史上最高のショー
編集長殿
2012年11月のある日曜日、妻と義理の娘と私は、開催予定のグループの講演のためのチラシ配りをしていました。カリフォルニア州バークレーの大学キャンパスで配り終えてから、私たちはキャンパスの外れの小さなビジネス街に行ってみることにしました。角のコンビニ店で店の内側からチラシを貼っていた時、一人の男性が歩いてやって来ました。彼は中背で古びた服を着てサングラスをかけていました。彼が店の中に入ってきた時、彼が何度も幸せそうな親しみのこもった声で、「何て素敵な店なんだ。何とも素敵な良い店だ」と繰り返しているのが聞こえていました。それは店の中でよく耳にするようなものではありませんでした。
それから私は外に出て、他の二人と合流しました。私たちがちょうど小さな広告を店の外側のドアに貼っていた時に、その紳士も外に出てきてチラシについて尋ねてきました。彼はサングラスを持ち上げて、講演についてのカードを読み始めました。それは小さなカードだったので文字がとても読みにくかったのです。けれども彼はベンジャミン・クレーム氏や石川道子氏のことが書かれた一番小さな文字まで読むことができました。彼は二人について、誰なのかなど尋ねてきました。私たちはこの情報を短くかいつまんで説明し、講演会に誘いました。彼は行って聞いてみると言ってくれました。会話をしている間中、彼はとても陽気で、私たちを微笑ませてくれました。私たちはあと少し会話を交わし、それから彼は去っていきました。私たちはさらにチラシを置いてもらえる店を探しながら同じ方向に歩いていました。
数分後、私たちは大学キャンパスへ戻る通りを渡っていました。そうしていた時、あの同じ紳士が歩道の脇の壁際に腰を下ろしているのが見えました。私たちは4.5mほど離れた所から彼にハローと挨拶しました。彼はエド・サリバン(1960年代からのテレビのバラエティショーの司会)のことを聞いたことがあるか私に尋ねてきました。私は「はい、聞いたことがあります」と答え、子供だった時から彼を覚えていたと伝えました。すると彼はとても大きな声で、少し大げさ気味に「そうだよ。そう。本当にとても大きなシューになるよ。本当にすごく大きなシューさ。そう。ビッグなシューになるよ」と言ったのです。その紳士がそう言いながら笑って、エド・サリバンがショーという言葉を『シュー』と言った時のアクセントをまねようとしていたのはとても面白いことでした。
彼の話の後で、妻のデブが彼の近くの木を指差して、美しい秋の色合いで溢れていることを伝えました。彼は素敵な木だと言ってくれました。私たちは再びさよならを言って帰りました。私たちは歩きながら、その紳士が『どこか違った』人ではないかと思っていました。
その紳士はただフレンドリーな男性だったのか、もしかして覚者方のお一人でしたか。もしそうなら、彼が「本当に大きなシューになるよ」と言った時には、大宣言の日のことを言っていたのですか。
マクネア・エザード
米国、カリフォルニア
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した。その通り、彼は実際に大宣言の日とその後の影響について語っていた】
「ラッパが鳴りて」(聖書:コリント前書の言葉)
編集長殿
2012年のクリスマスイブに、私はバスに乗って仕事に向かっていました。私は一つ空いていた席に腰を下ろし、私の前に一人の男性が座っているのに気づきました。彼の何かが私の注意を引いたのです。それに気づくより先に、私たちはおしゃべりをしていました。彼は自分の見つけた片方のイヤリングを持っていました。彼はそれが私の持っているものと合うだろうと言って私にくれました。イヤリングはシルバーのフープで内側にピンクのプラスチックのぶら下がる飾りが付いていました。
その男性は、バスに乗ってきた人に席を譲り、私の反対側の空いた席に座りました。私は彼の方に身を乗り出している自分に気づき、まるで会うとうれしい古くからの友人のように彼に強く引き付けられているのがわかりました。彼との会話には気安さがあり、そのことに驚きました。感じていたのが快活さそのものであることに気づいていました。
彼を見ていると、彼がホームレスのようでありながら、休日を過ごすための装いのようなごちゃ混ぜの外見であることに気づきました。彼は白人で、彼の髪はくすんだ金髪でそれをポニーテールにまとめていました。彼には前歯二本がなく、肌は太陽の下に長時間いることを示していました。彼の目は深い青でほのかに緑がかっていて、私にはもやがかかっているように見えました。その男性は丈の長いレザータイプのジャケットを着てローファーを履いていました。彼は手首に緑色のゴムのバンドを着け、赤いリボンがピンでシャツに留められていました。
彼は話す時、確信と威厳を持っており、私はバスの他の乗客が私たちを見ているのがわかりました。彼は退役軍人局病院に友人を訪ねていくところだと言っていました。彼は妹のテレサについて話をし、母親と外国に住んでいると言いました。彼は私のしている仕事について尋ねてきて、私が休日に何をするのか聞いてきました。私は彼に仕事に向かっていることを伝え、介護士をしていると答えました。彼は家族や友人で簡素な贈り物を交換するのは良いということも話していました。それから彼は彼の隣の席の人が言ったことを耳にすると、それに答えて中国語で話し始めました。彼は明らかに中国人ではなかったので私は驚きました。
その男性がそこに座っていた時、私は彼が持っていた小さなラッパに気づいていました。内的なレベルでは、私はあの方の存在を認識しており、もし実際にあの方であったなら、その訪問に対してあの方に感謝していました。私の考えが、その訪問の間中感じていた感覚の一つひとつと、そして彼がラッパを持っているということとが結び付けられていくような感じがしました。強い感覚が沸き起こり、それはあの方がご自身で現れる準備をしている(!)ことを知ったという感覚だったのです。
その男性は私が降りた同じ停留所でバスを降りましたが、彼はバスの前側から降り、私はバスの後側から降りました。私は彼が病院に向かっていると思ったので、バスを降りたことに驚きました。彼を見ようと振り返ると、彼はいなくなっていました。本当に何て驚きに満ちた出来事でしょう。
この男性はイエス覚者でしたか、それとも他の覚者でしたか。
メアリーアン・スレイン
米国、カリフォルニア州サンフランシスコ
【ベンジャミン・クレームの師は、そのバスの男性がイエス覚者であったことを確認した】
まっすぐ要点を
編集長殿
2012年11月2日、私が集会所のボランティアの仕事をしていた時、中年で身長165cmくらいの、壁画を眺めている女性を見かけました。彼女は中くらいの長さのつやつやとした染めた髪で、白いストールに明るい茶のブラウスと白いパンツ姿でした。彼女は大変に安心感と温かさと思いやりを持って話をしました。
彼女に近づいていく時、彼女を良く知っているという強烈な感覚があり、私はそのことについて会話を始めました。彼女は知っているかもしれないと答えてくれました。彼女は教会での音楽コンサートに来たかったと言いました。彼女はここが、「自分自身を見つけるのに良い場所だわ、もちろん音楽との組み合わせの中でね」と話していました。私は彼女に壁画(題目は『平和』)が難民の子供たちによって作られたことを伝えました。「あら、そう、彼らがすべてを知っているものね」。彼女は『平和は語る』をいう格言を指差し、その真理について言及し、めったに見られないものだと言いました。
彼女は、「世界で意識が成長し始めていますね。それはとても良いことです。長い間おろそかになっていましたからね。教育は完全に変わるでしょう、もはや『でなければならない』は存在しないでしょう。子供たちはそのことにとても敏感です。変化はすでにテレビ番組で、特に子供の番組で目にすることができ、そのやり方で彼らは子供たちを教育しています。そして覚者方がおられます。もう間もなく覚者方は(私が思うにと彼女は言いました)世界を『組織し』、そうして『導く』でしょう。世界は完全に変化するでしょう」。さらに続けて「あなたであるところの者でありなさい。あなたの内なる美に、すべての人々の中にもあるのと同様に注意を払いなさい。つまり、例えば花の美しさを見るのです。ほんのわずかの瞬間に注意を払われるだけでも、神はとても幸福なのです。あるいは、イエスに対してでもキリストでも。誰がまだ神に注意を払っているかしら? 人々はあまりに忙しすぎて神を忘れています。砂の中の足跡よ、その話をご存じ?」(私はいつも美しいストーリーだと思っていました)。「お話の終わりが大切なのよ。神は常におられる、皆のために。あなたの中にたくさんの心配がありますね。それを見つめなさい。一日にほんの1分でも」。それが時には難しいと言った私の反応に対して、彼女は「これはこの人生であなたに与えられたものです。困難はこの人生で早い進歩をもたらすのです」と言いました。彼女はしばらく私を見つめて、「すべては大丈夫です。あなたはいつでも助けを求めていいのです。そして助けは与えられるでしょう」と言ってくれました。
彼女はそれから「世界にはたくさんの奇跡があります。それらは常に存在してきましたが、見過ごされてきたのです。今本当に気づかれるようになりました」と言っていました。彼女と話をしていることはあまりにもとてつもないことだという私の思いに対して、「ここは私が来た唯一つの場所ではないし、私はどこでも、あらゆる類の場所で人々と話をしますよ」と言いました。
ボランティア仲間のワーカーが私たちに加わってきて、彼が配りながら持ってきていたビスケットの缶から、その女性にさらに余分に受け取ってもらえるように差し出しました。その女性は彼にお礼を言い、彼女は別のやり方で配っているからと言っていました。その仲間のワーカーはすでに別の時にその女性と話をしていたのです。「彼は美しい人間です」。彼のシャツをほめた後、彼女は彼のハートを指差して、笑みを浮かべながら、警告するように、「でも私はそのシャツを見通して、あなたの内側で起こっていることをそのままに知っていますよ」と言いました。少し後で別のワーカーが彼女の名前を尋ねました。「私は名前を言わないのです。エネルギーが大切ですから」。微笑みながらその女性は皆に心のこもった様子で手を振ってお別れし、帰っていきました。
この出会いの後、私は自分自身に愛と幸福が満ち溢れているのを感じました。その方が覚者だと感じているのは正しいですか。
エリゼ・ヴァン・シャイク
オランダ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者であったことを確認した】