現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2006年 9月 レバノンのグラウンド・ゼロ

レバノンのグラウンド・ゼロ

アンドレア・ビストリッヒ

シェア・インターナショナル特派員のアンドレア・ビストリッヒは、現在ドイツの自宅へ無事戻っているが、レバノンでの現地報告(イスラエルに対立する最初の10日間の目撃情報)を送ってきた。

このところジェットエンジンの音を頭上に聞くたびに、彼らは身震いするような爆撃弾を今にも落とすだろうと確信する。1、2、3、4、5・・・私は数えて待つが、何日もの間私の神経に衝撃を与えてきたあの鈍い爆撃音はまだ聞こえない。そして・・・静寂。
私はベイルートにいた。二人のジャーナリストに関する映画を作ったエスターやカミールと同じように。また、ハムラ通りのインターネットカフェのガーダのように。彼女は最新のニュースを私のためにアラビア語に翻訳してくれた。彼女の手助けなしでは、このような困難な状況の中をやり過ごせなかっただろう。同じように、モニカやジッコ、シャリフ、ロベルト、そして他の多くの人が今でもベイルートにいる。以下は、イスラエル爆撃の最初の10日間の滞在中に私が書いた記事からの幾つかの考え、印象および人々の声である。


爆撃されたレバノンの首都、
戦火の中のベイルートにて

2006年7月16日(日)、ベイルート郊外にあるシーア派の拠点、ハレット・フレイクへ向かう途中。
水曜日(7月12日)以来ずっと、ヒズボラの拠点はイスラエル空軍の絶え間ない爆撃を浴びている。われわれは荒廃した通りを車で突っ切り、完全に破壊された橋や弾孔だらけの道路を通過し、隣接地区ゴーベイリーまで来たちょうどその時に、ヒズボラの報復攻撃が響き渡る。軋むような金属音を響かせて、われわれは車を別の方向へと向ける。「ここから逃げ出せ!」。われわれは一斉に叫ぶ。運転手はアクセルを踏む。すぐその後で、巨大な2個の爆弾が数キロメートル先で轟き渡る。モクモクとした煙が南ベイルートの上空へと立ち上る。ハレット・フレイク地域のすべての街区は跡形もなく地上から消える†レバノンのグラウンド・ゼロの出現。“テロリスト”ヒズボラの拠点を破壊するという口実で、イスラエル兵士は罪のない民間人を虐殺する。7月15日土曜日、レバノン南部のマルワヒーンにて、イスラエル兵士は拡声器を使用し、村を立ち退くように人々に命じる。人々はわが家を離れ、車やミニバスで差し迫っている危険から逃れる。彼らが避難しているまさにその瞬間に、イスラエル爆撃機は罪の無い避難民の一隊を攻撃する。20人(そのうち9人は子供)が車の中で生きたまま燃やされた。全員がテロリストなのか?「またしても、真実は戦争の最初の犠牲者である」とロバート・フィスク氏は『インデペンデント』紙のための彼の土曜日の記事の中でコメントした。

眠らない都市

私のタクシー運転手ジャミールがドイツ語で言う。「私たちの過去は困難だらけだったが、今の状況には耐えられない」。彼はサナイェー公園のスピアーズ通りにある私の家の玄関まで私を送ってくれる。数年前に、ジャミールは難民認定をドイツで申請したが拒絶された。11カ月の待機期間中に、彼はドイツ語を学び、驚くほど上手になった。「15年間の内戦、イスラエルの2回の侵入と何年ものイスラエルの爆撃に遭った後でも、私は、幼い娘のためのより良い将来を待ち望んできた。そして今やすべてのものが再び破壊されている。私はここから家族を連れ出したい」
おそらく彼は正しいのだろう。たとえイスラエルが、空港や、道路、橋、港、変電所、テレビ局、灯台、ガソリンスタンド、およびアパートへの盲目的な破壊をやめたとしても、侵略的軍事攻撃が開始される前、ちょうど3週間前にこの国が享受していた繁栄のレベルまで復旧するのに何年もかかるだろう。移住計画をしているのはジャミールだけではない。ベイルートの多くの若者たちも同じ考えを持っている。「ここにはもう僕たちの将来はない」と18歳のアフマッドは確信をもって言う。彼は学校を卒業したばかりである。夜通しポピュラーなパーティで賑わう都市は、第一級の交戦地帯へと突然変異する。高級レストランで働く44歳のカシンは、「ベイルートは眠らない都市だった」と悲しく思い出す。「私たちはここでたくさんの戦争を見てきた。しかしこれは最悪だ。あっという間に始まり、あまりにも惨たらしい」

西側の無関心

一つの民族はどれだけの苦痛を許容することができるか? どれだけの不正に耐えることができるか? 戦争が始まったばかりのころ、多くの人々が、ジョージ・W・ブッシュはイスラエルと本気で話し合うだろうと期待した。「2~3日以内に戦争は終わる、すぐに分かるよ」とフォーアドが予測する。彼はベイルートの有名なアメリカン大学の学生で、爆撃されたベイルート南部からの避難民たちに食べ物を与えるボランティアである。ブッシュはおそらく‘イスラエル問題’に巻き込まれることに興味を示さない、という思いが私にはあったので、不安に感じていた。レバノンの人々は国連へ彼らの望みを託すが無駄に終わる。「毎日、代表者たちは議論に終始し、いかなる合意にも達することができない--多くの人が死んでいく--西洋文明世界全体の恥だ」と、私が誰ともなく話しかける通行人は失望して言う。
西洋のダブルスタンダード(二面性)の別の事例:アメリカやフランスからの戦艦、軍用ヘリコプターおよびかなりの規模の兵士部隊に護衛されて、われわれは自分たちの国民を危険地帯から撤退させる(一方で)--すべてを失った者たちを含む、自分たちの運命に身を任せるレバノンの男、女、子供たちを残して。(よって)ベイルート市民が西洋の無関心さを単純に受け入れることはないということが、ベイルートセンターの研究・情報による最新の調査で明らかにされている。つまり、5カ月前には58%のみがヒズボラの残留部隊を支持していたが、今は87%のレバノン人がイスラエルに抵抗する現在のヒズボラを支持している。そして89%のレバノン人は、アメリカはこの紛争を公正に仲裁していないという見解を持っている。イスラエル軍による最近のカナの大虐殺(7月30日)の後では、西洋の偽りの正義を代表していると人々の目に映る機関は、先週の日曜日、リヤド・アル・ソロ・広場の国連ビルのように自然発生的に襲撃されている。「レバノンで起きている大虐殺を目の前にしながら、沈黙している世界に対してわれわれは憤慨している」と、ベイルートより抗議者の一人は言う。
今日の新聞の見出しや写真が、24年前イスラエル軍がベイルートへ向けて北進したものと同じであることは悲劇である。例えば、「交戦するレバノン」、「ベイルートは燃えている」、「侵入によるイスラエルの脅かし」。 見出しの下の爆弾孔、負傷者、被虐殺者の写真。1982年9月に静かに傍観していた西洋、その間に残虐極まりない大虐殺がベイルートのサブラやシャティラ避難民キャンプで起きていた。そこではキリスト教市民軍が1,700人以上のパレスチナ人を殺害し、これは、イスラエル軍(当時の国防大臣アリエル・シャロンの指揮下)との合意に基づいていたと信じられている。当時の首相メナケム・ベギンはクネセト紙に「シャティラとサブラ避難民キャンプで、非ユダヤ人が非ユダヤ人によって虐殺された。われわれと何の関係があるのか?」とのコメントを寄せている。その残虐な虐殺に先立って、アメリカ、フランス、イタリア(ロナルド・レーガン、フランソワ・ミッテラン、アレッサンドロ・ペルチーニ)の大統領たちすべては、PLO(パレスチナ解放機構)リーダーのヤセル・アラファトにキャンプの民間の人々への危害は起こらないことを保障していた。

集団移住--そして後に残された者の悲惨

今私たちは安全であるが、私たちが後に残さねばならなかった人たちはどうなるのか? ドイツ系レバノン人のモハメッド・ヤシン25歳は、レバノンからの出発に本当の喜びを感じられない。一週間前の火曜日に彼はベイルートへ向けて弟と南部から旅立った。彼らは友人を訪ねて小さなお祝いをしたかったとモハメッドは説明する。その翌日に想像を絶することが起きてしまった。イスラエル軍がすべての交通路や橋を破壊し、南部レバノンを残りの国土から切り離してしまった。
「私たちの両親と4人の姉妹たちはまだホウラにおり、脱出できない」とモハメッドは絶望的に言う。「誰も私たちを救えない--ドイツ大使館も国連も。私は自分の家族を見捨てた裏切り者のように感じる」。彼の父ユーセフ・ヤシンと彼の妻のハミアはホウラの出身である。イスラエルと直接国境を接している15,000人の住民が住む田園的風景の町である。
アフメッド・ジャベール18歳もまた、タイレの近くのワジ・ディロンにまだ捕えられている彼の家族のことを心配している。「最悪どうしようもないのは、爆撃から身を守るものがないから」とアフメッドは言う。「私の祖母、叔父、いとこ、叔母たちは死の恐怖にいつもに曝されている」。彼はそれがどんな感じかを知っている。彼と数名の友人は、ベイルートのハレット・フレイク郊外の地下の一室で、イスラエル軍F16戦闘機が街区全体を瓦礫に変えている間、数日間も耐えていたことがあった。「全世界は、これほど多くの罪のない人々を殺している、この盲目的な破壊をどんなふうに眺めることができるのか? また、イスラエルは暴力の実際の犠牲者であると、今までどおり信じることができるのか?」アフメッドは必死に尋ねる。

ゴーストタウン--ベイルート

最近の大量退去の日々の後では、ベイルートはゴーストタウンになってしまった。通りには命のかけらもない。ほとんどの商店は板張りで囲っている。外出せねばならない人々は車かタクシーを使う。「会社は閉鎖し、賃金の支払いもせずに従業員を自宅へと退去させた」と、IT専門家のバトウル・ジェイバーは言う。彼もまた、無期限に解雇されていた。「何を誰のために生産する必要があるのか?」ガーダ・ジャラニーはベイルートがどうなってしまうのか心配している。「外国人が出て行ってしまったので、戦争はこれから本格的になる」。イスラエルはこの数日以内に大規模な地上攻撃を始めると再び脅してきた。
モハメッドとフセイン・ヤシンが、彼らの両親に再び会えるかどうかは不確かなままである。彼らは今ベルリンから外務省を通して努力しようとしている。医薬品と援助だけでも分離された地域へは許可されるべきだと、モハメッドは言う。彼はまた、イスラエル軍が火曜日に、救援物資を南部の遮断された村々へ運んでいた2台のトラックをどのように爆撃したかを話す。「私の母は、水不足と大勢の人が薬の必要に迫られていることを電話で告げてきた」とも。

夜空の戦闘機

「イスラエルのジェット機は今夜私たちを再び攻撃するか?」と、あたかも私がイスラエル軍の最も高い階層とつながりを持っているかのように、スピアーズ通りの食料品店のアリは私に尋ねる。彼がドイツのジャーナリストに寄せる信頼は終わりがないように思える。けれども私は毎度彼を失望させねばならない。「残念だがアリ、イスラエルが明日撤退するようには見えない」。彼はどうしようもない身振りで肩をすくめる。彼の妻は二週間前に山へ逃れた。彼女は毎日彼に電話をかけてきて、彼が無事にここを離れ、彼女のところへ来るように、泣いて頼む。
ベイルート午前3時25分。私はベランダに座り、祈祷時報係の早朝の呼び出しを聞く。星の多い澄み切った夜空を飛び回り、獲物を探すイスラエル戦闘機の咆哮に向かって、力強い声で歌う。その後に続く重々しい爆発音による衝撃波は人間の体のすべての細胞を粉々にする。日毎に大気は息苦しくなってくる。肺の中で硫黄が燃焼する。ベイルートのほとんど誰もが咳をしている。(もし)レバノンに爆撃すべき空港も、橋も、発電所も、そして“テロリスト”ヒズボラの拠点もなくなった時、イスラエルは(次に)何をするのかと私はいぶかる。
最新の報告書は絶望的である。100万人を越す難民、負傷者3,000人、そして死者数は1,000人を超えようとしている。競うように、私の中に数字が浮かぶ。最終的に、傷心が単に数として表現される。この町とその人々に与えた傷を癒すために、どれほどの和解へ向けての作業が必要だろうか?