多様性の中の和合
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これがどんなに困難なことだったか、あなた方には分からないでしょう。外へ出て世界に伝えるなどというのは全く私の考えにはなかったことです。そうすることを強要されなければ、私は決してやらなかったでしょう。ですから私は彼らが出てこないことを責める気はありません。ですから、この話の大部分がブラヴァツキーとアリス・ベイリーの情報の継続であるというのは本当であり、私はそれが正しい教えだと信じています。それ以外のやり方で話すことはできなかったでしょう。私はブラヴァツキーとアリス・ベイリーの教えに傾倒しており、それはハイアラキーからの直接の教えであると確信しています。私は自分が真実であると信じるものにしか興味がありません。
それでも、この情報を伝える他のやり方もあるでしょう。あなたは信を持つキリスト教徒かもしれません。このグループの多くの人々は信を持つキリスト教徒であると思います。彼らはキリストの再臨としてこの話をすることができるでしょうし、アリス・ベイリーやブラヴァツキーや他の教えに言及する必要はありません。多くの異なったやり方で伝えることができます。私はそうした人々ではないので、他のやり方で伝えることはできません。しかし他のやり方でも伝えることができるということは、絶対に確かです。
例えば、イスラム教徒はイマム・マーディの到来を待っています。マイトレーヤがロンドンに来られた頃、二人のパキスタン人がロンドンに送られました。彼らは共に、一人はラホールで、もう一人はカラチで‘聖なる人’に会っていました。彼らはお互いのことを知らず、聖者も違う人でしたが、聖者は彼らに同じ話をしました。彼らはイマム・マーディの道を整えるためにロンドンに来ることになっていたのです。一人はジャーナリストで、政治に関わっていました。彼は言いました。「私にはできません。私には仕事があります。私はジャーナリストであり、(ベナジール・ブット氏の父親〔暗殺される前〕の)政治政党のメンバーです。絶対に行くことはできません」。聖者は何カ月か前に、彼はロンドンに行かねばならないと伝えていたのです。聖者は彼が何年も前に失った物を与え、彼の家族について家族しか知らないことを知っていました。聖者は、たいへんな物知りであることを示しました。そして、「君が行かないなら、行かざるを得ないようになるだろう」と言いました。
同じことが他の男性にも起こりました。彼は弁護士でした。彼は言いました。「私は行けません。法律の仕事があります」。聖者は言いました。「君が行かないなら、行かざるを得ないようになるだろう」
ついにブット氏が殺され、彼に関係したあらゆる人に容疑がかかりました。ブット氏の政党のメンバーが疑われました。そのジャーナリストがどんな地位にあったのか分かりませんが、彼は政党に深く関わっていました。彼にはロンドンのアジア人地区で暮らす兄弟がおり、仕事を辞めてロンドンに行き、パキスタン系新聞のジャーナリストの仕事につきました。
一方、弁護士は、事業に失敗し、破産する前に彼も事務所をたたんでロンドンに行きました。彼らはお互いのことを知りませんでしたが、私がロンドンのアジア人地区で新聞広告を出した時に初めて会ったのです。その広告には、マーディが到来し、ロンドンのアジア人地区に暮らしていると書いてありました。その情報は地区全体に広まりました。二人のパキスタン人もそれを読みました。たまたま彼らの兄弟の一人が他方を知っていました。そこで彼は二人を招待し、お互いに全く同じ体験をしていたことを知ったのです。それぞれが違う街で、違う聖者が全く同じように教えていたのです。それで彼らは私と接触することを決め、私は彼らに会いました。
私は、1982年5月に、マイトレーヤがロンドンのアジア人地区にいることを発表し、有能な著名ジャーナリストがマイトレーヤを探そうと行動を起こせば、出て来られるだろうと伝えました。私は多くの外国のジャーナリストがそうするだろうと期待し、これらの男性に、閉鎖的なアジア人地区の案内人となってくれるよう頼みました。彼らは同意しました。
しかしながら、ジャーナリストの男性は、マイトレーヤが彼の肩の上に載ってくれるのをただ待っています。他の一人は、イマム・マーディについてあらゆるものを読み、その過程で伝統固執主義イスラム教徒になってしまいました。それから彼はイマム・マーディの到来についての本を書いています。
この情報を、キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒のやり方で伝えることができます。マイトレーヤ仏はすべての仏教徒に待望されています。日本の仏教徒は、それが56億7,000万年後だと思っているので、それほど急ぎません。クリシュナやカルキ・アバターとして伝えることもできるし、ユダヤ教のメシアとして伝えることもできます。これらは、知ろうが知るまいが、すべてマイトレーヤのことです。
私はハイアラキー的なやり方で伝えています。これが最も見聞が広く、最も真実で、深遠で、最も歪曲が少ないと信じています。あらゆる宗教はある程度は歪曲されています。それらが生まれてから何百何千年も経っており、すべてが歪められています。聖典はいずれもある程度は変色しています。秘教的な教えの中でのみ、真の情報を受けることができると思います。
覚者との接触があれば、それが最高です。どんな本も教えも必要ありません。直接語ることができ、それが最良です。しかしそれは稀なことです。非常に稀です。
ですから、国連の再建に関する限り、そうしたことは、マイトレーヤが確実に真に認知され、彼の見解が知られるようになるまでは起こらないと思います。安全保障理事会からの圧力と拒否権が続く限り、そして総会の民主的な声が無視され続ける限り、国連が真に民主的な存在となることはありません。マイトレーヤが受け入れられ、彼の想念、アイディア、優先事項が人類を導くようになるまで、それは起こらないでしょう。それを行うにはマイトレーヤが必要だと思います。
チャベス氏は控えめに言っても型破りな大統領ですが、様々な素晴らしいアイディアを持っています。少し普通でないのもあるかもしれませんが、そうしたアイディアは一定の線に沿っています。彼は開発途上世界の出身です。ベネズエラは、石油が発見されるまでは非常に貧しい国でした。今では巨大な石油埋蔵量を抱える裕福な国であり、したがって突然、特に米国にとって重要な国になりました。米国はチャベス政権の傾向が気に入らないようです。米国で権力の座についている人々にとってチャベス政権は、その玄関先に(近くに)置いておくにはあまりに左寄りすぎます。チャベス政権は、CIAによって転覆させられたチリのアジェンデ政権と非常によく似ています。ですから、アメリカ人はベネズエラの反対勢力を支援するために、そしてチャベス政権にできる限り圧力を加え、そのようにして弱体化させようとして何百万ドルも提供します。ベネズエラには、自分たちの宣伝や圧力団体のために、こうした何百万ドルを喜んで受け取る裕福な右翼組織やグループや実業家がたくさんおり、チャベス政権の革命的な勢力に対抗しようとしています。一方、チャベス大統領自身は世界中を旅して回り、多くの政府との関係を構築しています。
他方、イギリスでは、いわゆる「新しい労働党」は、ほんの数%だけ労働党の理想とフェアプレーを意味していますが、残りの大部分、おそらく80%は市場フォース(勢力)に基づいた商業主義を意味しています。市場フォースに盲目的に従う世界の政府は国民を破壊へと導いていると、マイトレーヤは述べています。それがまさしく世界中で起こっていることです。
市場フォースはその性質のゆえに、私たちの文明を滅ぼそうとしています。この破壊的な原則、商業主義が、健全であるすべてのものを、公正であるすべてのものを、良識的であるものさえすべてを、世界の経済過程から追い出しているのを目の当たりにすることができるでしょう。それは保健医療や教育などに関わるすべての政府機関を、さらには人間そのものを、市場フォースの手先にしようとしています。
チャベス大統領とモラレス大統領とでは統治形態がかすかに異なっていますが、統治形態には多くの種類があります。民主主義と呼ばれるものもあれば、半民主主義のものもあれば、明らかに非民主主義のものもあります。世界はやがて一体化するでしょう。アクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーは必然的により大きな統合をもたらしますが、今日ではパイシス(双魚宮)のエネルギーが人々を異なった方向へと駆り立てています。
そのようなわけで、今日、戦争やテロが起こっているのです。米国の考え方は過去のものだからです。世界は米国の経済支配によって、未来において本質的に持続不可能である統治形態や関係へと追いやられてきました。そうした支配が伴う競争は善意をもたらしません。なぜなら競争は過去にだけ関係し、未来に与えるものを何も持たないからです。
善意こそ明らかに私たちが必要とするものですが、競争は善意をもたらしません。競争は正反対のものです。競争はあなたが想像するものを増殖させ、市場をめぐって争い、競争者たちと敵対しながら自分に有利に商談を進めようとします。そのようなやり方は対決につながり、やがては戦争に、ますます多くの戦争につながります。それは過去のやり方です。
それは本当に競争か協力かの選択です。協力は未来のやり方であり、人類に役立つ唯一のやり方です。
各国政府がそれを行うや否や、信頼を創造することになり、他のすべての問題に協力的に取り組むことができるようになるでしょう。そうした問題は協力的に解決されなければなりません。解決策を求めていない国に解決策を押し付けることはできません。それは、分かち合いによって生み出された信頼がそこにあり、その信頼によって変化が起こることが可能になるときに、協力によってのみ起こり得るでしょう。その後、信頼によって生まれた善意が、今日では解決することが不可能に思える問題の解決を可能にするでしょう。
二番目の側面は、個々人に対する彼の関係についてのものです。この場合彼は救世主ではなく教師です。彼の教えに対する正しい反応によって、私たちは自分自身を救わねばなりません。他の誰も、マイトレーヤご自身でさえ、これをすることはできません。
世界教師は救世主ですが、彼は私たちを救うために来るのではありません。彼は教えるために来られるのであり、私たちが自分を救うのです。教えに対する正しい反応によって、つまり、教えを私たちの人生におけるダイナミックなフォース(力)とすることによって、自分自身を救うのです。救うことは知ることです。あなたが真我となり、真我であるとき、あなたは救われたのです。
キリスト教のグループは過去2000年にわたって、救世主がやってきて人類を罪の結果から救うのだと世界に伝えてきました。しかしそれは罪とは何の関係もありません。自己変容についてです。自分自身を変え、救われる過程に入るのです。それは段階的なプロセスです。
私たちは教えに対する反応と、とりわけ教えを自分自身に適用することによって、自分を救います。教えを聞いて、教えとしてそのままにしておくこともできます。何百万もの人々がこの2000年間そうしてきたのです。聖書に纏められたイエスを通して伝えられたマイトレーヤの教えは、説明されて片付けられるか、あるいは当時と同じくらい今日にも関連するが、実際に適用されませんでした。
教えを適用しないならば、私たちの内部でダイナミックなフォース、変化のためのフォースとならないならば、私たちは救われません。毎日、毎週、毎年、正しく適用されれば、教えは少しずつ私たちを変えます。魂により近づき、もっと魂のエネルギーで満たされ、魂の光で満たされるようになります。より多くの亜原子を肉体に持ち込み、肉体を変えて霊化し、徐々に完成させます。それが自分を救うことであり、魂の似姿へと成長することです。
魂はその器である人間男女を通して自分自身を表現することを求めていますが、人は教えに反応しなければなりません。そのために教師はやって来ます。私たちに再び『法』、すなわちカルマの法則、再生誕の法則、無害の法則を思い出させるためです。私たちはこれらの法を正しく、ダイナミックに私たちの生活に適用しなければなりません。単なるアイディアとして頭に留めて、何もしないのではいけません。もしそれが単に頭脳のなかの記憶でしかなければ、何も起こりません。実際にそれを適用して、自分を変えるための酵母にしなければなりません。それは私たちを高め、私たちを変えます。教えに従って変わらなければなりません。
それはそれ自体では知識ではありません。教えのダイナミックさへの本能的な反応です。それはプロセスであり、単なる言葉やお説教ではなく、暗記するものでもありません。言葉を覚えることは重要ではありません。重要なのはそれが生活の中で活動的なプロセスとなっているか、認識から認識へ、イニシエーションからイニシエーションへ、そして次第に完成へとあなたを導いているかどうかです。それが救いであり、誰も代わりにそれをすることはできません。
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