2010年伝導瞑想研修会 質疑応答――第二部
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ここにいる色々なグループの人々でさえ、その真剣度や規律の能力に関してはまちまちです。たいていの人にはあまり規律がありません。たいていの人は良い意図をもって研修会に来ますが、伝導瞑想に時間を費やすだけの規律がありません。研修会では、こうした人々が通常やっているよりもずっと長く瞑想を続けます。多くの人は普段自分たちが行っている時間、たぶん1時間くらいをやると、あとは出て行ってしまいます。そのため、もっと集中を持続させるせっかくの機会が失われます。
真の仕事はいつも、どのようにして集中し、注目を高く保ち、そうして(魂との)整列の時間を維持するかを長年にわたって学んできた真剣な人々によってなされます。
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人々が眠ると、そのグループの仕事を減少させます。しかし、ずっとこっくりし続け、注目を高く保たないでいるよりも、5分間眠ってから回復し、その後2時間注目を高く保つ方がよいでしょう。注目はアジュナ・チャクラ(眉間)になければなりません。そうでないと、目覚めていようと眠っていようと、グループの中で活用されません。何時間も居眠りをするのではありません。あなたが回復するまで少しうとうとし、その後、本当に整列して続けることができるならば、グループにとって有益です。
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伝導瞑想に参加するすべての人が、(あなた方には見えませんが覚者方には見える)フォースの線によってつなげられ、それぞれの人が他のすべての人とエネルギー的に結び付けられます。それによって、大勢の人々の中からグループが形成されます。そのグループを通してエネルギーのトライアングルがつくられるということは、限定されたほんのわずかのエネルギーではなく、トライアングルの科学に由来するエネルギーを扱うということを意味します。例えば、3人いれば1個のトライアングルができます。5人いればそのグループには10個のトライアングル(三角の組み合わせ)ができます。一つのグループに10人いれば、120個のトライアングルができます。違いがお分かりでしょう。トライアングルができることによってエネルギーの強さが増します。部屋の中に150人いれば、何千というトライアングルができます。75人しかいなければ、トライアングルの数はその半数よりもかなり少なくなります。トライアングルの科学は決定的に重要です。それは伝導瞑想の力(パワー)の土台です。
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その状態を表す別の言葉は無執着です。人が培うべき三つの態度は、心(マインド)の正直さ、生気(スピリット)の誠実さ、そして無執着であるとマイトレーヤが言われるとき、その無執着は霊的無関心の状態です。それは問題に対して、アイディアに対して、あらゆることに対して無関心でいることではありません。それは違いに対して無関心でいることであり、違いを見ないことです。なぜなら、そうした違いは心の中に生じないからです。
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グループは、光線構造が異なり、進化段階が、わずかでしかないとしても、かすかに異なる人々で構成されています。進化段階の違いは大きくなくても、あなたとは光線構造が同じでないために、あなたがとても実行できないと思うことを実行できる人々がいます。そうした人々が行うことを自分は行えないからといって妬みを感じても仕方がありません。あるいは、例えば年齢や、特定の仕事をとてもよく行ってきた長期にわたる実践のおかげで、日常世界においてとても長けている場合もあります。そのため、活動の特定の側面を監督することができます。長い経験から得られた優れたノウハウを持っていなければやれないような仕事の側面を実行するのを他の人々に教えることもできます。
しかし、こうした違いはグループの中での違いをもたらします。私たちは皆、人々がいかに嫉妬や妬みや批判の影響を受けやすいかを知っています。こうしたものは欠点です。批判が大きな欠点です。
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「より高い観点から見ると、私たちが無害であると考えるかもしれないものが実際には有害である場合がある」というのは真実です。なぜなら、無害であることがどういうことなのかを私たちは理解していないからです。無害であることは文字通り、害を及ぼさないことです。それは感情を損なわないこと、誤りを正さないこと、誰かの考えを揺さぶらないことを意味するのではありません。何もしないことを意味するのではありません。それは、あなたのすることが他の人々に害を与えないことを意味します。なぜなら「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになる」からです。それが法則です。害を及ぼさないように人生を送りたいと思うなら、何が害を及ぼすかを知る必要があります。私たちすべてが意図せずに害を及ぼしてしまうため、カルマの法則を学ぶのです。私たちは何が害を及ぼすのかを認識しません。すべての思考とすべての行動が原因を始動させます。こうした原因から生じる結果が、私たちの人生を良くしたり悪くしたりします。私たちは実際に自分自身の進歩を任されているのです。不幸なことに、間違った育ち方、間違った教え、間違った経験により、私たちすべてがこうした原因を始動させ、その原因が害を生み出します。それがカルマです。それは条件づけの結果です。
世界のほとんどの人は、現在の生活の条件のもとで全力を尽くしています。しかし、ひょっとしたら、それは害を及ぼしているかもしれません。彼らの理解を超えた偉大な法則があるからではなく、自分がすることが有害であることを知らないからにすぎません。もしも誰かを殴り倒せば、それが害を及ぼしていることは分かります。しかしもし、例えば、人々が自分の住んでいる国で生計を立て、中身のある生活を築くのを難しくするならば、それは人々に害を及ぼしていることになります。もしあなたが「貪欲を良しとする」と信じるならば、それは一つの信念です。あなたはそれに対して責任を負います。カルマとしては同じものです。なぜなら、あなたは「貪欲を良しとする」と信じ、好きなだけ貪欲で利己的になり得るからであり、そのようにして、大勢の人々に害を及ぼしているかもしれないからです。
わずか数千のファミリー、企業、機構が自分たち自身のために世界を動かしています。彼らは世界の富の80%を所有し、害を及ぼしています。彼らは自分たちが害を及ぼしているとは考えませんが、実際にはそうしています。したがって、彼らが害を及ぼしているということを彼らに示すために、私たちはマイトレーヤを必要とするのです。彼らは貪欲が良くないとは考えません。自分たちが行っていることが誰かを害する可能性があるとは考えません。なぜなら、それによって自分たちに害が及ぶようには思えませんし、自分たちが知っている人々に害が及ぶようにも思えないからです。しかし彼らは、自分たちが与えた害のために苦しむ世界の大勢の人々のことを知りません。
それは認知するかどうかの問題です──意識を広げて、世界に正義が必要であることを理解するかどうかです。正義は魂の特質、神聖な特質であり、それがないことは神性がないことです。政治、経済、社会の構造が神聖でないとき、世界は断裂しています。覚者の観点から見ると、神性以外のものは何も存在せず、私たちのすべての構造がそれを反映しなければなりません。分かち合いは聖なることである、とマイトレーヤは言われます。正義は聖なることです。平和は聖なることです。それらがなければ、私たちは悪いカルマをつくり出していることになります。私たちは法則を踏み外しています。
私たちは全世界が正しいやり方で──分かち合い、正義、正しい人間関係をもって──機能する可能性を思い描かなければなりません。分割は悪いカルマを助長します。それは社会全体の公益に反します。人々は経済的な階級の観点から、自分自身の組織の観点から、自分自身の家族の観点から考えがちです。そのため、自分にとって良いことがすべての人にとって良いことだと信じますが、そうではないかもしれません。
意識の完全な変化が必要とされますが、それが一夜にして起こることはないでしょう。ゆっくりとした意識の変化によって、マイトレーヤは人類に、自分たちが行っていることを理解し、それがいかに破壊的であり、したがって神聖でないかを理解するよう、促すことができるでしょう。
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もし覚者があなたに対して、「あなたは良いことをしていると考えているが、実際のところ、あなたが行うほとんどすべてのことにおいて、あなたはたくさんの害を及ぼしている」と言ったならば、あなたはショックを受けるでしょう。しかし、それが真実であるかもしれません。あなたは自分が及ぼしている害に気づかないかもしれません。しかし、何が害を及ぼしているのかを霊的認識があなたに告げます。もしグループの誰かが非常に破壊的であり、破壊的であることを告げられたとしたら、たとえその人が、自分が及ぼしている害に気づかず、そのことを不公正だと感じたとしても、そのことを告げることは正しいでしょう。
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それだけではなく、そしてそのこととは別に、人類全体が長い眠りから目覚めつつあります。天文学的な観点から見ると、この惑星は第4ラウンドの中間点に達しました。すべての惑星には7つのラウンド、つまり転生周期があり、地球は第4ラウンドの真ん中におります。冥王星のように第2ラウンドにある惑星もあります。他方、金星は第7ラウンド、つまり最後のラウンドにあり、天空で輝いています。
私たちが今いる第4ラウンドの中間点で、人類は目覚め始めます。人類は目覚めつつあり、覚者方が人類のオーラを見るとき、世界を眺めるとき、かつてはそこになかったかすかな光を見ます。かつては霧が立ち込めていましたが、今では外側にほんのかすかな太陽の光があります。そのほんのかすかな光は世界に、私たちに、そして覚者方に新しい希望をもたらしています。それは、私たちがこれまで教えられてきた以上に人類はより良く、より価値があるということに人類が気づき始めているということを示しています。
覚者方は私たちが神であるということを知っています。マイトレーヤはいつも「あなた方は神である」と言われています。神のように行動すると言われているのではありません。覚者方は自分たちが神であることを知っています。神のような人間であることを知っています。私たちも神のような人間ですが、そのことを知りません。彼らにとって、私たちが何となくそのことを信じ始めているという証拠は、人類のオーラに現れたこの新しい光です。彼らがこれを見るとき、人々が自分たちは誰であるのか、何であるのか、どのくらい遠くに行くことになるのかを考え直し始めているということを彼らは知ります。
人々が実際に立ち上がって「自分は大丈夫だと思う。自分には神のようなところが少しあるから」と言うのではないと思います。しかし、人々は、良い社会、良い世界、そして今日のように世界には豊富な食糧があるのにその食糧を欠いて飢え死にする人が誰もいない健全な世界、そのような世界を創造する能力が自分たちにはあるのだという自信を抱き始めています。
人々は、物事がもっとうまく処理されさえすれば、そして、もっと良い政府、もっと良い社会構造、もっと公正な世界がありさえすれば、まことに良い世界を創造することができると感じ始めています。人々は、神でないにしても、少なくとも潜在的な神であるという確信を自分自身のうちで深めつつあります。ますます多くの人が、自分たちが潜在的に神聖であるというこうした感覚を抱いています。完全ではないにしても、自分たちは事実、潜在的に神であるということを人々が突如として認識するとき、それはその人の立場での巨大な進歩となります。それは起こり始めています。それは第4ラウンドの中間点で起こります。
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人々はこの仕事において自分たちが行っていることの重要性を把握し始めています。最初、多くの人は自分たちがしていることを本当には理解しません。それは簡単なように見えますが、その中には人々が見逃す深い要素があるのです。それは非常に深く、非常に重大であるため、自分がそれに関与していることが自分では分かりません。しかし、それは実際に、グループ・イニシエーションと、内界から外界へのハイアラキーの外的顕現に関わることなのです。それは彼らの人生の実質的な方向転換を要求します。それは、そのようなことにかかわるものです。
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もしあなたが人々の光線構造を知るならば、思い当たることがあるかもしれません。「あの人がなぜあんなふうなのか分かった。光線のせいなのか。それによって新しい観点から見ることができる」と。自分には理解できない人物を支配する光線を知ると、そうした人々がその光線の一定の特質を示していることが分かります。それによって、あなたのアプローチは広がり、もっと寛大になるかもしれません。
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本質的にどのグループのどのような進歩も、そのグループを構成するすべての個人の進歩です。グループは個人によってつくられます。孤独であるということによって私が言おうとしたのはそのことです。しかし、それぞれの個人は、正しいグループ関係によって、個人としてあり続けながらもその個性をグループの奉仕へと捧げている他の人々と一緒に働くことができます。彼らの光線構造が彼らの個性です。彼らの進化段階も彼らの個性の一部です。それぞれの魂は全く単独で孤独であり、完全に個性的です。
私たち一人ひとりには音があります。私たちはいつも他の人々と関連し合いながら生きており、ある放射を発散しています。それを聞くことができる人もいれば、匂いとして嗅ぐことができる人もいます。誰かが発散する匂いや音を感知するようになります。私たち一人ひとりはいつもこうしています。動物はそれに対して反応します。それは、私たちの個別の魂の音調の放射です。
ですから、私たちすべては道を孤独に歩むものの、一緒に働き奉仕することによって、そして愛によってつながっているのです。
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「規定11」の四つの必要条件
1)非感傷的なグループ関係の確立。
2)破壊のフォースを建設的に使うことを学ぶ。
3)ミニ・ハイアラキーとして働くためのパワーの達成と、グループとして多様性の中の
和合を具現すること。
4)オカルトの沈黙の力を培う。
Alice A. Bailey, The Rays and The Initiations, by, Lucis Publishing Company. New York, Lucis Press Ltd, London, 1960, p215.