現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2010年 5月 無駄にしない、欲しがらない

無駄にしない、欲しがらない

トリストラム・スチュアート氏へのインタビュー フェリシティ・エリオット

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「アメリカ、イギリス、ヨーロッパで廃棄されている食品の4分の1以下の食品があれば、世界の約10億人の飢餓に苦しむ人々を栄養失調から救うことができる」
さて、これは、私たちすべてが生活と買い物と食事の仕方を再検討すべきであるという声明である。私たちはどれだけ無駄にしているのだろうか。
テレビのインタビューでデヴィッド・フロスト氏と対談したトリストラム・スチュアート氏に初めて話を聞いた。簡単なやり取りではあったが、『廃棄物:世界的な食品スキャンダルを暴露する』という挑戦的な本の著者であるスチュアート氏は、わがまま過ぎる先進国の消費者に対して、そして生産者と小売業者に対しても戦いを挑んだ。
トリストラム・スチュアート氏(33歳)は『無血革命:徹底した菜食主義者とインドの発見』の著者であり、定期的に新聞に寄稿し、ラジオやテレビにも出演している。彼はまた、ロンドンのトラファルガー広場でクリスマスの時期(2009年12月)に行われた「フィーディング・ザ・5000(5000人に食事を)」というプロシェクトを主催した人でもある。このプロシェクトは廃棄されようとしていた食品から作った大量の食事を何千という人々に提供しようとしたものである。スチュアート氏は、非常に注意深い疲れを知らない研究者であり、データだけでは満足せず、自らが得た情報や自らのアイディアを自分自身で検証している。彼は十代中頃から、廃棄されるはずの食品で生活してきた。

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シェア・インターナショナル(以下SI):もしよろしければ、基本的なことからお聞きしたいと思います。世界ではどれほどの食品が廃棄されているのですか。そして、あなたは西洋諸国だけについて言っているのですか。


トリストラム・スチュアート:私は先進国と貧困国の両方での廃棄について調べましたが、両方で廃棄されています。西洋では極めて重大な問題です。西洋では主に食品への無頓着という問題です。発展途上国では廃棄の問題は不足に起因しています――単なる設備の不足、例えば十分な冷蔵設備、基本的な農業インフラ、果物を入れる竹籠、殺菌法などの不足です。これらがあれば、新鮮な食品が腐る前に速やかに市場に運ぶことができます。これらの問題は両方とも簡単に解決できるものなのです。

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SI:西洋においてそれは姿勢の問題だと言うのですか。


スチュアート:そうです。それが大きな問題点です。西洋、例えばイギリスでは、私たちの家庭で私たちが買ったもののうちの25%が廃棄されています。どれだけ買ったらよいかに注意して、必要なものだけを買うようにすることはかなり簡単です。

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SI:廃棄は私たちのシステムに意図的に組み込まれているのでしょうか。例えばスーパーマーケットではどうでしょう。


スチュアート:幾つかのケースでは絶対にそうです。完全にお答えするためには、食品チェーン店にまで出向くことが必要でした。確かに、小売業者は廃棄しないために十分なことをしていません。農場で起こっていることを見てみましょう。見た目という理由で食品が廃棄されているのです。規格に合わず不完全と見なされた果物や野菜ははじかれるのです。

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SI:小売店は完全なバナナ以外のバナナや奇妙な形をしたジャガイモは受けつけないということですか。


スチュアート:確かに。「醜い」食品と呼ばれる輸入果実は、私たちの港と果物や野菜の生産国ではじかれます。このような見た目の規格は全く必要ではなく、私たちのスーパーマーケットの棚に普通よりも醜い食品や「形の悪い」食品を並べてはいけないという理由はないのです。
屠殺場で行われていることを見てみると、大量の食肉が廃棄されています。幾つかの可食部分が全く使われていません――例えば屑肉や、他の様々な部分が使われていません。しかし、これらは過去においては普通に食べられていた部分なのです。
調査したとき、私はイギリスの有名なスーパーマーケット・チェーンのサンドイッチ製造工場を訪ねました。そこでは一塊のパン当たり薄い4枚のパンが捨てられていたことに気づいたのです。

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SI:それはパンの耳ですか。それは衛生上の理由からですか。


スチュアート:違います。全く違います。耳と最初の一枚です。スライスされたすべてのパンが同じように見えることが要求されます。正確に同じように見えなければならないのです。そのため、それぞれのパンの塊のうちの17%が捨てられます。使用された土地、そのパンのための小麦を育てるために使われる水、エネルギー、化石燃料を考えると、それはパンを作るために使われた土地とすべての資源の17%なのです。
あなたの以前の質問に戻りますと、その答えは「イエス」です。ある意味で廃棄は私たちの食品システムにはっきりと組み込まれているのです。

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SI:廃棄問題に対する解決策はあると、あなたは言われましたが。


スチュアート:はい、解決策はあります。その幾つかはかなり単純なものです。そして、状況が変わり始めている証拠があります。幾つかの小売店が普通よりも形の悪い食品を仕入れ始めようとしています。奇妙な形の果物や野菜を仕入れて売ることは不利益にはならないのです。変化に向けた動きがあるのです。

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SI:それは主に欧州連合でですか。全般的に変化しているのですか。


スチュアート:この問題の扱い方は国によって様々です。ある国はこの問題を扱うのが不得意ということではないのです。例えばドイツでは、イギリスよりもあらゆる形と大きさのジャガイモの袋を買うことができます。しかし、ある国々がそのようにできるということは、私たちすべてが明らかに自分のやり方を変えることができるのです。
どれだけ廃棄されているかという質問に戻りますと、これまで廃棄についての十分な調査が行われてこなかったことが問題なのです。
私は二つのやり方で調査しています。まず最初に、経験によって立証できることがあります。つまり、チェーン店のそれぞれの工程でどれだけの食品が廃棄されているかを見ることができます。スーパーマーケットのゴミ箱を見ると、どれだけの農作物が捨てられているかが分かります。しかし、別の証拠もあります。それは食料バランスシートと呼ばれるものです。生産された食料に、輸入したものから輸出したものを引いたものを加えると、その国にどれだけの食料があるかが分かります。次に、食料供給と食料摂取を比較することができ、供給と消費の差からどれだけ廃棄されたかが分かります。富裕国では30%から50%の間です。アメリカでは50%、ヨーロッパでは約3分の1です。

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SI:残念ですが、それはとても衝撃的です。はっきり言うと、富裕国では3分の1から半分の食品が捨てられているのですか。


スチュアート:そうです。アメリカでは約半分、ヨーローッパでは国によって違いますが、3分の1から半分です。豊かな国ほど多くを廃棄しています。
しかし、生産されている食料の合計、つまり全世界の食料供給を見ると、全食料の3分の1が廃棄されていることが分かります。
私はこの証拠を表にしました。私の本の巻末に載っています。

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SI:食品を廃棄することがなんでそんなに悪いのかと言う人もいるかと思いますが。


スチュアート:もちろん、世界に無限の資源があるならば、そうかもしれません。昔は、毎日消費する食料を耕したり狩ったりして集め、欠乏する時期を乗り切るために余ったものを蓄えるのが普通でした。しかし今では、消費できる以上の食料に群がって捨てているのです。
しかし、私は今、最大の環境問題の一つは農業開拓地の拡大であると言いたいです。廃棄する富裕国に輸出する食料をもっと多く育てるために、アマゾンの木々を切り倒すブラジル人に私たちはお金を払っているのです。地球温暖化の問題では、温室効果ガス全体のおおよそ10%が、廃棄されている食品から発せられていると見積もられています。
実際、その数字には森林伐採で発生する量は含まれていないのです。もしそれを含めると、まさに驚くほどのレベルにまで跳ね上がるでしょう。私が見積もったのは、ヨーロッパと北アメリカでの食肉製造から発せられる量です。それに森林伐採から発せられるものを含めたら、その数字は倍増、もしくは200倍にも増加するでしょう。また、全世界の食料供給量も見なければなりません。私たちは毎年、限られた量の食料しか生産できません。もし西洋世界の私たちが世界中から食料を輸入し、その半分を廃棄しているならば、私たちは世界の食料供給を枯渇させていることになるのです。すべての国が同じ国際的な市場源から買っているのです。

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SI:私たちが多くの食品を廃棄するならば、国際的にどのような影響を与えるのですか。


スチュアート:同じ市場から買っているのですから、私たちはまさに世界のマーケットの棚から食品を強奪しているのです。
食料価格危機が最悪の状態にあった2008年に私はパキスタンにいました。世界の食料価格が高騰したのは、主に供給規制によるものでした。以前は多少なりとも十分な食料を買うことができたパキスタンの人々はそのとき、何もなしで済ませるか、何とかするしかなかったのです。彼らはその年、オーストラリアから小麦を輸入していました。オーストラリアは私たちが小麦の一部を輸入していたところでもあったのです。その間も豊かな国のゴミ箱は何百万トンものおいしい食べ物で満たされていたことを私は知っています――その多くがパンの形をした小麦でした。私たちはまさに彼らからその食料を取り上げているのです。というのも、私たちはそれを彼らよりも高く買うことができるからです。私たちは食べるつもりもないゴミを手に入れているのです。

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SI:廃棄は特に都会の問題なのですか。


スチュアート:それに限定できるとよいのですが、現状では2008年には人類の大部分が都市生活者になりました。今では以前よりも多くの人が都市で生活しています。私たちは食料資源から遠く離れて生活しているため、全く他人事になるのは容易なことです。スーパーマーケットは食品がどのようにして作られるかを簡単に忘れさせます。私たちは食料生産の過程を見ず、知らず、敬意を払いません。そのような理由で、私たちはその価値を高く評価しないのです。ずらりと並んだ無限の豊かさを目の前にしたとき、そのすべてが限りある資源しかない惑星で育ったことを思い出すのは非常に難しいことです。それらを不必要に使うことによって、私たちはこの惑星に損害を与えているだけではなく、将来の世代と、命を十分に維持しながら成長する彼らの能力を危険にさらすことにもなるのです。

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SI:スーパーマーケットはなぜ過剰に在庫を蓄えるのでしょうか。


スチュアート:まず最初に、需要を予測するのが難しいため、在庫を十分に蓄えざるを得ないのです。彼らは、消費者の需要を満たす供給を保証できることが必要なのです。しかし、それを超えてまで、彼らは需要見積もり以上に在庫を蓄えています。というのは、商品が棚にいっぱい並んでいるのを消費者が見たがっていると彼らは考えるからです。それは豊かさという幻想をつくり出します。クリスマスの飾り付けのように食品を使っているのです。食品廃棄スキャンダルの広がりを明らかにすることが非常に重要なのはそこだと思います。人々はおそらく商品でいっぱいの棚が好きなのでしょうが、廃棄されたものを見たら、そう思うでしょうか。ゴミ箱が問題なく食べられる食品で満たされるようになることを知ったら、そう思うでしょうか。私たちはゴミ箱を見ていないのです。
過剰な在庫の廃棄を避けるために、スーパーマーケットにはできることがあるのです。人々が実際に買うことができるように価格を引き下げることができます。最低限でも、あらゆる方策を講じた後に過剰食品を慈善団体に寄付できます。

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SI:アメリカではもっと行われているように思いますが。


スチュアート:そうです。アメリカは世界で最も食品再流通が行われている国です。他の国々でもかなり行われるようになっています。イギリスにはフェアシェアのような慈善団体があり、他にもこのようなことをしている団体があります。今ではスーパーマーケットの大部分がこの種の慈善団体と関係を持っています。しかし、現在のところ、慈善団体に行くのは、廃棄される食品のわずかな部分でしかありません。ここ数年、このような団体の数は劇的に増えています。品質保証期間以前の大量の(過剰)食品が、慈善団体へと再流通できるようになっています。

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SI:食品廃棄は過去20年間に増加してきたのですか。


スチュアート:ものすごく増えました。不況が人々を目覚めさせているという証拠もありますが。

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SI:解決策を幾つか述べていただけませんでしょうか。


スチュアート:それは私たち個人から始まります。買い物リストを作り、必要ではないものを買わせようという商業的な圧力に屈しないようそれを貫くといった単純なことができます。人々に台所をどのようにしてやりくりしたらよいかを教えるつもりはありませんが、それはとても簡単なことです。
小売店や政治家に圧力をかけることもできます。それは、私たちが個人として変化を引き起こすことのできる最も強力な方法だと思います。スーパーマーケットは消費者の圧力に反応しますので、私たちはスーパーマーケットに知らせることが必要です。もし自分たちの店とサプライ・チェーンの両方で食品廃棄をやめることが広く求められていることに気づけば、彼らは廃棄するのをやめるでしょう。
国際協定の観点から言えば、富裕国にできる最も簡単なことの一つは、貧困国の農業、特に私が最初に述べたポストハーベスト問題(収穫後の農薬散布)に的を絞ることです――私たちは何が必要かを知っていますが、それは廃棄を劇的に減少させるプロジェクトです。
私から見れば、私たちは食品の廃棄をやめようと決意することができるのです。それは単に、捨てるにはあまりにも高価だからではなく、あらゆる理由から見て、捨てるにはあまりにも価値があるからです。食品は単に金銭的に価値のあるものというだけではありません。それには、持続可能性といった理由からだけではなく、世界の他の人々に対する正義感からも浪費してはならない資源が使用されているのです。

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(『シェア・インターナショナル』誌4月号に掲載されている、トリストラム・スチュアート著『廃棄物』のフィリス・パワーによる書評を参照)