現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2016年 2月 すべての者にとっての経済

すべての者にとっての経済

アンドレア・ビストリッヒによるクリスチャン・フェルバー氏へのインタビュー

世界に資本主義と金融市場のない状態をはたして想像できるであろうか。オーストラリアのグローバリゼーション批判者で、「アタック・オーストラリア」の共同創始者クリスチャン・フェルバー氏は明確な解答を用意している。彼は異なった経済モデル「共通善のための経済」を呼びかけてきた。これは、利益と競争を追求するのではなく、すべての人の協力と幸福を追求する経済モデルである。フェルバー氏は数冊の書を出版しているが、最も有名になったものは、2010 年に出版された『共通善を追求する経済がすべてを変革する』である。アンドレア・ビストリッヒが『シェア・インターナショナル』誌のために彼にインタビューした。


シェア・インターナショナル(以下SI):多くの国は現在、厳しい緊縮対策と莫大な負債にさいなまれています。なぜ、緊縮対策がうまく機能しないのでしょうか。

クリスチャン・フェルバー:なぜかといいますと、その目的が危機を解決する方向にではなく、銀行とか政府の債権、信用を失った保険会社、デリバティブなどの経済資産取引関係機関への支援が目的にされているからです。彼らの本来の目的は、資本主義経済制度の保護であり、人々自体、すなわち人々の尊厳の保護ではないからです。

SI:経済危機はすでに長年にわたって進行しています。経済学者でさえ、大規模な差し迫った経済的崩壊があると警告しています。
フェルバー:私たちはすでに、ファシズムと世界大戦の後に大規模な崩壊を経験しています。これに続く中断時期はただ一時的なものでした。ブレトン・ウッズ体制の崩壊と、それに続く自由化と規制緩和によって、一つの経済危機が別の危機へと移ってきました。この危機は本質的なものであり、資本主義経済に組み込まれた部分なのです。このシステムを信じているエリートたちは、それが危機につながっているという認識も、不平等と権力への集中を引き起こすという認識も持ち合わせてはおりません。一方で彼らは、自らの惰性と自己満足のためにこのシステムをあえて保存しようとしています。そして、彼らは不安のために経済力のあるものに頼っているのです。その結果、彼らは常に本来、自分たちが代表しなければならない人々の利益に逆らって行動します。このことは地方都市や地方政府の場合には必ずしも当てはまらないかもしれないのですが、国家とか国家を超えるレベルでは確実に当てはまるのです。

SI:あなたは、今日の困難に潜在している本質的な問題は何だとお考えでしょうか。
フェルバー:私は、これは資本主義システムに伴うものであると考えております。資本主義は、共通の善が常に共通の前提であるにもかかわらず、決して、共通善をもたらすことはありませんでした。資本主義は、たとえ人々が飢え渇き、経済バブルがはじけ、気候が変動しようと、資本をいかにして増やすかを考えるのです。資本主義の目的は、決して人権とか持続可能性ではありません。それらは余計な事柄であり、しばしば利益や商売の障害であると思います。

SI:今日のある人たちは、公平な経済など全く不可能であると論じるでしょう。
フェルバー:ケーキを 10人の間で分けることができるように、あるいは3人の農夫が高山の農地を分け合ったり、あるいは有機栽培で地元産のべジタリアン食料をつくることができるように、公平で平等な経済システムをつくることは可能です。

SI:本質的で必要不可欠な条件は何なのでしょうか。
フェルバー:まず最初に、人々、すなわち民主主義でいう「主権者」は、自分たちが共通に持つ公平と正義についての概念を理解し、それを表現し、それに基づいてものごとを決めることが必要になるでしょう。「共通善」(Common Good)のための経済においては、私たちは公平と正義とは何であるかの疑問に各自が積極的に取り組むことを通して態度決定をする「主権民主主義」についての概念を発展させました。例えば、収入について最大限受容可能な不平等の限界は何かについて投票を行った結果、世界規模において、最も多い収入と最も少ない収入との決定指数は「10」倍であるとなりました。現在、ドイツでの指数は6,000倍で、アメリカでの決定指数は350,000倍となりました。(注:ドイツでは、最大の収入と最小の収入とでは6,000倍で、アメリカでは最大の収入と最小の収入との差は、350,000倍という意味です)

SI:そうすると、もっと大きな正義のためには、もっと直接的な民主主義が必要なのでしょうか。
フェルバー:間接民主主義において、根本的な決定が政府における政党によってなされる限り、人々は、正義に関してほとんど変化を求めることはできません。同様に、人々、一般市民は、銀行とか企業とかに決して投票することはないでしょう。彼らは、経済―政治システムに、つまり非課税地におけるコントロール不可能な資本の動き、無規制の貿易、そして生活必需品の独占化と深く結び付いているからです。

SI:代わりとなる経済モデルとして、あなたの提案は「共通善のための経済」を導入するのですね。これは正確に言って何を意味するのですか。
フェルバー:共通善のための経済は、共通善を高める原則に基礎を置くという限りでは、市場経済の要素を共有します。投資とビジネスとにおいて倫理的価値が高ければ高いほど、それらの誘因と魅力は大きくなります。そして倫理的生産とサービスでは、非倫理的なものよりもずっとお金のかからないものになります。また、自由市場の取引業者間の競争が否定的な刺激を生む一方で、協力と連帯を基盤とする経済は肯定的な刺激となるでしょう。このようにして、すべての者にとっての平等な機会と自由と権利とが保証されるでしょう。グローバルな経済カジノは閉鎖されるでしょう。収入を紡ぎだす活動は、金銭交換を必要としない領域、例えば自営業や自給経済や物々交換ネットワークとか、慈善的経済、そして、自治体の協同組合や地域での事業などで増えるでしょう。自由市場における基準労働時間が、週20時間程度に減って、より多くの時間が価値創造的で人道的な創造活動や生活の充実のために使われることが可能になるでしょう。

SI:言い換えますと、私たちは未来において、もはや最大の成長とか最大の利益のためにではなく、普遍的な善のために働くようになるのですね。
フェルバー:まず最初に、より良い生活指標と国民総幸福(GNH)という心をときめかすモデルに基づく、民主主義的に構成された、「普遍的な善」の発展が必要になります。私たちは、自由で主権を持った人々が人々にとって最も重要な20項目の生活の質に関する指標を特定してもらいたいと思います。これらの指標は、1年に1回測定され、すべての経済的な活動はこれらの指標を改善する方向に向けられるでしょう。今日、ドイツ環境省の代表的な調査によれば、67%という大勢の人がこの考えに賛同しています。この調査でのわずかに18%の人が、経済的社会的政策の主要な指数としてGDP(国民総生産)を支持しています。たいていの人は、政治家とか議員よりもはるかに進んだ考えを持っているのです。なぜなら、政治家たちは、マイノリティーでしかない利潤業界と、新しい考えに耳を貸さない経済評論家を重要視しているからです。

SI:共通善のための経済において、金銭の意義はどうなるのでしょうか。
フェルバー:金銭は公共善とならなくてはなりません。これは、制度のルールが民主的なものにならなければならないことを意味しています。私たちは「非集権的金融会合」の過程を開発してきました。金融制度に関する決定のための準備が出来上がると、次は完全に主権者である市民による投票に移されます。第二に、金銭と金融は、共通善のための道具となるべきです。このことは、すべての資金を費やしてある割合の国家債務を引き受ける公的な民主的中央銀行を意味するのかもしれません。つまりは、銀行や証券取引所の共通善の義務に対する必須条件、実質的経済投資に制限される借入金の調達、不平等の制限、(イギリスのマクロ経済学者)ジョン・メイナード・ケインズの考えに基づく協調的グローバル金融システムなど。非集権的な金融会合では、研究し議論した後で、主要な提案に対して投票することになりましょう。そして代表者たちは、国会での議論のために平易な選択肢を準備するでしょう。

SI:あなたの著書の一つに、『競争に代わる協力―危機に対処する10のステップ』がありますが、これは、現在の競争的社会から協力的社会へと前進させる強力なステップを描いているように思われます。私たちは協力することを学ばなければならないのでしょうか。
フェルバー:私たちは、競争について学んだように、協力についても学ぶ必要があります。子供が遊んでいるときの行動を観察した調査によると、もし子供がこれらの両方のどちらかを選ぶことができるなら、彼らは協力の方を選ぶのです。協力の基本的かつ動機となる要素は、積極的な関係の実現です。しかし、競争においては、それは恐怖なのです。このことに気づく時、人々は自分の条件づけられた行動と習慣とから解放され、また、それらを変えることができるようになります。

SI:資源の分かち合いは、何らかの役割を果たすでしょうか。
フェルバー:自然を尊重するという倫理観からは、自然を所有するという考えは出てきません。この立場に立つとき、遺伝子工学農業とか、土地の収奪や、大土地所有、そして、不動産投機などというものは、存続の意味がなくなります。第二に、私たちは「環境権」、地球からの人類への贈り物である地球の生物資源をあらゆる人の間で平等に分配するという思想を発展させてきました。このことが、自然資源を消費する個人の権利とその保証につながるのです。毎年年頭に、これは生態系クレジットカードに記録されることになるでしょう。このカードが年度末までに使用された場合、「生態系ハルツIV」に交換されるでしょう。(注:ハルツの概念は、ハルツ・リフォームとかハルツ・プランとして知られているもので、2002年にドイツ労働市場改善のための委員会によって提出された一連の提案である)

SI:共通善のための経済は、まず第一に、既存の経済システムとの比較において示された概念であって、まだ実際には試みられてはいないものですね。あなたは、これが単なるユートピアに終わらないという確信がおありでしょうか。

フェルバー:何百もの会社がすでにこの企画に参加しており、何十という地方の政府や自治体が(加わろうと)列をなしており、数多くの大学が研究プロジェクトや大学カリキュラムとかで、それら自体の施設での公開イベントや試みなどを通してこれに参加しています。ヨーロッパ経済・社会委員会は、共通善のための経済に関する声明を、86%の賛成を得て採用しています。すでにモデルが完成しており、(他と比べても)それは可能であると声明は述べています。ヴァレンシア大学は、共通善のための経済に関する部門を立ち上げようとしていますし、バルセロナ大学は、ユネスコに共通善のための経済部門を設置する提案をしています。

SI:共通善のための経済の最初のステージの可能性のある国がどこかにありますか。
フェルバー:部分的にですが、それはすでに世界的にジグソーパズルとして存在しています。(例えば)ブータンでは、「国民総幸福度」として発展しており、社会連帯的な基礎を持つ経済は世界中に展開しています。スペインのモンドラゴンは、8万人の職を網羅する多角的な共同組合です。倫理的な銀行業務や公正な貿易は数多くの国で進展しています。アイスランドには貨幣経済改革の計画がありますし、ナミビアでは国民基礎所得制度の初期段階のものを導入しました。イタリアでは、行政命令を無効にするための住民投票制度があります。スイスには住民に主導権があり、スイスのアールガウ州は、(前出の)10の要素(指標)を公的銀行で不公平の限界とすることを決定しています。300の会社がすでに共通善のバランスシートを採用しており、最初の公的「共通善銀行」が最近ウイーンで設立されました。そして、最初の「地域共通善証券取引所」がバレンシアで現在計画されています。私たちはこうした地域レベルのジグソーパズルを総合して、全体像をつくるために「民主的経済会議」を開催したいと思っています。私たちは、さらなる地域社会や町や市や地方を奨励するモデルとなって、こうした過程や行動を最初に実験的に試みようとする勇気ある地域社会が現れることを願っています。

SI:どのようにしたら、一般市民が共通善のための経済に関与することができますか。
フェルバー:一般市民は、意識を変えることによって、そして、共通善に対応する価値を受け入れることによって、(社会の)変容に寄与することができます。彼らは例えば、自分たちが日常行う買い物行動において、これを実行することができます。しかし、市民が民主的な経済議会に積極的に参加することが、最も重要な貢献になります。この仕方で彼らは経済のためのルールを再定義することになり、この先駆的な行動が彼らの主権的なステイタスの認識を高めるでしょう。

SI:あなたは最近の極めて個人的な本の中で、共通善のインスピレーションになった源泉があなたのスピリチュアルなルーツにあると記しておられますね。
フェルバー:私の人生のかなり初期のころに、私はあらゆる存在と一体であることを体験することができました。この体験から価値観が育ち、最初はそれを感情で感じ、次に理性的に理解し、語りかつ表明するようになりました。これらの価値は、本質的に時代を超えたものであり、一定の時代に特定されるものではありません。したがって、これらは等しく共通善のための経済の原理を支えるものなのです。この結合観は今も私の中に維持されています。私は時折、その源泉に戻って、それを大切にし、育むようにしています。その源泉とは、自然であり、ダンスであり、そして心の声を聞くことです。もし私たちが勇気をもって行動する道を選ぶならば、この結合観から個々の人に創造的な力が沸き起こってくるでしょう。
(www.ecogood.org/en 参照)