記録に残るUFO
ジェイソン・フランシスによるレスリー・キーンへのインタビュー
レスリー・キーン氏は、独立したUFOの調査ジャーナリストであり、2000年からこの主題を取り扱ってきた。2002年には、彼女は「情報の自由のための連合(Coaliation for Freedom of Information)」、UFOの情報を得るための政府のより一層の開放性を促進し、メディアによる責任あるUFOの報道を目指すグループを共同設立した。2007年には、ワシントンDCで公式のUFOの調査についての記念碑的な国際記者会見を企画し、それは世界中のメディアで報道された。彼女はニューヨーク・タイムズのベストセラー『UFOs: Generals, Pilots and Government Officials Go On The Record(UFO:将軍、パイロット、政府高官たちが記録に載る)』(Harmony Books, 2010)の著者であり、この本はヒストリー・チャンネルのテレビ・ドキュメンタリー「秘密のアクセス: 記録上のUFO」の元になった。本誌のために、ジェイソン・フランシスがレスリー・キーン氏にインタビューを行った。
【編集部記:本誌は、このインタビューで議論されているよりも、UFOの存在についてのより詳細で具体的な情報を当初から提供してきた。しかしながら、レスリー・キーン氏のアプローチは、UFOとその仕事について大衆とメディアの意識を高める上で非常に有益であると認識しているので、ここに取り上げた】
シェア・インターナショナル(SI): 調査レポーターとして、UFO問題へ興味を持ったきっかけは何だったのですか?
レスリー・キーン:1999年に私が公共ラジオ局で働いていたときが始まりです。フランス人の友人がコメータ(COMETA)レポートの英訳を送ってくれたのです。そのレポートは、4人の将軍や大将、アメリカのNASA(米国航空宇宙局)と同じような組織であるフランスの国立宇宙研究センターの前所長などのフランスの退役軍人のグループと、科学者と技術者のグループ、つまり素晴らしくハイレベルな人々が作成したものでした。
コメータレポートは、UFOに関する公式なデータを調査したものでした。それは、公式に調査された例外的なケースの国家安全保障上の影響を検討するものでした。委員会は全目撃の5%、つまり通常の手段では説明できないと判断できる十分な情報のある目撃を調査しました。ほとんどの目撃は説明できますが、説明できない5%について、最も論理的で合理的な仮説は、彼らが「地球外の仮説」と呼ぶものでした。彼らは彼らのレポートにおいて、幾つかのケースを公表し、これらすべてが意味するものを調べました。
私はジャーナリストとして、将軍や大将が、われわれは地球外の宇宙船の訪問を受けているようだ、と発言している事実に感銘を受けました。それを彼らは言いたいのです。彼らは、それは仮説にすぎず、証明することはできないと言いました。それでも、私は高い地位の人にとっては、そのようなことを言うのはかなり勇気の要ることだったと思います。私はそのレポートに関する話を書き、アメリカで関連問題についての調査を少し行い、そして2000年の春に『ボストン・グローブ』紙にその話を発表しました。コメータレポートは私にUFO問題に興味を持たせてくれました。私はそれ以来、UFOを追求しています。
SI:コメータレポートは一般に向けて発表されたのでしょうか。 もしそうなら、何割かのUFOが他の惑星からの乗り物である可能性について、一般の反応はいかがでしたか。アメリカでは人々がパニックを起こすと言われていました。
キーン:レポートの全文は、あるフランスの雑誌の特別号で公開されました。この雑誌はよく売れました。あなたが指摘されている点は重要です。なぜなら、他の国では、政府高官、政府や退職した高官がそのような話をしており、人々はパニックを起こしていません。彼らは彼らの人生を送っています。これはフランスだけでなく、他の国でも起こっています。ベルギーやイギリス、南アメリカの多くの国など、政府高官が説明できない特定のケースの真実性を認めた場合にそれが起こっています。アメリカ政府は説明できない何かを認めませんし、それについて仮説を創作することさえします。そして、馬鹿げた説明で片付けようとします。
UFOとシカゴの空港
SI:アメリカ政府がUFOの目撃を片付けるときに使うバカげた説明の話で、あなたの最近の著書で説明されている幾つかのケースの一つである、2006年にシカゴのオヘア国際空港で起きたUFO目撃事件について説明していただけますか?
キーン:オヘア空港のケースは、アメリカ政府が他の国の政府と比べて、このような状況をどのように扱うかを示す良い例です。事件は2006年11月7日の午後4:30から5:00頃に発生しました。ユナイテッド航空のターミナルのゲートC17の上空に円盤状の物体が突然現れました。パイロット、整備員、客室乗務員、飛行機を誘導路の間で移動させる人などが地上からそれを見ました。マネージャーは警告を受け、多くの人がこの空中に停止する奇妙な外観のものを見ました。ユナイテッド航空のマネージャーがレーダー管制塔に呼びかけ、レーダーがこの奇妙な物体を捉えたかを尋ね、それが現在見えていることを報告している音声の録音が実際に存在します。あいにくレーダーは物体を捉えていませんでした。しかし多くの目撃者がいて、目撃は約5分間かおそらくもっと長く続きました。物体は濃い雲の斜面のちょうど下で停止しており、それは約1,800フィートで始まっていました。突然、その物体は上方に動き、雲の斜面に物体の淵に沿って鮮やかな穴ができました。もし穴のすぐ下にいれば、雲の斜面を通して青い空を実際に見ることができただろうと、何人かの人は報告しました。
瞬きする間に上に瞬間移動したり、雲に穴をあけたりするテクノロジーを私たちは持っていないので、これが何か通常の飛行機ではないのは明らかです。問題は、目撃者たちには報告を持って行く場所がなかったということです。政府は関心がなく、調査をしませんでした。二人の目撃者が目撃の報告を民間のUFO研究グループへ提出し、彼らの報告は最終的に『シカゴ・トリビューン』紙に掲載されました。
『シカゴ・トリビューン』のレポーターはより深い調査を行い、その結果は新聞の第一面に掲載されました。国立航空異常現象報告センターのリチャード・ハインズ博士のグループは、さらに深い研究を行い、それは数カ月かかりました。彼らの報告では物体が何であったか説明できず、それは何か例外的なものであったと結論づけました。
政府の反応は興味深いものでした。政府は一般に対して、これは「気象現象」であったと伝えました。訓練を受けた観察者であれば、気象現象がどのようなものかを明らかに知っているでしょうから、これは全くバカげています。当時は静かに雨が降っていて、気象に関して何も特別なことはありませんでした。私がFAAの報道官に電話すると、これは気象現象であったという回答で、私は彼に「これを気象現象だと言うのなら、どのような気象現象なのですか」と尋ねました。彼は「私が一番可能性が高いと思うのは、それがホール・パンチ雲であったということです」と言いました。ホール・パンチ雲は非常に稀な現象ですが、時に発生する場合があります。雲の上方の氷の結晶が下方の雲に落ち、下の雲を穴の形に溶かすような感じになるのです。
私は多くの気象の専門家、物理学者、大気の科学者に問い合わせをし、ホール・パンチ雲が形成されるための条件が何であるかを知りました。オヘア空港のあの日は、ホール・パンチ雲が形成されるほど気温が十分に低くなかったことを理解しました。そのような現象が起こるためには氷点下でなければなりません。実際、オヘア国際空港ではかなり暖かかったのです。それは華氏50度台でした。
ですから、あの日に起こった現象が実際にはあり得ない何かであったということを、FAAが私たちに語っていることが記録されたのです。このケースに関して彼らが行ったのはこれだけです。彼らは全くでたらめな説明をし、そのままにしました。私にとってこのケースで重要な点は、このような種類の状況をアメリカ政府が処理するばかげたやり方を観察でき、またこのような出来事が起きた場合に他の国でこのようなことは起こらないということを認識することです。
ヨーロッパ上空のUFO
SI:あなたの本には、オヘア空港での目撃の他に、特に信頼できる印象的なUFOの目撃例はありますか。
キーン:私が非常に強力で魅力的だと思う目撃例の一つは、1989年から1990年にベルギーで発生した連続した目撃例です。ほとんどのUFOの目撃は一度だけの出来事ですが、この場合、1年または1年半にわたり、多くの物体が何度も戻ってきたのです。多くの人が物体を見ることができました。
これらの物体が何であるかを理解するために、政府が、中でも空軍が動員されました。これは一般から秘密にされませんでした。実際、政府が積極的に関わり、政府の関わり方が公開されました。目撃された物体とそれらの物体の動き方について驚異的な量のデータが存在します。目撃者からのデータを収集するために、政府と協力するために科学者たちが動員されました。私の本には、目撃者によるイラストと詳細情報があります。目撃者の多くは警察官と軍関係者です。
このケースに関して私の本の中の一つの章を書いたウィルフリード・デ・ブロウアー将軍は当時大佐で、空軍による調査の指揮に関わっていました。彼はアメリカ政府にアプローチし、これがアメリカの航空機であったのかどうかを確認し、明らかにそうではなかったとの報告を受けました。いずれにしても、これらの物体が示したようなテクノロジーを私たちは持っていませんでした。当時、誰も持っていませんでした。そして現在もまだ持っていません。このケースは未解決のままです。私は、このケースに愛着を持ち続けていました。なぜなら、文書が豊富に残っており、その理由は部分的に、物体が何度も戻ってきて人々が記録に残すことを容易にしてくれたからです。
魅力的で重要なケースとして他には、レンドルシャムの森の事件があります。これは1980年にイギリスのアメリカ空軍基地で発生したもので、実際の乗り物の着陸を伴うものでした。3人の警護の警察官が何かが着陸するのを見ました。警察官の一人(ジム・ペニストン巡査部長)は至近距離まで近づき、物体に触りました。彼はコンタクトをノートに記録し、物体の絵を描きました。それはとてもあり得ないような三角形の物体で、最後にはもの凄いスピードで飛び立ち、木の間をジグザグで進んで行きました。その物体は地面にあらゆる物理的な証拠を残しましたので、それらを研究し、収集し、文書にすることができました。地面に穴が開き、放射線レベルが上がり、木々の間を通るときに木の枝が折れていました。
2日後、さらに多くのUFOが同じ基地の同じ場所で目撃されました。基地の司令官補佐のコロネル・チャールズ・ホルト氏はちょうどテープレコーダーを持参していて、彼の前で起こった出来事を録音しました。彼がすべての種類の奇妙な物体を見ていて作成したテープは、有名なテープと考えられています。それらの幾つかは彼の足のすぐ近くを打つビームでした。楕円状の物体が群れになっており、それらが別々の大きさのものに分かれ、素晴らしい眺めでした。私たちが今いる場所はアメリカ空軍基地であり、ここでこれらすべてが起こったのであり、軍関係者がそれを文書にしています。このケースの二人の目撃者が、私の本の二つの章を書いてくれました。これらは二つの例外的な、文書が豊富に残されているケースですが、私の本には他のケースも載っています。
SI: あなたが本を書かれてから、他に特に注目すべきUFOの遭遇例に出合いましたか? あなたが本の中の目撃例で書かれているように、これらの出来事について調査していますか。
キーン:本が出版されてから、多くの人々から手紙を貰いました。ある退役軍人の方は何度も私に手紙をくれて、「私は1970年代に目撃体験をし、そのことを誰にも言っていませんでしたが、あなたの本を読み、あなたにお話ししたいと思っています」と書いてきました。私は多くの人と、このような電子メールのやり取りや会話をしてきました。
そして私はチリで現在進行中の仕事について興味を持ちました。チリには2回行った事があり、チリで発生した、ある興味深いケースについて、昨年二つの記事を書きました。2010年に空軍基地で行われた航空ショウで撮影された物体のビデオが残されています。
チリには公的な機関「航空異常現象研究のための委員会」があり、4人のフルタイムのスタッフがいて、彼らはアメリカのFAAと同等の市民航空局のメンバーです。彼らはもの凄く忙しいです。国全体がUFO問題を真剣に捉えています。チリ政府のすべての部署が、この特定の事務所と関わりを持っています。すべてが報告され、チリのすべての人から、本当であり研究するに値すると受け止められています。これは興味深い組織であり、これらのケースを扱う上で、現在世界中のすべての政府の中で一番の仕事をしています。私は彼らのファイルにある多くのケースと幾つかの新しいケースを見てきました。実際私は、最近チリで発生した別のケースのストーリーを書こうとしています(この記事とその後の最新追加情報は、その後『ハフィングトン・ポスト』紙に掲載された)。
問題の根底に到達する
SI:アメリカ政府内や他の場所で、UFO現象に対する真面目な調査への呼びかけを何かご存じですか?
キーン:私が知る限り、努力をしているのは私だけです。私は一緒に仕事をしている人たちと共に、アメリカ政府内にとても小さな事務所を設立してもらえるように努力しています。それには、ワシントンDCに人を連れて行き、ミーティングを持ち、この問題を考慮してくれる権限を持つ地位の人に説明することが必要です。それには言葉を外に向かって発し、政府の人たちを、これがなぜ重要なのか、これに関して私たちは何をすべきなのかを教育しようとすることが必要です。これはゆっくりとした過程です。この問題について、ワシントンの誰も考えることすらしていません。彼らには考えることがたくさんあります。彼らはUFOのことを知らされていません。ある種の構造変化や政策の変更を引き起こそうと考えている人々の仕事は、実際に今、何が起きているかを当局に知らせることです。これが、私が本を書こうと思った動機の主たるものです。私の本を活用して、そうした人々が変化を起こす助けにして欲しいのです。
SI:UFOの背後にある真実をアメリカ政府が認めるためには、何が必要でしょうか。
キーン:UFO現象を公式に調査している政府は多く、彼らはそれが真実であると認めています。それを行った政府は、南アメリカに多く存在します。そしてフランスのある機関もそれを行いました。イギリスは声明を発表しました。これらの国の政府は、国際的な努力において、他の国と共にアメリカに入って来て欲しいと思っています。私たちを後ろに押しとどめているのは、アメリカが参加の意思を示さないことです。もし私たちがアメリカ政府の中に、他の国々にあるもの(私は他の国の政府の機関がいかに機能するかについて多くを学びました)と同じような、この小さな事務所を設置することができれば、世界中で行われている調査全体の雰囲気を変え、さらに多くのことを行えるでしょう。
SI:10年以上に及ぶUFO現象の調査の後で、どのような結論に達しましたか。
キーン: 一つ目には、現実の物理現象が起きているということです。私たちは、レーダーに映ったり、地面に印を残したり、写真を撮られたり、航空機に影響を与えたりするときに物理的であると考えます。疑いなく、物理的なものがそこにあります。
別の結論としては、UFOは多くの場合、動きや操作に関して、知的なコントロール下にあるように見えるということです。また、私たちの能力に関連して、私たちが持っていないか親しんでいるかどちらかである、テクノロジーを示しているように見えることです。私たちは、UFOの正体についての仮説を持っていますが、まだ決定的な科学的な説明はありません。それは私たちが解決しなければならないことですが、ここに本当のミステリーがあり、私たちの最高の科学者たちが対処しなければならないのです。何が本当であるかの根底に到達しようとする必要があります。
詳しくは www.ufosontherecord.com
【ベンジャミン・クレームの師は、シェア・インターナショナルの2007年1、2月合併号および3月号で、2006年11月にシカゴのオヘア国際空港上空で目撃されたUFOは火星からの宇宙船であったことを確認した】
【ベンジャミン・クレームの師は、シェア・インターナショナルの2003年1、2月合併号で、1980年イギリスのレンドルシャムの森に着陸した物体は宇宙船ではなく、「センサー」および情報の格納機であったことを確認した。それは「科学的調査」と呼べることを行っていた。その基地は火星である】
編集長殿
2012年11月28日は満月の日だということは知っていました。午後7時頃、私は外に目をやり、夜空を見上げました。月は本当に真ん丸でしたが、そのそばに光り輝く“星”がありました。私は友人に、「ほら、見て!? あれがUFOよ」と呼びかけました。もちろん、友人は大笑いしました。しかし、私は確信していました。私たちはちょうどアムステルダムに出かけるところでしたので、途中で車を止めて、その写真を撮りました。私はその写真を撮れたことがうれしくて大喜びでした。
これが何なのか、どうか教えていただけますか。
ケイティ・フォン・テガウ
オランダ、アムステルフィーン
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、その物体が火星からのUFOであったことを確認した】