現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2010年 3月 土壇場

土壇場

編集長殿
2010年1月16日土曜日に、私と友人がハーグ中央駅にあるバーガーキングで食事をしていた時、一人のホームレスの男性が私たちのテーブルにやって来ました。彼は自分の手首のところ(時間の意)を指し続けていました。彼はあまり口が利けないようで、歯がありませんでした。私が彼に時間を教えました。すると、彼がそろそろと手を伸ばしてきたので、私はいくらかお金を渡しました。彼は入口の方へ歩いて行ったので、私は女性の友人にあの男性は私たちの叔父だったかもしれないと言いました。私たちは自分たちの住む世界のことをわかっていないし、出会った人々のことを本当には見ていないのです。その出会いのために私は感情的になっていました。後になって彼が戻ってきて、また手首を指差していました。私は彼に時間を伝え、なぜなのか尋ねました。彼は11時にその場所が閉まるというようなことを言いました。彼の言っていたことは、11時うんぬんということ以外ははっきりとしていませんでした。その晩遅く、私はEメールを見て、マイトレーヤがインタビューを受けたというシェア・オランダからのニュースレターを読みました。私が母に電話をかけて、そのホームレスの男性について話をしていた時、泣いてしまいました。彼は特別な方だったに違いありません!
ヨルケ・デ・ブリース
オランダ、アルクマール
【ベンジャミン・クレームの師は、そのホームレスの男性がマイトレーヤであったことを確認した】

クリアなビジョン

編集長殿
僕の名前はデニスで、13歳です。2010年1月13日の水曜日の朝、いきなり一人のお年寄りの男性に出会いました。その人はきれいなグレーのスーツを着て帽子を被っていました。僕は心の中で挨拶をしなくてはと思いました。すれ違った時、僕は大きな声で「こんにちは」と言いましたが、彼は挨拶を返してくれませんでした。僕はその男性がマイトレーヤか、覚者のお一人かもしれないと思います。あなたに、そのお年寄りの男性がマイトレーヤだったかどうか確認していただけないだろうかと思っています。
デニス・カムニク
スロベニア
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者で、もちろん変装されていたことを確認した】

今がその時

編集長殿
2009年から2010年の年越しに、私がフランスのアーティスト専用の宿舎にいた時、黒っぽい髪にあごひげを生やした身長190cmの男性が私に近づいてきました。彼は私の方へやって来ながら、「さあ、君と一緒に戻る用意ができたよ」と言ったのです。彼はそのまま歩き続け、私は彼を見失いました。これはマイトレーヤからの私の霊的教師のための、あるいは私自身へのメッセージでしたか。
リタ・マリオン・ニコルズ
英国、サンベリー
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

編集長殿
マイトレーヤについての素晴らしいニュースのメールをありがとうございます。私たち皆が待ち望んでいたニュースが遂に届いて、さらなる知らせを楽しみしています。あなたが長年の間この情報を伝え続けてこられたことに、私たちは敬愛と感謝を捧げます。
神の祝福がありますように。
ヴァレリー・ホートン
英国、サセックス州
【編集長の返答:親切なお言葉に感謝します】


目撃


編集長殿
私は2010年1月18日にハイチから戻ったばかりですが、私の印象では分かち合いがハイチで行われていると感じました。私はポルトープランスに二日いて、人々の証言とジャーナリストとしての私の印象を伝える番組二本を、ラジオ・サンタマリアと、17のラテンアメリカの国に200のラジオ局を持つ、ラテンアメリカラジオ教育協会のために撮りました。
手短に言うと、私が見たものは、政府からも市からも宗教やその他の組織からも、きれいな水や食糧といった基本的なサービスを受けていない、現在何もない状態にもかかわらず、混沌の直中での人々の平穏な態度でした。人々は次から次へとただ通りを歩いていて、どこからともなくやって来て、どこかへ去っていくのです。けれども静かに、夜になるとどこでも可能な場所に眠るための空間を作るのです。
刑務所もまた破壊され、すべての受刑者が逃亡したことにより、暴動が発生することもあります。しかし、人々は神聖な感覚を失っておらず、ミサに参加しています。
私はポルトープランスのあらゆる場所に行き、地震の震源地となったカルフール(スーパーのチェーン店)にも出かけました。その時にはミサが行われていました。
私が辺りを見回し、人々のグループに近づいていった時、一人の女性と彼女の孫娘と思われる女の子に気づきました。彼女の様子があまりに見事だったので、二人の写真を数枚撮影しました。その少女に何度かやさしく接してみると、神妙な顔のままだったのが、最後には笑顔になってくれました。私は彼女らにビスケット一箱と大型容器入りの牛乳を渡しました。私が撮影したその女性と少女の写真と、他のポルトープランスの人々の写真を共に同封しています。
彼女たちは特別な方々でしたか。破壊と死にもかかわらず、この地震は、二つの民族の間に、対話の問題を抱えてきた長い歴史を持つハイチ人とドミニカ人の、さらにヨーロッパや米国、ラテンアメリカ諸国との間に団結と分かち合いの高まりをもたらし、マイトレーヤの最初の公の出現が時を同じくして起こったのです。これは人々の間の分かち合いの実例ですか。
感謝を込めて。
ホセ・エンリケ・トリニダッド
ドミニカ共和国、サントドミンゴ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者で『少女』がマイトレーヤであったことを確認した】