信頼-編集
信頼 - 編集 (Trust - a compilation)
この記事では、『キリスト・マイトレーヤからのメッセージ』、『マイトレーヤの教え--いのちの法則 』、『覚者は語る』、およびベンジャミン・クレームの著作から得られた信頼を主題とする引用選集を掲載する。
・・・あの「新しい国」へ、「愛の国」へ、「信頼と美と自由の国」へ、あなたがたを連れていくために、わたしはやってくる。わたしを受け入れ、わたしに従い、わたしに導き案内させてくれるなら、あなたがたをそこへ連れていこう。そして共に「新しい世界」を建設しよう。恐れも、不信も、分裂もなく生きることのできる世界を、大地の豊かなる資源を、共に分かち合い、わたしたちのいのちの本源と一体となる喜びを、共に入ることのできる世界を、創造しよう。
(マイトレーヤからのメッセージ No.3)
まず初めに、本当の平和は信頼に依存する。その信頼は、正義の法が成就されるときにのみ生じるのである。金持ちと貧乏人の生活様式の間の隔たり、富める国と貧困な国の生活様式の間の隔たりはますます拡大しており、それが今日、平和の達成に最大の障害となっている。多様なイデオロギーが分裂的な役割を果たしているが、しかしこの要素の影響力は減少しつつある。それよりもずっと重要なことは、先進開発国に深く染み込んだ自己満足感と貪欲である。
(『覚者は語る』-行動の必要性- p.280)
わたしの教えは単純である。分かち合うことの必要と、すべての人間が平等に汲み取ることのできる資源の溜まり場を創ることの必要を、示すであろう。貪欲を協力と信頼に置き換え、人間の裡なる霊性を顕すことの必要を説こう。霊性の顕現こそ、もっとも大切なことである。我が友よ、それなくしては、人間の未来はまさに闇である。
(マイトレーヤからのメッセージNo.64)
信頼なしには、より公平な資源の分かち合いは空しい望みであろう。信頼なしには、われわれの惑星という家を維持するために必要とされる包括的な意思決定は決して出来ないであろう。神聖で有益な信頼なしには、人間は地球という惑星の管理人としての権利を喪失するだろう。そして何劫もの長い間、これ以上進化することを封印してしまうだろう。・・・信頼なしには出来ることはほとんどないことをマイトレーヤは強調されるだろう。
(覚者より『腐敗行為の終止』 シェア・インターナショナル、2005年4月号)
旅券は過去のものとなるだろう。来るべき時代には、人はいかなる国へも自由に出入りできるようになるだろう。マイトレーヤの臨在によって産みだされる信頼感は非常に大きく、すべての扉は開かれるだろう。そして互いに高め合う素晴らしい交流が、民衆の間で起こるだろう。このようにして、人類は、兄弟同胞が自分たちとほとんど変わらないことを見て、彼らを知るようになり、愛するようになるだろう。
(『覚者は語る』-偉大なる主、出まし給う- p.211)
世界のあらゆる問題はそれ自身の解決のために分かち合いを必要としています。分かち合いは、その本性からして信頼を生み出します。分かち合いは神の愛の側面の表現です・・・分かち合うとき、信頼が生まれます。なぜなら愛が示顕されるからです。分かち合いは愛の表現です。家族の中では、家族の必要に応じてすべての資源が分かち合われます。ひとつの家族であるという感覚がこの世界には非常に不足しています。分かち合うことによって信頼が生まれ、それがあなたにほかの人々を信頼することを可能にします。信頼を示せば、信頼を受け取ります。自分の持っているものを分かち合うことで信頼が生まれます。信頼なしには、重要な決定がなされることはないでしょう。信頼なしには、この世界の最も重要な問題に関する合意は決して生まれないでしょう。それらの問題は国際的に取り組むことによってのみ解決可能です。
(ベンジャミン・クレーム『協力の術』p.322,324-325)
人は愛するために、信頼しなければならない。信頼がないところに、愛はあり得ない。愛は信頼する心(ハート)に自然に沸きあがる、なぜなら愛は人間の真の特性であるから。だから、信頼することを学び、いつでも輝き出せる用意のある愛を実際に顕しなさい。信頼とは、人生を、その痛みも美もすべて合わせ含めて受け入れることである。信頼とは、すべてが善に向かって働いており、すべてが法のもとにあり、そしてその法は公平に執行されるという確かな知識である。信頼することを学び、恐怖心を追放しなさい。限界の仕組みを永久に追放し、愛の水門を大きく開きなさい。愛するとき、人はあらゆる可能性を己に引き付ける。愛の磁力が、波動の類似性を通して、すべての必要条件を引き付ける。ゆえに、愛は進化の挺子である。
愛のない世界を考えてみなさい。その忌まわしさは想像するだけでもぞっとする。なぜそうなのか。本能的に人間は愛の必要を認める。そして間もなく、愛することの必要をも理解するだろう。愛は、終わりなき鎖で、人を他のすべてにつなぐということを知るようになるだろう。おそらく、初めのうちは躊躇しながらだが、人間は信頼しはじめるだろう。一歩一歩、己の恐怖を克服する。そしてやがて、もはや恐怖の占める場のない、愛が穏やかにその王座に座し、その恩寵を近くに来る者すべてに授ける、あの祝福された状態に入るだろう。そうなると、人間にとって生きることは、愛することなのである。恐怖というあの横領者は退けられ、克服されねばならない。信頼が愛を育み、恐怖を滅ぼし、永遠に裡に宿る神を明かす。信頼と信はひとつであり、裡なる神性の反映である。その神性を信頼し、それを愛として輝き出させ、恐怖の終わりを知りなさい。
(『覚者は語る』-愛することの必要- p.154-156)
心(ハート)の反応は、いつも正しいです。どのような状況の下にあろうとも、ハートの反応を借用することができます。
問題は、殆どの人の反応は、たとえ一部分にせよ、みぞおちからの反応(感情)も含まれています。そうするとグラマーが入ってくるのです。ですから最良の意図を持ちながら、みぞおちの活動が入ってくるため、ある程度のグラマーを反映させてしまうのです。・・・内的自覚は全く直接的です。そのように感じたり、体験したりするのではありません。即座に識るのです。決して間違うことはありません。それは、感情的エネルギーの混ぜ合わせなしに、ハートを通して機能します。憐憫の情と慈悲の心との違いは、グラマーと本当に直観的ハート=ブッディの反応との違いです。自分のエネルギーセンター(チャクラ)に敏感であれば、感じ分けることができます。あなたのみぞおちの活動が、あなたの体験を告げている時は必ず、それはグラマーです。それが純粋にハート・センター(右側の胸にあるのがスピリチュアル・ハート・センター)からであるならば、信用できます。
(ベンジャミン・クレーム『伝導瞑想--21世紀のヨガ』改定三版p.159)
〔マイトレーヤの〕最初の仕事は、人間の信頼を勝ち取り、彼の唱導と知識、彼の洞察と智恵に信を持たせることであることは確かだろう。それは容易な仕事ではない。なぜなら、彼の見解に反対する者は大勢いるから。彼らにとってキリストの臨在そのものが呪いであり、キリストは失望して、もと来た所へ戻るだろうというのが彼らの空しい希望である。多くの人々は明確な態度を持たずに、潮がマイトレーヤの側に強く流れるまで待つだろう。それから、彼らは変化を叫ぶ民衆の増大する群れに加わるだろう。
人々はマイトレーヤの言葉の背後にある本物の真理の声を認知し、彼らのスポークスマンであり、リーダーであり、彼らを鼓舞する聖なる人であり、友である方として、彼を見るだろう。
(『覚者は語る』-開放の日- p.414-415)
あなたの心(ハート)のうちに感じられる愛の律動の一つ一つが、わたしの心に記録される。これがわたしとあなたがたとの関係を表す端的な真理である。だから、我が友よ、あなたの期待の思いを感じ、あなたが恐怖の思いから解放されるのを感じるとき、あなたの信頼の思いを知るとき、それがわたしにとって、どれほどの喜びであるかを知ってほしい。わたしの道は整えられつつある。我が兄弟姉妹よ、この重荷を分かち持つことをあなたがたの任務となしなさい。あなたがたの周りに信頼と希望の風潮を創りなさい。その中にわたしはまもなく入っていく。わたしを信じなさい、我が友よ、これはまさに大いなる仕事である。多くのことが、この信頼の盛り上がりと希望の風潮にかかっている。
(マイトレーヤからのメッセージNo.73)
わたしがここに居ることを信じようとしなさい、我が友よ。昔のあなたがたの兄が、あなたがたの中に居ることを受け入れようとしなさい、そしてわたしが与えるこの挑戦を受けて立ちなさい。
わたしを手伝って、わたしの臨在をあなたの兄弟たちに知らせなさい。信頼という単純なステップを踏み、あなたの真の価値に目覚めなさい。多くの者が恐れながらわたしを待つ、その混乱の原因も知らずに。我が友よ、恐怖のあるところに信頼は存在しない。それなのに何故、恐怖にしがみつくのか。わたしの存在は、あなたがたの周りを見ても明らかである。この事実に目覚めなさい。世界に起こっている変化に、あなた自身の心(ハート)に起こっている変化に、あなたの子供の目に輝く喜びの光に、日を見開きなさい。このようにしてわたしがあなたがたと共に居ることを知りなさい、我が友よ、そして世を救う手助けをしなさい。
(マイトレーヤからのメッセージNo.134)
多くの者がこの時を待ちかねている。彼らは、法を成就するためにマイトレーヤがバランスをとらなければならない多くの宇宙的な要素やその他の要素についてほとんど知らない。人間の自由意志を侵害することは何もなされてはならない。法のみが、そしていまの時についての理解が、公の出現の日を定める彼の判断に影響を与える。一つだけあなたがたに保証しよう。マイトレーヤが公に奉仕の使命を始めることを可能にする瞬間が来るときは、一瞬たりとも遅延することを彼は許さないだろう。マイトレーヤのみがその瞬間の審判者である。待ちなさい。そして彼の判断を信頼しなさい。
その判断は人間の知らない知識に基づく。宇宙的(レベルについての認識の)把握のみがその正しい評価を可能にする。そうではあるが、マイトレーヤは重大な決断を心もとない--しかも変化する--データに基づいて行わなければならない。必要なことと、可能なことを分ける線は、実に微妙である。
であるから、「愛の主」の、行動における巧みな技を信頼しなさい。彼の出現が遅れているように見えることにいらいらしてはならない。すべてを包含する「今」にそのような遅延は存在しない。
(『覚者は語る』-繰り返しおこる選択- p.429-430)
ある一定の時点まで、私たちは大計画と共に意識的に働くことはできません。しかし覚者方は私たちをその道に沿って案内する教えを授けてこられました。すなわち神智学、アリス・ベイリー、アグニヨガの教えです。これらの教えが、大計画について私たちが知ることのできる知識を構成します。そして大計画が成就されていくなかに私たち自身の活動の場(ほんの小さな襞)を見出します。この過程で鍵となるのが奉仕です。奉仕するにつれて、あなたは奉仕の中で成長します。ますます成長することができるようになります。あなたが成長するにつれて、大計画のより多くが、直観的にそして実際の事実として、あなたに明らかにされます。あなたがやがて覚者とより密接な、意識的な関係で働くことができるようになるまでは、ただ信じて、信(faith)をもって、ついていかなければなりません。覚者はあなたを特定の線に沿って導いていくことができますが、あなたが想像するように教えを授けることによってではなく、あなたに対してより一層広がる奉仕の分野を提供することによって、導いていきます。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命・第2巻』 p.698)
わたしの計画は、もうすぐあなたがたにわたし自身を見せることである。これは、あなたがたの助力を得てなされる。わたしの必要とするのは、ある種の信頼と期待と希望の風潮の創造である。このようにして、人類に強いることなく計画を行うことができる。わたしの法は無理強いを禁ずる。であるから、我が友よ、この任務はあなたがたにかかっている。わたしがあなたがたの中に居ることを伝え、わたしが姿を現すことのできるような風潮を創り出しなさい。それは、あなたがたが創造するほどむずかしいものではないであろう。なぜなら人類は今日、その本来の姿と価値についての啓示を受ける瀬戸際に立つのであるから。わたしがあなたがたの中に存在することが、これを可能にするのである。あなたがたのなす働きに、あなたの兄弟たちは感謝するであろう。
(マイトレーヤからのメッセージNo.58)
質問 あなたが以前に言われた「私たちはあたかもマイトレーヤと覚者方が世界にいるかのように行動すべきだ」というコメントについて詳しく説明していだだけますか。
もしあなたが、「あたかもそうであるかのように行動しているならば」、マイトレーヤと覚者方が世界にいることを信を持って受け入れるということです。そうだという内的な直観があるか、あるいは多くの外的な説明を受けて、あなたのマインドがそうに違いないと告げたのです--「クレームさんは全部を知らないかもしれないが、彼の言うことには私に信じさせる何かがあるに違いない。それについて私は何をすべきだろう?
ただそれが証明されるまで待っているのか?」何か良いことをしたいと思ったら、決断しなければなりません。私の助言は(そしてこれはこの種の信用に関して、すべての覚者方が助言することでもあります)、しばらくの間、これを仮説として受け入れることです。「それは本当であり得るし、可能であるように思われる」。違うことが証明されるまでしばらくそのレベルで受け入れて、これが本当であるという仮説に基づいて行動するのです。だから、あたかもそれがそうであるかのように行動するのです。やり過ぎて後でこれが違うと分かったときに、時間とエネルギーを無駄にしたと思いたくないから活動を減らすというようなことがないようにしなさい。多くの人がそうしているのです。彼らは退いてこう言います。「もし私が本当に知っていたらもっと活動するのだが、結局すべては嘘であるかもしれないのだから自分のすべてを捧げるわけにはいかない」。彼らは熱意で燃えていないのです。しかし、もしあなたの直観があなたに火をつけたのなら、たとえ証明はできなくともあなたは真に(本当の意味で)それを知っているのです。知っているということと証明するということは別のことです。
1959年の3月、私はマイトレーヤに話しかけられた時、彼が私にこう言われたのを思い出します。「もしあなたが受け入れるならば、私の到来にあなたの果たす役割がある」。覚者は私にこう言われました。「君は今日、君のものの見方をすっかり変えてしまうようなことを聞いた。君がそれに基づいて行動し、彼の到来について確言することを望まれる時がやって来る」。
1日か2日後、覚者は私に信(faith)について、信(faith)の必要性についての長い論文を口述してくださいました。盲目的な信ではなく、本当の内的な信、自分自身の体験に対する信についてです。彼は最後にこう言われました。「多くの有望な弟子が、この信という要素一つを欠くために失敗した。信を持ちなさい。そして彼の到来を確言しなさい」
信を持つことの必要性は非常に大きく、それなしでは何もすることはできません。自分自身に信を持たなければ、個人的なこと、独自のことは何もできません。自分の見解のリアリティに対する信がなければ、あなたは何も達成することができません。後で間違っていたことが分かったとしても、信という内的な確認がないために全く何もしないでいるよりは、信とともに行動し、間違いを冒し、その間違いから学ぶことの方がよいのです。「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。私には分からない。何をしてよいか分からない」と思うのは、信がないからです。自分自身に信を持っていれば、たとえ間違っていたとしても、行動しないよりは行動した方がよいのです。間違いを冒したとしても、間違いは修正できます。やってみないと、それが間違いであったかどうかも分からないのです。私の絵の先生はよくこう言ったものです。「最悪の絵は、君が書かなかった絵だ」。私はそれを決して忘れません。何もしなければ、人生に何も起こらず、ただ当てもなく生活しているにすぎません。全く何もしないよりは、ひどい間違いをしてそこから学ぶ方がいいのです。(もちろん理性の範囲内で、ですよ。何も銀行強盗を勧めているわけではありません)「あたかもそうであるかのように」行動することは、信をもって行動することです。自分自身の判断に対する信、間違っていると思うことをするのではなく、正しいと思い、価値があると思うことを、例えばマイトレーヤのための道を整えることを、外的な証拠や個人的な体験なしに行うことです。ただ証明されるのを待っているだけでは、あなたのすべての転生に値するこの機会を逃してしまうかもしれません。マイトレーヤがそのメッセージの中で何度も何度も言っているように、「この奉仕の機会は、あなたのこれまでのすべての転生を通じて与えられた中でも最大の贈り物である」
(マイトレーヤからのメッセージNo.27)
(ベンジャミン・クレーム『大いなる接近』p.296-298)
あなたがた自身でわたしを見るとき、長い長い間あなたがたを愛し、以前にもあなたがたに道を示し、そして今あなたがたを家路に導くためにやってきた一人の友を、兄を見るであろう。我が友よ、わたしに代わって行動するのを恐れるでない。わたしがここに居ることを信じて、あなたの兄弟たちにこのニュースを告げなさい。
(マイトレーヤからのメッセージNo.111)
信頼、つまり愛の反映は、恐怖心が静まるとき、自然に出てくる。信頼のみが協力の奇跡を生み、さもなければ不可能だったような行動に導く。
今日の世界においてもそうである。キリストの印象づけとインスピレーション(鼓舞)のもとで、諸国の指導者は信頼しはじめている。
個人の領域において、信頼の必要は絶大である。この貴重な宝石の欠如ほど、人間関係を腐敗させるものはない。信頼が破られようが、裏切られようが関係ない。信頼は信頼を生み、甘美な愛の流れがその進路を進むのを可能にする。
信頼が本当に君臨する世界を想像できる者は、今日ほとんどいない。そのような時代の平静さを心に描き、その美を経験できる者はほとんどいない。
あなたの想像力を働かせて、恐怖心や犯罪、競争や貪欲から解放された世界を思いなさい。世界共通の正義と平和という概念に、そして顕現された歓びに、あなたの心を開きなさい。
それをしてごらんなさい。そして恐怖心から解放された人間の中に、堕落していない子供の信頼心が花開く世界を垣間見なさい。そのような世界ではあらゆることが可能である。人は今、それを発見する門口に立つ。
(『覚者は語る』-信頼の必要-p.231-232)
質問 恐怖心を生じさせないように子供を育てるにはどうすればよいですか。情緒的に抑制することなしに育てるのはどうすればよいですか。
子供を愛で囲みなさい。そして子供の本能を、自己保存の仕組みを信頼しなさい。すべての子供が、すべての動物が(そしてもちろん子供は小さな人間動物であるのですが)本能的な、賢明な自己保存の手段を備えております。それを信頼しなさい。子供は神の子であり、自己保存と発達のための仕組みが生来備わっているということを信頼しなければなりません。子供を愛で囲みなさい。しかし大事にしすぎてはいけません。1日24時間、あなたの注目を子供に向けていてはいけません。子供を一人にさせなさい。空間(スペース)を与えなさい。誰もが、そしてもちろんすべての子供たちが空間を必要とします。彼らは自分自身であるための、自分自身の裡を経験するための空間が必要です。自分自身であるということは自分自身の存在感(実在)を経験することです。もしあなたがそのような空間を与えてあげるならば、子供は自分自身を真我としてたえず認識しながら、その経験のなかで成長するでしょう。
(ベンジャミン・クレーム『マイトレーヤの使命』p.354)
夫と妻の間に平衡を保たせるものは何か。信頼である。信頼は過程である。それは幸せをもたらす。国家間に信頼があるとき、平和がある。信頼は、正直と誠実と無執着があるところにのみ存在するだろう。
もしあなたが自分自身に正直であり、自分自身に誠実であり、そして無執着であるならば、あなたは大金を貸す相手を信頼することができる。なぜなら、あなたは貸付金そのものに無執着であるから。
(『いのちの法則』p.300)
ほとんどの人の問題はマインド(識心)の正直さがないことです。思うことと、語ることと、行動することが異なっています。ですからどうしてマインドを信頼できるでしょうか。マインドの正直さがなければマインドを信頼することはできません。ハートはいつも正直です。しかし人はそれを認識するかもしれないし、認識しないかもしれません。そこで人々は問題をマインドで解決しようとします。しかしマインドは頭脳を通して働き、マインドの正直さがありませんから、いったい本当はどうしたいのか、どう思いたいのか、どう信じたいのか分からなくなります。(いつもグラマーの霧の中にいるので)マインドの正直さがあったためしがなく、マインドに対して信頼を持続することはできません。正直なマインドは魂の光を反映することができます。魂はメンタル体、つまりマインドを使って、グラマーの霧の故に見ることが阻まれるそのリアリティー(実相)を見せてくれるのです。これが徐々にグラマーの問題にある程度のメンタル的な照明を当てます。そして、やがて徐々に(意識の)メンタル偏極を達成します。アストラル偏極からメンタル偏極への移行があり、これがさらに進行していくと、ついには魂(スピリチュアル)への偏極が起こります。
(ベンジャミン・クレーム『協力の術』p.232-233)
分かち合いが創造にとってのカギであることをマイトレーヤは勧告なされるだろう。信頼が無ければ何も出来ない。分かち合ってありがたい信頼を築きなさい、そして正義と平和のしあわせを知りなさい、とマイトレーヤは世界に告げられるだろう。それ以外の方法は彼らが心(ハート)のうちで切望する平和をもたらさないということを、マイトレーヤは厳粛に諸国家に気づかせるだろう。
(--覚者より『マイトレーヤのお導き』 シェア・インターナショナル 2005年9月号)
我が友よ、わたしの両手は、あなたがたに差し伸べられている。あなたがたの信頼を求めて、世界の建て直しのためにあなたがたの協力を願って。多くの仕事が行く手に横たわっている。自由と真理のために多くの強打が打たれなければならない。この真理の輝きを裡に宿している者たちすべてに従いてきてもらいたい。そしてわたしの仕事を援けてほしい。
(マイトレーヤからのメッセージ No.26)
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