現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2011年 4月 2010年伝導瞑想研修会 質疑応答――第二部

2010年伝導瞑想研修会 質疑応答――第二部

グループ・イニシエーションへ向けて ベンジャミン・クレーム

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(“グループ・イニシエーション”は、2010年に米国とヨーロッパで開催された伝導瞑想研修会でのベンジャミン・クレームの基調講話のテーマであった。彼の講話を編集したものがシェア・インターナショナル誌2011年1月号に掲載され、質疑応答セッションの第一部が3月号に掲載された。質疑応答の残りの部分である第二部を以下に掲載する)

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Q 人類のすべてが49のアシュラムの一つに属しているのですか。


ベンジャミン・クレーム:そのようなことは決してありません。アシュラムは少なくとも第1イニシエーションを受けた人々からのみ構成されています。今日、第1イニシエーションの入り口にいる人々が400万人から500万人おります。彼らはまだハイアラキーの中に入っていませんが、第1イニシエーションを受けたとき、その中に入ることになるでしょう。

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伝導瞑想の重要性

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Q 私たちがグループ・イニシエーションを達成するのを妨げる最大の障害は何ですか。


クレーム:最大の障害は、私たちはまだ準備ができていないという事実です。グループ・イニシエーションに必要な「規定11」の必要条件(7頁上部の枠内を参照)のすべてを満たしたグループはまだありません。その規定は非常に難しいものですが、達成可能であり、やがては達成されるでしょう。
ここにいる色々なグループの人々でさえ、その真剣度や規律の能力に関してはまちまちです。たいていの人にはあまり規律がありません。たいていの人は良い意図をもって研修会に来ますが、伝導瞑想に時間を費やすだけの規律がありません。研修会では、こうした人々が通常やっているよりもずっと長く瞑想を続けます。多くの人は普段自分たちが行っている時間、たぶん1時間くらいをやると、あとは出て行ってしまいます。そのため、もっと集中を持続させるせっかくの機会が失われます。
真の仕事はいつも、どのようにして集中し、注目を高く保ち、そうして(魂との)整列の時間を維持するかを長年にわたって学んできた真剣な人々によってなされます。

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Q 伝導瞑想中に眠ってしまうことがよくあります。眠っている人がいるとき、エネルギー伝導の価値は影響を受けますか。


クレーム:もちろん、眠っている人が多ければ多いほど、なされる仕事は少なくなり、送られるエネルギーは少なくなり、そのグループの有益性は低くなります。
人々が眠ると、そのグループの仕事を減少させます。しかし、ずっとこっくりし続け、注目を高く保たないでいるよりも、5分間眠ってから回復し、その後2時間注目を高く保つ方がよいでしょう。注目はアジュナ・チャクラ(眉間)になければなりません。そうでないと、目覚めていようと眠っていようと、グループの中で活用されません。何時間も居眠りをするのではありません。あなたが回復するまで少しうとうとし、その後、本当に整列して続けることができるならば、グループにとって有益です。

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Q 伝導瞑想中にずっと眠る人もいれば、少しだけ眠る人もいれば、その両方が組み合わさっている人もいます。眠っている人に対する適切な対応の仕方はあるのでしょうか。隣に座っている人を何回も起こしてあげればよいのでしょうか。それとも、そうした人たちをただ眠らせておいて、自分自身で回復するまで10分間待てばよいのでしょうか。


クレーム:たぶん瞑想中にしか睡眠を取らない人もいるのかもしれませんね!

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Q いびきをかくのはどうですか。


クレーム:いびきをかくのは明らかに許されません。

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Q トライアングル(三角組み)の役割はどのくらい重要ですか。


クレーム:トライアングルの科学は伝導瞑想のまさしく基本です。そのために、伝導瞑想は非常に強力であり、世界を救うこのような途方もない仕事を行うことができるのです。覚者方はエネルギーのトライアングルを作ることによって、伝導瞑想グループを通して世界に送るエネルギーの特質を拡大されます。それはトライアングルの科学を通してのみ機能します。
伝導瞑想に参加するすべての人が、(あなた方には見えませんが覚者方には見える)フォースの線によってつなげられ、それぞれの人が他のすべての人とエネルギー的に結び付けられます。それによって、大勢の人々の中からグループが形成されます。そのグループを通してエネルギーのトライアングルがつくられるということは、限定されたほんのわずかのエネルギーではなく、トライアングルの科学に由来するエネルギーを扱うということを意味します。例えば、3人いれば1個のトライアングルができます。5人いればそのグループには10個のトライアングル(三角の組み合わせ)ができます。一つのグループに10人いれば、120個のトライアングルができます。違いがお分かりでしょう。トライアングルができることによってエネルギーの強さが増します。部屋の中に150人いれば、何千というトライアングルができます。75人しかいなければ、トライアングルの数はその半数よりもかなり少なくなります。トライアングルの科学は決定的に重要です。それは伝導瞑想の力(パワー)の土台です。

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Q トライアングルは一つのグループの人々だけを結び付けるのでしょうか。それとも、他のグループで伝導している人々も結びつけるのでしょうか。


クレーム:それぞれのグループがトライアングルのネットワークを形成し、覚者方は、これらのトライアングルを似たようなトライアングルの世界規模のネットワークに同時に結び付けます。

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Q 伝導瞑想グループの中に2人しかいなくても、トライアングルはできますか。


クレーム:いいえ、3人がトライアングルの基本的な数です。しかし、ある程度のエネルギーは2人を通して流すことができます。

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非感傷的な関係

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Q 私たちは一致協力してグループの目的やプロジェクトに取り組み、大体において個人的な好き嫌いの感情に妨げられることなく、目的やプロジェクトを実行することができたと思います。しかし、覚者から見ると、私たちは「規定11」の最初の必要条件すらも達成し始めていないと言われます。これは、私たちが秘教グループであり、内的なエネルギーの混乱がグループ意識の形成に影響を与えるため、好き嫌いの感情が私たちの心(マインド)に入り込むことさえもないところまで達成しなければならないということを意味しているのでしょうか。


クレーム:そのようなことが心(マインド)に生じてもいけません。状況に対する正しいメンタル的なアプローチがあれば、そのようなことはマインドの中に入り込まないでしょう。もしすべての人が霊的無関心の状態で仕事をするならば、非感傷的なグループ関係を築くことになります。要求されることは──アストラル/感情体の促しに従うのではなく──非感傷的な方法で一致協力して働くことができることです。一緒に働いている人々のことを好きになってはいけないという意味ではありません。自分が好きな人と自分が好きでない人を選り分けたり、どちらか一方と一緒にまたは別々に働いてはいけないという意味です。それが霊的無関心の状態にあることの結果です。それが目標です。
その状態を表す別の言葉は無執着です。人が培うべき三つの態度は、心(マインド)の正直さ、生気(スピリット)の誠実さ、そして無執着であるとマイトレーヤが言われるとき、その無執着は霊的無関心の状態です。それは問題に対して、アイディアに対して、あらゆることに対して無関心でいることではありません。それは違いに対して無関心でいることであり、違いを見ないことです。なぜなら、そうした違いは心の中に生じないからです。

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Q 「規定11」に取り組む最も効果的な方法は何でしょうか。個人として取り組むべきでしょうか。それとも、グループとして一緒に取り組むべきでしょうか。


クレーム:その両方です。

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Q グループの和合を損なう典型的な要因は何でしょうか。あなたは一つの例として競争を挙げました。


クレーム:競争、嫉妬、妬み、グループの中で何らかの高い地位を求めること、他の人に特定の仕事ができて自分にはそれができないときに無力だと感じることなどです。
グループは、光線構造が異なり、進化段階が、わずかでしかないとしても、かすかに異なる人々で構成されています。進化段階の違いは大きくなくても、あなたとは光線構造が同じでないために、あなたがとても実行できないと思うことを実行できる人々がいます。そうした人々が行うことを自分は行えないからといって妬みを感じても仕方がありません。あるいは、例えば年齢や、特定の仕事をとてもよく行ってきた長期にわたる実践のおかげで、日常世界においてとても長けている場合もあります。そのため、活動の特定の側面を監督することができます。長い経験から得られた優れたノウハウを持っていなければやれないような仕事の側面を実行するのを他の人々に教えることもできます。
しかし、こうした違いはグループの中での違いをもたらします。私たちは皆、人々がいかに嫉妬や妬みや批判の影響を受けやすいかを知っています。こうしたものは欠点です。批判が大きな欠点です。

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無害

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Q より高い観点から見ると、私たちが無害であると考えるかもしれないものが実際には有害である場合があります。無害とは何であるかについてもっと説明していただけますか。


クレーム:無害とは害を及ぼさないことです。私たちには自由意志があります。私たちは原因と結果の法則の中で働くか、あるいは、そうしないかのいずれかです。もしそうするならば、私たちは無害です。個人または人類全体に対して害のある言葉を発したり、行動を取ったりしません。
「より高い観点から見ると、私たちが無害であると考えるかもしれないものが実際には有害である場合がある」というのは真実です。なぜなら、無害であることがどういうことなのかを私たちは理解していないからです。無害であることは文字通り、害を及ぼさないことです。それは感情を損なわないこと、誤りを正さないこと、誰かの考えを揺さぶらないことを意味するのではありません。何もしないことを意味するのではありません。それは、あなたのすることが他の人々に害を与えないことを意味します。なぜなら「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになる」からです。それが法則です。害を及ぼさないように人生を送りたいと思うなら、何が害を及ぼすかを知る必要があります。私たちすべてが意図せずに害を及ぼしてしまうため、カルマの法則を学ぶのです。私たちは何が害を及ぼすのかを認識しません。すべての思考とすべての行動が原因を始動させます。こうした原因から生じる結果が、私たちの人生を良くしたり悪くしたりします。私たちは実際に自分自身の進歩を任されているのです。不幸なことに、間違った育ち方、間違った教え、間違った経験により、私たちすべてがこうした原因を始動させ、その原因が害を生み出します。それがカルマです。それは条件づけの結果です。
世界のほとんどの人は、現在の生活の条件のもとで全力を尽くしています。しかし、ひょっとしたら、それは害を及ぼしているかもしれません。彼らの理解を超えた偉大な法則があるからではなく、自分がすることが有害であることを知らないからにすぎません。もしも誰かを殴り倒せば、それが害を及ぼしていることは分かります。しかしもし、例えば、人々が自分の住んでいる国で生計を立て、中身のある生活を築くのを難しくするならば、それは人々に害を及ぼしていることになります。もしあなたが「貪欲を良しとする」と信じるならば、それは一つの信念です。あなたはそれに対して責任を負います。カルマとしては同じものです。なぜなら、あなたは「貪欲を良しとする」と信じ、好きなだけ貪欲で利己的になり得るからであり、そのようにして、大勢の人々に害を及ぼしているかもしれないからです。
わずか数千のファミリー、企業、機構が自分たち自身のために世界を動かしています。彼らは世界の富の80%を所有し、害を及ぼしています。彼らは自分たちが害を及ぼしているとは考えませんが、実際にはそうしています。したがって、彼らが害を及ぼしているということを彼らに示すために、私たちはマイトレーヤを必要とするのです。彼らは貪欲が良くないとは考えません。自分たちが行っていることが誰かを害する可能性があるとは考えません。なぜなら、それによって自分たちに害が及ぶようには思えませんし、自分たちが知っている人々に害が及ぶようにも思えないからです。しかし彼らは、自分たちが与えた害のために苦しむ世界の大勢の人々のことを知りません。
それは認知するかどうかの問題です──意識を広げて、世界に正義が必要であることを理解するかどうかです。正義は魂の特質、神聖な特質であり、それがないことは神性がないことです。政治、経済、社会の構造が神聖でないとき、世界は断裂しています。覚者の観点から見ると、神性以外のものは何も存在せず、私たちのすべての構造がそれを反映しなければなりません。分かち合いは聖なることである、とマイトレーヤは言われます。正義は聖なることです。平和は聖なることです。それらがなければ、私たちは悪いカルマをつくり出していることになります。私たちは法則を踏み外しています。
私たちは全世界が正しいやり方で──分かち合い、正義、正しい人間関係をもって──機能する可能性を思い描かなければなりません。分割は悪いカルマを助長します。それは社会全体の公益に反します。人々は経済的な階級の観点から、自分自身の組織の観点から、自分自身の家族の観点から考えがちです。そのため、自分にとって良いことがすべての人にとって良いことだと信じますが、そうではないかもしれません。
意識の完全な変化が必要とされますが、それが一夜にして起こることはないでしょう。ゆっくりとした意識の変化によって、マイトレーヤは人類に、自分たちが行っていることを理解し、それがいかに破壊的であり、したがって神聖でないかを理解するよう、促すことができるでしょう。

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Q グループでの人々の相互作用という観点から無害について説明していただけますか。


クレーム:あなたが行うことが同僚に害を与えるならば、それには害があります。それを変えなければなりません。誰が判断しなければならないのでしょうか──害を及ぼしている人でしょうか、それとも、その害に気づくグループでしょうか。いずれにしてもそれに向き合わなければなりません。しかし、自分がつくり出している害に気がつかなければ、遅かれ早かれグループがあなたに知らせるでしょう。そして、グループはあなたに知らせるべきです。

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Q 他の人の感情を傷つけることについてはどうでしょうか。


クレーム:他の人の感情を傷つけることは、もしそれが意地悪く、悪意をもって、怒りに任せて行われるならば、害があります。しかし、害を及ぼそうと思わない場合でも、人々の感情が傷つけられることもあるかもしれません。
もし覚者があなたに対して、「あなたは良いことをしていると考えているが、実際のところ、あなたが行うほとんどすべてのことにおいて、あなたはたくさんの害を及ぼしている」と言ったならば、あなたはショックを受けるでしょう。しかし、それが真実であるかもしれません。あなたは自分が及ぼしている害に気づかないかもしれません。しかし、何が害を及ぼしているのかを霊的認識があなたに告げます。もしグループの誰かが非常に破壊的であり、破壊的であることを告げられたとしたら、たとえその人が、自分が及ぼしている害に気づかず、そのことを不公正だと感じたとしても、そのことを告げることは正しいでしょう。

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Q それでは、彼らに知らせることは有益なことなのですね。


クレーム:彼らがどのような状態にあり、どのように振る舞っており、どのような結果をもたらしているかを分からせることは、グループにとって全く有益なことでしょう。

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グループ・イニシエーションへ向けた進歩

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Q 昨日あなたは、人類の中で最近新しい光のかすかな兆候があり、そのため、グループ・イニシエーションが来るべき時代に可能になるかもしれないという新たな希望が覚者方の間で生まれていると語りました。何が起こったのかについてもっと話していただけますか。


クレーム:覚者方はほんのかすかな光を感知されました。彼らは人類のオーラを見て、マイトレーヤと覚者方のために道を整える様々なグループが開花し、伝導瞑想が世界中に広がっているのを見ました。それは彼らにかすかな希望を与えました。私はそのことをこれ以上強調したいとは思いません。
それだけではなく、そしてそのこととは別に、人類全体が長い眠りから目覚めつつあります。天文学的な観点から見ると、この惑星は第4ラウンドの中間点に達しました。すべての惑星には7つのラウンド、つまり転生周期があり、地球は第4ラウンドの真ん中におります。冥王星のように第2ラウンドにある惑星もあります。他方、金星は第7ラウンド、つまり最後のラウンドにあり、天空で輝いています。
私たちが今いる第4ラウンドの中間点で、人類は目覚め始めます。人類は目覚めつつあり、覚者方が人類のオーラを見るとき、世界を眺めるとき、かつてはそこになかったかすかな光を見ます。かつては霧が立ち込めていましたが、今では外側にほんのかすかな太陽の光があります。そのほんのかすかな光は世界に、私たちに、そして覚者方に新しい希望をもたらしています。それは、私たちがこれまで教えられてきた以上に人類はより良く、より価値があるということに人類が気づき始めているということを示しています。
覚者方は私たちが神であるということを知っています。マイトレーヤはいつも「あなた方は神である」と言われています。神のように行動すると言われているのではありません。覚者方は自分たちが神であることを知っています。神のような人間であることを知っています。私たちも神のような人間ですが、そのことを知りません。彼らにとって、私たちが何となくそのことを信じ始めているという証拠は、人類のオーラに現れたこの新しい光です。彼らがこれを見るとき、人々が自分たちは誰であるのか、何であるのか、どのくらい遠くに行くことになるのかを考え直し始めているということを彼らは知ります。
人々が実際に立ち上がって「自分は大丈夫だと思う。自分には神のようなところが少しあるから」と言うのではないと思います。しかし、人々は、良い社会、良い世界、そして今日のように世界には豊富な食糧があるのにその食糧を欠いて飢え死にする人が誰もいない健全な世界、そのような世界を創造する能力が自分たちにはあるのだという自信を抱き始めています。
人々は、物事がもっとうまく処理されさえすれば、そして、もっと良い政府、もっと良い社会構造、もっと公正な世界がありさえすれば、まことに良い世界を創造することができると感じ始めています。人々は、神でないにしても、少なくとも潜在的な神であるという確信を自分自身のうちで深めつつあります。ますます多くの人が、自分たちが潜在的に神聖であるというこうした感覚を抱いています。完全ではないにしても、自分たちは事実、潜在的に神であるということを人々が突如として認識するとき、それはその人の立場での巨大な進歩となります。それは起こり始めています。それは第4ラウンドの中間点で起こります。

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Q グループのレベルでは、グループ・イニシエーションの可能性を示すどのような徴がみられましたか。


クレーム:信じ難いかもしれませんが、これまで本当の意味で欠如していた、つまりグループ・イニシエーションにとって十分かどうかという意味で欠如していた、ある程度のグループ整列を覚者方は見たのです。すでに伝導瞑想においても、覚者方の出現のための仕事においても、世界中のグループがある程度の新たな整列を示しています。あなた方には見えないかもしれません。鋭敏な霊視力を持つ覚者方は、そうした仕事から生じる正しいアプローチの最初の兆候を見分けることができます。そのことを過大に強調したくはありませんが、それは事実です。

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Q あなたは2年前、グループ・イニシエーションへ向けて進歩を遂げたグループはないと言いました。あなたの講話のためにこの話題が選ばれたということは、グループ・イニシエーションについて希望を抱く理由がまだあるということを示しているのですか。


クレーム:それは2年前のことでした。どのグループもグループ・イニシエーションへ向けて意味のある進歩は遂げませんでした。それでも、その事実にもかかわらず、良好な兆しが現れています。
人々はこの仕事において自分たちが行っていることの重要性を把握し始めています。最初、多くの人は自分たちがしていることを本当には理解しません。それは簡単なように見えますが、その中には人々が見逃す深い要素があるのです。それは非常に深く、非常に重大であるため、自分がそれに関与していることが自分では分かりません。しかし、それは実際に、グループ・イニシエーションと、内界から外界へのハイアラキーの外的顕現に関わることなのです。それは彼らの人生の実質的な方向転換を要求します。それは、そのようなことにかかわるものです。

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Q このグループがグループ・イニシエーションへ向けて小さいながらも明確な進歩を遂げたのはなぜでしょうか。何がこの進歩をもたらしたのでしょうか。


クレーム:このグループが小さいながらも明確な進歩を遂げたのは、そのような達成の全過程が必然的にゆっくりとしたものだからです。そして、それは長い間、30年以上続いてきました。その間、一定のゆっくりとした進歩がなされました。

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Q ジュワル・クール覚者は、グループの際立った特徴は霊的利己主義であると述べています。「霊的利己主義」の観点から見て、伝導瞑想グループの中で進歩はありましたか。


クレーム:はい、35年にわたって向上してきました。しかし、その主要な表現として霊的利己主義を持たないグループはありません。

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グループと一緒に働くこと

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Q 大宣言の日のあと、グループにとって何が統合する力となるでしょうか。このグループは伝導瞑想によってまとまるのでしょうか。それとも、アシュラムの外的顕現によってまとまるのでしょうか。


クレーム:伝導瞑想と、覚者方の大きな集団が世界に到来することの両方によってです。マイトレーヤが世界において実際に知られ認知されるとき、伝導瞑想と、マイトレーヤとハイアラキーの外的顕現の仕事において働いてきたすべての人にとって、変容の過程があるでしょう。働き方は現在と比べてはるかに楽になるでしょう。

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Q グループは一緒にいることのほうが容易なため、一緒にいることになるでしょうか。


クレーム:グループは一緒に行うべき仕事があるため、一緒にいることになるでしょう。その数は増えるでしょう。

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Q すべてのグループには特定のグループ光線がありますか。それとも、幾つかのグループだけでしょうか。


クレーム:すべてのグループには潜在的にグループ光線がありますが、潜在的にそうであるにすぎません。それを達成したグループもあれば、達成していないグループもあります。それはグループの構成にかかっています。

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Q グループの光線構造は、グループの構成が変わるときに変化しますか。


クレーム:はい、グループ光線は、異なった光線を持つ人々が加入すると変化します。

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Q グループが衰退しても、まだグループ光線はありますか。


クレーム:はい、それは一種のボロボロのグループ光線です。

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Q 「規定11」の四つの必要条件を実践するにあたって、お互いの光線構造を知ることはグループにとって一般的に役に立ちますか。


クレーム:人々は実際にお互いの光線構造を教え合う傾向があります。進化段階を教えない限り、他の人々がグループ全員の、あるいはグループの一部の人々の光線構造を知ることには害はありません。
もしあなたが人々の光線構造を知るならば、思い当たることがあるかもしれません。「あの人がなぜあんなふうなのか分かった。光線のせいなのか。それによって新しい観点から見ることができる」と。自分には理解できない人物を支配する光線を知ると、そうした人々がその光線の一定の特質を示していることが分かります。それによって、あなたのアプローチは広がり、もっと寛大になるかもしれません。

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Q 覚者の観点から見ると、人は何によってこのグループの一員になるのでしょうか。伝導瞑想を行うことでしょうか。世界にマイトレーヤがおられることを知らせることでしょうか。その両方でしょうか。それとも、こうした活動のいずれか一方でしょうか。


クレーム:両方です。

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Q グループのメンバーが亡くなるとき、彼らはそれでもグループ・イニシエーションへ向けて働いているのでしょうか。


クレーム:いいえ、彼らはグループ・イニシエーションへ向けて働いてはいません。しかし、彼らはまだアシュラムの一員です。

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Q 孤独に働きながらもグループの中にいるというのは、どういう意味でしょうか。


クレーム:孤独に働くべきであると私は言いませんでした。もしくは、そのように言おうとしなかったことは確かです。弟子はいつも孤独であると私は言いました。その道は孤独な道です。最終的に覚者になることを目指して旅をしているとき、あなたは独りです。孤独に働くということではなく、孤独であるということです。しかし、孤独でありながらもグループと一緒に働いています。一人だけの、自分で課した孤立の中にあるそれぞれの人は、他のそのような人々と一緒に働いており、グループをつくります──何をしたらよいかを誰かに言ってもらうことなく、そうしています。
本質的にどのグループのどのような進歩も、そのグループを構成するすべての個人の進歩です。グループは個人によってつくられます。孤独であるということによって私が言おうとしたのはそのことです。しかし、それぞれの個人は、正しいグループ関係によって、個人としてあり続けながらもその個性をグループの奉仕へと捧げている他の人々と一緒に働くことができます。彼らの光線構造が彼らの個性です。彼らの進化段階も彼らの個性の一部です。それぞれの魂は全く単独で孤独であり、完全に個性的です。
私たち一人ひとりには音があります。私たちはいつも他の人々と関連し合いながら生きており、ある放射を発散しています。それを聞くことができる人もいれば、匂いとして嗅ぐことができる人もいます。誰かが発散する匂いや音を感知するようになります。私たち一人ひとりはいつもこうしています。動物はそれに対して反応します。それは、私たちの個別の魂の音調の放射です。
ですから、私たちすべては道を孤独に歩むものの、一緒に働き奉仕することによって、そして愛によってつながっているのです。

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「規定11」の四つの必要条件
1)非感傷的なグループ関係の確立。
2)破壊のフォースを建設的に使うことを学ぶ。
3)ミニ・ハイアラキーとして働くためのパワーの達成と、グループとして多様性の中の
和合を具現すること。
4)オカルトの沈黙の力を培う。
Alice A. Bailey, The Rays and The Initiations, by, Lucis Publishing Company. New York, Lucis Press Ltd, London, 1960, p215.