現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2015年 3月 情報通

情報通

編集長殿
2014年11月の第30回全国書籍展に、私たちのグループはベンジャミン・クレーム氏の書籍で参加しようと、集中して準備をし、ついに迎えたその当日、グループのメンバー 一人と私はブースを設置しました。オープニングは翌日だったので、どこの出版社もブースの準備に大忙しでした。来場者はいなかったのですが、突如として一人の年配の婦人が私たちのブースに現れて、マイトレーヤの『手』の写真を指差しながら、自分の手のようだ(彼女は大変背の高い人だったので、彼女の手は実際とても長かった)と言ったのです。
私は写真にあるのが誰の手なのか説明し始めて、その婦人が一色だけの装いなのに気づきました。彼女のコートだけでなく、帽子もセーターもタイツも靴も、すべてワインレッドだったのです。襟のブローチだけが輝く白色でとても美しいものでした。彼女は大変に自信にあふれていたので、私は注意しながら、輪廻転生や新しい時代の初めに現れる教師方などのような微妙な話題について話しました。しばらくすると、私もメンバーも驚いたことに、彼女が一つの宗教、一つの人類や一つの言語について話し始め、カルマのことまで言い出したのです。後になってそのメンバーが、「彼女はすべてを知っているみたいだった」と言いました。扮装したマイトレーヤだったのですか。
ヤニカ・マティカ・ヤンシク
スロベニア、リュブリャナ
【ベンジャミン・クレームの師は、彼女がイエス覚者の女性代弁者であったことを確認した】

写真:2014年11月、スロベニアのリュブリャナでの全国書籍展のブース

援助のしるし

編集長殿
2014年11月1-2日のノルウェー社会フォーラムが開催した、オスロ市でのグローバリゼーション会議で、シェア・ノルウェーはブースを出し、マイトレーヤと彼のメッセージについての季報やパンフレットを配りました。11月2日に若い男性がブースに近づいてきました。彼の外見から中東の出身の人のようでした。彼は黒いジャケットに、パレスチナの旗が付いていて、前面に「パレスチナに自由を」と書かれたキャンバス地のショルダーバッグを持っていました。彼はノルウェー語を話しました。私がマイトレーヤと智恵の覚者方のことを聞いたことがあるか尋ねましたが、彼は答えず、季報やパンフレットを眺めていました。私はマイトレーヤと、世界資源の分かち合いによる正義や平和のメッセージ、大宣言の日などについて話し始めました。彼は再臨に関するパンフレットや季報を集めて、立ち去る前に、「この重要な仕事を続けなさい」と言って帰っていきました。私はびっくりして、後になってから彼は特別な方だったのか、普通の男性だったのだろうかと思っています。
アンネ・マリーエ・ベルネビク
ノルウェー
【ベンジャミン・クレームの師は、彼がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】


完全な理解

編集長殿
2015年1月8日の木曜日に、スロベニアのイゾラにあるギャラリー・アルガでの『ゴールデンエイジ』と題された展覧会のオープニングで、私はフルート演奏をしました。私はその画家のことは知らず、その展覧会で演奏するに至ったのは、『偶然』からでした。絵画は大変に静謐で、演奏中も鼓舞されるものでした。エネルギーがとても強力だったので、演奏の合間に泣き出しそうになるほどでした。それは本当に美しく記憶に残る体験でした。演奏後、背の高い男性が近づいてきました。彼は薄茶色の長いコートを着て、見たこともないような灰色がかった黄色の肌をしていました。彼は大変熱心に話しかけてきました。彼が微笑むたびにその不揃いな歯を隠そうとしているようにも思え、まるで歯のことを詫びているかのようでした。彼がフルートについて、その歴史や有名なフルート奏者のことまでとてもよく知っていたので、私は大変驚きました。私が個人的に本当に認めて称賛している人たちの名前を、そのまま彼が言ったのは不思議でした。私たちの会話は興味深いもので、彼が私の思考を読み取っているように感じ、私は事前に彼の言いたいことが完全に理解できたのです。私たちはたくさん話をし、もちろんマイトレーヤや智恵の覚者方の話題にもなりましたが、それは私が世界の出来事や、人々との関係についてどう考えているかを、彼が確認しようとしたからでした。私はこの見知らぬ人との出会いの後、大変に刺激を受け、会話は私の心に深く残りました。
お手数ですが、この人物が特別な方だったのか、もしそうならば彼の役目は何だったのか教えていただけますか。
アレンカ・ザパン
スロベニア、コペル
【ベンジャミン・クレームの師は、彼がイエス覚者の代理人であったことを確認した】