現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2010年 2月 自己実現の術、1部――選集

自己実現の術、1部――選集

Art of Self -Realization

本稿には『自己実現』というテーマに関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(マイトレーヤからのメッセージ、および『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師のことば(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。


あなた自身のままでありなさい。お互いの後に従ってはならない。もし、あなたが正直な心(マインド)と誠実な生気(スピリット)と無執着を実践するならば、あなたは自分の真我を知るだろう。あなたはわたしを知るだろう。あなたは主を知るだろう。
(『いのちの法則』p.25)

マイトレーヤは人類に真我を、神を、実現する術を教えに来る、と言われます。彼は真我を神と同義語に使います。人間は真我であり、不滅なる存在であると言われます。人間が苦難、災難、苦悩を体験するのは、真我以外のすべてのものを自分だと思うからであると。自分に問うてごらんなさい、とマイトレーヤは言われます、「自分は誰か」と。そうすると、私たちは鏡に見えるあの自分を、自分だと思っていることに気づくと思います。ですから肉体のあらゆる制約に支配されるのです。私たちは肉体ではありません。私たちは不滅の存在です。しかし肉体は不滅の存在ではありません。肉体は滅んで、また次の肉体をまとって戻って来なければならないのですから、肉体が私たちであるはずはありません。また、人はフィーリングとか感情とかエネルギーが自分だと思います。しかしこれは不安定なものであり、昨日あったけれども今日はない、そういうものですから、これが私であるはずがありません。また、自分のマインド、心の構築、記憶が自分だと思います。自分は誰それで、いつ結婚して等々、これは自分の記憶にすぎません。あるいは自分はキリスト教徒だとか、イスラム教徒だとか、しかしそれはイデオロギーとか信仰にすぎません。あなたは民主党員でもファシストでも共産党員でもありません。これらはすべてマインドの構築したものです。
私たちは不滅の存在です。永久不変の存在です。ではいかにして、今、この物質界において不滅の存在になることができるでしょうか。マイトレーヤは最も直接的な方法は次のことを実施することであると言われます。認識をますます増大させていく方法です。三つの姿勢を実践することです。
第一は心(マインド)の正直さ。心の正直さを持った人はほとんどおりません。つまり、これは単に嘘をつかないとか、人の物を盗まないということではありません。ほとんどの人が、一つのことを思い、それとは別のことを言い、さらにまた異なった行動をとります。心の正直さとは思うことと、言うことと、行うことが一直線でなければなりません。
第二に実践することは生気(スピリット)において誠実であること。つまり、本来のあるがままの自分、ユニークな個であることです。他の人のようになろうとしたり、他の人を模倣することではありません。自分のハートから相手のハートに語りかけるその姿勢です。自分を良く見せようとしたり、尊敬してもらえるように見せようとすることではありません。つまり自分自身に、自分の心に正直であることです。心の裡で、本当に誠実である人は非常に少ないです。
第三に実践すべきことは無執着です。無執着とは、自分は肉体、感情・感覚、心(マインド)ではないという認識を持ち、それらのものから自分を切り離していくことです。もしあなたが自分の感情に執着していれば、または誇りとか、自己評価に執着していれば、そして誰かがあなたの気持ちを非常に害するようなことを言った場合に、非常な憤慨を、怒りを覚えるなら、あなたは無執着ではありません。もし無執着であるならば、そのような反応は起こりません。実際に行ってみると、これらの姿勢は互いに連結していることが分かります。より認識が深まれば深まるほど、より心(マインド)に正直になり、より正直になればなるほど、より誠実になります。より誠実になれば、より正直になります。より誠実で正直になれば、より無執着になります。より無執着になれば、より正直で誠実になります。この三つはイースト菌のように、お互いに補佐し合って大きくなっていく実践です。
マイトレーヤが公に教えを始め、公に御自身を世界に宣言し、政治、経済の面で指導し刺激を与えていくにつれて、彼は人類に真我実現の術を教えていくでしょう。これらの三つの姿勢を実践すればするほど、より大きな自己認識が可能です。そして自己認識が深まれば深まるほど、より真我実現が可能になります。自己認識は真我実現につながります。真我実現とは何でしょうか。それは宗教でもイデオロギーでも信仰でもなく、人生の目標です。それが私たちを覚者にするものです。覚者方はすべて真我を実現された方々です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.25-27)

あなたの運命は自由である。“罪に生まれた”者は誰もいない。そうではなく、真我は進化の過程の間にしばしば条件づけられるのである。進化の過程は至高の『生成』である。
あなたが正直な心(マインド)と誠実な生気(スピリット)と無執着という三つの原則に従うならば、進化は自然に進行する。あなたの“第二の特性”は条件づけられた特性であるが、これらの三つの原則を実施すれば、あなたは条件づけから解放される。条件づけられたままを運命づけられている者は誰もいない。
ものごとを推測してはならない。それはマインドを満足させる“仮着陸”のようなものである。“主義”は人生においてマインドにちょっとした息抜きを与える小さな薬のようなものである。心と生気と肉体はちょっとした“高揚”を感じる。しかし、生命のリアリティー(実相)は“主義”を通して理解することはできない。それは経験することしかできない。経験とビジョンは共にいく。
(『いのちの法則』p.89)

ほとんどの人は一つのことを思い、別のことを口にし、さらにまた別の行動をします。思考から行動まで一直線ではありません。これが混乱と破壊へつながります。これは心(マインド)の正直ではありません。心の正直は言葉の正直、行動の正直につながります。平和と幸福がこの調和を通して達成されます。
生気(スピリット)の誠実は他の人を模倣しないこと、あるいは振りをしたり、自分以外のものに見せかけようとしないことです。生気の誠実とは他の人の“衣”をまとわないことです。自分の好きな映画スターや歌手を真似ないことです。あるがままの自分であることです。
もしあなたが芸術家や音楽家や作家や詩人なら、あなたのできる最も興味深いものはあなたなのです。あなたを通して誰か他の人を表すことではありません。絵画や音楽における模倣は軽蔑されます。しかし、人生における模倣はなぜだか軽蔑されません。でもこれも同様に大切です。絵画、音楽、言語表現はいのちの表現です。これはその人自身と同様に貴重なもので、あなた自身と同様にユニークなのです。どの人もユニークです。そのユニークさを表現しなければなりません。だからといって一般に知られ受け入れられていることの反対のことをやらなければならないというわけではありません。あなた自身でなければならないと言っているのです。
マイトレーヤを見るとき、あなたは彼がハートから直接あなたの心(ハート)に語りかけるのを聞くでしょう。あなたの心(ハート)が彼の言葉に反応して共振するでしょう。その言葉は非常に純粋で、絶対的で、本質的に真実に思えるので、それを受け入れるのに何の困難もないでしょう。なぜならその言葉はあなたの存在の核心へ届くでしょうから。
ですから、いったんマイトレーヤが公に話し始めると、大宣言の日までそれほど時間はかからないだろうと思われます。
(『大いなる接近』p.424-425)

「わたしは、あなたが思考、言語、行為においてわたしの至高の存在と生成を表現するために、あなたに心(マインド)と生気(スピリット)と肉体を与えたのである」とマイトレーヤは言われる。不正直な心、不誠実な生気、そして執着した心で行われるものは、いかなる行動であろうとも破壊的である。例えばあなたがあることを考えていながら、他のことを言い、そしてさらに別のことを行うとき、あなたは失われる。心の正直さは正直な言葉と正直な行動につながる。この調和が平安と幸せにつながる。「これは、泥棒であろうとも、聖者であろうとも、誰でも今、直ちに実行し始めることができる」とマイトレーヤは言われる。
しかし人々は尋ねる、「どうして始めるのか。いかにして誠実さを実践すればよいのか」。例えば誰かと「腹を割った話をする」というような、しばしば使われる表現を考えなさい。これは何を意味するか。あなたが本来のありのままの自分を表現することを、中心――あなたの中心――から、真我から、交信することを意味する。これを実践しなさい。それはあなたとあなたの周りにいる人々を変容させるだろう。
心(ハート)は決して汚されることなく、影響されることもない。それは魂の座である。私たちを迷わせるのはマインド(識心)である。平和、無上の喜び、幸福感、慈悲が心(ハート)の特質である。「“心(ハート)の感覚”に波長を合わせることによって、あなたは自分の自然な無邪気さを経験することができる。あなたが子供の時に持っていたあの無邪気さである。心(ハート)を心象してはいけない。なぜならそれはマインド(識心)が松明をかざして、光の源を探そうとしているにすぎないのである」とマイトレーヤは教えられる。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.281-282)

正直であり、誠実であり、無執着であることは、神との一体感を経験することである。しかし非常にしばしば、人はこの一体性を孤独と解釈して、心配すべきものと考える。しかるに、孤独という感覚は至高の祝福の変装したものである。なぜなら、それは人が神との一体感に近づいていることを示すものであるから。
(『いのちの法則』p.64)

真我は不滅の霊なる存在です。それは人間の魂として己を反映させます。そして今度は魂がパーソナリティーとしてそれ自体をこのレベルで反映させるのです。進化の旅路はパーソナリティーを魂と融合させること、そして魂・パーソナリティーを神のきらめき、つまり神聖な真我と統合させることです。無執着になればなるほど、これらのことが起こるのです。マイトレーヤは言われます。「あなたが無執着であるとき、すべてのことが可能になる。執着しているときには、あなたは私を知ることはできない。そこにわたしはいることができない。あなたが無執着であるとき、わたしはいつもあなたと共にいる」
これらの三つ、心(マインド)の正直、生気(スピリット)の誠実、無執着、を真剣に持続的に実践するならば、人は速やかに自分自身について新しい観点で理解し体験することができるようになります。新しい自由、自発性、率直さが増大し、そして恐怖心と葛藤が徐々にその存在を感じさせなくなるでしょう。
(『大いなる接近』p.426)

無執着ということは、自分自身を肉体や心や生気と同一認することから自分自身を切り離すことです。「私は情緒を感じてはいけない」と自分に言い聞かせることではありません。多くの人は自分の感情を抑圧します。感情を抑圧することは、感情に溺れるのと同じくらい悪いことです。自分の感情に溺れず、また押さえつけることなく、ただそれを見ることを学ばなければなりません。抑圧するのではなく、単にそれを見るだけであり、それと自分を同一認しないことです。もしあなたがそれと自分を同一認しなければ、あなたはその感情から自分を切り離すことができます。執われません。あなたと感情の間にスペース(間)をつくるようなものです。
ほとんどの人は自分の感情が何であれ、それと自分を直ちに同一認します。その感情が自分だと思ってしまうのです。自分の人生の中で、いつもそうしてきたので、それを当たり前だと思っています。あらゆる否定的な感情を抱き、そしてそれらを経験することが自分たちの権利だと思っています。事実、人によっては、それが彼らの義務であると思っています。そしておそらく多くの心理学者は患者たちに、感情を示すことが彼らの義務であると告げるのだと思います。
要は、執われを捨てなければなりません。人生から離れるのではなく、起こっているところのことを非常に真剣に見ることによって、深い認識を持つことであり、しかもそれらと自分を同一認しないことです。これは難しいことです。なぜならそれができるにはある程度の無執着さが必要だからです。つまりそこにたどり着く前に、そこにいなければならないわけですから。しかし大きなスペース(間)をつくるためには、まずほんの少しのスペースをつくることから始めなければなりません。
私に考えられる最上の方法はクリシュナムルティを勉強することです。もしそれを読みながら、読んだことを実行に移すならば、スペースをつくることができます。自分が感じていることを見てごらんなさい。それを感じることを自分に許しなさい。しかしそれに溺れたり、抑圧したり、あるいはそれを取り除こうとしないことです。もし、それと格闘するならば、ヘラクレスの試練のようなものになります。ヘラクレスは怪物ヒドラの頭を切り落とすたびに、その場所に今度は二つの頭が生えたのです。抑圧するとそうなります。しなければならないことは、その感情を上位に持ち上げることです。最後にヘラクレスがやったように、日の光の中に(魂の光の中に)それを持ち出すことです。するとヒドラはひとりでに死に絶えたのです。
感じていることをただ見つめて、自分にこう言いなさい、「あれは私ではない。あの感情は昨日はそこになかったし、明日もないだろう。だからそれは私ではない」と。そうするとそれは消えていくでしょう。あなたがそうするたびに、それを弱めていきます。つまりそれに対する栄養素を引っ込めるのです。何であろうが、あなたがそれと自分を同一認するたびに、あなたのエネルギーが注がれるのでそれを育ててしまうことになります。あなたが注目するものに、それが何であろうと、あなたのエネルギーが注がれます。そしてその感情を強めるでしょう。ですからその過程を逆戻りさせなければなりません。そうすると感情は養分を失って、自然に死に絶えます。マイトレーヤが教えられた心(マインド)の正直さと生気の誠実さを培う方法が無執着です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.301-302)

もし、あなたがあるがままの自分ではなく、他人の後に従うならば、あなたは自分の輝きを失う。個性の光を反映することはできない。その光なしには、人生における進歩はない。同様に、あなたが裡なる真我を体験して、自分が心(マインド)や生気(スピリット)や肉体とは全く分離した不滅の霊存在であることを知るようになるとき、あなたはこれらの主の宮殿を創造的に、認識をもって利用することを学ぶ。治癒の過程は自動的にそれに従う。エイズを患う人でさえ祈りを通して、そして正直な心(マインド)と誠実な生気(スピリット)と無執着を実践することを通して、治癒を体験する。
執着を放すことなしに救済はない。
(『いのちの法則』p.59)

マイトレーヤは、心(マインド)の正直さと生気(スピリット)の誠実さと無執着について語るでしょぅ。これが三つの教訓です。彼はこれら三つを進化のための三つの非常に強力な力として与えるでしょう。それは強力です。なぜならそれは本質的なものだからです。なぜなら、無執着を培うことを通してのみ、人は覚者となり、真我を実現する地点にまで前進することができるからです。心の正直さと生気の誠実さを通してのみ、人は無執着になることができます。もしあなたが無執着でなければ、あとの二つを行うことはできません。あとの二つを行わなければ、無執着になることはできません。
人生とは実際、無執着に関係するものです。無執着なくして、進化の旅路を一歩も前に進むことはできません。無執着をますます培うことによって、それ自体の性質のゆえに、あなたが肉体や感情や知的概念と自分を同一認することからあなたを解放します。このようにしてステップを踏んでいきます。
(『人類の目覚め』p.172-173)

もしあなたが赤ん坊のような心(マインド)と生気(スピリット)と肉体を持つならば、どこへ行こうと、あなたは人を惹きつけるだろう。赤ん坊の真我は無執着である。赤ん坊の無邪気さが惹きつける。赤ん坊は、あなたを以前に見たことがなくとも、あなたに微笑みかける。なぜか? 赤ん坊は自分の自然な幸福感を表すのである。大人は、なぜ異なった行動をとるのか。なぜなら、心と生気と肉体の中で、絶えず聖戦〔*〕が戦われているからである。真我は、心と生気と肉体の中に条件づけられたことのみを経験している。
「これは哲学ではない。わたしはあなたに生きた物事を教えているのである。“過去、現在、未来”ではない。もしも、あなたが生きている間に、心に正直で、生気において誠実で、そして無執着であることを実践するならば、たった一つの転生で、あなたはわたしの全体像を受容することができる」  
〔*〕自分の主義主張を貫こうとする戦い。
(『いのちの法則』p.76-77)

これらのセンター(大宣言の後に設立される教育センター)〔*〕は若い人々に自己(真我)実現の過程の最初のステップを教えるでしょう。御承知のように今日多くの若い人々は、方向性とやる気と意義深い職業を欠いています。そのせいで、ある者たちは野蛮行為や犯罪に走っています。彼らに自分が本当は誰であるのか、つまり自己実現に至ることを知る機会が与えられるでしょう。自己(真我)を認識する(そしてそれが自己実現につながるのですが)ための最初のステップは自己評価と自己尊敬の念である、とマイトレーヤは言われます。ですから、これらの若者たちはその領域の中で更生していくでしょう――訓練を受け、職を見つけ、自己認識のテクニックを授けられます。これが人類の目標である自己(真我)実現につながります。
この更生を監督するために人々が選ばれ、訓練されるでしょう。非常に簡単な呼吸法があり、それがこの過程の一部となるでしょう。それは呼吸を整えさせたり、一定のところで呼吸を四つ数える間止めるというようなことも含みます。呼吸を止めているその瞬間に、その人は一時的に、しかし直ちに自己(真我)を認識します。そしてその瞬間に、いわば、その到達できた段階でそれを刺激するかのように、マイトレーヤが介入することができるのです。それは疎外感を持つ何万、いや何百万の若者たちを更生するための方法です。もちろん、新しい時代を創造しなければならないのは若者たちです。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.209-210)

前方に横たわる仕事は明確である。魂の窓を開き、魂の光があなた方の生活を輝かせるようにしなさい。覚醒した直観を通して、魂の知識と目的が表明されるようにしなさい。慈悲の意味を知り、その愛を広範囲に広めなさい。魂の叡知ですべてのイリュージョン(錯覚)を消散して、兄弟同胞のために光となりなさい。これが光の道を歩む者すべての務めである。直観を目覚めさせ、大計画をはっきりと見なさい。直観を目覚めさせ、闇を破りなさい。直観を目覚めさせ、すべての恐怖を振り捨てなさい。
(『覚者は語る』―キリストの再臨―p.40)

あなたに属するものは何もない。すべてが主(神)に属する。もしあなたが自分自身に正直であるならば、あなたは主に正直である。もしあなたが自分自身に誠実であるならば、あなたは主に誠実である。
(『いのちの法則』p.100)

真我は無限である。認識は無限である。心(マインド)と生気(スピリット)と肉体に始めと終わりがある。真我は、無執着で、心と生気と肉体における現象を経験するが、心と生気と肉体が行うことのできる奇跡的な力に執着しない。創造(被造物)の法則は心の中にある。普遍的なエネルギーは生気にあり、創造を物質化するためのフォーラム(場)は肉体である。実際、真我が神の様々な力を観察するときに、人生の絆の中に閉じ込められずに済むのは無執着だからである。無執着は最も強力な〝薬″である。非常に効能があり、心と生気と肉体の過程や所業に対する免疫を真我に与える。無執着を学ぶことは術である。科学者が、執着せずに、物理・化学の法則(つまり、創造の法則)を学び、それを適用するならば、神の業にも等しいものをつくるだろう。芸術家は、執着せずに、自分自身の体験を通して、神を表現することができるだろう。万人すべての者の運命は、いつの日か、心と生気と肉体から自由になることである。それ自体が救済となる。
(『いのちの法則』p.72-73)

世紀から次の世紀へ、順を追って、人間の神性をますます顕現する文明を人間は築いていくだろう。聖なる創造の美のすベての様相が表現される文化をつくるだろう、それは神のイデア(理念)の栄光が映し出される鏡である。
このようにして人間は、神の大計画のもとで、ものごとの体系の中における人間の真の位置を占めるだろう。このようにして、マイトレーヤのインスピレーション(鼓舞)のもとに、人間はこの――恐怖と独断的教義と憎しみによって分裂された――世界を変容させるだろう。愛の法則が支配し、すべての人間が兄弟であり、聖なる特性にかかわるものはすべて人間の注目を引き付け、それが人生をコントロールするそのような世界に変容させるだろう。このようにして神についての人間の夢は実現され、その潜在力は達成され、人間の運命は全うされるだろう。
(『覚者は語る』―新しい文明―p.37)

新しい時代の祈り

わたしは宇宙の創造主である。
わたしは宇宙の父にして母である。                
すべてがわたしから来たる。
すべてがわたしに戻る。
心と生気と肉体はわたしの宮殿である。
真我はその中にわたしの至高の存在と生成を実現する。

新しい時代の祈りは、マイトレーヤが新しい時代のために授けられた祈りです。これは、偉大なマントラム(言霊)であり、是認の言葉です。神としての、存在するものすべての創造主としての真我の概念を表します。もし毎日、真剣にこの祈りを使うならば、私達の裡に、私達自身が本当に真我であり、不滅の存在であるという認識が生じていくでしょう。 
(『いのちの法則』p.382)