現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 9月 難民の権利のための運動

難民の権利のための運動

ジェーソン・フランシスによるケネス・ベーコン氏へのインタビュー

「レフュジーズ・インターナショナル」は、過去30年にわたって「世界の立ち退きを強制された人々のための世界的な声」となってきた。ワシントンDCを本拠地として活動するこの非政府団体(NGO)は、世界中の難民の権利のために発言し保護する、擁護と行動を組み合わせて活動している。
この団体はその姉妹団体の「レフュジース・インターナショナル・ジャパン」と共に、日本に住んでいたアメリカ人主婦によって、東南アジア、特にベトナムとカンボジアの難民の保護のために1979年に設立された。今日、レフュジーズ・インターナショナルの支持者たちは戦争の被害を受けた人々や、援助機関、その他の世界のNGO に会い、難民の代わりにまた国内で追い立てられた人々の代わりに、彼らが学んだことを国連やアメリカ合衆国の政策立案者に届けている。アメリカの前広報担当副国防長官でペンタゴンのスポークスマンであったケネス・ベーコン氏が「レフュジーズ・インターナショナル」の理事長である。ジェーソン・フランシスが本誌のために彼にインタビューした。
シェア・インターナショナル(以下SI):難民あるいは国内で追い立てられた人とは何をもってそう定義するのですか。
ケネス・ベーコン:難民とは迫害を逃れるために国境を越えた人を言います。一般的迫害は、宗教、民族、政治、人種などに基づいています。実際、ほとんどの難民が紛争を免れるために自分の国を逃げ出します。紛争が最大の難民を出しています。国内で立ち退きを強要された人とは、同じように紛争を免れるために自分の家を捨てた人ですが、国境は越えていません。
1951年の難民条約では多くの保護が適用されることになっています。彼らが受ける主要な保護は、自分の意志に反して自国に送還されることからの保護です。フランス語でしばしば「ノン・リフォルマン」と言われますが、この国際法では、難民は住むのに危険な状態がいまだ続いている場所へ自分の意志に反して送られることはないことを規定しています。難民に対処するための国際支援制度があります。国内で行き場を失った人々は全く同じ問題を抱えますが、同様の保護は受けません。

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SI:難民危機で最も打撃を受けているのはどの国ですか。

ベーコン:新しい数字ではおそらく世界中に3,000万から3,500万の難民・家を失った人がいることを示しています。(この数字には最近の洪水や干ばつにより劇的に増加した「気象難民」は含まれていません)。これらの数字のうち3分の1が難民で、3分の2が国内で行き場を失った人々です。ですから、公式難民のおよそ2倍の国内流民がいるわけです。例えばスーダンでは、200万から220万人の国内流民がいます。彼らはダルフールの大きなテントで過ごす傾向にあります。キャンプによっては9万人もいるところもあり、13万5,000人いるところもあります。彼らはこれらの大規模キャンプに安全を求めて村や牧場を離れたのです。これとは対照的に、スーダンを逃れてチャドへ移った難民が20万人おります。だからダルフールの紛争は、200万人の国内流民と20万人の難民をめぐって起きているものです。
スーダンでは、もう一つの国内紛争があり、それは南部スーダンの反乱軍と政府の間で起きています。この内紛は、包括的和平協定が調印された2005年に公式に終っています。戦争終結前には約400万の国内流民がいました。彼らは南スーダンを離れ、例えば首都カルツームなどに移りました。また、ケニア、エチオピア、ウガンダ、その他数カ国に移った難民が50万人くらいおります。ここでも国内流民が難民の数よりずっと多いのです。

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SI:世界のどの地域で難民の数が急上昇していますか。

ベーコン:今日ではイラク難民が急上昇しています。イラクからの難民は現在220万人おり、そのほとんどがシリアやヨルダンへ移りました。またイラクには200万の国内流民がおります。

北半球では、コロンビア付近で麻薬が原因となって最も深刻な難民問題が発生しており、およそ300万人の国内流民がいます。正確な数字は分かりませんが、海外難民はずっと少ないです。

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SI:イラク難民の保護に関して、アメリカやイギリスはどんな対策を取っていますか。

ベーコン:行き場をなくした人々を保護するためにとても十分と言えることはなされていません。アメリカの大統領は、これが問題であることをまず認めなければなりません。アメリカは、アメリカ軍であれ、国務省であれ、民間組織であれ、人道組織であれ、彼らのために働いた人々に特別の義務があります。

これらのイラク人は、彼らがアメリカと関係を持っていたために狙われてきたのです。彼らは占領の協力者と見なされたので、家を爆破されたり、生命を狙われたり、子供を誘拐されたりしたために家を離れるしかなかったのです。それがどのくらいのイラク人の数になるのか分かりません。しかし何千、何万という個人が、家族が、今ではヨルダンやシリアで暮らしているのです。アメリカへ来たがっている人々は英語を話します。彼らは軍関係者や外交官で、アメリカへの移住を懇願しています。しかしアメリカは非常に少数しか受け入れません。実際スウェーデンの方がアメリカより難民受け入れ数が多いのです。

この問題には三つの部分があります。したがって、解決法も三つ必要です。最初はもちろん難民をつくる状況の改善です。合衆国政府はこの目標を達成する努力をしていると言っています。しかしイラクの暴力が続く限り、しかもある地域では悪化している現状では、とても成功はおぼつかないでしょう。もしイラク人が自国にいるのが安全だと思わなければ、移動は続くでしょう。これは最初のこの問題への解決を難しくするように思われます。

イラクの難民危機を緩和する第二の方法は、大勢の難民を受け入れるよう受入国を助けることです。これまでに220万人がイラクを離れました。これはイラクの人口の7%にあたります。正確な数字は分かりませんが、およそ100万人余がシリアへ行ったようです。ある筋では、この数字を150万人と見ているところもあります。しかし100万人がシリアへ行ったとしたら、既にシリアの人口は5%増加したことになります。およそ80万人がヨルダンへ行きました。ということはヨルダンの人口が15%増加したことになります。非常に大きな人口の流入が短期間に起きているのです。この難民洪水がこれらの社会に実際の緊張をもたらしているのです。

私たちは、シリアやヨルダンがこれらの難民を受け入れるためにアメリカやその同盟国が食料、避難所、学校のための金銭的支援であれ、援助するのは義務であるだけでなく、そこには人道的かつ安全保障上の理由があると主張してきたのです。流入してくる難民はこれらの国々の学校制度を圧倒してしまっています。その結果、難民が学校へ行っても入る余地がないのです。子供たちが学校へ行かず家にいるので、親は働くことができず、そのために生計の問題が生じます。この難民人口への一般的な援助は絶対に必要なのです。

イラクの難民が直面している苦境を改善する第三の方法は、前に私が言及した、それらのイラク避難民の中の特に脆弱な層に対する援助を通してです。アメリカのために働いてきたイラク人たちには、出来る限り大勢をアメリカやその他の国に移住できるようにする積極的なプログラムがあるべきです。これまでのところ、この再定住の記録はお粗末な限りです。9月30日締めの2006年度に、アメリカが再定住させたイラク人は202名でした。今期、これまでにアメリカが受け入れを許した数は133人だと思います。私たちの主張のために、アメリカの国務省は、2007年2月にイラク難民に対処する特別作業班を設置しました。それでもなお、この特別作業班ができてからも事態は悪化しています。2月に受け入れられたイラク難民は11人、3月に8人、4月に1人、5月に1人なのです。ですから非常に残念な数字なのです。

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SI:女性や子供の方が難民あるいは国内流民になりやすいのですか。

ベーコン:まず、難民の80%が女性なのです。これには理由があります。しかし単に人口統計を見てみればそれは納得できるでしょう。世界人口の50%は女性です。さらに大勢の子供たちもいます。男性の方が、女性や子供たちよりも難民キャンプへ行く数が少ないのです。一つの理由は、戦闘で殺されるからです。それがそもそも家族が難民にならざるを得なくなる理由でもあるのです。あるいは紛争状況で、彼らはどちらの側かに誘われあるいは強制されて兵役に就いたということかもしれません。時には女性や子供が先に逃れ、男性は家畜や土地を守ろうとしばらく後に残り、その間に殺されるか、危険すぎるので退去を決意し、家族と再会することになるのかもしれません。この際念頭に置いておかなければならないのは、対象が難民であるということです。これらの女性や子供には特に気を遣わなければなりません。なぜなら、難民の大多数を構成するのが彼らだからです。

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SI:子供兵士はどうやって社会へ復帰しているのですか。

ベーコン:これは大問題であり、現実はあまりうまく行っていません。彼らは学校教育を受けておらず、必要な支えやその他の援助もありません。が、しかし変わり始めてはいます。すべての人がこれが問題だということを理解し始めてはいますが、解決には金銭が必要であり、その金銭がないのです。われわれにできるたった一つのことは、彼らを学校へ行かせること、つまり日常の規律を与えることなのです。彼らのほとんどは、戦いに明け暮れて学校へ行ったことがありません。それも非常に若い年齢の時に強制的に兵役に就かせられたのです。彼らを学校へ行かせることは、一定の生活リズムや支援体制を与えることになるばかりでなく、彼らに過去を忘れ未来を指向させることにもなるのです。

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SI:受入国であれ、自国のキャンプであれ、自分たちの権利を尊重してもらいたいと願っている、あるいは食べ物、避難所、健康管理、教育などの必要を持つ難民や国内流民には、どのような道が開かれているのでしょうか。

ベーコン:国連の難民高等弁務官事務所では世界の難民支援のシステムをつくっています。そこが難民の権利保護の主要な機関です。難民の権利を尊重しない国々に対しては彼らが介入します。彼らが行うもう一つの任務は、難民への援助を調整し組織することです。彼らは主要な国際的委託保護機関ですが、他にも、国際赤十字委員会、特定のNGO、われわれのような擁護グループ、それにヒューマン・ライツ・ウォッチのようなところがあります。これらの機関は共同して、難民がどのような保護を受けているのか受けていないのかに注目し、また難民の権利が尊重されるように難民社会の問題に焦点を当て政府やマスコミを訪問したりします。

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SI:国連やNGOの難民危機に対する対応は効果的に進んでいるのでしょうか。

ベーコン:時によって、所によって、事例によって、違いがあります。ダルフールに注目してみましょう。国連主導の国際人道対策は素晴らしいものでした。国連が空輸した食糧はダルフールの300万人近くに与えられましたが、それらの人々は医療援助も受けました。ですから、彼らは避難所にいる200万余の人々に食糧を運んだだけでなく、農地が荒れて食糧が不足したダルフールの他の大勢の人々にも与えたのです。戦争地域では生活費を稼ぐのは非常に難しいのです。これらの人々の多くは、避難所にいなくとも、生活が苦しいのです。そのような苦しい状況にもかかわらず、国連はよく働きました。それは人道支援の成功例です。

そうではあっても、外交面では完全に失敗しました。ブッシュ大統領、トニー・ブレア首相その他の首脳は、この戦争の終結に無残にも失敗したのです。もっと正確に言えば、スーダンの人々に戦争を終らせることに失敗したのです。紛争が続く中で、国連の人道的対応は素晴らしかったと思います。

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SI:人道支援グループは、天災であれ人災であれ、緊急の危機対応から、社会自身の持続可能性を支援する長期的能力の構築へ向けての支援にうまく移行することができるのですか。

ベーコン:面白い質問ですね。緊急支援と長期的開発の間には密接な関係があります。この移行ということに人道支援団体はもっとうまくやりたいと努力しています。そして、私は彼らが確かにうまくなっていっていると思います。しかし私たちは緊急支援から開発へスムーズにつなぐ方法をまだ知りません。東南アジアの津波のような自然災害の場合は、長期的な開発よりも短期的救援に対する多額の資金を生み出すことはそれなりにやさしいのです。

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SI:レフュジーズ・インターナショナルは、直接的な人道支援よりも擁護を通して任務を果たしていらっしゃいますね。あなた方は人道団体や政府、国連などとどのように共同されているのですか。

ベーコン:私たちの仕事がうまくできていれば、国連機関や、CARE、国立救援委員会、セイブ・ザ・チルドレンなどの実行機関がより多くの資源を創出できるようになるでしょう。時にはこの過程で、資金提供の呼びかけ、あるいは時にはすでに文書にはなっているが実際には実効に至っていない法律や規則尊重の呼びかけ、あるいは安全な環境で難民が再定住できるようにアメリカや他の国へ彼らが来ることができる制度の確立が必要になることもあります。もし私たちの仕事がきちんとできていれば、私たちはこれらの人道援助機関やそれらの努力すべてに資源を生み出すことになるのです。

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