現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 12月 歓び-引用選集

歓び-引用選集

本稿には、歓び(よろこび)に関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(『キリスト・マイトレーヤからのメッセージ』、『マイトレーヤの教え――いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師のことば(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

わたし自身を公に顕す時が来たら、すべての人類の希望と願いを表明する──新しい人生への、新しい出発への願いを、方向転換への用意があることを、人々が平和に生きることができる新しい世界の建設を、自分自身を恐れることなく、兄弟たちを恐れることなく生きることができ、心に喜びを持って自由に創造し、正直にあるがままであることができる、新しい世界の建設への願いを表明しよう。
(マイトレーヤからのメッセージNo.8)

これを念頭に置きなさい「あなたの兄弟の必要をあなたの行動の尺度となして、世界の問題を解決しなさい。それ以外の道はない」。あなた方の不幸に満ちた世界に、マイトレーヤは、今歩み、入られる。あなた方の苦しみと苦難を彼はあなた方自身よりよくご存じである。なぜなら、あなた方の生得の権利である歓びもまたご存じであるから。その歓びを、彼はあなた方に十分にそして完璧に取り戻させるだろう。そのことのために、マイトレーヤはあなた方の中におられる。
(『覚者は語る』─新しい簡素さ─p569-570)

あなたがたがわたしたちを見るとき、新しい時が、新しい時代が始まったことを知るであろう。それは、分かち合いと正義と愛と同胞愛の時代であり、神の法の時代である。
わたしはこの新しい時代の教師である。
わたしはこの時代の先触れである。
わたしが放つものがあなたがたを速やかに「家」へ連れ還る。
あなたがたの裡なる本性を解き放つための教えを与える。
わたしの覚者たちから一連の創造の火が流れ出で、あなたがたの燭台に火をともし、明るく輝いたあなたがたを神のもとに伴う。
わたしの覚者たちは愛と喜びしか知らない。
同じように、我が友よ、それはあなたがたの受け継ぐ資産であるだろう。
あなたがたの権利を獲得するために急ぎなさい。そして神の愛と喜びを知りなさい。
(マイトレーヤからのメッセージNo. 136)

調和が存在する条件を創りなさい。時間の感覚をなくすのに一番必要なのは調和です。個人であれ、国家であれ、不調和な状態にいれば、その時間の性質についての認識と反応を持つことはできません。実際、今日ほとんどの人が不調和な状態にいます。なぜなら今日、世界は全く不均衡だからです。それは人類の霊的危機なのです。私たちは世界の経済機構を変革せねばなりません。そうすることがより正しいからではなく、それが非常に邪悪で不正義なものだからです。私たちがそれを変革しなければ、世界を破滅させるでしょう。事は単純そのものです。調和に基づいた、従って平衡のある社会で本来の生き方(魂としての)をし始めることができるように、それを変えねばなりません。その平衡があるとき、私たちは自分たちが本来誰であり、何であるのかについての認識が増大するのです。それが私たちの危機であり、今日の私たちの問題です──自分が誰であるかを知ることです。
(ベンジャミン・クレーム著『マイトレーヤの使命・第Ⅲ巻』 p.584)

人生を楽しみなさい──:「心(マインド)を開いておきなさい。人生を楽しみなさい。人生を楽しむとき、あなたは広大な海を眺めながら海辺に座っているようである。その瞬間、あなたは平静さと落ち着きと無執着を自分の裡に経験する。その瞬間、あなたは自分の銀行口座のバランスについて考えない。その瞬間、誰もあなたに説教しない。いのちの贈り物があなたの裡に流れる。
これを経験しなさい、そうするとあなたは自分がユニーク(独特)な人間であることを知るだろう。あなたはこの創造の中においてユニークな存在である」
幸せ──人間は、母親の膝の上に見いだせるような幸せを探し求めている。全能なる神はいつも、1日24時間、自分と共にあることに気づきはじめるとき、あなたは幸せを見いだすだろう。そうすると、あなたは自分の裡に自由を経験するだろう。そうすると、不幸せや貪欲や怒りの余地はない。
自分自身を幸せにしなさい──「わたしを喜ばせようとしないで、自分自身を幸せにしなさい。そうすれば、それがわたしを幸せにする。もし、あなたが自分自身を大切にするなら、あなたはわたしを大切にすることになるのである」
(『マイトレーヤの教え──いのちの法則』p.35-36)

一人ひとりが人類の織りなす複雑なパターンの中に演ずべき役を持つ。一つ一つの貢献がユニークな価値あるもので、総体にとって必要なものである。いかにまだ輝きが鈍かろうとも、裡に創造力の火が灯されない者はいない。生きる技とは、その創造力の火に表現を与える技であり、潜在する神としての人間の特質を顕すことである。すべての人間がこの経験を分かち合い、生きる技を学ぶことが非常に重要である。今までは真に創造的な人生を送ることは、少数の人間の特典であった。来るべき時には、何百万の人間の未開発の創造性が人類の業績に新しい光輝を添えるだろう。搾取と恐怖の時から抜け出て、真の正しい関係の中で、生きることの目的と歓びを自分の中に発見するだろう。
(『覚者は語る』─生きる技─p.75)

神への道はただ一つ。我が友よ、あなたがたはすでにそれを知っている。
神への道は、同胞愛と正義と愛の道である。他の道はない。すべてがこれに含まれている。
この道はつらくきびしい道であると思う者は多い。
しかしそれよりもはるかに多くの者たちが、喜び勇んでこの道を歩むだろう。古くすたれた役に立たない過去の小事を捨て去って、その荷の軽さに喜びながら。互いに同胞愛を実践し、すべての者と親しみながら、己自身の真性を受け継ぐ者の数は多い。そしてますます増えるだろう。
(マイトレーヤからのメッセージNo. 15)

もし何か良いことが、楽しい、心地よいことが起これば、あなたは幸せに感じます。しかしあなたはその前には幸せに感じなかったし、明日もそう感じないかもしれません。ですから幸せな感じは真我ではありません。真我の特性は幸福であり、しかもそれはたえず連続した分断されることのない歓びであり、けっして変化しません。何か嫌な苦しいことが起こると、あなたは惨めで、痛みや幻滅を感じたり憂鬱になったりします。あの幸福感はどうなったのでしょうか。どこへ行ったのですか。痛みも幸福も真我とは何の関係もありません。それらは転生している男女(肉体人間)、つまり真我の器、肉体、メンタル体、感情体、の経験です。真我自体はそれについて何も知りません。真我は感情も思考も持ちません。それは、肉体、感情構造、メンタル体を通して顕現している存在です。あなたが無執着であるとき、真我は自在にこれらの器を出たり入ったりできます。これらの器を利用することができますが、それらに執着することはありません。
(ベンジャミン・クレーム著『マイトレーヤの使命・第Ⅱ巻』 p.297-298.)

マイトレーヤは警告される:──「もしあなたがわたしを人格化して、わたしの後を追うならば、あなたは混乱と無秩序と破壊以外の何ものもつくり出さないだろう。」「わたしの徴(しるし)でさえも、瞬間的な幸せしかつくらない。最も幸せな瞬間とは、あなたがあなたの心(ハート)の中にわたしを見る時である。」
(『マイトレーヤの教え──いのちの法則』p.46)

あなた方がわたしたちを見るとき、あなた方の友を、兄を見るだろう。わたしたち一人ひとりが人間であり、神の子である。陽気な習性と愛する能力の卓越さ以外に、わたしたちについて別に変わったところはない。あなた方にいのちの秘密を明かそう、そして(神への)道の良き指導者となろう。あなた方の歩みを案内し、光の中へ導いてあげよう。わたしたちの目的は、奉仕し、鼓舞することである。わたしたちの歓びは、あなた方の愛の目覚めで
ある。
(『覚者は語る』─真理の瞬間─p.161)

「わたしは人々を困惑させたり、驚かせるために来たのではない。人々がわたしを経験すると、彼らはわたしの後を追いかけないだろう。なぜなら人は人生の目的を初めて知るだろうから」
あなたは自分が無益な人生を送っているとは感じないだろう。マイトレーヤがあなたの裡にあって、あなたを導いている人生なのである。この本質的感覚があなたに異なった人生観を与えるだろう。
あなたは自分が人生を楽しんでいると感じるだろう。充実感が裡に沸き上がるだろう。すべてがあなたの裡にある。そうなったとき、あなたはもはや怒りで反応することはなくなるだろう。無執着の心で神の力(パワー)を経験するだろう。神はあらゆるものの背後に存在する。
(『マイトレーヤの教え──いのちの法則』、p. 28-29)

早急の必要は、現在、日々の仕事の中に何の意味も見いだせない何万何億の人間を機械的な単調な労働から解放するために、仕事の過程を変容させることである。「わたしに案内させて下さい。誰も窮乏することのない世界へ。同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕される世界へ。
(マイトレーヤのメッセージ第3信より)」
(ベンジャミン・クレーム著『マイトレーヤの使命・第Ⅱ巻』 p.123-124)

人間の仕事を助けるために、キリストは一定の優先順位を定められた。それが実施されるならば、均衡と秩序が確立され、それによって調和が創り出される。平和と福利はこの調和の上にかかっている。これらの優先順位は単純であり、自明である。しかるに、それがある程度、存在するところは現在どこにもない。列挙してみれば、それはあらゆる男女や子供の基本的な必要を満たすものである。第一の優先は正しい食物の適切な供給である。第二に、すべての者のための適切な住宅や宿である。第三に、普遍的権利としての健康管理と教育である。
これらが安定した世界のための最小限の必要条件であり、これを保証することが、すべての政府の主要な責任となるだろう。それは単純だが、実際に開始されるとき、広範囲の影響をもたらすだろう。そしてこの地球に新しい時代を招き入れるだろう。今日、多くの国家が優先しているものの中に、戦争のための武器の製造が不気味な比重を占めている。今後は、これらの新しい優先事項が最優先されなければならない、そして現在、〝防衛″に使われている様々な資源を回さなければならない。これが行われるとき、大いなる歓喜の創造的波がこの惑星中を覆い、すべての国の民衆はこれに反応するだろう。協力と分かち合いが日常のことになり、至るところにいる人間が人生に新しい目的と意味を見いだすだろう。マイトレーヤは助言し、導くために臨在されるだろう。そして彼の賢明な指導のもとに、世界は新しく創り直されるだろう。その時は、今すぐ手元に存在する。
(『覚者は語る』─優先順位の立て直し─p.228-229)

本質的に、すべての人間はひとつである。人類がこのことに気づく時が間もなくやって来るだろう。その日が訪れるとき、すべての人間が知る歓びは本当に大きいだろう。
(『覚者は語る』─将来の必要条件─p.519)

「時間の中に捉えられた悲しみ、痛み、虐待された記憶を恐れる気持ちをどうやって克服すればよいか」という質問ですが、方法はそれを放棄することです。それと同一認するのをやめなさい。自分自身に問いなさい、「私はこの記憶だろうか」と。明らかに違います。記憶にせよ、痛みにせよ、悲しみにせよ、時間の中であなたを捉えている虐待の記憶にせよ、あなたが同一認するものは何でも、あなたを縛りつけます。それがあなたであるところのものとなります。あなたは痛みであり、あなたは悲しみであり、あなたは虐待された記憶であり、あなたは不幸であり、あなたはこれらすべてのものとなってしまうのです。
その痛み、悲しみ、不幸を経験しないようにするための唯一の方法は、それと自分を同一認しないことです。むしろ、あなたが本来そうであるところのもの、本来のあるがままのあなたと同一認しなさい。「私は誰か」と、自分に問いなさい。しかし、そうする時に、「私はこの苦しみを感じるべきではない。この悲しみを感じるべきではない。私を痛めつける、この不幸や、虐待や、あらゆることに縛られている感じを持つべきではない。私はこうするべきではない」と言うのをやめなさい。なぜならあなたがそう言うにつれて、あなたはそれをしていることになるからです。自分自身からそれを取り除こうとする限り、あるいはそれに耽り、それを体験し、心の中で何度もそのことを思い、それに関連づける限り、あなたはそれと同一認しているのです。
(ベンジャミン・クレーム著『マイトレーヤの使命・第Ⅲ巻』 p.621)

わたしの覚者たちは、新しい方法で、以前よりもずっとあなたがたの身近にあって、国家間に愛と信頼の種をまいている。
これらの愛の種が、肥よくな土を見つけるように願っている。
わたしの計画は、直ちに出現し、すべての人間が理解できる言葉で、人々に平易に語りかけることである。すなわち、兄弟として、彼らに語りかけ、彼らの歩みを神の方向へ導くことである。
神は多くの名前で知られている。
わたしは神を愛と呼ぶ。また正義とも呼ぶ。
愛と正義はどちらも我々の生活の礎である。
わたしを探し求め、昔の兄を知りなさい。
わたしのメッセージに耳を傾けなさい、我が友よ、そして共に喜びのうちにこの世を変えていこう。
(マイトレーヤからのメッセージNo. 38)

マイトレーヤは三つのことを実践することができると言われています。それは、心(マインド)の正直、生気(スピリット)の誠実、そして無執着です。これらの三つをマイトレーヤは真我の認識、真我実現を得るための最も簡単な方法だと言われます。ほとんどの人は一つのことを思い、別のことを口にし、さらにまた別の行動をします。思考から行動まで一直線ではありません。これが混乱と破壊へつながります。これは心(マインド)の正直ではありません。心の正直は言葉の正直、行動の正直につながります。平和と幸福がこの調和を通して達成されます。
(ベンジャミン・クレーム著『大いなる接近』p. 424)

あなたがたの裡に愛の精神が顕されているのをみて、わたしの喜びはさらに深まる。
それは、あなたがたが知るよしもないほどの喜びをわたしの心にもたらすのである。
人は、わたしやわたしの兄弟である覚者たちのことを、掛け離れた存在として考える。
これは、我が友よ、およそ事実からほど遠いことである。
あなたの心のうちに感じられる愛の律動の一つ一つが、わたしの心に記録される。
これがわたしとあなたがたとの関係を表す端的な真理である。
だから、我が友よ、あなたの期待の思いを感じ、あなたが恐怖の思いから解放されるのを感じる
とき、あなたの信頼の思いを知るとき、それがわたしにとって、どれほどの喜びであるかを知ってほ
しい。
(マイトレーヤからのメッセージNo. 73)
未来の時は人間にとってすばらしい約束を宿す。前方を見さえすれば、人間が驚嘆し、戸惑う凝視の前に、その新しさゆえに、まったく当惑するような光景が展開するだろう。今日の言語の中には、そのような創造を描写し得るものはない。その時、人間が知ることのできる歓喜を描写し得るものはない。内なる平安と躍動する活動の感覚を明らかにし得るものはない。意味によって聖別され、目的の中に捧げられる人生は、人間にとって終わることのない創造的可能性をはらむだろう。
(『覚者は語る』─きたるべき時─p.184-185)

霊に執着することにより、それを欲し、つかみ取ろうとするので、それは霊に対する無執着な見方ではありません。霊的特質のものであれ、物質的特質のものであれ、全く何の要求も欲望もなく、ただあるがままの自分自身であることを学ぶことです。そのとき、相対する二極の間を正しく歩んでいることになります。それはあきらめることではなく、侵害しないことなのです。なぜならそれは、賦与された状態、非常に簡素な状態だからです。
何も欲しないほど簡素になれる人はいません──食べ物に恵まれることも、養われることも欲せず、好かれたり愛されたりすることも、尊敬されることも、称賛されることも欲しない人はめったにいません。大抵の人はあらゆる状況から何かを欲します。ただ「ある(Being)」だけで幸せであることは、素晴らしい状態、執着がない状態です。霊を求めておらず、それを霊的状態と呼ぼうとは夢想すらしませんから、霊にも執着していません。子供が自分について考えずに完全に没頭しておもちゃ遊びをし、砂の城を作っているときに幸せであるのと同様に、ただ幸せを感じるのです。完全な至福、その瞬間への集中、これが相対立する二極の間を歩く方法です。
(ベンジャミン・クレーム著『生きる術』p. 164-165)

わたしの計画は進み、まもなく、完全な肉体的事実として、あなたがたはわたしを知り、信頼して、わたしに従いてくるであろう。
わたしの言が、耳に聞き覚えのあるものであっても驚くことはない。以前に何度もあなたがたは愛の必要を聞いた。
にもかかわらず、今日多くの者がこの聖なる神の様相の恩恵を受け得ず、何百万という数の人間が消え去っていく。
だから、我が友よ、わたしの言は、再び、あなたがたの耳に響くだろう、「あなたの兄弟を愛しなさい。彼らの窮乏に心を向けなさい。あなたが豊かに持つものを与えなさい、そして世界に喜びを復興しなさい」
(マイトレーヤからのメッセージNo. 52)

あなたの想像力を働かせて、恐怖心や犯罪、競争や貪欲から解放された世界を思いなさい。世界共通の正義と平和という概念に、そして顕現された歓びに、あなたの心を開きなさい。
それをしてごらんなさい。そして恐怖心から解放された人間の中に、堕落していない子供の信頼心が花開く世界を垣間見なさい。そのような世界ではあらゆることが可能である。人は今、それを発見する門口に立つ。
(『覚者は語る』─信頼の必要─p.231-232)

これらは歴史的瞬間であり、日が経つにつれて新しい認識が一層明らかになってくる。人々はますます平和や調和ある生き方について語るようになるだろう。これは人類の歴史における分岐点である。
(ベンジャミン・クレーム著『マイトレーヤの使命、第Ⅱ巻』p.116.)

生きる歓び

毎冬、太陽はだんだん早く沈み、最も短い日には、(もし太陽が見えたとしても)わずか数時間しか見ることができない。それがこの惑星の生活の現実である。しかしながら、日はだんだんに長くなり、春の開花と夏の暖かさが再び戻り、われわれに新たな希望と生きる歓びをもたらしてくれることを、経験がわれわれに教えてくれた。
これを考えるとき、変化がいかに必然的なものかを知るとき、絶望がいかに不必要なことかもまた分かる。絶望は真理の中心を撃つ。なぜなら、真理は、永遠に変わらないものは何もない、ということである、たとえ最も暗い運命に見えるとしても。
そうであるから、無益な絶望によって何が得られるだろうか。それよりも、カルマ(因果)の打撃が忍び難いときには、変化が訪れる時を、それがやって来るという確かな知識をもって冷静に待つことの方がずっと良い。人生の打撃と贈り物を落ち着いて受け入れることを学んだときにのみ、生きることのその歓びがわれわれのものとなる。
そのような者が弟子である。そのような者は、この宇宙で静止しているものは何もないことを知っている。すべてが動いており、たえず変化し新しい形態を装う。だから現在がいつまでも続くと期待することが、いかに無駄なものかを考えてみなさい。この見識が自由を産み、その自由から自然に歓びが沸く。
歓びは自然な状態であり、幸せと悲しみの底に等しく横たわるものとして理解されねばならない。覆いが取り除けられるとき、それは光を──魂の光を──周囲すべてに輝かせ、神の特質なる愛を顕わす。愛と歓びは、純粋で、恐怖や憎しみや絶望の苦悩で曇らない心(ハート)に共存する。あなたの心(ハート)から恐れを取り除き、歓びを知りなさい。あなた自身を憎しみから解放し、愛の意味を知りなさい。暗い絶望を追い出し、あなたの真の光の中に立ちなさい。このようにしてあなたは魂の王国に入ることができ、世を救う者となる。
多くの者が、彼らを待っている栄光をほとんど知ることなく、恐れながら未来に近づく。彼らにとって、荒涼たる破壊のみが招いている。人間の未来はすばらしい眺めであり、神聖が明かされる約束をはらんでいることを、彼らに示してあげなさい。信頼は容易に生まれるものではない。しかし、歓びの光が最良の使節であることが証明されるだろう。若者たちに彼らの生まれながらの権利である歓びを表現することを教えなさい。そして彼らの感じやすい心(ハート)に、罪悪感や恐怖の重圧を押し付けてはならない。このようにして、歓びにあふれた人類の奉仕者の世代が生まれるだろう。
あなた方の兄であるわたしたちを模範としなさい。わたしたちの歓びの輝きがわたしたちの極印である。わたしたちに見習って、歓びの光を広く播きなさい。
恐怖心を克服して、他の人々の希望を支えなさい。恐怖心と歓びは同じように伝染しやすい。愛と歓びを実践し、絶望の扉を永久にしっかりと閉じなさい。これをなしなさい、そうすればあなたは想像以上に人類を助けるだろう。
(『覚者は語る』─生きる歓び─p.71-72)