現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 12月 生命の水

生命の水

編集長殿
2006年9月に、オレゴン州セーラムとユージーンのグループメンバーは、ユージーンのお祭りでブースを出しました。ある午後、とても背の高い金髪の青年が私たちのブースにやって来て、ナイロビのマイトレーヤの写真を指差したのです。彼はとても興奮して話してきました。「これはあの人だ! 僕が旧市街(オールドクォーター)で見た人だよ。そう、彼だよ、青いヘッドバンドをしていたよ。2000年に僕はエルサレムに住んでいて、旧市街辺りにいつもこの人がいたんだ。いつも一つの門のそばにいたよ。水の入ったビンを持って、飲みたい人には誰にでもくんであげていた。僕も飲んだよ。不思議なことなんだけど、その水はいつも冷たいんだ。38度の気温の中でもね。信じられるかい? その人はものすごく親切で素朴な人だった。旧市街には頭のおかしい人たちがたくさんうろついていたけど、彼は違ってた。たぶん彼は預言者だよ。彼はいつもその辺りの貧しい人たちに施しをしていたよ、お金とかパンとかを物乞いに与えていたんだ」。私は彼に少しマイトレーヤについて話をしましたが、彼は(その時には)あまり詳しいことまで興味を示していないようでした。「これは彼だ! これはあの人だ! 信じられないよ!」。そして彼は歩いて去って行きました。
旧市街にいた男性はマイトレーヤでしたか。
マイク・ノーリー
米国、オレゴン州
【ベンジャミン・クレームの師は、水を配っていた男性はマイトレーヤで、アクエリアスの時代の、水を運ぶ者のシンボルとして行動されていたことを確認した】


子供の技

編集長殿
夫と私と娘の一人と息子と共に、友人やその子供たちとも一緒にローマへ行きました。バチカンを訪問するためバスから降りると、干からびた葉をつけた木の下に、女性と子供が眠っているのが見えました。二人は木の下にできる小さな木陰の中に座っていました。女性は木にもたれかかって眠っていて、赤ん坊も安心しきって母親の膝の上でぐっすりと眠っていました。二人の前にはたたんだTシャツが置かれて、小銭が数枚入っていました。非常に暑い日だったので、目が覚めて喉が渇いた時のために、私は自分の水のボトルをその女性の脇に置きました。その時、別の人たちが歩いてきて、お金をTシャツに置くと、それで二人が目を覚ましました。
その赤ん坊が私の息子を見た時、顔に浮かんだ表情はとても感動的で、赤ん坊は息子がまるで古くからの友人であるかのように挨拶したのです。その女性の笑顔は愛に溢れていて、とても控え目な人で、子供たちに対しても遠慮がちなほどでした。赤ん坊が喜びに溢れ、5人の子供たちがそれと同じくらいの喜びと愛で反応しているのを見るのは本当にすばらしいことでした。サシャは7歳でしたが、彼女の扇子をあげました。彼女はそれを母親からもらったばかりでしたが、それでも扇子をあげてしまったのです。子供たちが赤ん坊に触っている間中、母親が抱いていたので、赤ん坊は小さな足で立ち上がっていました。赤ん坊の感激振りには感心してしまいました。
しばらくして、私たちは二人から離れ、バチカン広場の日陰に座っていましたが、私たちが離れていく間にも二人を見ていて、その時には壁際に座っていました。私は、その女性が手のひらに赤ん坊を乗せて、正確なバランスで立てるように促してやっているのを見ました。彼女はそれを何度も何度も繰り返し、赤ん坊を励ましてやり、少しの間完璧に立っているのですが、倒れてくると、赤ん坊にキスをしてやり、再び立てるように支えてやるのです。私たちは赤ん坊の名前と年を尋ねました。「7カ月です」と彼女は答えました。赤ん坊は『リーブ』と呼ばれていました。
私たちが立ち去る時も、その女性はまた赤ん坊を手のひらに乗せていたので、私たちはそれをビデオに撮りました。私たち全員が深く感動し、このとてつもないすばらしい体験に勇気づけられました。
その母親と赤ん坊が、本当は姿を変えた覚者方だったのか教えていただけますか。
アレキサンドラ・フォン・クリュニンゲン
オランダ、ルースデン
【ベンジャミン・クレームの師は、『女性』がマイトレーヤで、『赤ん坊』がイエス覚者であったことを確認した】