慰め

編集長殿
1989年10月に、4人の息子のうちの一人が自殺しました。無宗派の葬儀を終えた数日後、その子の一番下の弟が、当時14歳でしたが、大変に不安げな様子で起きてきて、何度も間違った葬儀をしたと言ってきたのです。聖水が必要だとあまりにも言い張るので、ついには私がカトリック教会に連れていき、そこで欲しがっている聖水をもらうことにしました。
(その頃の)カトリック教会は、自殺に対してあまり理解も同情もないと知っていたので、私は車で待って、息子が親切な司祭に出会えることを祈っていたのですが、本当に出会えたのです。その司祭は息子と長い時間を過ごし、息子のビンを聖水でいっぱいにして、聖水をお墓にまく時に、ある詩篇を唱えるように言ってくれました。
それから息子は、亡くなった兄のガールフレンドを連れに行ってから墓地へ行くと言いました。私は二人がお墓へ行く間、車で待っていました。二人は戻ってきた時、ショック状態だったのです。
息子の説明によると、彼がビンの中の聖水を全部お墓にかけると、すぐにビンが元通りにいっぱいになったというのです。息子が私にどういう意味だと思うか尋ねてきました。私は兄が祝福をしてくれていると答えました。
あなたの師にこの不思議な体験と、もしかして親切な司祭についてもコメントをいただけますでしょうか。
メアリー・ホロウェイ
米国、テキサス州ダラス
【ベンジャミン・クレームの師は、ビンが再び満たされたのはイエス覚者によるものであったことを確認した】

一回限り

編集長殿
長年ベンジャミン・クレーム氏の講演を聞きに行きたいと望んでいた私は、2010年6月に、この話をさらに探求することにしました。私のロンドン旅行の際に、ユーストン・ロードでのクレーム氏の講演の一つに出席する機会があり、イギリス南部のミステリーサークルも訪れることもできました。それはすばらしい体験でした。カナダに戻ってから瞑想時間(個人瞑想と伝導瞑想)を増やすことで、志向を大変に刺激されました。
そして2010年7月11日、イギリス旅行から3週間ほど経ってから、私がベンジャミン・クレーム氏のリトグラフ『魂の融合』の前で瞑想していた時、突然、非常にはっきりとした思いが浮かびました。私の石の仏像に今すぐミルクを与えなければならないと思い、そうすれば、それを飲むだろうとわかってもいました。疑問の余地なく、私はただその思いを実行しました。私はボウルに少しライスミルク(米などから作る植物性のミルク)を入れて、裏口の階段へ出て、スプーン一杯のミルクを仏像の唇に持っていきました。ミルクはゆっくりとスプーンから消えていき、仏像の唇は、スプーンを離すと乾いていました。私は圧倒され、興奮と驚きで震えていました。私は心からこの信じられない体験を分かち合いたいと思ったので、親しい友人に電話すると、彼はこの奇跡のような出来事を撮影するために来ると言いました。彼が到着し、私は仏像が飲んでくれるように再び差し出しましたが、ミルクはただ頬を伝っただけでした。
(1)マイトレーヤがこの奇跡を行われたのですか。(2)それは一度だけ起こり、二度と起きませんでした。どういう意味なのですか。
ヘザー・カーナハン
カナダ、アルバータ州エドモントン
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)その通り、マイトレーヤがこの奇跡を行われたことを確認した。(2)それは1995年に世界中で起きた『ミルクの奇跡』の再現ではなかった。それは一人だけへの贈り物であった】

ものまね

編集長殿
2010年10月14日、私はアムステルダムのシェア・オランダ・インフォメーションセンターへ自転車で向かっていました。ジョーン・バエズの有名な歌『ドナ・ドナ』が頭に浮かんできて、自転車に乗りながら、そっと歌っていました。私は高音で歌うのが好きなので、その朝も高音で歌っていました。
その後、インフォメーションセンターに着いてから、留守番電話にメッセージが入っているのが見えたので、再生ボタンを押して、それを聞きました。驚いたことに誰かが、あの同じ歌『ドナ・ドナ』をとてもソフトに高い声で歌っているのが聞こえたのです。私はとても幸せな気持ちになりました。残念なことに私はよく考えず、そのメッセージを消してしまったのです。お尋ねしたいのですが、それは偶然でしたか、それともマイトレーヤかイエス覚者が私の真似をなさったのですか。
ヨス・クイル
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、その歌い手がイエス覚者であったことを確認した】

隠れた強さ

編集長殿
2003年頃、私の母ヘレンが足の骨を折りました。整形外科医が膝からつま先までギプスをはめたので、私は母を車椅子に乗せて建物のロビーに残し、車を取りに行きました。この建物はかなり急勾配の丘の端にあるのです。私が車を玄関に回していた時、母が車椅子に乗って建物から出て来るのが見え、車椅子が制御できずに丘から転がり始めるところで、母の紫色のギプスをした足がまっすぐ前方に突き出され、両手は頭の上にありました。突然、一人の女性が車椅子をつかんでそれを止めると、安全な所へ引き戻してくれました。私はその光景を決して忘れないでしょう。その女性は白い『男物風の』シャツを黒いパンツかレギンスの上にはおり、黒のバレエシューズを履き、大きなブルーのターバンを頭に巻いていて、大変美しい唇の人で、これまで見た中で本当に完璧な、『ハリウッド・リップ』と呼ばれているらしいピンクの口紅を付けていました。私の母は後になって、その女性がロビーに座っていたと言いました。ガンの患者は髪がなくなったのを隠して、よくターバンを巻いているものだから、おそらく彼女もそうだろうと私たちは思っていました。私は彼女のところへ行って、その手を取り、何度もお礼を言いました。彼女の手はとてもか細かったのです。何も特別なところはありませんでした。彼女にどうやって車椅子を捕まえられるような腕力があったのか不思議に思いました。
母を車に乗せてから、車を方向転換し、建物の脇を通って帰りました。その女性は飛び跳ねながら、大げさな芝居がかった身振りで投げキスをしてくれました。私は窓を下ろして投げキスを返しながら、大胆なことをする人だと思っていました。
彼女はマイトレーヤでしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

特別な方

編集長殿
2010年10月24日、ミュンヘンでの公開伝導瞑想会で、私には普通でないと思えた人物が目に留まりました。女性で、背が高く、古臭いファッションの服を着て、横にずらしたキャップを被っていました。瞑想の間、彼女は何度も席を離れていました。一度彼女が戻ってきた時、私は彼女の方を見ていて、彼女の見通すような鋭い瞳が見えました。瞑想が終わって、私はクレーム氏の写真を撮りたくて振り返ったのですが、その女性の席は空いていたのに、彼女が帰るところは見ていませんでした。彼女は特別な方でしたか。
ヒルデガルド・ネッツ
スロベニア
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

2010年10月24日、イエス覚者がミュンヘンでの公開伝導瞑想会に『変装』して現われた