現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2010年 5月 志向――選集(Aspiration)

志向――選集(Aspiration)

本稿には『志向』というテーマに関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンンジャミン・クレームの師のことば(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

新しい時代が、正義と自由と平和の時代が創られつつある。来るべき時代には、すべての国々の国民は、より良き人生についての、意味と目的についての、美と理解、正しい関係と愛についての、彼らの夢と希望の成就を見るだろう。毎日毎日が内的、外的な新しい発見をもたらし、毎時間が奉仕への機会をもたらすだろう。そのようになるだろう。そのようにして、男も女も子供も、一人一人が、われわれすべての裡にある神を賛えるだろう。そして、神の多様な面の美をそのあらゆるバラエティの中に顕現させるだろう。
マイトレーヤが出現されるとき、これらの真理を感じてはいるがそれに声を与えることのできない数え切れない人間の志向に対して水路を与えようとなさるだろう。彼らは、マイトレーヤの内に、雄弁なそして状況に応じて厳しく語るスポークスマンを見いだすだろう。マイトレーヤを通して、彼らは自分たちの必要が伝えられるのを発見するだろう。すべての人間の必要は、公正で平和な世界である。
このプロセスはすでに始まっている。行進やデモで、人々が正義と平和と穏健さを呼びかけるところに、マイトレーヤの姿が色々な変装で見つけられるかもしれない。その中で彼は民衆の役を演じ、彼らの名のもとに話をしている。彼の愛のエネルギーがこれらの正義の集会に充満しており、彼らをさらなる努力ヘと鼓舞する。マイトレーヤの力が彼らのものとなり、彼らは臆せず、確信を得る。このようにして、愛の主は憎しみの潮流を変えて、何百万の人々の熱意を強化しておられる。そして、至るところで人々は彼らの運命について認識し、そして彼らの心からなる願望を実施するための手段を探し求めている。
(『覚者は語る』―束縛の終止―p.604-605)

あなたがたがわたしを見るとき、わたしがなぜやって来たのかを知るだろう。
わたしはあなたがたに次のように訴えるだろう
――わたしの幼き者たちを救い、あなたがたの同胞を飢えから救いなさい。人類はひとつであることを、唯一なる父の子供たちであることを覚えておきなさい。大地の産物を、これを必要とする者たちに、信をもって譲りなさい。これを今なして、世界を救いなさい。
わたしは語る。わたしはそう訴える。そして人類がこの法を受け入れるとき、わたし自身を公に宣言しよう。これが真理であることを知りながら、分かち合うことを望み、兄弟同胞愛にあこがれながら、行動を起こさない者が、今日、多く存在する。何事もひとりでに起こらないのである。人間は行勤し、自分の意志を実行しなければならない。今日、その意志は、神の意志でもある。であるから、その結果は保証されている。
我が兄弟たちよ、なぜわたしの出現があるまで待つのか。世界はうめき苦しんでいるのに、なぜまだ座しているのか――男女や子供たちが、同胞から見放され、みじめに死んでいるというのに。奉仕の願望より偉大な志はない。あなたの奉仕の行為を、世界の飢えたる者たちを救うことに向け、わたしの計画に助力しなさい。
(メッセージNo.31、p.104-105)

もし私たちが弟子として真剣であるならば、自分自身の進化に参加しなければなりません。人類がそれを行う方法は志向を通してです。志向(aspiration――志願)はフォース(力)であり、私たちを前進、向上させます。それは実際に魂から来るものです。魂、つまり意識はキリストの原理と呼ばれ、キリストの原理とは志向の原理です。まさにその原理こそが、海の生物であった動物を海から陸上に引き上げ、それらの原始的タイプの爬虫類から哺乳類をつくり、哺乳類から人間王国をつくったのです。より高位の形態へと向かわせる過程は志向(向上への願望)を通してなされたのです。志向は魂から下に流れるエネルギーから生じます。なぜなら、あらゆる形態に転生するのは魂ですから。そのエネルギー、つまり魂の意識がその器――人間なり、哺乳類なり、水生爬虫類なり――に注がれて反応を起こさせます。人間にとっては反応は速やかであり、数千年で反応が起こります。動物王国の場合には何百万年もかかります。しかし何百万年の間に、徐々に志向が大きくなります。魂の呼びかけへの反応が私たちをより高位の何かに向けるのです。海からはいずり上がってくる動物――鰐など――に対して、魂が神性のビジョンを印象づけるとはもちろん言えません。鰐にとって神性のビジョンとは泳いでいる太った人間かもしれませんから。
魂が人間の男女に印象を与えると、人はその引っ張りを感じます。そして人は志向の方向を、生活の方法をこの呼びかけの方へ向けるのです。それが志向と呼ぶものです。一般的な言い方をすると、彼らはいわばより善い人間になるのです。魂が“良い”からではありません。魂は良くも悪くもないのです。しかし、乗り舟である男女のいのちに対する反応の質をより精妙にしていくからです。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.405)

覚者が非常に美しくそれを表現されました。「各人が一人ずつ、厳粛に、独りで、自分の人生の目的と意味を初めて知り、幼年時代の恵みを、自我欲に汚されていない志向の純粋さを、新たに経験するだろう」
子供の美しさは転生している魂のあらゆる志向を持っており、しかも全く懐疑心や冷笑で汚されていないことです。子供はこれが世界にとって最善であることを知っています。子供は言います、「もし世界に病気があるなら、魔法にかけてなくしてしまえばいい。世界中の病気を全部魔法のように消してしまえたら、どんなに素晴らしいだろう」と。子供は皆、世界の病気を取り除くために魔法というアイディアを使いたがります――全く非利己的な志向です。心(ハート)が語るとき、キリストのエネルギーが人類の心(ハート)を通して流れ、私たち一人ひとりの内にあの幼年期の純粋な志向を目覚めさせるとき、世界は彼の方に向くでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.286)

わたしの到来は変化の前兆である。だから、古い機構を失うことへの悲しみでもある。
しかし、我が友よ、古い瓶は壊されなければならない――新しい酒にはより良いものが相応しい。我が友よ、兄弟たちよ、今わたしはあなたがたの近くに居る。あなたがたの頭上に、周りに、愛と喜びへの志向が見える。これが人類に広く当てはまることをわたしは知っている――これこそがわたしの帰還を可能にしたのである。
あなたがたの神聖なる遺産にかけられた覆いを取ってあげよう。あなたがたをまだ待っている神の奇しき御業を示してあげよう。あなたがたの手を取って、愛の森へ、平和の小径へ、真理の川へ連れていかせてください。
わたしの手を取りなさい、我が友よ、そしてこれが今あなたがたのものであることを知りなさい。
(メッセージNo.82、p.236-237)

いのちの本質とはまさに変化です。それは基本です。宇宙全体に変化以上にリアルなものはありません。変化が起こると、人は自分自身のマインドの中で、非常に取るに足らないやり方でしかそれをコントロールすることができません。いのちが新たな形態、新たな表現方法を見いだすにつれて起こる変化は人間にはコントロールできません。
最初に海から出て乾いた陸地に住み始めた魚は、それまで考えもしなかった変化を体験したのです。そこには私たちが志向と呼ぶメカニズムが働き、まさにその本性によって魚を海から陸に駆り立てたのです。魚は異なった環境を求めたのです。欲望の特性はグラマーですが、同時にそれはあらゆる岩や石、物質そのものの中にあります。死んだ物質というようなものはありません。あらゆる物質に意識があります。魚を海から乾いた陸地に駆り立て、類人猿から人間へと進化させたのは原子の意識であり、宇宙のすべての原子に内在している欲望の原理です。
そのプロセスはロゴスによって思い描かれました。単なる物質的な可能性としてではなく、それは、すべてのものと同じように、エネルギー的な観点から心象化されたのです。エネルギーがそれを不可避なものにします。欲望そのものの原理、志向、いのちのまさに本質から、海の生き物から陸の生き物への変化が起こったのです。それを行うには勇気がいります。初めはすべての魚がそうしたのではありません。彼らは海の端まで来て、「いや、私はいやだ。あそこはそれほど濡れていないじゃないか。どうやって生き延びればいいんだ?」と言っていたのでしょう。するとある魚が通りかかって、おそらく第四光線タイプでしょうが、こう言った。「あそこは乾いている。よし、僕が行くから、みんなついておいで!」剣を振るって銃に向かっていったハッサールのように、「俺について来い!」と言って。
(『協力の術』p.192-193)

我が兄弟姉妹たちよ、あなたがたの裡にわたしであるところのものを受け入れ、新しい光を見る覚悟をしておきなさい。わたしの与えるところのものを裡にしっかりといだき、真理の意味を知りなさい。永遠にあなたであるところのものをあなたがたの裡に放ち、神となりなさい。わたしは今あなたがたの中に居る。あなたがたの信頼と愛の夢が見える。あなたがたの志向と希望を感じる。これらをわたしの心に留めて、あなたがたのためにこれを今、成し遂げよう。
わたしはあなたの良き師である。わたしはあなたの最高の願いである。わたしはあなたの最も澄み切った光である。わたしはあなたの心の愛である。
わたしが愛と呼ぶあの祝福された御国へあなたをお連れしよう。そこに住まわれる神をあなたに示し、そしてあなたの裡からその神性を引き出そう。
あなたの真理をしっかりとつかまえなさい。あなたの光をしっかりとつかまえなさい。
我が友よ、兄弟たちよ、あなたの愛をしっかりとつかまえなさい。その愛を顕し、わたしに従いてきなさい。
(メッセージNo.80、p.230-232)

大宣言の日には、このエネルギーがとてつもない強さで世界のあらゆる人々のハートを通して注がれるでしょう。マイトレーヤは言われました、「それはあたかも私が全世界を抱きしめるかのようであろう。人々は肉体においてさえ感じるであろう」と。だから私たちは「愛が世界を回転させる」という表現を使うのです。
愛は文字通り世界を回転させます。なぜならそれは進化のエネルギーだからです。あのエネルギーなしには進化はありません。願望も、熱誠も、より高いものを目指すこともありません。人は何を目指しているのでしょうか。なぜ人類は進化すると知っているのですか。なぜ人類はより良いものと呼ぶものを熱望するのでしょうか。なぜ私たちはそうするのですか。教会や僧侶が言うからではなく、私たちの魂が――魂と意識的な接触をつけるや否や――私たちにそう告げるからなのです。
(初版『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.527-528)

魂に由来する創造的想像力は、意志を始動させます。人はこの方法で意志を呼び起こします。そして私たちは志向します。魂の意識であるキリスト原理それ自体が私たちに志向を促すのです。瞑想を通じて、奉仕を通じて、あらゆる分野の創造的な仕事を通じて、私たちは何かより高い、精妙なものへの志向を魂から呼び起こします。創造的でありさえすれば、私たちは創造的な想像力を使います。概念が何であれ、それを形に、構造にするためには、創造的想像力が必要です。それが魂のエネルギーを呼び起こします。
創造的想像力は、自分と魂の通路であるアンタカラーナを使用します。そしてそれを使用するに従ってそれをつくり上げます。つくり上げるにつれて、それを使うことができます。それは二方向のプロセスです。これが光、魂の意識、魂から受け取る志向をもたらし、それが私たちを鼓舞して、まだ見えないものを見ようとさせるのです。
「そしてその光の中で、あなたは光を見るだろう」という秘教の言葉があります。魂の光の中で、さらに高次の光を見ることができます。さらに明るい、より包括的な、より創造的な光です。魂から受けるものはすべて、その人が到達した位置に応じて当面の必要を満たします。しかし私たちのレベルで受けるときに、魂からその上にさらに何かがあるという直観をも受けることになります。魂の光の中で、さらにその先の光を見ます。志向を通して、魂は私たちにそれ以上の高いものがあるという認識を与えてくれます。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.448-449)

この発展への鍵は、つまり魂が人間に与える贈り物は、志向・向上心(アスピレーション)と呼ばれるものです。進化するものはすべて、一粒の砂から、想像し得る最も進化した存在、最も高位の天使やアバターに至るまで、すべてが志向の結果として、それぞれの時点に到達しました。大昔、すべての哺乳動物は海の中に住んでいた時がありました。海がこの惑星の大多数の生命を宿していました。陸地には植物界の始まりのようなものがありましたが、海の生物の幾つかが海から出て陸地に這い上がってきました。海から出て比較的乾いた陸地にやって来た最初の魚や爬虫類にとっては、途方もない体験だったに違いありません。異なった呼吸の仕方を学び、泳ぐ代わりに異なった動き方を、歩くことを学ばなければなりませんでした。最初はぎごちなく、それから巧みに動き回れるようになり、そして今日の馬よりも早く駆けることができるようになりました。
これは偶然に起こることではありません。志向の結果として起こります。海の生物に、陸地に移ろうとする志向を想像するのは難しいことです。しかし志向なしには、決して起こらなかったでしょう。変化を求める志向なくして、変化は起こり得ません。海の中に住むことから陸地に住むというような変化は途方もないものです。しかるに、それは内的な意志に、変化への志向に、より良きもの、より高位の状態への、いまだ夢想すらし得ない可能性としての完成への熱望に従っていたのです。私たちは全く同じ方法で進化します。
志向を通して理想を持ちます。ハイアラキーの覚者方によって世界に送り込まれるエネルギーに反応して変化を求めます。覚者方はこれらのエネルギーの管理者であります。私たちはより良い状態、それが政治だろうが、経済社会、科学文化、何であろうが、より完全な状態についてのビジョンを持っています。何かより良きものを、本能的に可能だと知っている完璧さにより一層近づく何かを心に描くこの能力を通して、私たちは進化します。
人間は本質的に魂であり、神と呼ぶこの惑星ロゴスの正確な対応であり、正確な反映なので、ロゴスのマインドの中にあるものを本能的に知っているのです、人間はロゴスのアイディアでありますから。このようにして人は進化し新しい状況をつくります。海から飛び出して乾いた陸地に住むことに慣れていきます。「この発展への鍵は志向である。すべての人間に内在するものは完全無欠への願望であり、善きもの、美しいもの、真なるもの――すなわち魂の属性――を表現したいという衝動である。行動がいかにぐらついたものであろうとも、より良きものへの欲求(それがどのように表現されようとも)を持たない者は誰もいない」              
(『生きる術』p.142-144)

一対の極
(The pairs of opposites)

人間が初めて地上に出現して以来、その歴史は争いと葛藤、侵略と戦争の歴史であった。これらの傾向が優勢を占めなかった時代はほとんどなく、それが人間の本質的な特性を表しているように思えるほどである。しかるに、あらゆる証拠が見られるにもかかわらず、それは決してそうではない。では、なぜ人間は自分自身についてそのように歪んだイメージを提供するのか。無秩序な行動や破壊的暴力を行うこの能力は、いずこより出てくるのか。
人間は本質的に魂であり、神の完全なる反映である。言い知れない永いあいだ、数え切れない多くの転生を通して、人間の魂はその聖なる特質を時間と空間の中で表現することを求める。魂は物質界における己自身の対応物をつくり、それ自体の完成に向けて進化していくために必要な手段を賦与した。このようにして、神の大計画は成就されていく。
この発達への鍵は志向(アスピレーション)である。すべての人間に内在するものは完全無欠への願望であり、善きもの、美しいもの、真なるもの――すなわち魂の属性――を表現したいという衝動である。行動がいかにぐらついたものであろうとも、それがいかなる表現方法をとろうとも、より良いものへの欲求を持たないものは誰もいない。裡にこの願望を持たない者はいない。
それでは、人間の逸脱を、暴力や憎悪をどのように解釈すればよいのか。その答えは、人間の独特の位置、すなわち霊と物質の出合いの場にあり、そしてそれが同時に存在することで発生する緊張にある。人間は永遠の魂であり、それが物質の中に飛び込んで、そのために物質が強いる限界に従属させられる。完全を求める人間の闘いは、これらの相対する二つの極にある特性を完全なる和合と解決に導くことを伴う。
繰り返される転生を通して、進化の過程が徐々にこの目的を達成し、ついに物質(肉体人間)の特質と輝きが霊(スピリット)のそれと一致するようになる。そうして大計画は成就され、またもう一人の「神の子」が家に戻るのである。
永いあいだ、物質の優勢が魂の主要な表現を阻み、進化の速度は遅々としたものであった。やっと永い時を経て、人間の特質の相対する極が解決を見るとき、両分法〔*〕は単にそのように感じられるだけであり、対立は非現実のものであることを人は認識するだろう。そうすると人間は、すべてが一つであることを、霊と物質は唯一なる聖なる総体の二つの様相であり、過去の限界は単なる幻覚にすぎなかったことを知る。
相対立するものの闘いと、それに続いて起こる摩擦なしには、人間の進歩はまさに遅々としたものであろう。摩擦は火であり、それが人間をその道に押しやる。志向は光であり、それが人間を絶えず向上へと招く。このようにして、人は、やがて、物質の限界を放り捨てて、その裡に霊の輝きを付与する。人間の任務は物質を霊化し、すべての王国においてこの惑星の資質を天帝(ロゴス)の完全なる反映にしていくことである。この惑星はロゴスのからだである。葛藤や戦争、暴力や憎悪は、人間がその本当の特質をいまだ実演することができないために現れるのであり、通り過ぎていくものにすぎない。人間の真実が支配し、その美が輝き、善がすべての者の視界に顕される時が急速にやって来つつある。
(『覚者は語る』―一対の極―p.242-244)
〔*〕両分法=物事を対立的な概念に二分する論法。