殿
私は自分のコンピューターにファイル共有ソフトを持っているのですが、それは最初2010年12月9日にセットされたものでした。それを使うと、写真のような大きなファイルを他のコンピューターに送ることが簡単にできるのです。ファイルを共有しているのは私の夫のコンピューターと、そのソフトのことを教えてくれた友人のものだけでした。その友人はグループの仲間で、私たちが設定した共有フォルダーを通して、項目を引き出すことができるだけなのです。
今日、2011年2月3日に、私がそのソフトを開くと、マイトレーヤ仏の彫像の写真がそこにあったのです(下写真)。それは日本(広隆寺)のお馴染みの像に似ていましたが、首周りの装飾や、他の細部に小さな違いがありました。
この画像は友人の共有フォルダー上ではなく、私が昨日か一昨日に作ったばかりのものの中にあったので、友人がそこに載せたということはあり得ませんでした。それにもかかわらず、私は彼女に電話をし、彼女がその写真を載せたのかどうか確かめましたが、彼女ではありませんでした。
私の夫も娘もそのソフトを使っていませんでしたが、私はともかく夫に尋ねてみると、やはり彼が載せたものでもありませんでした。その写真はいつ作られたのかチェックしてみると、2010年12月9日だったのですが、私のフォルダーに現われたのは今日だったのです。
友人と私だけが技術的にもその写真を載せることが可能だったのですが、どちらもそれをしていなかったので、畏れ多くもお尋ねしますが、マイトレーヤか覚者がそれをなさったということでしょうか。私は近頃少し人生に葛藤があり、実際にうまく対処できなくなり、信がわずかに揺らいでいました。最近ごく内密にマイトレーヤの『手』を使い、助けと徴を求めたのです。また心の内で、私の敬愛する亡くなったばかりの父方の叔父と、名付け父親に徴を求めていました。私はもしかしてこれが私の願いの一つへの応えではなかっただろうかと思ったのです。
もしこれが『上の』どこかからの徴であったなら、本当にすばらしい贈り物で、私は心から恭しくつつましくお受けいたします。
匿名希望
米国、ニューヨーク州北部
【ベンジャミン・クレームの師は、その写真は徴として、イエス覚者によってそこに置かれたことを確認した】
家族の救助
編集長殿
私の甥の家族は、2011年3月11日に起きた津波の被害が最も激しかった地域の一つである、南三陸町に住んでいます。甥の息子は、地元の小学校の一年生ですが、災害が起きた時、歩いて帰宅していました。突然、見知らぬ女性がすごい勢いでやって来て、とにかく学校に戻って、できるだけ早く学校の中に入るように言ってきたのです。何がなんだかわからないまま、その子は女性の言葉に従ったため助かりました。その子の父親は海に潜っていたのですが、何とか無事でした。私の母のたどたどしい説明からはどのようにして助かったのかよくわかりませんでした。ともかく甥の家族は全員助かったのです。
地震が起きた時、私は東京の高層ビルにある会社で仕事をしていました。余震の怖れから、全従業員に一斉帰宅指示が出され、甥とその家族のことが心配で、原子力発電所の懸念もあり、東京でさえ計画停電のニュースがあり、すべてが次々に起こったので、私はすっかり打ちのめされたようになり、混乱していました。そうした混乱の直中で、私のアパートの前の公の掲示板に一枚の紙が貼られていました。それは僧侶の絵と二つの言葉、『平常心』と『祈り』が書かれていました。最初、私はどこかの僧が、この緊急時に人々の心の平安を願って、至るところに貼ったったのだろうと思いました。けれども他の掲示板には貼っていないことがわかったのです。
確認していただきたいのは、(1)もしかして甥とその家族は覚者方によって守られたのでしょうか、(2)甥の息子に学校へ戻るよう言った女性は特別な方でしたか、(3)掲示板の絵は特別な方が私のために描かれたのでしょうか。
A.H.
日本、東京
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)はい、(2)その『女性』はマイトレーヤであった、父親もマイトレーヤによって助けられた、(3)それはマイトレーヤによって描かれ、そこに貼られたことを確認した】
肯定的な反応
編集長殿
2011年3月26日にパリでベンジャミン・クレーム氏講演会のビデオ上映を終えた直後、私が部屋を出ようとした時、長身でがっしりとした中年の男性が、黒っぽい服を着て最後尾に座っていましたが、力強い活力に満ちた声で私に、ビデオはすばらしく並外れたもので、すべてが含まれていて、すべてが語られていると話しかけてきました。
そして、私がこのことについてすでに知っているかどうか尋ねてきました。私はこのビデオが、インターネットのシェア・インターナショナルのサイトに載っていることを伝えました。彼はインターネットをやっていないと答えました。そのイベントの後半では、もう彼の姿を見ませんでした。
このとても熱心で活気溢れた来場者は誰でしたか。
ロズリーヌ・マルモニエール
フランス、アルタ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】