現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 1月 多様性の中の和合 (2006年伝導瞑想研修会・基調講演)

多様性の中の和合 (2006年伝導瞑想研修会・基調講演)

以下の記事は2006年8月にアメリカのサンフランシスコ郊外で開かれた伝導瞑想研修会においてベンジャミン・クレームが行った講演を編集したものであり、以下の覚者の記事を基にしている。

多様性の中の和合
「世紀を通じて、人間は、最も独裁的なものから最も平等主義的なものまで、多くの異なった統治形態を採用してきた。今日、ほとんどの国が民主主義的な統治形態、すなわち政党を一般投票によって選ぶというやり方を選んだ。使われている投票制度は、公正で正直で、不正行為や詐欺行為のないものだと思い込まれている。残念ながら、最近の歴史が示すように、正直な選挙のプロセスを非常に強調する国々においてさえも、しばしばこれはそうではない。ごまかしやいかさま行為は非常に多く、ずるい言い訳や策略によって、党派や個人が権力の座にもたらされる。
より独裁主義的なものは一党制支配の国家であり、様々な決議が、軍隊と警察によって支えられた‘強力者’の委員会によって定められる。国民は自分たちを支配する法律に対して発言権を持たず、そして彼らはしばしばそのような権利を主張する必要をいまだ感じてない。
またある国々は、権力と、それと共に得られる富を貪欲に求める残忍な独裁者に牛耳られている。ある国々は惑わされた狂信者によって支配されており、彼らと彼らの支持者は神の手の中にあり、神の計画を実行していると信じ込まされている。さらに他には、国民を貧困と苦しみから救い出そうと苦闘し、同時に裕福な隣国からの要求をかわすために苦闘している。
さらにまた、独立を求めて闘い、あるいは混乱と市民戦争の中に巻き込まれている国々もある。
人間はこの証拠から得られるレッスンを真剣に心に留めるべきである--様々に異なった民族の必要を組織する方法はたくさんあるということを。したがって、この最も重要なことに対処するには、より大きな寛容さが必要である。諸国家を支配する光線エネルギーは異なり、それぞれの特質を表現するためには異なった機構が必要である。民主主義だろうがなんだろうが、ただひとつの統治形態が普及すべきだということは進化の大計画ではない。人間の必要は、イデオロギーよりもずっとリアル(現実)であり、より重要である。相違に対する寛容さは統合させ、イデオロギーは分割させる。
したがって、マイトレーヤが公に話をされるとき、多様性の中の和合が将来の調和への鍵であることを示されるだろう。すべての国家がそれぞれにユニークで神聖なる運命をもつことを示すであろう。マイトレーヤは、この幸いなる状態を達成するための道を示され、人間が大計画についてより賢明に理解するために彼らのハートを開くように鼓舞されるだろう。マイトレーヤの導きのもとに、人間は彼ら自身のそして他の人々の達成の素晴らしさを賞賛し、高く評価するようになるだろう。競争し、支配しようとする強い衝動は徐々に鎮まり、同胞愛と平和のうちに人間にとっての新しい章が開かれるだろう。そのようになるだろう」
(シェア・インターナショナル誌2006年5月)


この記事についての私の見解を述べ、検討に入る前に、「マイトレーヤの優先事項」というタイトルの下に列記されている人類の永続的な必要について思い出していただきたい。なぜなら、もしこれらが正しければ、そして私は正しいと信じるのだが、これらの優先事項をわれわれの目の前に置き、絶えず注目を注ぐならば、それはより一層早く達成されるだろうからである。われわれの注目が引っ込められるものが何であろうと、それはあきらかに達成されないだろう。そしてそれが今日起こりつつある。
数年ごとに、危機が起こる--地震、津波、アフリカやその他の地域を襲う恐ろしい飢饉。すると直ちに人類の心(ハート)はその危機に目覚めて、人々はそのときの緊急な必要に応えるためにできる限りの資金を集めるために最大限の努力をする。その危機に注目が集められている間中、その必要は満たされる。巨額のお金が寄付され、危機に見舞われた国の必要を解決するために向けられる。1カ月か2カ月も経つと、メディアは寄付を訴える報道をやめる。その援助が正しく配分されたかどうかにかかわらず、必要は満たされたかのように思われる。必要についての、突然のひどい緊急性についての想念は、われわれの思考から消え去り、そしてわれわれは自分たち自身のことに戻っていく。
これまでに何回、寄付集めのためのコンサートが行われてきたことか。「飢えたる何百万の人々を救おう」という旗印の下に、人々は幾度、慈善事業のためにお金を集めてきたことか。それは数年ごとに、毎回一回きりの出来事で終わる。世界の飢えたる何百万の人々は本当の経済的正義(公正さ)を必要とするのだが、それは決して起こらない。われわれは、次はそれが起こるようにしなければならない。
マイトレーヤは、毎日起こっている大惨事--すなわちこの豊かな世界で、35,000人の人々が毎日飢え死にするというこの災害を終わらせる必要を、真っ正面から人類に突きつけられることは確かだろう。毎日毎日、毎週、毎月、毎年、飢えの大惨事は起こっている。今やわれわれは、何百万もの人々のこの悲劇的な状況に直面し、それを永久に終わらせねばならない。それを行うにはマイトレーヤが必要だと思う--マイトレーヤご自身というよりも、マイトレーヤの臨在が、マイトレーヤの教えが、マイトレーヤによって彼が「辱め」と呼ぶこの緊急性にわれわれの注目が集中させられることが必要だと思う。「この辱めほどわたしを悲しませるものはない」とマイトレーヤは言われる。「分離という罪悪はこの世界から追放されなければならない。それがわたしの目的であることを断言する」。それが、すなわち世界の何百万の飢えたる人々を救うことが、彼の最初の目的である。
この種のグループは、マイトレーヤの優先事項を、単にそれについて語るのではなく、いつも念頭においておき、全体としての人類の主要な必要をいつも認識しておくことが重要である。私の師である覚者が「人の子」と題した記事の中で与えてくださったマイトレーヤの優先事項についての彼の見解をもう一度あなた方に思い出していただきたい。


「マイトレーヤの優先事項を検討しよう。平和の確立、分かち合いの制度の開始、罪意識と恐怖心の除去、人間のハートとマインド(識心)の浄化、いのちと愛の法則についての人類の教育、秘教への手引き、都市の美化、人々が旅行し、自由に交流するための障害物の除去、すべての者が入手できる知識のプールの創造」
(シェア・インターナショナル誌1984年6月号)
最後の「すべての者が入手できる知識のプール」は、インターネットがすべての人々に自由に入手できるようになるとき、その役割を果たすだろうと思う。それがすべてに、例外なくすべての国に、すべての人間に自由に提供されるとき、人類が必要とするものはなにも差し控えられなくなるとき、すべての人間がアレクサンドリアの図書館にある書物のすべてを所有しているかのようになるだろう。それを念頭におきながら、再び覚者の記事「多様性の中の和合」の言葉を検討してみよう。

「世紀を通じて、人間は、最も独裁的なものから最も平等主義的なものまで、多くの異なった統治形態を採用してきた」
最も独裁的なものは過去においてであることを望みたいし、概してそうだと思う。ジンギス・カーンなどのような実に巨大な独裁者は幸いにして過去のものであるが、しかしいまだ多くの独裁者が存在し、つい最近にもあった。ヒトラーやムッソリーニなどが考えられる。この国、アメリカ合衆国が、チリのような南アメリカの国々に押しつけた様々な右翼的、軍事独裁政権が考えられる。チリには自由に選ばれたサルバドール・アジェンデ氏の民主政権があった。ただ、それはたまたま左翼政権であったために、アメリカ政府にとっては受け入れ難いことだった。そしてアメリカは彼を追い払ってしまった。CIA(中央情報機関)がクーデターをつくり上げ、アジェンデと彼の政府を転覆させ、ファシストタイプの独裁者であり、サッチャー夫人(元英国首相)の親しい友人であり、横暴な支配者として名のとおったピノチェト将軍を据えたのである。彼は、彼の行為を吟味する裁判に出頭を命じられると、いつも心臓の問題だとか、歩けないとか、病のためという理由で、告発者に直面するために裁判所へ行かなかった。

「今日、ほとんどの国が民主主義的な統治形態、すなわち政党を一般投票によって選ぶというやり方を選んだ。使われている投票制度は公正で、正直で、不正行為や詐欺行為のないものだと思い込まれている」
もしそれが本当であればの話だが。アメリカにとって、そして世界にとって悲劇的な事件の一つは、今日のアメリカの行政府が、様々な不正行為の行われていた18世紀や19世紀の英国の歴史に遡ってみても、その中でも最も詐欺的で腐敗した不正行為によって、猛烈な勢いで権力の座に就いたという、その途方もないやり方である。当時の英国では議会への立候補者はガロン、すなわち何ガロンものビ-ルで票を買ったのである。彼らは小さな町々を訪れて、すべての人々にビ-ルを飲めるだけ飲ませ、その間にたっぷり御馳走を食べさせ、そして1枚1ギニー(12シリング)にあたる金貨を1枚ずつ与えたのである。単に彼らがビジネスマンであったというだけで、金貨をふりまくことで、何十人もの候補者が議会に送られたのである。議員であるということは、彼らのビジネスに大いに役立ったのである。彼らに権力と影響力を与えたのである。不正行為がその本質であった。
今日、英国の選挙はもっとずっと公正である。100%というわけではないけれど、ずっと公正である。通常、選挙期間中に、あるいはその後に、党全体ではなく、どこかの街の地方の党が自分たちの得た票よりも多くをくすねることができる陰謀を考えたということが明るみに出る。それは起こる。議会制度の産みの母である英国でも、選挙でちょっとした不正行為はまだ起こるが、しかしブッシュ大統領の第二期の選挙で行われたような種類の腐敗行為は近年、いずれの国においても見たことがない。ブッシュ氏を大統領の座につかせたその前の選挙での不正行為をわれわれはみな認識している。ゴア氏が最初の選挙で勝ったにもかかわらず、それは否定された。ケリー氏が二回目の選挙で決定的に勝利したにもかかわらず、それは否定された。
使われたごまかしの一つは(たくさんの策略の一つにすぎないが)、投票にコンピューター機器が使われた地域では、それらの投票器の主な供給者は共和党の活動的なメンバーであり、ブッシュ氏の活動家の一人から購入したと聞いている。彼の会社はその機器を調整して、ケリー氏に投じられた票のうち、5票ごとにブッシュへの票になるように仕組んでいた。マサチューセッツ州でそのような投票器の使われた地域で投票したある女性を私は知っている。彼女はケリーに投票した。その機器には自分の票が実際に記録されたかどうかをチェックする機能があったので、彼女が確認してみたら、ブッシュになっていた。そこでもう一度やり直したら、またブッシュになって出てきた。ケリーに票が記録されるまで、18回もブッシュになっていたという。
この前のアメリカの選挙の不正行為の規模は想像を超えるものであった。それは世界にとって全く悲劇的な出来事であった。もしゴア氏が最初の選挙で当選していたならば(本当は彼が当選したのだが)、もちろん証明することはできないが、9・11の事件は起こらなかっただろうと確信している。もちろん、それはその以前に計画されていたと思う。計画は続行されただろうが、ゴア氏の行動は現政府とは非常に異なっていただろうから、9・11を実施するだけの同じような緊急性と意志はなかっただろうと思う。
もし9・11が起こらなかったならば、この世界は全く異なったものになっていただろう。9・11はアメリカの現政権に、9・11の攻撃を促進させたと考えられる男を探すために、アフガニスタンに侵略する機会を与えた。彼らはアルカイダとオサマ・ビン・ラディンを探していた。タリバン政権は非常に硬直した、きびしい、イスラム原理主義政権であり、耐え難いものではあったが、しかし全般的に彼らはテロリストではなかった。アフガニスタンでの戦いに敗れた後、いま、彼らは再編成し、テロのやり方をすっかり学んで、復活した。いまや彼らはテロリストであり、意図的な損傷を与えようと欲する者だれにでも大きく開放されているイラクに、彼らは入り込む。
アフガニスタンで、全く不必要にテロリストの国家がつくられた。イラクへの攻撃は世界にとって非常な悲劇的出来事である。イラクは今や内戦の瀬戸際にある。事実、現時点において、小規模の内戦がすでに起こっている。現在は幸いにして、国全体に広がっていないが、内戦であることには違いない。内戦ほど恐ろしい戦争はないと思う。
スペインの内戦の間、通りの片側はフランコ支持で、通りのもう一方の側は共和政府を支持して、互いに戦い、殺し合ったのである。最近では、当時のセルビアの大統領であったスロバダン・ミロシェヴィッチの後押しで起こったバルカン半島におけるコソボとボスニアでの出来事がある。
世界はもはや後戻りができないばかりか、完全な危機、善と邪悪の間の闘い、和合をつくる側とその反対をつくり出す側との間の完全な対決の時点に来てしまった。これは「裂開の剣」のエネルギーの結果である。キリスト教の聖書にイエスが言われた言葉として書かれている、「父親は息子と分かれて対立し、息子は兄弟と対立する」云々と。すべて非常に破壊的である。その「裂開の剣」は、皮肉に思えるかもしれないが、愛のエネルギーである。それがこれまでに起こったのであり、現在起こっていることである。そしてマイトレーヤによって精妙に焦点が合わせられていくだ
ろう。
現在、愛のエネルギーがすべての界を通して流れ出ているのである。世界中に浸透しており、それの人類への影響は、人々の本心をはっきりと表させるのである。善意の人間ならば、それが刺激され、強化されるだろう。もし破壊的で、悪意のある人間ならば、より一層そうなるだろう。善も悪も同様に、すべてが刺激されている。
このようにして、人類は何をなさねばならないかを非常に明確に知るだろう。もしそれが起こらなかったならば、われわれは今のままでがんばり続けることができると思うかもしれない。難しいけれど、がんばり続ければ、やがて、おそらく、物事は静まり、何事もなかったかのようにすべてがまた良くなると思うかもしれない。「裂開の剣」は違いをはっきりとさせ、人類の前にある選択を明確にする。剣の与えるより明確なビジョンをもって、ますます多くの人々が、もはや平和以外の選択肢がないことを知る。もしわれわれが平和をつくらなければ、この惑星上のすべて生命の完全な破壊となるだろう。
であるから、人類にとって、平和はもはや単なる選択肢ではない。それは欠くことのできないものである。この理解はマイトレーヤの愛のエネルギーの行動の結果である。人類の前進への道を明確に描写する「裂開の剣」である。その道は同胞、愛、正義、分かち合い、平和を通してであり、自由、正しい関係、そしてそれから生じるすべてを通してである。その道か、あるいは現在のやり方を続けてすべての生命を破壊するか、どちらかである。
マイトレーヤの「裂開の剣」がこの黒か白の対決を人類の前にもたらし、人類がそれを明確に鮮明に見ることができるようにするのである。われわれはどちら側を選ぶか、である。正しい人間関係の道、建設と調和の道を選ぶのか、あるいは、もう一方の間違った人間関係と、そしてすべての人々の完全な破壊につながる道を選ぶのかである。
重要なことは、この国において、次の選挙までに、完全に異なった投票制度を主張しなければならない。過去2回の選挙のような投票制度を受け入れるべきではない。過去2回の選挙は、いかなる、‘いかがわしい’国家のものよりもずっと不正なものであったことを私は確信している。それはあなた方にとっても世界にとっても、悪逆無道なことであり、二度と再び、政府にそのような行動を許すべきではない。
投票者のサインの証拠を残す投票制度でなければならない。一票一票についてそれがなければならない。いかなる機器にも手書きの票を不当に奪うことをさせてはならない。前回の選挙で大々的に使われたごまかしが絶対にあってはならない。大多数の若い人々は変化を欲し、ケリー氏に投票するだろうということをすべての人が知っていた。したがって、多くの場所で、若者たちは特別な部屋に集められて、投票を待つ人々の行列に加わることを許されなかった。彼らは何時間もそこで待たされた。18、19、20歳の若者を投票するために何時間も待たせるならば、彼らは留まらない。大勢の若者は帰ってしまった。
そのようなやり方が全国の多くの投票所で行われた。非常に簡単である。若者を追いやればよいのである。彼らの票は、おそらく何千票も投じられなかった。もし勝敗の票の差がわずかな場合には、その数は決定的であったろう。それは非常に簡単で、効果的で卑劣な策略である。
「残念ながら、最近の歴史が示すように、正直な選挙のプロセスを非常に強調する国々においてさえも、しばしばこれはそうではない。」
アメリカ合衆国ほど、他の国々の選挙の正直さについて警戒している国はない。選挙は公正であるのみならず、いわゆる‘民主的’でなければならない。‘民主的’でなければ、それは公正ではなく、自動的に違法だと見なされる。
パレスチナのハマスは、完全に公正で合法的な代表性投票制度で選ばれた政府である。自由に選ばれてパレスチナの政府になったのである。しかしアメリカ政府は、ハマスを認知することも、相手にすることも拒否した。アメリカのお先棒をかつぐイスラエルは、ハマスは民主的でないと言って彼らの代表を相手にすることを拒否する。国の大多数の国民が彼らに投票したのである、それ以上に民主的なことがあろうか。ほとんど90パーセントの票を得た大勝利であった。国事におけるそのような二枚舌の行為に対して何ができようか。


民主的形態の多様性
民主主義には多くの形態がある。アメリカは、唯一の合法的な選挙は二つの政党間の選挙であると考える。それはヨーロッパや日本やその他の国々の場合はそうである。しかし民主主義には多くの異なったアイディア(理念)や民主主義の度合い、タイプがある。
中国は民主国家であると主張する。英国やアメリカやフランス、ドイツ、スカンジナビア諸国の民主主義とは非常に異なるが、しかし彼らは民主的であると信じる。もし平均的な教育を受けた中国人に、特に東部海岸地域に住む人々に、彼らの政府が民主的かどうかを尋ねるならば、おそらく彼らはこう言うだろう、「そうです。民主的な一形態です。私はやりたいことを自由にやることができます。この仕事をすることもできるし、または他の仕事をすることもできる。特定の仕事をするように強制されることはありません。私がうまくやれる仕事、訓練を受けている仕事は、制約なしに何でもできます。私たちは民主主義国家です」。
それはわれわれが民主主義と呼ぶようなものではないが、しかし民主主義の一形態であり、混合した民主主義である。中国人は非常に興味深い統治形態を世界に提供している。それは実験であり、うまくいかないかもしれない。それが実験の性質というものである。中国のように国家規模でのこれらの実験は、展開するのに時間がかかる。中国には、軍と警察を背後においた強力な人間の一団があり、彼らは彼らが法として見なす法の支配を実施することができる。中国は第1光線の国である。国の魂は第1光線であり、パーソナリティーは第3光線である。彼らはあまり感傷的ではない。それは彼らの欠点の一つではない。
この国(アメリカ)は、現政府のようなねじ曲がった専制的なものであっても、第2光線の魂をもち、第6光線のパーソナリティーである。そして、かなり感傷的である。しかしながら私は、より粗野な中国の民主主義の形態よりも、むしろアメリカの方を取りたい。なぜなら、やがてアメリカの第2光線の魂がそれ自体を顕現させると思うからである。それが早ければ早いほど、世界にとってより良いのである。
世界は本当にアメリカの魂の特質が顕現するのを待っている。そうなるとき、アメリカは世界全体としての必要を真剣に考えるだろう。マイトレーヤの教えの影響の下に、初めて、その見解を広げるだろう。マイトレーヤがアメリカの魂の様相を喚起し、アメリカが豊かに保持する資源を分かち合うように鼓舞するだろう。その結果は、世界規模での新しいマーシャルプランである。それはこの国の国民としてのあなたたちの前に掲げる最も望ましいことの一つである。アメリカは偉大な国家である。ひどいこともやってきたが、それは他の諸国も同様である。アメリカは若い国家であり、したがって時には手に負えなくなることも予期される。しかし非常に強力で、非常に大きく、非常に金持ちなので、世界に途方もない影響を持つのである。
その影響はその国民の知性と創意の自然な流出である。またそれはホワイトハウス、そして(アメリカの本当の権力の座である)ペンタゴン(国防総省)によって計画された影響でもある。ワシントンにあるペンタゴンとホワイトハウスがアメリカの運命をコントロールし、ある程度世界の運命をコントロールする。しかし、そうあるべきではない。

アメリカ帝国
今日のアメリカ政府の権力欲と、彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動をコントロールするのは、マイトレーヤの任務である。それは事実上アメリカ帝国となるだろう。アメリカ帝国の確立をかなり意識的に考えて、それに向かって働きかけている人々がアメリカに大勢いる。彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。それが彼らの意図であり計画である。しかし、そうはならないだろう。1国あるいは1種類の政治形態が世界中を支配するということは、この惑星のロゴスの計画ではない。
17世紀と20世紀の間に、英国は世界中で力を築き上げ、大英帝国をつくったが、もはやそれは存在しない。帝国をつくったのだが、20世紀にそれを放棄して、より永続的で意義深いイギリス連邦をつくった。
英国の旗の下で、あるいは英国の旗に連合したイギリス連邦は、この惑星のロゴスの大計画のために、したがってその大計画を実行した霊的ハイアラキーの長い間の計画であったのであり、様々な国民が集合した本当の行為の一つである。
この諸国家のソサイエティ(仲間)すなわちイギリス連邦(Commonwealth of Nations)は実際には全く共通の富(commonwealth)ではないが、それまでに見られなかった貿易の自由を設けたのである。それは他の国々との間では同じではないが、連邦の中では通用した。国によっては、例えばオーストラリアのように、女王に敬礼し、英国の国旗に敬礼をすることは容易ではなかった。彼らの多くは自分たちを完全に異なる、別の国家と見なす。にもかかわらず、何百万ものオーストラリア人が英国に血縁のつながりを持つ。それは連邦のすべての国々--ニュージーランド、カナダ、西インド諸島、アフリカの一部、インド、パキスタン等々についてもそうである。
先の世界大戦前の地図を見るならば、ほとんどがピンク色であった。つまりそれはイギリス連邦の部分であり、すなわち大英帝国を意味したのである。帝国はもはや存在せず、その一部、主にアフリカでは、個々の国家としての足場を見つけようとしてもがいている。
英国との目に見えないつながりを保持し続けてきたイギリス連邦は、実際、異なった皮膚の色や異なった伝統、異なった宗教、異なった思考方法や感じ方、関わり方を持つ人々が共に平和に共存するという民族の集合についての見解を提供している。英国において、今日、これらが、しばしば大きな集団で、集まってきているのである。
マンチェスタ-やその他の都市に行くと、パキスタンや西インドの名前や伝統や食べ物、宗教を持つ大きな集団が住んでいるが、彼らは英語のアクセントで話し、自分たちを英国人と自認している。見かけは異なるが、言葉は同じであり、皆英国人なのである。
非常に独特な方法で彼らは比較的平和に共存している。極右翼政党であるイギリス国民党が卑劣な行為をし、例えばパキスタン系の人々に対立し、パキスタン人がそれに抵抗するというようなときに、パッと燃え上がることはある。しかしそれは稀であり、数年ごとに起きるにすぎない。大まかに言うと、これらの全く別々の社会の間に驚くほどの善意と良い関係の絆が存在する。彼らは、一般的に互いに混じり合わない。もちろん混じり合う人々もいるが、全体として、英連邦のどの国から来ていようと、それぞれの国民は、彼ら自身のアイデンティティー、彼ら自身の言語、食べ物、彼ら自身の学校、教会や寺院を保持する。彼らははっきりと識別できるが、お互いに友好的であり、摩擦は最小限である。


三つの実験
イギリス連邦は、小規模の(といっても、何百万の人間であるが)一つの実験である。世界では三つの実験が行われており、その一つが英国である。
ここアメリカにおいては、ヨーロッパをアメリカにもって来る、つまりヨーロッパの一部を海外に置くのである。アメリカは大体そのようにして存在するようになったのである、ヨーロッパのほとんどの国の人間のサンプルである--フランス人はその光線ゆえにあまり多くいないが、イギリス、アイルランド、スコットランド、オランダ、ドイツ、スペイン、スカンジナビア特にスウェーデン、イタリア、ギリシャ、等々の国々から来た人々である。彼らをつまみ出して、アメリカに置いて、こう告げたようなものである、「さあ、出かけて行って、この国を植民地化しなさい。ロッキー山脈を越えて、エルドラドを、カリフォルニアを見つけなさい」と。

ギリシャの‘民主主義’と奴隷
ところが大きな間違いが行われたのである。人々は民主主義について素晴らしいことのように語り、それはギリシャの時代にまで遡ると言う。
ギリシャ人が最初の民主主義者であったのは本当である。西暦前500年からある種の民主主義を持っていた。民主的な評議会は、同じ社会的地位の同じような考え方をする男たちの会議であり、すべてがアテネの地主であり、金持ちであり、強力な男たちであった。
しかしアテネは、ギリシャの他の都市と同様に、そしてすべてのローマの都市のように、完全に奴隷の労働によって運営されていた。奴隷制度はアテネ以前のずっと昔から存在していたが、アテネは奴隷の労働の上で力を得たのである。多くの素晴らしい発見、特に科学や幾何学、建築等々における発見がもたらされたギリシャ文明も同様である。途方もなく賢明で才能ある人々からわれわれは非常に多くを学んできたのだが、彼らはそれらのすべてを奴隷の労働(犠牲)の上で行ったのである。戦争をし、征服し、捕虜を収容した。捕虜は奴隷としてギリシャに連れ帰られた。自分の国では王や女王、あるいは金持ちの強力な貴族であったかもしれないが、しかしアテネに、そして後にはローマに連れ帰られるや否や、奴隷にされるのである。
この国アメリカが権力と富を思いのままにしたとき、同じことが起こった。今回はアフリカから奴隷を連れてきたのである。アラブ人はそれ以前から何世代にもわたって奴隷商人であった。彼らは奴隷の労働の上に彼らの経済を運営してきたのであり、今でもまだそれを行っている者がおり、奴隷となる可能性のある者たち自身は、他の人々を奴隷商人に売りつけた。彼らはこの恐ろしい人間の取り引きに参加したのである。そしてより金持ちになり、最低の階級から抜け出すことができた。いつも、社会制度の中で最も貧困で最も低い地位の人間が奴隷となった。アメリカの南部は、ご承知のように、奴隷によって築かれたのであり、この国の富の大きな部分が奴隷制度から築き上げられたのである。
イギリスの貴族や準貴族によっていまだに享受されている富の大きな部分は、奴隷の売買から得られたのである。彼らはアフリカの海岸、黄金海岸や象牙海岸やその他の地域に行った船を所有していた。そこで彼らは奴隷を買い、海を越えて取り引きしたのである。恐ろしい貿易であり、それは今日まで続いている--アフリカやインド、中国、その他の国々で奴隷が売買されている。
民主主義のタイプ、あるいは民主主義の国々には多くの異なったタイプがある。奴隷制度に基づいた民主主義は言葉の意味の矛盾であるが、しかし、もし人類を二種類のグループに分けることができるならば、そうではない。権力を持つ者は彼らのレベルで民主的な法の見せかけのようなものをつくることができる。しかし同時に、それは深く定着した奴隷経済の上に築かれる。それは悲劇的である。人類は数え切れない長い間、このように行動してきたのである。

安全保障理事会
至るところで民主主義を呼びかけるアメリカ人の声の強さにもかかわらず(そして私個人的には民主主義を非常に好むが)、アメリカ合衆国ほどアメリカの外に民主主義を要求して声高に叫ぶ国はない。のみならず、私の師(覚者)が指摘されたように、この国(アメリカ)は、不思議なことに、アメリカ国内の民主主義の欠如に対して盲目である。
安全保障理事会の行動は民主主義の正反対である。安全保障理事会は(創設当時)原子爆弾を所有していた5カ国--イギリス、アメリカ、フランス、中国、ロシア--によってつくられたのであり、これらの5カ国が国際連合の行動を支配し、彼らに拒否権を与える安全保障理事会をつくったのである。
拒否権を持つ国があるということほど、民主主義に反することはない。拒否権を持つ国は国連総会全体によって決められた決議案の実施を阻止するために、それを行使することができる。アメリカは他のいかなる国よりも多くの拒否権を行使し、イスラエルに対する決議案の場合、63回も拒否権を使った。イスラエルはアメリカの拒否権が彼らを非難から守ることを知っているゆえに、ただ国連をばかにする。
アメリカとイギリスによって使われたイラク攻撃の理由の一つは、サダム・フセインが19の(人によっては17というが)国連決議案の実施を怠ったというものであった。決議案は大量破壊兵器についてであり、イラクがそれらの兵器を破壊していないと主張するものであった。実際にはそれはすべて実施されていたということを、われわれは今は知っている。彼らはそれらの兵器を、戦争が始まる前にすでに破棄していた(それについてわれわれは、シェア・インターナショナル誌ですでに発表していた)。しかしながらイスラエルは、罰を逃れる。拒否権制度とアメリカの保護のゆえに、イスラエルに対して今も存在するこれら63の決議案を彼らは実施しようとする必要はないので
ある。
拒否権と安全保障理事会には、もはやその有益性も存在理由もない。破棄されるべきである。国連は拒否権制度を破棄しなければならない。そして本当に民主的な総会でなければならない。安全保障理事会が解消され、拒否権が取り去られるまで、国連総会は民主主義的な総会にはなれない。そして、覚者が「世界の希望の声」と言われる国際連合総会自体の声が純粋に簡潔に聞かれ、世界をできるだけ速やかに正しく戻すために使われることが、まさに非常に緊急なことである。
すべてにおいて、人々がそれを欲しようが欲しまいが、何がなんでも民主主義をという今日の西洋の執着にもかかわらず、もしそれがアメリカ式の民主主義のタイプに属しなければ本当の民主主義ではなく、したがって何らかの権威主義的政府の形態と判断されてしまう。
民主主義者は彼らの民主主義のいかなる減衰をも憤るが、しかしやがて、民主主義者がある程度のハイアラキーの監督と決定に憤慨しなくなるときがやってくる。人々が覚者方の智恵と高位の知識を信頼するようになると、覚者方の監督は学習の過程として歓迎されるだろう。新しい、そしてたぐいまれな謙虚さが育まれるとき、そのようになるだろう。
人類が覚者方を見るとき、覚者方が言われることを聞くとき、覚者方がいかに寛容であるかを知るとき、われわれはいかに寛容でないかを認識しはじめるだろう。覚者方は決して彼らの意志を人類に押しつけないことを知るだろう。覚者方がいかに辛抱強く、そして彼らがすべてにおいて、いかに法の範囲内で働くかを知るとき、人々は覚者方の高位の知識、智恵を得たいと欲するだろう。

惑星の温暖化
今日、自分たちの持つちっぽけな権力と知識を非常に気にして、あたかも世界を支配することができるかのように思う人々がいる。自分たちはすべてを知っていると考える人々がいる--例えば、科学者たち。
この惑星は熱してきており、惑星の温暖化は現実であり、われわれは何とかそれに対処しなければならないという科学者たちがいる。人間は大気中にあらゆる汚染物を放出しており、それが惑星を熱している。同時に、それと全く反対のことを唱える科学者たちがいる。そのような科学者たちは概して、この国アメリカにいる。
この国には、買収されたか、あるいは惑星が熱しているという主張は実際本当ではないと心底から信じる科学者たちがいる。彼らは過剰のガス放射を単に製造業者に抑えさせることで解決されるものではないと信じる。それではだめだろうし、そうすることは不必要だとさえ彼らは言う。その他のやり方がある。イラクの石油やベネズエラの石油、その他にまだ実際に採掘されていない石油を手に入れるとき、欲しい石油をすべて持てるようになると、彼らは言う。それらを貯め込むのだ。穴を開けて中をえぐり取った山の洞穴にそれを貯蔵する、そうすれば天の御国が到来するまでそれで足りるだろう、と考える。彼らは主に原理主義クリスチャンなので、天の御国がやって来るのはほとんどの人々が考えるよりもずっと間近であることを知っているのである。
覚者が「わたしだったら、それをこのようにするが」と言うなら、人々が大喜びする時がやって来る。人々はそれを歓迎するだろう。人々は突然学校の生徒のようになるだろう。覚者方は非常に多くをご存じである。彼らの智恵を本に書くというようなことはしない。すべてお持ちである。必要ならいかなる情報でも入手できる。
人々は監督--どの政策を取るか、いかにして大計画の線に沿って進むか--というような助言という意味でのある程度のコントロールを受けることを非常に喜ぶだろう。われわれは大計画を知らない。覚者方を見るまで、大計画があることを知らなかった。しかし大計画は存在し、覚者方は大計画を実行される。われわれは大計画があることを知らないので、正しいこと以外のあらゆることを行う、なぜならすべてが開放されているのだから。われわれは偶然に正しいことをし、選択によってその他のすべてを行う。
非常に硬直した人々でさえ、完全に受け入れるようになる程度の監督があるだろう。この(キリストの再臨についての)‘ストーリー’について、人々がよく言うのは、「『マスター〔訳注=支配権を持つ者とか師匠、大家という意味がある〕』という言葉が気に入らない」。「覚者方は彼ら自身に対するマスターです。彼らはわれわれの惑星のすべての界について完全な認識と完全なコントロールを持つという意味においてマスターなのです。それが彼らをマスター(覚者)にするのです」と、私は言う。すると彼らはこう言う、「それでもまだいやだ」と。つまり彼らが意味するのは、覚者方がわれわれの「上位」にあるのが気に入らないのである。覚者方は、覚者であるゆえに、必然的にわれわれに何々をせよと言うだろうと思うのである。覚者方は、尋ねられたときに、人々ができることのみを言われるということを彼らは知らない。正しいことは何ですかと、覚者に聞くなら、覚者は「さて、賢明なことはこうこうすることだ」と言うかもしれない。もしあなたが賢明ならば、それするだろう、なぜならそれは正しいことだから。そうでなければ言わないだろう。彼らは私たちとは純粋にアドバイザー的な関係にあるのである。

霊的集団
この国やその他の国々に霊的なグループがたくさんある。たとえそれらがグラマーでいっぱいであろうとも、あなたのアイディアとは全く違っていたとしても、いかに不活動で、いかに内向的で、いかに世界全体に関心を持たなかろうと、とにかく何千何万もの霊的集団が存在する。彼らは、現在、ほとんど完全に分離して、ちりぢりになっている。彼らは至るところにいるが、断片化している。互いに関係を結んでいるものはほとんどい
ない。
私が1980年1月に「多様性の中の和合評議会」のためにはじめてこの国(アメリカ)に来たとき、「ハレルヤ!これは素晴らしいグループだ。あらゆる種類のグループを集合させる。『多様性の中の和合評議会』と呼ばれる傘の下で、彼らは一緒に活動している。最大の多様性と最大の和合、素晴らしい概念である。この地球上における真の生活の概念だ」と思ったのである。その精神をわれわれは必要とする--最大の種類と多様性、すべての異なった国々が異なった光線構造ゆえに、それぞれの特質を全体に寄与することである。光線構造が特質を与える。したがってすべての国が、その国の魂の光線とパーソナリティーの光線の組み合わせゆえに、彼らが持つ特異でユニークなものをすべて、そしてそれが世界につくり出す特質を共通のプールに寄与することができるのである。
すべてが必要とされ、すべてが世界において果たすべき定められた役割を持つのである。アクエリアス(宝瓶宮)の時代が進むにつれて、そして覚者方が長い間世界に出ていくにつれて、ますます多くの国が彼らの光線の特質を、彼らの個々の才能を顕示し、そしてそれを全体の利益のために提供するだろう。そうあるべきである。今日はそうではない。しかしそのようになるだろう。
われわれのようなグループは他のグループと共に働き、そのようなグループを支えて、世界の世論をつくる必要がある。世界の世論が世界の人々を通して表現されるにつれて、それが世界を変えるだろう。
マイトレーヤの任務は、世界世論を活気づけて、それを数個の単純なアイディアに集中させ、人々が至るところで、正義を、自由を、呼びかけるようにすることである。正義を達成し、戦争を終わらせ、平和を創造する唯一の方法として分かち合いを呼びかけるようにすることである。平和とテロリズムの終結は正義の創造にかかっており、それを達成する方法は一つ、世界資源の分かち合いである。
これらは人類が把握しなければならない単純なことである。何百万ものグループがある。あるグループは動物のためにもっと正義を、屠殺場の廃止を、すべての人々のために菜食主義を、等々と呼びかけている。「動物王国の殺生を終わらせよ」「鯨を救え」「アザラシを救おう」等々。これらは素晴らしい理想である。私はいずれも賛成である、しかし何百万もの人間がこれらの異なったアイディアをすべて一緒に促進しようとしても、そのインパクトを弱めるだけである。単純でなければならない。資源の分かち合いを通して人類の正義を達成し、そうして平和をつくる。
それが世界中のすべてのグループが集中しなければならないアイディアである。平和はもはや選択肢ではない。それを理解しなければならない。なぜなら、平和がなければ、やがてわれわれは自分たち自身を滅ぼしてしまうからである。小さな戦争が大きな戦争になるだろう。それは核戦争となり、すべての国が消え去ってしまうだろう。
私はあなた方がデモ行進のときに掲げる旗印の見出しを述べているのではない。私はあなた方の心(マインド)を本質的なことに集中させようとしているのである。本質的なことは、分かち合いであり、それが正義につながり、必然的にテロリズムの終止につながり、そして世界平和につながる。それのみである。マイトレーヤが言われるように、「それ以外の道はない」。もし分かち合わなければ、われわれは遅かれ早かれ死ぬ。それほど単純なのである。
それは分かち合いと世界の変換の問題である。それが信頼を築き、将来のすべての取り決めはその信頼に基盤を置く。信頼があれば、どんな事も解決することができる。信頼をつくらなければならず、世界資源の分かち合いのみがそれを可能にする。信頼があれば、他のあらゆる問題--中東問題、惑星自体の救済、等々--に対処することができる。意見の食い違いはほとんどなくなり、資源の分かち合いが実施されるとき、途方もない力で流れ出る善意の中に消散するだろう。
このグループやこの種の他のすべてのグループにとって重要で有益なことは、意識的に統合を目指して働き、他のグループと一緒に多様性の中の和合をつくるように働くことである。インターネットを探しなさい。あらゆるグループのウェブサイトを読んで探しなさい。ある程度のサイズのグループでウェブサイトを持たないグループはないと思う。それを読んで、われわれがしていることと同じようなこと(キリストの再臨についてのことは別にして)、その価値観、世界のために提供しているアイディアが、われわれが推進している価値観に近いものであるならば、そのグループに連絡を取り、フェアやフェスティバルで何らかの意思表示をしたり、スピーカーを交換し合うということも考えられる。われわれはイギリスではほとんど成功していないが、おそらくそのようなことをあまり試みようとしなかったかもしれない。
カリフォルニア州バークレー市に住むラビで、マイケル・ラーナーという人の発行する『ティクン』と呼ばれる雑誌がある。われわれがマイトレーヤの優先事項と呼ぶものに非常に近いものを押し出している。もちろん彼は、世界に覚者方が再臨されることについては述べていないが、彼は正しい人間関係について述べている。正しい人間関係について述べているグループは、われわれと同様に、おなじ仕事にかかわっているのである。だから、『ティクン』を講読するのも面白いだろう。大きな光沢紙に印刷された良い雑誌であり、あまり広告もない。あの雑誌の記事のほとんどに賛同できると思う。
すべての人間が和合を求めている。それゆえ、人々はグループに参加したり、グループを形成するのである。同時に、すべての人間が自分の個人性を、転生しているすべての魂のユニークな特質を表現したがる。自然で有機的で、偏見や硬直性のない種類の和合のみが、この地球という惑星をその住人にとって非常に興味深いものにする豊かな多様性のために適切な枠組みを形成するのである。