現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 3月 多様性の中の和合

多様性の中の和合

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再臨のグループと効果的な提示の仕方

Q このグループの第一の目的はまだ再臨を世界に伝えることですか。
A 他に何があるというのですか。それが第一の目的でないならば、このグループはグループではないでしょう。それは、これまで与えられた中で最も重要な情報:キリストが世界に戻られたということを世界に伝えることです。それよりも大きな、より重要なことがあるでしょうか。これまで長いことやってきた後に、このグループの仕事が異なるなどあり得るでしょうか。あなたはマイトレーヤを見たことがありますか。世界は、マイトレーヤが、彼の周りの一団とともにこの世におられることを本当に知っているでしょうか。私は、3,000万人の人々がこの話を聞いたことがあり、そのうち約2,000万人が、これが本当かもしれないと心を開いていると伝えられました。聞いたことのある人々のうちの3分の2です。これは顕著な数です。約200万人の人々はこれが本当であることに100%の確信を持っています。ほんの一部に過ぎませんが、それでも非常に顕著な数です。幸い、多くの人々に確信を生み出すためには、すべての人々にこの話を伝える必要はありません。世界に伝えてくれる一定の数の人々を必要とするだけです。彼らの働きと彼らの想念形態があらゆる方向に行き、この出来事についてのより幅広い感覚を生み出すことができます。ですから、このグループの仕事はまさに、常にそうであったように、今でも、世界に(キリストの)再臨について伝えることです。
Q マイトレーヤの優先事項のために働いていると思われる様々な政治的社会的グループで働く場合に、マイトレーヤについて話すことを優先すべきでしょうか。それともただ彼らの仕事を援助すべきでしょうか。
>A どちらか一方ということではありません。常識の問題です。自分のグループが何であるかについて語ることなしに、どうやって他のグループと共に建設的で知的に働くことができますか。しばらくの間、同じような考え方の人々、マイトレーヤと同じ優先事項のために働いている人々と共に過ごし、マイトレーヤという名前を出さないこともあるでしょう。常識を用いなさい。マイトレーヤについて話したくなるときもあるでしょう。そうするよう頼まれ、興味を持つ聞き手がいるからです。そういう機会ではないと感じるときもあるでしょう。あまりしばしばでないことを望みますが。しかし、これについて「~でなければならない」ということはありません。それは優先事項ではありません。他のグループと共に働くならば、そのグループと共に働くのです。そのときにはマイトレーヤについて話すことは優先事項ではありません。しかしそうできるならば・・・。
Q グループによってアウトリーチ(広報のやり方)には様々な方法があります。例えば、あなたのビデオを見せて質問に答えるよりも、一人の人が話すほうがよりよい方法ですか。
A それは、誰が話すのか、誰がビデオを見せるのかによります。あらゆるものを使いなさい。利用できるものは利用するのでます。役に立つものはすべて使いなさい。役に立つものを使うのみです。しかしながら、個人的な意見としては、この話を伝えるのに、一人の人または大勢のグループに面と向かって話すこと以上にうまくいく方法はないと思います。どんなビデオ上映も、完全な確信をもってハートから語る人の生き生きとした緊密なインパクトと比べることはできないと思います。あなたの確信が彼らの確信に変わります。あなたの思考が表現するエネルギーが彼らの最良の動機と希望を目覚めさせます。彼らは啓発されたように感じ、しばしば、ある意味で、祝福されたように感じるでしょう。
Q マイトレーヤと共通する優先事項を持つ三つか四つのグループと公の場でパネル・ディスカッションを企画して、それぞれのグループの多様性と共通性を強調することは良い時間の使い方ですか。
A はい、それは良い時間の使い方です。多くの方法のうちの一つです。すべての時間を使うのではなしに、しかしやってごらんなさい。やってみて、良いかどうかを見てみるのです。
Q 他の組織と共に働くとき、どうやって自己紹介すればいいでしょうか。どういう組織名を使うべきでしょうか。
A 何と呼んでもかまいませんし、名前を使う必要もありません。それは重要なことではありません。「私たちには名前はありません。私たちはただ人々の集まりです。私たちは、あなた方の優先事項は正しいと考えており、私たちも正しい優先事項を持っているので、一緒に話しましょう」と言えばいいのです。名前を持つ必要はありません。どんな資料を出しているのかと聞かれたら、シェア・インターナショナルの資料を示せばいいのです。しかし、あなた方は『シェア・インターナショナル』ではありません。あなた方はあなた方自身です。
Q これは、再臨の話を伝える中での多様性についての質問です。公衆にこの話を伝えることを拒絶した高位の弟子たちが他に4人いるのだとすれば、おそらくこの話はこれまで一つの観点からのみ、つまりブラヴァツキーとアリス・ベイリーの仕事の継続としてのみ伝えられていることになると思います。これについてコメントをお願いします。
A それはまさに本当ですが、他の4人が高位の弟子であるとは私は言ったことがありません。他に4人の弟子がいると言っただけです。彼らの誰も高位だとは言っていません。そこに違いがあります。彼らの誰も覚者との接触がありません。もしそうであったら、彼らも私と同じように行動していたでしょう。もし私に覚者との接触がなく、彼らがおそらく受けたようなやり方で情報を受けていたならば、私もまた行動しなかったでしょう。しかし私には、「さあ、出て行きなさい、外へ出て世界にこのことを伝えなさい」と言う覚者がいました。
これがどんなに困難なことだったか、あなた方には分からないでしょう。外へ出て世界に伝えるなどというのは全く私の考えにはなかったことです。そうすることを強要されなければ、私は決してやらなかったでしょう。ですから私は彼らが出てこないことを責める気はありません。ですから、この話の大部分がブラヴァツキーとアリス・ベイリーの情報の継続であるというのは本当であり、私はそれが正しい教えだと信じています。それ以外のやり方で話すことはできなかったでしょう。私はブラヴァツキーとアリス・ベイリーの教えに傾倒しており、それはハイアラキーからの直接の教えであると確信しています。私は自分が真実であると信じるものにしか興味がありません。
それでも、この情報を伝える他のやり方もあるでしょう。あなたは信を持つキリスト教徒かもしれません。このグループの多くの人々は信を持つキリスト教徒であると思います。彼らはキリストの再臨としてこの話をすることができるでしょうし、アリス・ベイリーやブラヴァツキーや他の教えに言及する必要はありません。多くの異なったやり方で伝えることができます。私はそうした人々ではないので、他のやり方で伝えることはできません。しかし他のやり方でも伝えることができるということは、絶対に確かです。
例えば、イスラム教徒はイマム・マーディの到来を待っています。マイトレーヤがロンドンに来られた頃、二人のパキスタン人がロンドンに送られました。彼らは共に、一人はラホールで、もう一人はカラチで‘聖なる人’に会っていました。彼らはお互いのことを知らず、聖者も違う人でしたが、聖者は彼らに同じ話をしました。彼らはイマム・マーディの道を整えるためにロンドンに来ることになっていたのです。一人はジャーナリストで、政治に関わっていました。彼は言いました。「私にはできません。私には仕事があります。私はジャーナリストであり、(ベナジール・ブット氏の父親〔暗殺される前〕の)政治政党のメンバーです。絶対に行くことはできません」。聖者は何カ月か前に、彼はロンドンに行かねばならないと伝えていたのです。聖者は彼が何年も前に失った物を与え、彼の家族について家族しか知らないことを知っていました。聖者は、たいへんな物知りであることを示しました。そして、「君が行かないなら、行かざるを得ないようになるだろう」と言いました。
同じことが他の男性にも起こりました。彼は弁護士でした。彼は言いました。「私は行けません。法律の仕事があります」。聖者は言いました。「君が行かないなら、行かざるを得ないようになるだろう」
ついにブット氏が殺され、彼に関係したあらゆる人に容疑がかかりました。ブット氏の政党のメンバーが疑われました。そのジャーナリストがどんな地位にあったのか分かりませんが、彼は政党に深く関わっていました。彼にはロンドンのアジア人地区で暮らす兄弟がおり、仕事を辞めてロンドンに行き、パキスタン系新聞のジャーナリストの仕事につきました。
一方、弁護士は、事業に失敗し、破産する前に彼も事務所をたたんでロンドンに行きました。彼らはお互いのことを知りませんでしたが、私がロンドンのアジア人地区で新聞広告を出した時に初めて会ったのです。その広告には、マーディが到来し、ロンドンのアジア人地区に暮らしていると書いてありました。その情報は地区全体に広まりました。二人のパキスタン人もそれを読みました。たまたま彼らの兄弟の一人が他方を知っていました。そこで彼は二人を招待し、お互いに全く同じ体験をしていたことを知ったのです。それぞれが違う街で、違う聖者が全く同じように教えていたのです。それで彼らは私と接触することを決め、私は彼らに会いました。
私は、1982年5月に、マイトレーヤがロンドンのアジア人地区にいることを発表し、有能な著名ジャーナリストがマイトレーヤを探そうと行動を起こせば、出て来られるだろうと伝えました。私は多くの外国のジャーナリストがそうするだろうと期待し、これらの男性に、閉鎖的なアジア人地区の案内人となってくれるよう頼みました。彼らは同意しました。
しかしながら、ジャーナリストの男性は、マイトレーヤが彼の肩の上に載ってくれるのをただ待っています。他の一人は、イマム・マーディについてあらゆるものを読み、その過程で伝統固執主義イスラム教徒になってしまいました。それから彼はイマム・マーディの到来についての本を書いています。
この情報を、キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒のやり方で伝えることができます。マイトレーヤ仏はすべての仏教徒に待望されています。日本の仏教徒は、それが56億7,000万年後だと思っているので、それほど急ぎません。クリシュナやカルキ・アバターとして伝えることもできるし、ユダヤ教のメシアとして伝えることもできます。これらは、知ろうが知るまいが、すべてマイトレーヤのことです。
私はハイアラキー的なやり方で伝えています。これが最も見聞が広く、最も真実で、深遠で、最も歪曲が少ないと信じています。あらゆる宗教はある程度は歪曲されています。それらが生まれてから何百何千年も経っており、すべてが歪められています。聖典はいずれもある程度は変色しています。秘教的な教えの中でのみ、真の情報を受けることができると思います。
覚者との接触があれば、それが最高です。どんな本も教えも必要ありません。直接語ることができ、それが最良です。しかしそれは稀なことです。非常に稀です。
国 連
Q あなたは、マイトレーヤの出現後でないと解決できない問題があると言われました。国連の改革もそうですか。
A 国連は、拒否権を廃止するという途方もない改革への雰囲気がまだありません。現在のアメリカが拒否権を放棄することは考えられず、英国、フランス、ロシア、中国もそうだと思います。彼らはみな拒否権と、それが彼らに与える権力を愛しています。
ですから、国連の再建に関する限り、そうしたことは、マイトレーヤが確実に真に認知され、彼の見解が知られるようになるまでは起こらないと思います。安全保障理事会からの圧力と拒否権が続く限り、そして総会の民主的な声が無視され続ける限り、国連が真に民主的な存在となることはありません。マイトレーヤが受け入れられ、彼の想念、アイディア、優先事項が人類を導くようになるまで、それは起こらないでしょう。それを行うにはマイトレーヤが必要だと思います。
株式市場の崩壊
Q 世界貿易機構(WTO)、世界通貨基金(IMF)、そして世界銀行と国連安保理などを改革するには株式市場の崩壊が必要でしょうか。
A それらの改革をもたらすために主要国--G8諸国の政府--の意見を変えさせるためには、既存の株式市場に、必ずしも完全な崩壊に至らずともかなり深刻な障害が、通常のあり方に非常に深刻な動乱が起こらなければ無理だと思います。現在の経済的‘リアリティ’の大きな障害が起こるまでは、世界銀行やIMFには何も起こらないでしょう。それは私たちが望んでいる障害です。すべては空想であり、私たちは日の光を欲しています。経済的圧力が十分に強くなったときにそれは起こるでしょう。
政治/民衆の力
Q 民衆はどのようにして、自分たちの声をもっと多様な形で政治に反映させることができるでしょうか。
A 民衆は自分たちの要求を知らせて行動しなければなりません。あなたは行動しなければなりません。「何事もひとりでに起こらないのである。人間は行動し、自分の意志を実行しなければならない」とマイトレーヤは言われています。分かち合いの過程を実施したければ、それを受け入れるよう政府に強いなければなりません。政府は国民に奉仕するためにそこにあるのです。政府は今のようなやり方で国民への奉仕を続けようとするでしょう。しかし、もし変化をもたらしたければ、もし国民の声をもっと反映させたければ、それを政府に強いなければなりません。人々はきっと自分たちの声をもっと反映させたいと思っているでしょう。それは、世界で政府を運営している、たいていの場合は少数の人々の手から権力の一部を取り上げることを意味しています。彼らは自発的に権力を放棄しようとはしないでしょう。しかし、民衆がそれを要求するとき、毎日行進が行われ、何千人、何十万人もの人々が様々な町の広場や通りを埋めつくし、動こうとしないとき、民衆はどんな政府にも実行させることができます。私たちはすでにそれを目にしました。
Q 憲法は国民の権利を保障していますか。
A それは制度によります。イギリスには憲法がありませんが、比較的公正な統治制度はあります。アメリカでは、人々は憲法と国民の権利についてよく話をしますが、実際のところ、憲法で法制化された国民の権利は現政権によって侵害されています。世界のどの専制政治も、憲法にどう書かれていようと同じように行動します。
Q 分かち合いについて考え始めている政府はありますか。
A 今日のどの政府も、世界の資源を分かち合う過程には関わっておりません。それは世界を救うことのできる唯一のものですが、真剣なアイディアとして受け取られることは決してありません。他のあらゆる手段が試されましたが、失敗に終わり、そしてそれは必然的に苦難へと、そして戦争へとつながりました。
新しい政治
Q カストロ議長(キューバ)、チャベス大統領(ベネズエラ)、モラレス大統領(ボリビア)は西欧の民主主義とは異なった統治形態を持っているのでしょうか。
A カストロ議長は古い世代の最後の人物です。政治的な観点から見れば、過去およそ50年間キューバを率いてきた共産主義者です。チャベス大統領はいくらか異なっており、モラレス大統領もまた異なっています。現在は昔とは異なった世界になっています。カストロ議長は古い型の共産主義指導者の一人です。私の考えでは、彼はいくらか時代遅れになっています。
チャベス氏は控えめに言っても型破りな大統領ですが、様々な素晴らしいアイディアを持っています。少し普通でないのもあるかもしれませんが、そうしたアイディアは一定の線に沿っています。彼は開発途上世界の出身です。ベネズエラは、石油が発見されるまでは非常に貧しい国でした。今では巨大な石油埋蔵量を抱える裕福な国であり、したがって突然、特に米国にとって重要な国になりました。米国はチャベス政権の傾向が気に入らないようです。米国で権力の座についている人々にとってチャベス政権は、その玄関先に(近くに)置いておくにはあまりに左寄りすぎます。チャベス政権は、CIAによって転覆させられたチリのアジェンデ政権と非常によく似ています。ですから、アメリカ人はベネズエラの反対勢力を支援するために、そしてチャベス政権にできる限り圧力を加え、そのようにして弱体化させようとして何百万ドルも提供します。ベネズエラには、自分たちの宣伝や圧力団体のために、こうした何百万ドルを喜んで受け取る裕福な右翼組織やグループや実業家がたくさんおり、チャベス政権の革命的な勢力に対抗しようとしています。一方、チャベス大統領自身は世界中を旅して回り、多くの政府との関係を構築しています。
他方、イギリスでは、いわゆる「新しい労働党」は、ほんの数%だけ労働党の理想とフェアプレーを意味していますが、残りの大部分、おそらく80%は市場フォース(勢力)に基づいた商業主義を意味しています。市場フォースに盲目的に従う世界の政府は国民を破壊へと導いていると、マイトレーヤは述べています。それがまさしく世界中で起こっていることです。
市場フォースはその性質のゆえに、私たちの文明を滅ぼそうとしています。この破壊的な原則、商業主義が、健全であるすべてのものを、公正であるすべてのものを、良識的であるものさえすべてを、世界の経済過程から追い出しているのを目の当たりにすることができるでしょう。それは保健医療や教育などに関わるすべての政府機関を、さらには人間そのものを、市場フォースの手先にしようとしています。
チャベス大統領とモラレス大統領とでは統治形態がかすかに異なっていますが、統治形態には多くの種類があります。民主主義と呼ばれるものもあれば、半民主主義のものもあれば、明らかに非民主主義のものもあります。世界はやがて一体化するでしょう。アクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーは必然的により大きな統合をもたらしますが、今日ではパイシス(双魚宮)のエネルギーが人々を異なった方向へと駆り立てています。
Q 一つの経済政治システムの下に一体化されるという意味ですか。
A 米国のやり方で世界を一体化させることもできるでしょう。競争に基づいた市場フォースと提携して、米国型の経済システムに従うこともできるでしょう。それは少数の人々には有利ですが、大多数の人々には不利なものであるため、分裂や不安をつくり、やがては今日のようなテロや戦争を生みます。米国型の帝国、パックス・アメリカーナという意味で世界を一つにしようと試みることができるとあなたがたは考えるかもしれません。そうなれば、すべての人が米国型の民主主義の理念を持つことになるでしょう。そして、戦争へと突き進まないにしても、世界は貪欲に競争し続けるでしょう。しかし、これは幻想です。決して実現することはないでしょう。
そのようなわけで、今日、戦争やテロが起こっているのです。米国の考え方は過去のものだからです。世界は米国の経済支配によって、未来において本質的に持続不可能である統治形態や関係へと追いやられてきました。そうした支配が伴う競争は善意をもたらしません。なぜなら競争は過去にだけ関係し、未来に与えるものを何も持たないからです。
善意こそ明らかに私たちが必要とするものですが、競争は善意をもたらしません。競争は正反対のものです。競争はあなたが想像するものを増殖させ、市場をめぐって争い、競争者たちと敵対しながら自分に有利に商談を進めようとします。そのようなやり方は対決につながり、やがては戦争に、ますます多くの戦争につながります。それは過去のやり方です。
それは本当に競争か協力かの選択です。協力は未来のやり方であり、人類に役立つ唯一のやり方です。
Q 各国政府が現在、とても無力なように思えるのはなぜですか。
A 各国政府は過去の観点からのやり方しか知らず、それはもはや通用しません。そのようなわけで地球上には今日、実際に統治することができる政府がないのです。政府は全力を尽くしますが、すべて失敗します。なぜなら根本的に、政府は時代遅れの手段を使っているからです。たった一つの方法--政府にとって考えつく最後のこと--が、すべての政府が陥ってしまった現在の行き詰まりを打開するでしょう。それは分かち合いのシステムを開始することです。
各国政府がそれを行うや否や、信頼を創造することになり、他のすべての問題に協力的に取り組むことができるようになるでしょう。そうした問題は協力的に解決されなければなりません。解決策を求めていない国に解決策を押し付けることはできません。それは、分かち合いによって生み出された信頼がそこにあり、その信頼によって変化が起こることが可能になるときに、協力によってのみ起こり得るでしょう。その後、信頼によって生まれた善意が、今日では解決することが不可能に思える問題の解決を可能にするでしょう。
Q ニューヨークでの講演会で、あなたが「私たちは私たち自身を救わなければなりません」と言うと大きな拍手が起きました。これは素晴らしい統合をもたらす表現だと思いました。再臨の話しを伝える際に、救世主としての世界教師についての懸念や予断を打ち消すからです。
A この質問には二つの側面があります。一つは世界的な側面で、もう一つは個人的な側面です。マイトレーヤは、人類がこの惑星を救い、人類自身が破滅しないようインスピレーションをもたらすためにやって来ます。教えを通して、その変化を起こすインスピレーションを私たちに与えようとします。これが彼を「救世主」であると考える大半の人々が抱く期待です。しかし私たちは自分自身で働かねばなりません。ずいぶん前に彼が言われたように、すべての石、すべての煉瓦は人類自身によって築かれねばなりません。「私は大計画の設計者であり、あなた方は真理の寺院の建設者である」。
二番目の側面は、個々人に対する彼の関係についてのものです。この場合彼は救世主ではなく教師です。彼の教えに対する正しい反応によって、私たちは自分自身を救わねばなりません。他の誰も、マイトレーヤご自身でさえ、これをすることはできません。
世界教師は救世主ですが、彼は私たちを救うために来るのではありません。彼は教えるために来られるのであり、私たちが自分を救うのです。教えに対する正しい反応によって、つまり、教えを私たちの人生におけるダイナミックなフォース(力)とすることによって、自分自身を救うのです。救うことは知ることです。あなたが真我となり、真我であるとき、あなたは救われたのです。
キリスト教のグループは過去2000年にわたって、救世主がやってきて人類を罪の結果から救うのだと世界に伝えてきました。しかしそれは罪とは何の関係もありません。自己変容についてです。自分自身を変え、救われる過程に入るのです。それは段階的なプロセスです。
私たちは教えに対する反応と、とりわけ教えを自分自身に適用することによって、自分を救います。教えを聞いて、教えとしてそのままにしておくこともできます。何百万もの人々がこの2000年間そうしてきたのです。聖書に纏められたイエスを通して伝えられたマイトレーヤの教えは、説明されて片付けられるか、あるいは当時と同じくらい今日にも関連するが、実際に適用されませんでした。
教えを適用しないならば、私たちの内部でダイナミックなフォース、変化のためのフォースとならないならば、私たちは救われません。毎日、毎週、毎年、正しく適用されれば、教えは少しずつ私たちを変えます。魂により近づき、もっと魂のエネルギーで満たされ、魂の光で満たされるようになります。より多くの亜原子を肉体に持ち込み、肉体を変えて霊化し、徐々に完成させます。それが自分を救うことであり、魂の似姿へと成長することです。
魂はその器である人間男女を通して自分自身を表現することを求めていますが、人は教えに反応しなければなりません。そのために教師はやって来ます。私たちに再び『法』、すなわちカルマの法則、再生誕の法則、無害の法則を思い出させるためです。私たちはこれらの法を正しく、ダイナミックに私たちの生活に適用しなければなりません。単なるアイディアとして頭に留めて、何もしないのではいけません。もしそれが単に頭脳のなかの記憶でしかなければ、何も起こりません。実際にそれを適用して、自分を変えるための酵母にしなければなりません。それは私たちを高め、私たちを変えます。教えに従って変わらなければなりません。
それはそれ自体では知識ではありません。教えのダイナミックさへの本能的な反応です。それはプロセスであり、単なる言葉やお説教ではなく、暗記するものでもありません。言葉を覚えることは重要ではありません。重要なのはそれが生活の中で活動的なプロセスとなっているか、認識から認識へ、イニシエーションからイニシエーションへ、そして次第に完成へとあなたを導いているかどうかです。それが救いであり、誰も代わりにそれをすることはできません。

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