現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2012年 11月 共有資源を分かち合う

共有資源を分かち合う

人類の共有遺産(パート3)
ジェームス・キリガン氏へのインタビュー
ジェイソン・フランシス

ジェームス・キリガン氏は1975年以降、国際開発の分野で分析官と行政官を務めてきた。彼は、前西ドイツ首相のウィリー・ブラント氏が創設した国際開発委員会であるブラント委員会の政策顧問と報道担当官であった。キリガン氏はその後、多くの政治家と指導者の政策顧問と執筆者を務めてきた。彼はまた、国際共有資源問題に関する国際開発組織だけではなく、幾つかの国連機関と協力し、26ヵ国の政府機関の経済顧問としても働いてきた。キリガン氏は現在、国際交渉センターの常務理事とグローバル・コモンズ・トラストの会長である。ジェイソン・フランシスが『シェア・インターナショナル誌』のためにジェームス・キリガン氏にインタビューした。

協同組合と労働者所有企業

シェア・インターナショナル(以下SI):協同組合の増加はより健全な経済体制にどのように適合するでしょうか。それは、共同資源の保存と民主主義の発展に関する追求にとって良い取り組みなのでしょうか。

ジェームス・キリガン:協同組合は非常に良いものです。彼らは私たちに分かち合いの実践を教えてくれます。一人の個人や少数の人々よりも多くのグループの人々が資源を管理するとき、それは確かに正しい方向に向けた一つのステップです。しかし、私たちが認識しなければならないことは、協同組合は一般に共同所有に重点を置いているということです。共同所有はあくまでも所有です。共同所有の下では、共通の決定を下すより多くの所有者がいるかもしれませんが、ほとんどの場合は最終決断を下すエリート集団がいます。私は、たとえ共同所有であっても所有を超えて、信託統治の方向にもっと傾いたモデルを見たいと思います。「しかし、信託統治ではどのような違いがあるのですか。受託者の小さな集団が最終的な決断を下すのは変わらないのではないですか」と時々尋ねられます。必ずしもそうとは限りません。トラストがどのように設立されるか、どれだけ多くの出資者が関与するか、どのような責任の仕組みがつくられるかによります。所有権はトップダウン(上から下)のモデルです。信託は、補完性、多元的共存、チェックとバランス、参加型の意思決定を重視したボトムアップ(下から上)の構造です。信託統治は所有や共同所有よりも遥かに民主的な環境をつくります。

SI:労働者所有企業とはどのようなものですか。

キリガン:私はいつも社員持株制度を推奨してきました。私は、友人のジョン・ローグ博士と一緒に1983年から1984年にかけてオハイオ社員持株制度センターの設立を手伝いました(http://www.
oeockent.org/)。それは労働者所有の分野での主要な模範の一つになっています。それはオハイオ州クリーブランドのエバーグリーン・コーポレーティブス(http://evergreencooperatives.com)のような努力を鼓舞し、社員持株制度における戦略的なデータと最良の実践の大きな情報源になりました。しかし、私の考えでは、私たちは労働者所有企業をさらに一歩前進させる必要があります。
過去において、所有が進むべき道と考えられてきました。というのは、それは経済効率、生産性、優良性を生み出すと同時に、商品とサービスの価格を引き下げるからでした。しかし実際には、人々はなかなか認めたがりませんでしたが、所有構造では効率も生産性もそれ程上がらず、商品はより高価になりました。共有資源トラストは、共有資源の管理と生産の核になる原則を使う別の方法があることを示しています──つまり、市場の自発的な自己規制による自由と、政府によって課される規則に基づく平等性です。共有資源は実際、資源の使用者が直接的に生産過程に関与するため、それを新しい形で表現しています。これは非常にわくわくさせることです。これが起こるとき、私たちがインターネットで見ることができるように、新しいアイディア、学び、想像力、自己修正的な行動が、人々の共同作業に直接具体化されます。テクノロジーを通して台頭しつつある人気のソーシャル・メディアがこの良い例です。
商品やサービスが商業的もしくは政府による規定を受けている所有構造とは違って、共同資源トラストを通して今行われていることは、一種の中間業者の排除です。それは「仲介業者」を排除して、多くの場合において生産者と消費者の区分をなくします。消費者が自らの資源の生産者になりつつあるのです。それはとても革命的なことです。伝統的な共有資源であれ、インターネットのような新しい共有資源であれ、より分散型の取り組みが私たちの資源の生産と管理のために現れようとしています。それは、民間独占企業や官僚的な階層的制度として機能している所有企業を通して得られるよりも、人々が自分たちの資源をより直接的に入手し、使用できるようにします。これは包括的なプロセスであるため、人々はそれを大事にします。それはまた、特定の共有資源を民間企業や政府が支配するという現在の制度に本当に替わるものとして、共有資源が検討されている理由でもあります。信託統治のモデルは、現代の所有に関する階層的制度よりも、生産と意思決定の手段を一層広く分配します。これは、伝統的な協同組合や共同所有モデルよりもその意味合いにおいてはるかに公平です。

SI:分かち合い、持続可能性、広範な民主主義の普遍的な導入は、こうした蓄積した努力を地域レベルで始めて、国家や国際的なレベルへと拡大するということでしょうか。それとも、変化を全く欲しない固定化した凝り固まったもののせいで、それには何かがもっと必要なのでしょうか。

キリガン:問題は、もし地域での実践が単に流行になり、自らの共有財産を分かち合っている地域社会すべてが一つにつながることだけを期待するならば、資源の分かち合いは地域から世界レベルへと拡大することはないということです。ですから、世界中のすべての人が手を結び、その活動の集合が制度全体を変えるということなのです。今でもそれが多くの人が心に抱いている分かち合いのモデルですが、私はこれが起こり得るとは思いません。統治のどのレベルにおいても、独立していながら同時に重なり合って機能する新しい責任構造が必要であることを私たちは認識する必要があります。自分たちの存続を資源に依存している人々や地域にとって重要な資源を守るためには、民主的に組織された管轄の多くの線に沿って共有資源トラストのような機関が機能しなければならないでしょう。
それが鍵です。市民たちは共有資源のあらゆるレベル──地域、国家、国家間、地方、地球レベル──において、意思決定と生産に参加する機会を得なければなりません。資源トラストはまだこれらのレベルすべてにおいてはありません。幾つかはありますが、それは決して統合された体制ではありません。規模の問題に取り組まない限り、私たちは共有資源を分かち合うための動機を私たちの規則や制度に有効に組み入れることはできないと思います。いつの日か、共有資源は世界中で民主的に連合した体制になると信じています。私たちの曾孫たちは現在の体制を振り返り、私たちがこれを解決できないほど幼かったことに呆れることでしょう。

SI:今日の世界経済を取り巻く途方もない数の問題を考えると、私たちは現在の所有に基づいたトップダウン型の体制の終焉を見るのでしょうか。

キリガン:その終焉をすでに見たとは思いませんが、その崩壊の始まりを見ています。市場国家は危機に瀕しており、その外観を変えようと必死に試みていますが、それ自体を再構築しようという気は全くしないので、解体するにはかなり時間がかかるでしょう。そのため、市民たちが、よりよく教育され、組織化されるための時間がいくらか与えられることになるでしょう。ですが、無駄にする時間はありません。私たちは、世界レベルでこれまでに見たこともない問題に対処しています。そのため、それらに包括的な方法で取り組むためには、全く新しい解決策、新しい認識論、分かち合いと持続可能性の新しい倫理が必要になるでしょう。さらに、新しいレベルの政治的な積極的行動が求められるでしょう。
アリス・ベイリーの著書、特に『ハイアラキーの出現(The Externalization of the Hierarchy)』(*)で述べられていることについて考えてください。将来、主要な世界資源はそれぞれ、「最初は統制と支配権を備えた国際的な団体によって所有される。それらは、国民によって選出された各国の代表団によって、国際的な監督のもとで、世界各国の消費のために準備されるであろう」(*日本語版『ハイラーキーの出現・下巻』AABライブラリー刊、281-282ページ)。私はこれを、民衆の利益のために富と権力のより大きな分配を確かなものにするよう、それぞれの資源を扱う民衆によるトラストの創設を人々が要求するだろうという意味として読んでいます。これは私には、持続可能性と分かち合いのための集合的な意向の創造のように聞こえます。しかし、私たちがこれに付随して起こることをまだ実際に理解し始めているとは思いません。私たちはそこに向かっており、本当の先駆者が何人かいます。しかし、学者、政治家、政策立案者、銀行家、経営者、洞察力のある思想家または「占拠せよ」の人々の中に、問題の大きさを完全に把握している人を知りません。明確な計画はまだ、少なくとも公には現れていません。国際交渉に関与する政治、文化、企業、市民社会団体は極めて多様な形で衝突しています。結局のところ、私たちは、アメリカ経済体制、中国経済体制、ヨーロッパ経済体制、ブラジル体制といった多様な構造に対処しているのです。
言うなれば、私たちはまさに世界が新しい経済体制の創造について考え始めようとしている過渡期にあります。しかし、私たちが強く弾力性のある形の世界統治を発達させることができるまでの道程は長いです。ヨーロッパでの現在の危機は、人々の要求に敏感に応える財政統合、銀行統合、政治統合なしに、緊急に新しい通貨秩序を創造することはできないことを示しています。もしG20が、社会のすべての分野を巻き込む新たな段階の国際協力なしに、ブレトン・ウッズ通貨体制に戻すよう試みるならば、世界は大きな間違いを犯すことになるでしょう。その解決は諸国家からなる最も大きな権限を持った集まり、世界のエリート銀行と企業の集まりにかかっているのではありません。それは、人々に、そして私たちの共有資源の管理と生産のための政治責任をつくり出す私たちの能力にかかっているのです。そのためには、持続可能性と分かち合いを支持する新しい構造を作り出す私たちの能力が必要です。

通貨制度の崩壊

SI:通貨制度は崩壊するのでしょうか。そして、なぜなのでしょう。

キリガン:はい、それは崩壊するでしょう。歴史において永久に続いた通貨制度はありません。その理由を理解するのは簡単です。社会と経済が絶えずその古い構造よりも大きくなるからです。2008年に私たちが経験した経済危機は金融危機でした。次の危機は通貨危機になるでしょう。銀行が保有している、つまり銀行が保有していると今主張している資産はとてもではありませんが、銀行が公に報告している規模ほどには、どこにも存在していません。借入れによる資金調達の額が非常に高く、銀行の透明性は全く不透明です。イギリスでのライボー(LIBOR:ロンドン銀行間貸し手金利)スキャンダルによって、私たちは今、銀行が長い間、金利を不正に操作してきたことを目にしました。これは氷山の一角にすぎません。金利は、主張されているように市場主導の価値ではありません。今、策定されているように、金利は中央銀行の発想にすぎません。70億人の人々がいる世界において、一握りの中央銀行家たちが金利を通して他のすべての人々に代わって実際に世界的な価値をつくり出すという事実ほど大きな矛盾はありません。実際に世界の通貨と貨幣が現在の体制で私たちが表記することが許される以上の集合的で相互主観的な価値と重要性を持っているときに、国際的な銀行制度が国際的価値創出の権限を掌握しているのです。
体制全体の変革が必要だと思います。つまり、過去の前提に基づいた体制(つまり、準備ベースとして金や石油のような一つの資源を利用する、一国もしくは少数の国によってつくられる新たな通貨制度)を無意識のうちにつくり出すのではなく、むしろ私たちの集合的知性を通して国際的な価値の表現における次の段階を意識的に考案しなければなりません。今、世界の多くのところで、価値とは文化的な表現であり、通貨の価値を決定する権利は民衆の手にあるべきだという認識が高まっています。現行の体制が崩壊し、新しい体制がつくられたとき、あらゆることが変わるでしょう──政治、経済、文化、そして生活のあらゆる面への私たちの取り組み方が。これは私たちにとって、利益や負債を生み出さない通貨の創造を通して世界の通貨制度を正しいものにする機会になるでしょう。
ですから、これは単に政治的な問題ではありません。私たちの通貨は、すべての個人の内的な価値観を一緒に共有して表現したものを反映しなければなりません──市場での外面的な価格を通してそれを測ることはできません。共有資源は、国際社会が、自然資源の保全、エネルギーの保全、社会改革、文化的な意義、社会的な生活の質と人間の福利を価格ではなく直接的に通貨価値を通して表現し管理することを可能にするでしょう。
地域社会、革新、人間と社会の潜在能力、エネルギーの公平な入手、持続可能性、統治と生産の新しい生態環境──リアルタイムで世界的な価値と動機を表現する──という指標に基づいた通貨は、現在の価値体制をつくり変えるでしょう。それは、果てしなく成長しなければならないという義務を終わらせ、破滅的な気候変動に歯止めをかけるでしょう。こうした線に沿った貨幣制度は、人間活動の根本的なパターンを現在と将来の世代への恩恵を永続させる新しい総体的な社会制度に順応させる上で不可欠だと思います。そうです、包括的な再調整につながる世界的な通貨下落は、実際には恐れるべきものではなく、むしろ有益なことだと思います。しかし、世界がその種の包括的な体制をつくり出す準備ができているという保証はありません。私にとって切迫した疑問は、私たちが私たちの通貨の価値は人類の集合的な表現であることを理解することによって優先事項を是正し、分かち合いのための条件をつくり出すことができるかということです。

分かち合う運命にある

SI:人々が世界資源を実際に分かち合いつつあるというあなたのビジョンは、どのようにして現実になるのでしょうか。

キリガン:アリス・ベイリーの著書の伝統を受け継いで、『覚者は語る』という本でのベンジャミン・クレーム氏の覚者の次のような言葉が私の心に浮かびます。
「内的ハイアラキーの先達のメンバーに訓練され、時の問題に効果的に対処する能力を持ち、霊的志向を持つ男女の集団が、今、存在する。呼び出しの合図がかかるとき(それはもう間もなくであろうが)、彼らはそのためにこれまで準備されてきたその仕事──まったく新しい線に沿ってわれわれの惑星の生活を再建すること──に着手するだろう。
すべての分野で働いているこの献身的な弟子たちの集団が、人類のたどるべき道を示すだろう。彼らは、そのほとんどが、現在人に知られていない存在である。しかし、間もなく彼らの名前と働きが人間の目に光をもたらし、より良い未来の希望と期待で人々を鼓舞するだろう。彼らは今日、人に知られずに働いている。しかし、その才能と教育をいつでも人類への奉仕のために提供する用意がある。彼らの利他的な愛と賢明なる判断ゆえに、義務感と任務に対する献身のゆえに、彼らは知られるだろう。覚者たちから教育を受けた彼らは、覚者たちの無執着さと知識の幾分かを反映し、混沌とした世界に新しいリズムと秩序をもたらすだろう。
間もなく今、降りつつある未来の青写真から、新しい文明の形態が形を取るだろう。各国がそれぞれに演じる役を持ち、世界全体の機構に各国独自の声を持ち込む。この中で国際連合が重要な役割を演じ、再建設と再分配のための計画を整合するだろう。今でさえ、大国によってその仕事に制限が加えられているにもかかわらず、国際連合が世界平和に貢献する役割は多大である。国連の機関は多くの地の何百人の人々に教育と援助をもたらす。世界的討論の場として、その地位はユニークであり、かけがえのないものである。神の大計画の成就にあたって中心的な存在である国際連合に対して、諸国家が信を失うならば、それは人類にとって悲しい日であり、大いなる損失であろう。
多くの者は、マイトレーヤと覚者方がすべての悪を正し、世界を変換することを期待する。彼らが道を示し、導き、鼓舞することは否定できない。彼らの光と智恵が人類のために提供されることも、等しく真実である。しかし、変革の仕事は人類自身によって行われなければならず、その結果として起こらなければならない変化と犠牲を喜んで受け入れねばならない。心から喜んでそれを受け入れることによってのみ、変化は根を下ろし、人間にとって新しい、より良い生活の条件をつくる。先導し、そして新しい時代の機構の土台を築くために、来るべき文明の訓練された建築技師たちが、今出現しつつある。彼らの奉仕への願いと智恵と顕された愛によって、彼らを認知しなさい」
(『覚者は語る』シェア・ジャパン出版刊、148-150ページ「大いなる奉仕者の出現」)

SI:では、大計画は高位の界層から急速に形になろうとしていますか。

キリガン:確かにそうです。私は40年にわたって世界経済のリーダーたちの顧問を務めてきました。この青写真は、広げられる適切な瞬間を待ちながら、誰かのロッカーか金庫に隠されていないことは確かです。世界経済の調整の方法は多くの人に知られています。このマクロ経済公式はすでに公有財産です。それは今、これらを私たちの会話や認識において一つに撚り合わすよう試み、私たちの規則と制度を通して具体化するという問題です。共有資源はこの想念形態に焦点を合わせていますが、それが完全に実現するのは人間の自由意志と鼓舞された霊的な方向づけを通してだけです。それが幾つかの方面で論議を呼び起こさないというわけではありません。しかし、ハイアラキーは数千年にわたってこの金融の調整を心に描き、答えがすでに人類のハートにあることを知っています。つまり、私たちは私たちの共有資源を分かち合う運命にあるのです。

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さらなる情報をお求めの方は:www.globalcommonstrust.orgとwww.global-negotiations.org