平和への道
ジル・フライによるブルース・ケント氏へのインタビュー
ブルース・ケント氏はローマ・カトリック教会の元司祭、「核軍縮キャンペーン(CND)」の元会長であり、1950年代後半から核軍縮と世界平和のために活動してきた。1929年にロンドンに生まれ、1958年に司祭に任命されたケント氏は、「窮乏との戦い」「パックス・クリスティ」「反武器貿易キャンペーン」「国際連合協会」「戦争廃止運動」など、数十もの平和団体と共に活動を行った。
ロンドン北部のケント氏の自宅で、ジル・フライが本誌のためにインタビューを行った。
シェア・インターナショナル(以下SI): あなたが最初に平和キャンペーンに関わるようになったきっかけは何ですか。
ブルース・ケント:1959年に私はケンジントン教区で働いており、復活の月曜日に、教会の前をオルダーマストンの2回目の核兵器反対のデモ行進が通過するのを目撃しました。私を(後に)本当に突き動かしたのは、イエズス会の大司教の次の言葉でした。「無垢の人々を何十万人も殺すことが悪いのであれば、何十万人もの無垢の人々を殺すと脅すことは悪いことです」。そのため私は道徳的観点に立ち、政治に関してあまり知らずに参加しましたが、それはもっともだと感じました。
S I:第二次世界大戦後、核兵器を最初に持ったのは、どの国ですか。
ケント:アメリカ人が最初に核兵器を持ち、広島と長崎で使用し、その後に多くの国が続きました。1946年6月にはバルーク案がありました。それは、もしアメリカ人が核兵器を放棄するならば、すべての人が核兵器を持たないことに合意するとした案でした。しかしアメリカ人は、実際には核兵器を放棄する意思を持っておらず、ソビエトはバルーク案を拒絶しました。
1946年にクレメント・アトリーが首相であったとき、アーネスト・ベヴィン労働外務大臣は、「どのようなコストが掛かったとしても」核兵器を欲しました。それこそがまさに、それ以来ずっと続いてきたやり方です。そして次に1950年代に、フランス、中国、イスラエルが核兵器を持ち、次にパキスタン、インド、北朝鮮です。しかし、2015年11月に、世界196カ国中の140カ国がオーストリアに集まり、核兵器を持たず、すでに存在する核兵器を放棄することを決定しました。
S I:核兵器不拡散条約が完全に制定される可能性はありますか。
ケント:1968年の不拡散条約の第6条は、核超大国が核兵器を放棄することを求めています。この条約には不拡散という間違った名前が付けられています。これは実際には核軍縮条約なのですが、当時は取り引きの一部になっていました。核超大国は、「われわれはこれ以上の核拡散を望まない」とうれしそうに述べましたが、自国の核兵器を放棄するつもりはなかったからです。
今日では非常に良い希望があり、この国はそれに関して何かをする良い位置にあると思います。なぜならイギリスは、巨額のお金を費やすか──つまりトライデント[イギリスのトライデント・ミサイルは、潜水艦発射の弾道ミサイル]の更新に1,500億ポンドを使い、30年間それを継続するか
──、または、トライデントはわが国の防衛に役に立たないので、その価値はないと判断するか、どちらかに決める必要があるような地点にいます。古い冷戦の議論に感銘を受けない若い人々の間では、特に大きなチャンスがあります。
もし今日の人々が住宅、教育、健康のどれかを選ぼうとしているなら、核兵器を選択しないでしょう。フランシスコ法王は言いました。「核兵器にお金を使うことは、国家の富を浪費することです。……こうした資産が浪費された場合、社会の周縁に住む貧しい人や弱い人がその代償を支払うことになります」
S I:平和運動や反核運動のために活動する団体と、開発系の団体の間に、強いつながりはありますか。
ケント:国際的な平和運動は、約600の組織で構成されています。溝は平和運動とCNDの間にではなく、平和運動と、オックスファムやクリスチャン・エイドのような開発機関の間にあります。このような団体は、議題の中に軍縮を入れようとしません。慈善的な構造のために、他の問題を扱うことはできない。資金を失い、慈善的な立場を失う危険性があるため、他の問題に対処することはできないと、彼らは必ず言います。しかし、それに対処する必要はないが、それを認める必要はあると、私は言います。例えば、最近のパリの気候サミットでは、戦争と軍縮は議題に入っていませんでした。
S I:このような団体すべてが一つの強力な声にまとまることのできる道はあるのでしょうか。
ケント:これはオーケストラのようなものだと思います。私はトロンボーンを、あなたはバイオリンを弾き、私たちの間で調和をつくり出します。私がトロンボーン演奏者にピアノを弾かせることは馬鹿げたことです。本当の問題は、組織間に混乱があることではなく、80%の人がそのようなことに何も関わっていないことです。本当の仕事は、大衆を動かすことです。結果として生まれるのは、素晴らしい音楽です。
S I:行進やデモの力はどれほど効果的ですか。
ケント:人々の心を変える仕事のほとんどは教室、教会、モスク、路上で進行し、人々は問題を議論し、これらの問題点を取り上げます。デモは画面映えのするものであり、すべての先端にあります。最近のロンドンのデモ(2016年2月27日)には6,000人が〔トライデントの更新に抗議して〕集まりました。それは、キャンペーンの力強さの証拠ですが、その力強さは、ただ単にデモの結果ではなく、人々が読み、考え、話し、議論し、祈ってきたことの結果です。つまり意識の変化です。ですから、デモはそのことの始まりや終わりではないのです。
S I:あなたは、すべての原子力発電所を廃炉にすべきだと思いますか。
ケント:はい、そう思いますが、私はそれを自分のキャンペーンにはしません。私は二つが密接に関係していることを知っています。この国では、最初の原子力発電所は核エネルギーにとっての大きな勝利でしたが、それは爆弾用のプルトニウムをつくるために建設されたものです。原子力発電所は高価で危険なものであり、お金の無駄だと個人的には思いますが、それらは人々を破壊するためではなく、エネルギーを生み出すためにつくられたのです。
核兵器は人々を破壊するために作られたものであり、核兵器に関わる事故はまだ十分に知られていません。世界には2万発の核兵器があり、次の事故がいつ起こるのかは分かりません。何年もの間、核兵器のボタンの担当者がアルコールや薬物を摂取していることがありました。
私たちが生存しているのは、スタニスラフ・ペトロフという男性のおかげです。彼はソビエト連邦の前将校であり、1983年に緊張が高まった時期(レーガン大統領の時代)に観測室にいたとき、5機のミサイルが西から東に飛んでくるのを見たと思いました。彼の任務は、モスクワにいるソ連の指導者、ユーリ・アンドロポフに5機のミサイルの到来を報告することでした。もし彼が報告していれば、アンドロポフは報復でミサイルを発射していた可能性があり、それは第三次世界大戦となっていたかもしれません。ペトロフの観測室にいた人たちの半数は、彼にモスクワに報告するように言い、半数は報告しないように言いました。この一人の男性がすべての権限を持っており、彼は報告しませんでした。そして40分後、ミサイルだと思ったものは、実際には稀な雲の配置であったことが明らかになりました。
S I:占拠運動やアラブの春のように、世界中の人々を目覚めさせることはどれほど大切ですか。
ケント:それは素晴らしいことであり、私が何も知らない新しい形のコミュニケーションと深く関係しています。それは、人々が行動様式を変えることであり、若い人たちは、現在続いている馬鹿げたことに我慢はしないでしょう。ですから、私は感心しています。
S I: トライデント原子力潜水艦を更新しないことについて、あなたはどのようにお考えですか。
ケント:道徳的な問題として、25万人を殺すようなことを話すのはよくないと思います。たとえ無料だったとしても、私は更新しないでしょう。しかし、それは無料ではなく、1,500億ポンドも掛かる見込みであり、他のあらゆる必要がある中で、優先順位が間違っています。
最後に、それらはわが国のものではないだけでなく、ミサイルはアメリカから来るものです。弾頭の設計にアメリカの援助を受けるだけでなく、アメリカから供給されるミサイルがなければ、弾頭を載せられないのです。ですから私たちは、独立さえしていないのです。
それは、他国が核兵器を持つことを誘発すると思います。北朝鮮は突然、核兵器を持ったわけではありません。彼らが核兵器を持ったのは、核兵器を持つアメリカの艦隊に囲まれており、アメリカを黙らせ続ける唯一の方法は核兵器を持つことだと考えたからです。
S I:「しかし、テロリストについてはどうだろうか。自分たちを守るためには、核兵器が必要だ」という議論をする人もいます。
ケント:核兵器は、テロリストから私たちを守る上で何の役にも立ちません。核兵器を意味のあるものにするためには、ターゲットや領土が存在する必要があります。テロリストはターゲットを持ちません。また、私たちが相手にしている人たちは、できるだけ早く天国に行くことに絶対的に幸せを感じるようであり、それが彼らの信条なのです。ですから、天国に行きたいと考える人を、目前の死によってどのように脅すことができるのでしょうか。それは筋が通りません。核兵器は、イギリスのナショナリズムに深く関係しています。私たちはイギリス人であり、他の誰でもが持っているものを持つ必要があるのです。
私たちは、もし本当に国を守ろうとするならば、コストがどれだけ掛かっても気にしませんが、核兵器は守ってくれないのです。それは私たちをさらに脆弱にします。実際に軍事紛争が何度発生しているのかを考えてみると、核兵器には何の価値もありません。
ところが、賛成派はこう言います。「ただ単に、わが国に対して核兵器の使用をやめさせようとしているだけなのです」。(その政権が)完全に狂っていない限り、わが国に対して核兵器で先制攻撃することはないでしょう。彼らは私たちと同じ空気を吸っており、もし地球を汚染したら自分の家の庭を汚染することと同じだからです。
S I:世界平和を実現する上で、国際連合はどのような関連がありますか。
ケント:1945年に調印された国連憲章は、「……戦争の惨害から将来の世代を救い」という一節で始まっています。それが、国連が創設された目的です。国連憲章と世界人権宣言はとても重要ですが、今日あまり知られていません。世界人権宣言は、市民が当然得ることのできるものを定めた地球的な「十戒」であり、素晴らしいものです。
S I:安全保障理事会には限界がありますか。
ケント: 五つの国に認められている拒否権は、完全に時代遅れだと思います。彼らが合意できない場合、そして北朝鮮に関して合意できなかったのですが、国連総会が決定を下す権利を持つべきです。大国も小国も、各国は投票権を持っています。そこには問題がありますが、それが国連憲章で述べられていることです。なぜアンドラは中国と同じ投票権を持つべきなか、私には分かりませんが、一般的に言ってイギリスの選挙は一人一票であり、私の家族はあなたの家族よりも大きいからと言って、あなたより多くの投票権を持つことはありません。
S I:フランシスコ法王については、どのようにお考えですか。
ケント:彼は実に素晴らしいと思います。彼は奇跡です。フランシスコ法王は、新鮮な空気の中で呼吸しており、並外れた人物です。彼のローマの外への最初の旅では、ランペドゥーサ島で難民に会いました。そしてそれは、非常に大切なことです。
彼は核兵器についても発言し、核兵器に関して、意図とそれを使用することの区別を撤廃しました。「これらのことは邪悪です」と彼は述べました。このことは非常に重要です。なぜなら、ヨハネ・パウロ法王は、軍縮の過程にある限り、核兵器を保持できると言ったからです。核超大国には素晴らしい音楽のように聞こえましたし、彼らは皆、「はい、私たちは皆、軍縮に向かっています」と言いました。それによって、扉が大きく開いたままになってしまいました。
S I:あなたは祈りの力を信じていますか。
ケント:はい、それはとてつもなく重要だと思います。私が言っているのは、「神さま、これをしてください」という嘆願の祈りのことではなく、生命は巨大であり、あなたはその一部であることを意識することについてです。あなたがその中にいる全体のとてつもない宇宙を受け入れ、より広くはるかに重要な実体にあなたを同調させることです。
私たちは、自分がしていることや、存在していること、そして誰が私たちを愛していて、誰が愛していないかにあまりにも気を取られていると、私は思います。瞑想し、椅子に座り、世界を見、あなたが小さな部分である驚異について考えることを、私は祈りと呼んでいます。
S I:政府を変えるために圧力を掛けようとしているボランティアや平和活動家に対して、あなたはどのようなアドバイスをしますか。
ケント:すべての人が、自分の小さな力で圧力を掛けることができます。しかし、ミーティングに行くと、すべての人が核兵器について不満を持っており、私はこう言います。「先月中に地元の新聞に手紙を書いた方は何人いますか」と。そして1人か2人の手しか挙がりません。あなたは行動しなければなりません。
それは、エベレスト山に登るようなものです。一度では登らずに、最初のフィールドの辺りを散歩し、テントを張り、次の日にまた登山をします。もし、いつもエベレスト山の頂上を眺めていたら、そこに到達することはないでしょう。前進する計画を立て、そして一度少しの前進をすれば、他の可能性が現れ、他のことをすることができ、同じ旅の途上で他の人に会うことができます。物事が起こるのは、たとえ小さなことだとしても、それが起こるように手助けしたからです。しかし、座っていつもエベレスト山を眺めているだけでしたら、何も起こりません。それは大変な仕事であり、やるべきことが常にあります。友達を失ったり得たりします。しかも、お金持ちにはなりません! しかし、できることをしなければなりません。
S I:あなたは未来に希望を持っていますか。
ケント:間違いなく持っています。私は楽観的です。今では全く受け入れられない、過去に世界で起こったすべての酷いことについて考えるとき、私たちは前進しました。私は楽観的であり、神はすべてを吹き飛ばすために世界を創造したのではないと、私は思います。また、世界には、悪いことよりも良いことの方が多いと、私は信じています。